↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/27

漆黒堂の罠と、賢者猫ソクラテス

いつもお読みいただきありがとうございます!

連載『死に戻った新米刑事は、生真面目先輩とやり直し(と恋)を始める』第2話をお届けいたします。


大野木源造殺害事件の追及からスタートする第2話では、被害者と怪しい繋がりを持つ高級画廊『漆黒堂』のオーナー・鶴岡への聴取、10年前に殉職した父・村瀬五郎の隠された影、そして路地裏で二人の前に現れる「謎の灰色の老猫・ソクラテス」との出会いが描かれます。


生真面目な田中先輩と新米いづみが魅せる濃厚な距離感と、じわじわと迫るサスペンスの緊張感をぜひお楽しみください!

倉敷美観地区を包み込む夏の熱気は、午後を迎えてさらに色濃く、重苦しく街を支配していた。


 白壁の街並みを照らしつける日差しは容赦なく、川沿いに立ち並ぶ柳の影も短く縮こまっている。観光客たちの歓声もどこか遠く、街全体が酷暑の不気味な静寂に沈んでいるかのようだった。


 倉敷川沿いの石畳を、黒のパンツスーツ姿の村瀬いづみと、夏用スリーピースを几帳面に纏った田中健人が並んで歩いていた。


 「……暑いですね、田中先輩。アスファルトの照り返しで目が眩みそうです」


 いづみは手のひらで額を庇い、黒髪の裾をかるく揺らしながら小さく息を吐いた。


 「油断するな、村瀬。被害者の大野木源造の交友関係は多岐にわたる。闇金融の顧客だけではなく、表の政財界や古美術界にも深く根を張っていたはずだ。これから向かう『漆黒堂』も、大野木の極秘メモに何度も登場していた懸念先だ」


田中は乱れのない手つきで黒縁メガネのブリッジを直しつつ、いづみの隣へと自然に歩幅を合わせた。178センチの長身が生み出す影がいづみをすっぽりと包み込み、酷暑の日差しから守るように添えられる。


ふと、すれ違いざまに肩が触れ合いそうなほど至近距離に寄った田中の身体から、整髪料と清潔な男の体温が混ざり合った香ばしい匂いが漂ってきた。


(田中先輩……どんなに厳しい現場でも、いつも変わらず私の隣にいてくれる……)


いづみの胸の奥に、大きな安心感とバディとしての強い絆が満ちていく。

職場では厳格な先輩と新米刑事という一線を画しているが、ふとした瞬間に見せる田中の強い包容力と真っ直ぐな眼差しに、いづみは人間として、そして刑事として絶対的な信頼を寄せていた。


「……村瀬、顔色が少し赤いぞ。大丈夫か?」


立ち止まった田中は、自然な動作で日差しを遮るようにいづみの前へと立ち、ポケットから几帳面に畳まれた白いハンカチをすっと差し出した。


「あっ……すみません、田中先輩。少し暑さでのぼせてしまいました……」


「無理は禁物だ。これから向かう『漆黒堂』のオーナー・鶴岡は一筋縄ではいかん男だからな。しっかり水分を摂っておけ」


受け取ったハンカチから漂う清潔な石鹸の匂いに、いづみは先輩の温かい気遣いを感じて表情を引き締めた。

一方の田中は、ハンカチを受け取る際に触れたいづみの指先の柔らかさと、汗ばむ可憐な首筋に、黒縁メガネの奥で一瞬だけ瞳を大きく揺らしていた。秘めた胸の奥の熱さを隠すように、田中は小さく喉を鳴らして歩き出した。


