大黒天の仮面剥落と、雨の中の惨劇
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連載『死に戻った新米刑事は、生真面目先輩とやり直し(と恋)を始める』第3話をお届けいたします。
突然の激しい夕立に見舞われる倉敷美観地区。一本の傘を寄せ合い、二人の距離がぐっと縮まる甘く切ない雨宿りのひと時から一転、物語は1周目の衝撃的なクライマックスへと突入いたします。
信頼していた鳥居係長の仮面剥落、冷たい雨の中で流される血と、ついに芽生えるいづみの愛の自覚――。
怒涛のサスペンスと熱いドラマをぜひお楽しみください!
『漆黒堂』での緊迫した聴取を終え、夕闇の迫る倉敷美観地区の白壁の土蔵群を歩いていた二人の頭上を、突如として激しい雷鳴が引き裂いた。
黒く重厚な雨雲が瞬く間に夏の空を覆い尽くし、バケツをひっくり返したような激しい夕立が、柳そよぐ倉敷川と風情ある古き良き町並みを白く霞ませていく。
「うわっ……! 急にすごい雨……っ!」
大粒の雨滴が容赦なく降り注ぎ、いづみが咄嗟に黒ジャケットの襟を立てて身を縮めると、隣を歩いていた田中が素早い手つきで黒い折りたたみ傘を開いた。
「入れ、村瀬! 濡れるぞ!」
「あっ……ありがとうございます、田中先輩……っ」
広げられた一本の傘の下。すれ違うのがやっとの狭い路地のスペースへ、いづみは吸い寄せられるように身を滑り込ませた。
必然的に、二人の身体は肩と肩、腰と腰がすっぽりと重なり合うほど密着した。
柔道黒帯で鍛え上げられたいづみの168センチのしなやかな肩口に、田中が纏う夏用スリーピースの逞しい腕の厚みがダイレクトに押し当てられる。激しい雨粒を避けるため、田中は迷うことなく左腕を回しいづみの細い肩をしっかりと抱き寄せ、己の胸元へと強く引き寄せた。
「きゃっ……」
すっと引き寄せられた瞬間、互いの体温が衣類越しにダイレクトに重なり合った。
激しい雨を避けるように抱え込まれた肩口から伝わる、田中の力強く熱い鼓動。すぐ耳元で聞こえる、田中の深く真剣な息遣い。
ふと見上げると、田中は自分がいづみを雨から守るため、右半身の肩とスリーピースの袖を激しい雨足で完全に白く濡らしていた。
「あ……先輩! 肩が完全に濡れています! もっと傘をそっちに寄せてください!」
「気にするな。お前を濡らすわけにはいかない」
「でも、それでは先輩が酷く濡れてしまいます……っ!」
いづみが思わず傘を田中の方へ押し戻そうとしたその時、田中が空いている右手の指先ですっといづみの頬を撫でた。
黒ジャケットの襟から覗くすべすべとした首筋と頬に付着していた冷たい雨粒を、田中の温かい親指の腹が優しく、慈しむように拭い去る。濡れた黒髪が頬に張り付くいづみの愛らしい顔立ちを、田中は秘めた情熱と深い愛おしさを込めて見つめていた。
自分の右肩を白く濡らしながらも、どこまでも自分を庇い守ろうとする田中の温かい指先と、黒縁メガネの奥の真っ直ぐな瞳。
「……俺の隣から離れるなと言っただろう。お前が無事なら、俺の肩などいくら濡れても構わないんだ」
「先輩……っ」
胸の奥が熱くこみ上げてくる。
自分のような新米刑事を、ここまで身を挺して大切にし、守ろうとしてくれる田中先輩。いづみは深い感謝と尊敬に目頭を熱くし、バディとしての固い誓いを込めて力強く深く頷いた。
「ありがとうございます、田中先輩……! 私、絶対に先輩の足は引っ張りません。一緒に事件を解決させます!」
* **
その時だった。田中のスーツのポケットで、警察用無線と携帯電話が同時にけたたましく鳴り響いた。
「はい……田中です。……鳥居係長!?」
