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特別番外編:朝靄の路地裏と、秘密の缶コーヒー

いつもお読みいただきありがとうございます!

【第1部:時をかける誓い編】の完結(第10話)を記念いたしまして、特別番外編『朝靄の路地裏と、秘密の缶コーヒー』をお届けいたします!


第10話ラスト――阿智神社での生還と誓いの口づけを交わした直後、朝の出勤までの束の間の30分。

朝靄のたなびく白壁の路地裏で、1本の缶コーヒーを分け合いながら交わされる、ふたりだけの甘く濃密な秘密の時間をお楽しみいただけましたら幸いです。


 阿智神社の石段を下りきったところで、ふっと朝の風が頬を撫でていった。


 境内での深々とした抱擁と、幾度も重ね合わせた熱い口づけの余韻が、いづみの唇と身体の奥にまだ甘く痺れるように残っている。

 ふたりが身に纏っているのは、出勤用の黒のパンツスーツ。

 倉敷署の一係執務室へ足を踏み入れれば、ふたりは再び「田中巡査部長」と「村瀬巡査」という、一切の隙を見せないプロの刑事バディに戻らなければならない。


 時計の針は、午前7時20分を回ったところだった。

 8時15分の一係朝礼まで、あと50分あまり。


「……少し、歩かないか。署へ入る前に」


 隣を歩く田中が、歩調をゆるめて低く囁いた。

 黒縁メガネの奥の瞳には、職場で見せる冷静で生真面目な光とともに、昨日までの苦い敗北を乗り越えた男の、どこか柔らかで深い愛おしさが宿っている。


「はい……! ぜひ、ご一緒させてください」


 いづみは胸元で小さくうなずくと、田中の少し後ろに並んで歩き出した。


 まだ街全体が浅い眠りの中に置かれている、早朝の倉敷美観地区。

 観光客の姿は人っ子ひとりなく、倉敷川の澄んだ水面には、たなびく朝靄と白壁のなまこ壁が鏡のように美しく映り込んでいた。柳の緑が朝風にゆらゆらと揺れ、水鳥が静かに波紋を広げている。


 川沿いから一本折れ、古い土蔵と白壁に挟まれた狭い路地裏へと足を踏み入れると、そこは完全なふたりだけの静寂に包まれていた。

 朝日の光が白壁の庇に遮られ、涼やかな影を落としている。


「喉が渇いたろ。……温かいものでも飲むか」


 路地の角にぽつりと置かれた赤い自動販売機の前で、田中が立ち止まった。

 小銭を投入する金属音が、静かな路地裏に心地よく響く。田中がボタンを押すと、コトンと重い音を立てて缶が転がり落ちてきた。


 田中が拾い上げたのは、無糖のブラック缶コーヒーだった。


「先輩……コーヒーですか? しかもブラック……」


「お前は苦いのは苦手だったか? ……すまない、無意識に自分の好みを押してしまった」


「ううん、違います……っ! 先輩と同じものがいいです!」


 いづみは慌てて首を振ると、田中が差し出してくれた缶コーヒーへと手を伸ばした。


 プルタブを起こす小さな金属音。

 立ち上る香ばしい珈琲豆の香りと、アルミ缶越しに伝わってくるじんわりとした温もり。

 いづみが小さな口をつけ、少し背伸びをするようにして一口啜ると、コクのある苦味が口いっぱいに広がっていく。


「ふふ……なんだか大人になった気分です。……ほんのり温かくて、すごく美味しい……」


「嘘をつけ。少し苦そうに眉を寄せているぞ」


「そんなことありません! ……ほら、先輩もどうぞ」


 いづみは両手で大切に抱えた缶コーヒーを、田中の口元へそっと差し出した。

 田中は少し意外そうに目を細めたが、拒むことなくいづみの小さな手から缶を受け取ると、彼女が口をつけたのと同じ場所に唇を重ね、静かに喉を鳴らして飲み干した。


 間接キス――。


 その言葉が脳裏に浮かんだ瞬間、いづみの頬がかっ首筋まで朱に染まった。

 昨夜、彼の部屋で身体を重ね合わせ、今朝も境内であんなにも濃厚に唇を探り合ったというのに、こうして朝の光の中で缶コーヒーを分け合うだけの仕草が、どうしてこれほど狂おしいほど恥ずかしく、甘いのだろう。