「行くぞ」


「はいッ!」


頼もしい先輩の背中を見つめ、いづみは気持ちを引き締めて足を進めた。


* **


 美観地区の一角、重厚な蔵造りの風情を漂わせる高級画廊『漆黒堂(しっこくどう)』。

 自動ドアをくぐると、外の灼熱が嘘のように冷ややかな空調の冷気が肌を刺した。店内には高価な掛け軸や骨董品、洗練された白磁の陶芸品が整然と並べられている。


「いらっしゃいませ。……おや、警察の方々ですか」


応接スペースの奥から現れたのは、仕立ての良い和服を身に纏った初老の男――漆黒堂のオーナー・鶴岡徳次郎(59)だった。

手入れされた白髪と細い眼光。一見すると品格ある画商の佇まいだが、その目奥には商人の域を超えた計算高さが覗いている。


「突然の訪問、失礼します。倉敷署刑事課の田中と村瀬です。昨晩殺害された大野木源造氏の件で、少しお話を伺いたい」


田中が警察手帳を提示すると、鶴岡は薄く笑みを浮かべ、手元の白磁の茶器を持ち上げた。


「大野木さんですか……。痛ましいことですな。ですが、私と彼は単なる美術品の売買を通じた浅い付き合いに過ぎませんよ。昨晩の死亡推定時刻も、私はこの店で一人、明日のオークションの目録を整理しておりました。アリバイなら防犯カメラにも残っているはずです」


滑らかな弁舌。一切の隙を見せない完璧な回答。

だが――いづみの鋭い眼差しは、鶴岡の「ある部分」から目を離さなかった。


(手が……震えている……?)


鶴岡が白磁の茶碗を湯呑み台に戻す瞬間、カチャリと小さな磁器の摩擦音が響いた。ほんのコンマ数秒の揺らぎ。優雅な口調とは裏腹に、その指先は目に見えて引きつり、指背には冷や汗が滲んでいた。


『――人間は口で嘘をつくが、肉体と手だけは騙せぬ――』


頭の奥で、まだ見ぬ誰かの言葉が不意に木霊した気がした。

いづみは深く呼吸を整えると、毅然とした足取りで鶴岡の眼前に一歩踏み出した。


「鶴岡さん。あなたが大野木氏と単なる取引相手でないことは分かっています。大野木氏が営んでいた闇金融の極秘顧客名簿に、あなたの名と巨額の裏取引の記録が残されていました」


「なッ……!??!」


鶴岡の顔からスッと血の気が引き、細い瞳が凍りついたように見開かれた。


「さらに……もう一つ伺いたいことがあります」


いづみはポニーテールを揺らし、凛とした真っ直ぐな瞳で鶴岡を射抜いた。


「村瀬五郎……10年前に殉職した警察官の名に、聞き覚えはありませんか」


「――――っ!!!」


その名が出た瞬間、応接室の冷気が一気に緊迫の閾値を突破した。

鶴岡は息を詰まらせ、手に持っていた茶器をガタガタと激しく揺らした。白磁の表面に溢れたお茶が、鶴岡の指先を濡らしていく。


「な、何を根拠のない妄想をッ! 警察の新米が、知った風な口をきくなッ!」


「父の遺品である古い手帳の中に、あなたの『漆黒堂』の名と、謎の記号が記されていたのです。父の死と大野木氏の殺害……あなたはその根底にある『何か』を知っているはずです!」


鶴岡は激しく胸を上下させ、怒りと生々しい恐怖が混ざり合った異様な眼差しでいづみを睨みつけた。


「村瀬五郎の……娘だと……!? くっ……戯れ言を言うなッ! 過去の幽霊を掘り起こそうとするな!」


鶴岡は声を荒らげ、濡れた手を振り払うように叫んだ。


「いいか青二才ども! この街の闇は、お前たちのような若造が足を踏み入れていい場所じゃないんだ! 10年前の影を追いかければ、命が幾つあっても足りんぞ……ッ! これ以上首を突っ込むと、取り返しのつかないことになる……! 出て行け! 今すぐ店から出て行けッ!」