電話に応答した田中の表情が、一瞬で鋭く引き締まった。
『――田中か! 漆黒堂の鶴岡の件で、今しがた重要参考人の目撃情報が入った! 倉敷川下流の旧水門倉庫だ。俺は一足先に向かっている、至急合流してくれ!』
「了解しました! 直ちに向かいます!」
通話を切った田中は、いづみと視線を交わした。
「村瀬、鳥居係長からだ! 旧水門倉庫で合流するぞ!」
「はいッ!」
二人は雨脚がさらに強まる美観地区を走り抜け、観光客の姿が完全に途絶えた倉敷川下流の旧水門エリアへと急いだ。
水ササクレ立つ倉敷川沿い。途中の雨で濡れた石橋を渡る際、滑りそうになったいづみの手を、田中がとっさに力強く握りしめた。握り合わされた手のひらから伝わる熱い温度。田中はいづみを庇うように傘を斜めに傾けながら走り続け、互いの存在を確かめ合うように強く絆を意識し合っていた。
薄暗い雨の中に佇む、黒ずんだ赤レンガ造りの旧水門倉庫。
軋む鉄扉を押し開けると、湿ったカビの匂いと冷たい雨音が、殺風景な広い倉庫内に静かに木霊していた。
「鳥居係長! 到着しました!」
倉庫の奥、薄明かりの下で背中を向けて立っていた男が、ゆっくりと振り返った。
白髪交じりの髪に、温和な目尻のシワ。いつも通り、七福神の大黒天を思わせるような福々しい笑顔を浮かべた倉敷署刑事課一係長・鳥居信一郎だった。
「おお、来たか二人とも。激しい雨の中、ご苦労だったな」
「係長、鶴岡の身柄は……?」
田中が尋ねると、鳥居は持っていたビニール傘を静かに畳み、カチリと床へ立てかけた。その表情には、いつもの穏やかな慈悲の笑みが浮かんでいる。だが――いづみは鳥居の瞳の奥に、いつもとは違う「底冷えする冷酷な光」が宿っているのを見逃さなかった。
「鶴岡なら……もう大丈夫だよ。彼は二度と、余計な喋りをすることはない」
「……え?」
いづみの背筋に、氷を突きつけられたような冷や汗が走る。
「鳥居係長……それ、どういう意味ですか……?」
鳥居はふっと目尻のシワを深め、ジャケットのポケットから静かに黒い拳銃――サイレンサーが装着された警察用拳銃を取り出した。
「そのままの意味だよ、村瀬くん。鶴岡は大野木が消されたことでパニックを起こし、私との繋がりや『とぐろを巻いた蛇』の存在まで喋りかねん状態だった。だから……私自ら処分したのさ」
「なッ……!?! 係長、何を言っているんですかッ!?」
田中が目を剥き、瞬時にいづみを背中に庇うように立ちはだかった。
「鳥居係長! あなたが……あなたが闇組織の手先だったというのですか!?」
「手先? フフ……違うよ、田中。私は手先などではない。この倉敷の街を裏で支配する組織の『一係担当幹部』だよ」
鳥居は穏やかな声のまま、残酷で恐ろしい事実を平然と口にした。
「10年前、村瀬五郎が組織の裏取引に勘づいた時も、私が事故に見せかけて処理した。……村瀬五郎は良い警察官だったよ。私とも酒を酌み交わした仲だ。だが、正義感にとらわれすぎて命を落とした。そしてその娘である君も、父親と同じ道を進もうとしている……」
「父を……父さんを殺したのは、あなただったのか……ッ!!!」
いづみの全身が、激しい怒りと耐えがたい絶望の衝撃で打ち震えた。
着着任以来、ずっと憧れ、尊敬し、亡き父の面影を重ね合わせていた理想の指導者。一係の「大黒天」と呼ばれた男の温和な仮面が剥がれ落ち、そこから現れたのは血も涙もない悪魔の素顔だった。
「哀れだな、二人とも。優秀なバディだったが、ここまでだ。知らなくていい闇に触れすぎた」
鳥居が冷酷な手つきで銃口をいづみの胸元へ向け、引き金に指をかけた――その瞬間だった!
* **
ボフンッ!!