「……村瀬」


「は、はいッ……!」


「顔が赤いぞ」


「っ……それは……朝日のせいです……っ!」


 照れ隠しに俯いたいづみの顎先を、田中の骨太な指先がそっとすくい上げた。

 白壁の影の中、逃げ場を失ったいづみの背中が、ひんやりとした土蔵の壁に静かに触れる。


「先輩……?」


「ここなら……誰の目もない」


 田中の低い声が、耳元で熱く甘く揺れた。

 彼は空になった缶コーヒーを脇のゴミ箱へ静かに置くと、いづみの引き締まったウエストを両腕で力強く引き寄せ、自分の身体へと密着させた。


 スーツとスーツが擦れ合う微かな衣擦れの音。

 仕立てのいい生地越しに伝わってくる、田中のたくましい胸板の厚みと、脈打つ熱い鼓動。

 いづみは彼の首筋にそっと両腕を回し、萌え袖の指先でワイシャツの襟元をぎゅっと掴みしめた。


「健人さん……っ」


 名前を呼んだ瞬間、逃げ場を塞ぐように深く、濃厚な口づけが降ってきた。


「ん……っ……ふ……っ」


 思わず零れた甘い吐息が、田中の口内へと吸い込まれていく。

 先ほど分け合ったばかりのブラックコーヒーの香ばしい苦味と、彼の熱く甘い唾液が混ざり合い、舌と舌が深々と絡み合っていく。

 田中はいづみのポニーテールを結ぶ黒ゴムにそっと指を差し入れ、彼女の頭部を固定しながら、逃がさないと言わんばかりに熱狂的な吸い上げを繰り返した。


「あ……んっ……健人……さん……っ」


 朝の路地裏という背徳感。

 あと数十分後には、倉敷署で不倶戴天の敵・鳥居信一郎と対峙しなければならないという、息詰まるような緊張感。

そのすべてが触媒となり、ふたりの交わす口づけは、どこまでも深く、濃厚に体温を溶かし合っていく。


田中がいづみの黒パンツスーツのジャケット越しにウエストを撫で上げ、指先で背中の美しいシルエットをなぞるたび、いづみの足先から甘い痺れが駆け上がった。

つま先を浮かせるようにして彼の胸元へすがりつき、彼の舌を自分の口内へと深く誘い込んでいく。


「……は……っ……ふ……」


ようやく離れた唇の隙間から、二人の甘く白い吐息が朝の空気に溶けていく。

いづみの切れ長の瞳は潤み、桃色に染まった唇が、彼の熱い口づけの余韻に小さく震えていた。


田中はいづみの頬に添えた指先で、溢れかけた愛おしい涙をそっと拭うと、彼女の額に優しく額を押し当てた。


「……よし。これで、どんな敵が相手でも戦える」


「ふふ……私もです。……田中先輩の胸の中なら、私、なんだって乗り越えられます……」


いづみは彼の胸元に小さく顔を埋め、彼の深い体温と香りを胸いっぱいに吸い込んだ。


白壁の路地裏に、朝の光が少しずつ差し込んでくる。

ふたりは名残惜しそうに腕を解くと、互いのスーツの乱れを優しく整え合った。

いづみはポニーテールを凛と結び直し、田中もまたメガネのフチを指先で押し上げる。


そこに立っているのは、もはや甘える恋人同士ではなく、互いの命を預かり合う、不滅のプロ刑事バディだった。


「行きましょう、田中先輩。私たちの3周目を……完全攻略するために」


「ああ。行くぞ、村瀬」


ふたりは力強く頷き合うと、朝日が眩しく照らし出す美観地区の白壁を背に、倉敷署へ向けて堂々と歩み出すのだった――。



最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!

【第1部:時をかける誓い編】の完結(第10話)を記念した、特別番外編『朝靄の路地裏と、秘密の缶コーヒー』をお届けいたしました。


阿智神社での誓いの直後、出勤までのわずかな30分間――。

美観地区の白壁の路地裏で交わされた、1本の缶コーヒーと扉一枚の向こう側で見せるふたりだけの甘く濃厚な誓いの口づけ。

一見すると凛としたバディでありながら、秘めた愛と色気を胸に3周目へ挑むふたりの姿を感じていただけましたら幸いです。


次回からは、いよいよ【第2部:完全反撃編】が開幕いたします!

これからもふたりの歩みを温かく見守っていただけますと幸いです!


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