狂乱したような鶴岡の叫び声が、冷えた画廊内に空虚に響き渡った。


* **


 『漆黒堂』を追い出された二人は、夕闇の迫る美観地区の狭い路地裏へと足を進めていた。

古い白壁と黒漆喰の土蔵に挟まれた、すれ違うのがやっとの細い路地。

鶴岡のあの異常な動揺と激昂。10年前の父の殉職の背後に、想像を絶する巨大な闇が潜んでいることは疑いようもなかった。


「……悔しいです。あと一歩で、何かを掴めそうだったのに……」


いづみが悔しさに唇を噛み締めると、隣を歩いていた田中が立ち止まり、いづみの両肩をぐっと強く掴んだ。


「田中先輩……?」


路地の陰。薄暗い夕闇の中で、田中の黒縁メガネの奥の瞳が、狂おしいほど熱い情熱を帯びていづみを映し出していた。


「無理をするな、村瀬。お前が一人で危険を背負う必要はない」


肩に込められた強い力。引き寄せられた二人の距離がゼロになり、互いの吐息が触れ合うほど顔が近づいた。


「ですが……父さんの無念を晴らしたいんです! 私はそのために刑事になったんですから……!」


「分かっている。だからこそ……俺がお前の盾になる」


低く掠れた田中の声。

すべすべとした首筋に届く熱い息遣いに、いづみの身体が微かに震えた。田中は左手を伸ばし、いづみの耳元にかかった黒髪を優しく払うと、その温かい指先でいづみの頬を包み込んだ。


「お前を絶対に傷つけさせない。10年前の事件も、今回の事件も……俺が必ずお前と一緒に暴いてやる。だから、俺から離れるな」


「先輩……っ」


包み込まれた頬の温もりと、どこまでも自分を守ろうとしてくれる田中の強烈な熱意。

一人で抱え込もうとしていた焦りを解きほぐされたいづみは、目頭を熱くし、すがるような深い感謝を込めて田中のスリーピースの胸元にそっと額を預けた。伝わってくる、田中自身の力強く激しい鼓動。路地裏に、二人の揺るぎない絆と熱意が満ちていく。


その時だった。


『――ほう。なかなか頼もしい覚悟だな、新米』


「えっ……!??!」


突如、いづみの脳内に直接響き渡る、しわがれた老人のような不思議な声。

驚いたいづみが弾かれたように視線を向けた先――路地裏の古い石垣の上に、一匹の灰色の老猫が静かに鎮座していた。


茜色の夕日を受け、銀色に輝く灰色の毛皮。

その深い褐色の瞳は、まるで人間の全てを見透かすような賢者の光を宿している。


(なに……今の声……!? 猫が……頭の中で喋った……!?)


混乱しいづみが息を呑んでいると、灰色の老猫――ソクラテスは、優雅に尻尾をひと揺らしし、再びいづみの脳内へ直接思念波を送り込んできた。


『目の前の現象と感情に惑わされるな、新米。人間は口で嘘をつくが、肉体と手だけは騙せぬ……。先ほどの男の手の震え、あれこそが肉体が示す真実の証だ』


「手足の動揺……肉体の証……!?」


思わず声を漏らしたいづみに、隣の田中が怪訝そうに眉をひそめた。


「村瀬……? どうした急に。猫に向かって何か言っているのか?」


田中にはソクラテスの声は一切聞こえていないようだった。田中にとって、それはただ石垣の上で佇んでいる野良猫に過ぎないのだ。


いづみが呆然と立ち尽くす前で、ソクラテスはさらに思念波を重ねた。


『過去の影を追うのはよい。だが、足元に潜む蛇の存在に気づかねば、お前たちは再び闇に飲まれるぞ……』


ソクラテスはそれだけ言い残すと、石垣の上からしなやかに飛び降り、夕闇深まる路地の奥へと影のように消えていった。


「……村瀬、大丈夫か? 急にボーッとして」


「あ……は、はい! 大丈夫です、田中先輩……!」


脳内に残る不穏な予言と、深まる迷宮の影。二人の運命の歯車が、いま激しく回転を始めていた――。


第2話をお読みいただき、本当にありがとうございました!

高級画廊『漆黒堂』の鶴岡への追及、父・五郎の殉職に潜む不穏な影、そして路地裏で二人を温かく、時に厳しく導く「賢者猫ソクラテス」との出会いが描かれました。


頼れる田中先輩といづみの確かなバディの絆、そして忍び寄る悲劇の予感……。

次回第3話では、二人が全幅の信頼を寄せる「大黒天」鳥居係長の仮面が剥がれ落ち、1周目のクライマックスである「雨の中の惨劇」へと突入いたします!


面白いと思っていただけましたら、ぜひ【ブックマーク登録】や【評価(★★★★★)】で応援していただけますと大きな執筆の糧になります!

次回、第3話の更新もどうぞお楽しみに!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。