消音器を通した鈍い発射音が、暗い倉庫内に虚しく響き渡る。
「村瀬ッ――――!!!」
撃ち抜かれるコンマ一秒の前、田中が電光石火の速さでいづみの身体を力強く突き飛ばした。
視界が激しく回転し、いづみが倉庫の床へと倒れ込むと同時に、嫌な湿った打撃音が響いた。
「がハッ……!!」
「先輩……ッ!??!」
いづみが目を剥いて振り返った時、そこには胸元を鮮血で赤く染め、膝から崩れ落ちる田中の姿があった。
鳥居の放った凶弾が、いづみを庇った田中の胸の中央を深く穿っていたのだ。
「田中先輩ッ!!!!! やだ……やだッ!!!」
いづみは叫びながら地を這うように寄り添い、膝の上に崩れ落ちる田中を力いっぱい抱きとめた。
胸元から溢れ出す大量の赤黒い血が、田中の仕仕立ての良い夏用スリーピースを瞬時に染め上げ、いづみの両手を熱く濡らしていく。
「ハハハ、見上げた忠誠心だな、田中。だが、無駄な悪あがきだ」
「……む、村瀬……逃げ……ろ……っ」
口から血を吐きながら、田中はいづみの頬へ最後の力を振り絞って手を伸ばした。
指先がいづみの肌に触れ、赤く濡れた血の温もりがすべすべとした頬へと伝わる。
「嫌……嫌ッ!! 先輩、目を開けて!! 私を置いていかないでッ!!」
田中の胸元に顔を押し当てると、あれほど強く激しく打っていた鼓動が、一拍ごとに弱まり、冷たくなっていくのが分かった。
冷たい雨音と、手に伝わる命の溢れ出す血の温もり。
その絶望の淵で――いづみの胸の奥で、今まで抑え込まれていた感情が、爆発的な破城槌となって壁を打ち破った。
(やだ……やだやだッ! 先輩がいなくなるなんて絶対に嫌……! お願いだから目を開けて……! 私は……私はもっと、田中先輩と一緒にいたいのッ!!)
冷たい絶望の惨劇の中で、いづみはついに己の「真実の愛」を完全に覚醒させた。
だが、時すでに遅く――田中の瞳から光が失われ、その手が力なく床へと落ちた。
「先輩……? うそ……うそでしょ……? 先輩っ……!! ああああああッ!!!!」
いづみの絶叫と慟哭が雨の倉庫に空しく響き渡る。
鳥居は感情のない瞳でそれを見下ろすと、再び静かに銃口をいづみへと向け直した。
「あの世で五郎と仲良く話すがいい。……さらばだ、村瀬」
ボフンッ!
二度目の鈍い発射音が弾けた。
強烈な衝撃がいづみの胸を穿ち、視界が真っ赤な血の色に染まる。
倒れ込んだコンクリートの床。冷たい雨が吹き込み、胸から溢れる血の温もりがすっと体温を奪っていく。
遠のく意識。目の前で動かなくなった田中先輩の姿。死の冷気が全身を侵食していく。
(嫌だ……こんなの嫌……! 田中先輩を死なせたくない……! もう一度……もう一度やり直せるなら……っ!)
絶望の暗闇に沈みかけたその時だった。
吹き抜けの高い梁の上から、一匹の灰色の毛並みを持った老猫が、雨に濡れながら静かに舞い降りてきた。
茜色の光を宿す賢者猫――ソクラテス。
ソクラテスは、血に染まって倒れているいづみの頬へ静かに歩み寄ると、その温かい毛並みをそっとすり寄せた。
『――やり直す覚悟はあるか、新米。時を戻せば、3割の確率でお前か私の存在は消滅する……お前のその諦めぬ瞳になら、賭けてみる価値はある――』
脳内に直接響き渡る、深く神聖な思念波。
絶望に覆われたいづみの瞳に、最後の生命の光が宿る。
(やり直す……! 何度だってやり直す……! 先輩を……絶対に助けて見せるッ……!)
『見事な強い意思だ。その愛を証明してみせよ』
ソクラテスの身体が、眩い青白い光の粒子を放ち、周囲の世界を包み込んでいく。
成功率70%の命懸けの時空跳躍――。
絶望の雨と血の匂いが消え去り、いづみの意識は激しい光の渦の中へと解き放たれていった。
第3話をお読みいただき、本当にありがとうございました!
1周目の悲劇――信頼していた鳥居の裏切りと田中先輩の絶命、いづみ自身の死、そして冷たい雨の中での「愛の初自覚」を描いたクライマックスとなりました。
絶望の果てに芽生えた強い想いと、賢者猫ソクラテスの奇跡によって、物語はいよいよ2周目の世界(第4話〜)へと引き継がれます!
2周目では、死に戻ったいづみがどのような行動を起こすのか……!
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次回第4話の更新もお楽しみに!




