第101話 世界が創られることを拒んだ日
第101話 世界が創られることを拒んだ日
原初の空白に、黒い亀裂が残っていた。
世界の外側の存在が姿を消しても、その圧力だけは消えていない。
リリアは、手の中で淡く輝く白い花を見つめた。
第三の存在が見つけた願いの記録。そして、まだ回収されていない記録――世界の創造に反対する意思が成立した瞬間。
そこに、すべての始まりがあるはずだった。
「世界の成立境界って、どこにあるの?」
ミラが周囲を見回す。
セフィルは少し考えたあと、静かに答えた。
「世界の内側と外側を分ける場所……とは限らない。世界が創られる前には、内も外も存在しなかったはずだ」
「なら、どうやってそこへ行けばいいんだ?」
カイルの問いに、誰もすぐには答えられなかった。
そのとき、アレンが手にしていた銀の欠片が震えた。
カイルの指輪も同じように反応する。
二つの銀が互いに引き寄せられるように浮かび上がり、その間に細い光の道が生まれた。
道の先に現れたのは、一枚の扉だった。
扉には文字が刻まれている。
《最初の拒絶を記録した者へ》
カイルの顔が強張った。
「俺の指輪は……ここにつながっていたのか」
「でも、記録した者が誰なのかは分からない」
リリアは慎重に扉へ近づいた。
「開ける前に、確認しよう。ここにあるのは過去の記録だよね。誰かの意思を、今の私たちが勝手に変えることはできない」
「分かっている」
アレンは頷いた。
「記録を知ることと、その人の答えを決めることは違う」
彼の言葉に、第三の存在が小さく頷いた。
「私が知りたいのは、どうして反対したのか。反対したことが正しかったと証明したいわけじゃない」
少女は扉に手を伸ばした。
「たとえ、あのときの私が間違っていたとしても……その理由を知りたい」
扉が開いた。
その向こうに広がっていたのは、世界が創られる直前の光景だった。
空も大地もない。
ただ、無数の光が漂っている。
光の一つ一つが、まだ選ばれていない未来だった。
そして、その中央に三人の姿があった。
幼いエリシア。
原初の観測者。
淡い金色の髪をした少女。
三人の前には、世界の設計図のようなものが浮かんでいた。
エリシアは目を輝かせていた。
「これなら、誰もが自分の道を選べる世界になる。失敗しても、やり直せる余地を残せるはずよ」
観測者は微笑んだ。
「すべての選択を守ることはできない。それでも、選び直す機会を残すことはできるかもしれない」
金色の髪の少女も、最初は笑っていた。
「それなら、私も賛成。みんなが自分で選べるなら、きっと素敵な世界になる」
第三の存在が息を呑む。
「やっぱり……私は最初から反対していたわけじゃなかったんだ」
だが、記録の光景はそこで暗くなった。
世界の設計図に、新たな文字が刻まれたからだ。
《世界の成立に寄与しない意思は、記録対象外とする》
金色の髪の少女の笑顔が消えた。
「……これ、どういう意味?」
エリシアが設計図を調べ始める。
観測者もまた、文字を消そうと手を伸ばした。
しかし、文字は消えなかった。
さらに別の規則が現れる。
《成立後の世界に不要と判断された記録は、保存の優先度を失う》
少女は一歩後ずさった。
「不要って……誰が決めるの?」
答える者はいなかった。
彼女は、自分の手を見つめた。
「もし、私が世界に必要ないことを言ったら?」
幼いエリシアが振り返る。
「そんなことないわ。あなたの意見も必要よ」
「でも、世界を創ることに反対したら?」
エリシアは言葉に詰まった。
観測者も、すぐには答えられなかった。
少女の瞳に、恐れが広がっていく。
「みんなが世界を創りたいと思っているのに、私だけが反対したら……私の理由は、最初から間違いだったことにされるの?」
「違う!」
エリシアが叫んだ。
「そんなつもりじゃない。私は、誰もが自由に選べる世界を創りたいの!」
「分かってる……分かってるよ」
少女は涙をこらえた。
「でも、世界ができたあとで、私の意思が必要ないって判断されたら? 私が何を考えていたか、どうして怖かったのか、誰も覚えていなかったら?」
観測者が彼女に近づこうとした。
しかし、少女は首を横に振った。
「今は、触らないで」
観測者は立ち止まった。
少女は設計図を見つめたまま、震える声で告げた。
「私は、世界を創ることが嫌になったんじゃない」
その言葉に、リリアは息を止めた。
「私の意思が、世界にとって役に立つかどうかで、存在していいか決められることが怖いの」
少女の目から、涙が落ちた。
「世界を創るために、私の気持ちまで消さないで」
その瞬間、設計図に黒い線が走った。
《異議を確認》
《創造への同意――未成立》
《未成立の意思を保留する》
そして、最後に一つの記録が刻まれた。
《記録対象:創造への拒絶》
少女は、目の前の文字を見つめた。
彼女はまだ、世界そのものを否定したわけではなかった。
ただ、自分の意思を消す条件で創造を受け入れることを拒んだのだ。
それが、最初の拒絶だった。
「……そうだったんだ」
第三の存在は、自分の胸元を押さえた。
「私は、世界を壊したかったんじゃない。私の気持ちを、なかったことにされたくなかったんだ」
リリアは彼女の隣に立った。
「うん。あなたの拒絶には、理由があったんだね」
「でも、私が反対したことで、世界は創られなかったの?」
「それは、まだ分からない」
リリアは正直に答えた。
「あなたの意思を尊重することと、世界を創るかどうかは、別の問題かもしれない。だからこそ、誰かが代わりに答えを決めてはいけないんだと思う」
少女はゆっくりと頷いた。
そのとき、記録の光景が乱れた。
黒い影が、設計図の上に現れる。
『不完全な記録を確認』
『拒絶の理由を復元する必要はない』
『創造の成立を優先する』
影が少女の記録へ手を伸ばした。
リリアが創世の理を解き放とうとする。
しかし、その前に第三の存在が一歩踏み出した。
「もう、私の意思を勝手に消させない」
彼女は設計図に手を置いた。
「私はまだ、世界を創るとも、創らないとも決めていない。でも、私が何を恐れたのかは、私自身が知っている」
白い花が強く輝いた。
《本人による意思の再確認――成立》
黒い影の手が、弾かれた。
けれど、影は消えなかった。
『記録の復元は、世界の安定を損なう』
『未確定の意思を処理する』
その声とともに、光景が崩れ始めた。
「戻るぞ!」
アレンが叫ぶ。
リリアたちは少女を守りながら、開いた扉へと走った。
最後に、リリアは崩れゆく設計図の端に、もう一つの文字を見た。
《創造への拒絶を受領した者――記録なし》
誰かが、少女の拒絶を記録していた。
けれど、その人物の名だけが消されていた。
扉が閉じる直前、白い花の中から小さな声が聞こえた。
――まだ、終わっていない。
リリアは振り返った。
原初の空白の向こうで、世界の外側の存在が再び目を開いていた。
今度は、彼らを見ているのではない。
誰かの記録を、必死に探しているようだった。
――第101話・
次回、第102話「記録から消された者」




