重さを乗せて列車は走る。
ガタ、ゴト。
ガタ、ゴト。
私、縁紫ひかりはこの身体ごと包み込んでいたゆりかご――否、列車の振動音で目が覚めた。
夢の中で眠るなんて、不思議。
そう、私は今夢の中にいるのだ。
古びた駅できっぷを受け取った私は、不思議な列車に乗り、夢から覚める方法を探して旅をしている。
ひとつ目の町での旅を終えても、元の世界へ戻る方法は見つからなかった。
だから私はまた列車に揺られている。
次の駅に、目覚めるための答えがあると信じて。
次の目的地はどこなのだろう――。
そう考えている内に車両のドアが開く。
誰が入ってきたのだろう。
私は少しだけ背筋を伸ばして、ドアの方を見た。
入ってきたのは、年老いた山羊だった。
白かったはずの毛はところどころ灰色にくすみ、長い顎髭は列車の揺れに合わせて小さく揺れている。けれど、その足取りは不思議としっかりしていた。背中は少し丸いのに、まるで何度もこの列車に乗ったことがあるみたいに、迷いなく通路を進んでくる。
首からは、古びた郵便鞄を提げていた。
鞄の口からは、いくつもの封筒が覗いている。角が擦り切れたもの。赤い封蝋が割れかけたもの。雨に濡れたように宛名の滲んだもの。どれも新しい手紙には見えなかった。
山羊は私の向かいの席に腰を下ろすと、ふう、と長く息を吐いた。
「お嬢さん、起きたところかね」
「はい」
私は反射的に頷いた。
「夢の中で眠って、夢の中で起きました」
「それは忙しい」
山羊は目尻に皺を寄せて笑った。
その声は、紙を一枚ずつめくるように乾いていて、けれど不思議と優しかった。
「私はひかりと言います」
「ひかりか。いい名前だ。暗いところで呼びたくなる」
そう言って、山羊は郵便鞄を膝の上に置いた。
かさり、と中の手紙が鳴る。
「あなたは、郵便屋さんですか?」
「昔はな」
「昔?」
「今は、届けられなかった手紙を運んでいる」
私は鞄を見た。
そこに詰められている手紙たちは、どれも長い時間を過ごしてきたように見えた。
「届けられなかったなら、どうしてまだ持っているんですか」
尋ねてから、少し失礼だったかもしれないと思った。
けれど山羊は怒らなかった。
窓の外へ目を向ける。
つられて見るまでは気付かなかったが、海沿いの線路を、列車はゆっくり進んでいた。青い水面が陽の光を受けて、細かく震えている。
それを覗きたいところだったが、山羊の返事を待った。
「届けられなかったものはね」
山羊は静かに言った。
「捨てた瞬間に、本当に届かなくなる」
私は何も言えなかった。
その言葉は、列車の振動よりも深いところで、胸に残った。
「相手がいなくなっても、宛名が滲んでも、差出人が忘れてしまっても。持っている限り、それはまだ途中なんだ」
「途中……」
「そう。届かなかったのではなく、まだ届いていないだけかもしれない」
山羊は鞄の口をそっと撫でた。
まるでその中に、生き物でも眠っているみたいだった。
私は、どうしてかハルクさんのことを思い出した。
月へ届かなかったはずの人。
でも、本当はまだ途中だった人。
なら、この手紙たちもそうなのだろうか。
届かなかった何かが、どこかでまだ、届く時を待っているのだろうか。
「お嬢さんは、どこへ行く」
「分かりません。次の駅へ」
「探し物かね」
「夢から覚める方法を探しています」
山羊は少しだけ目を細めた。
「それは大きな探し物だ」
「はい」
「なら、覚えておくといい。探し物というのは、見つけたあとが一番重い」
「見つけたあと?」
「見つければ終わると思っているうちは、まだ軽い。けれど、見つけたものをどうするか決める時、人は本当にそれを背負うことになる」
山羊は立ち上がった。
列車が揺れても、その足はふらつかなかった。
「では、私は次の車両へ行く。古い手紙は、時々風に当ててやらんと黴びるのでね」
「あの」
私は思わず呼び止めた。
「その手紙、いつか届くんですか」
山羊は振り返った。
長い顎髭が、光の中で白く揺れた。
「届くとも」
少しだけ笑って、山羊は言った。
「届く形が、最初に思っていたものと違うだけでね」
車両のドアが開く。
潮風のような匂いが、ほんの少しだけ流れ込んだ。
山羊は古い郵便鞄を揺らしながら、隣の車両へ消えていった。
かさり、かさり。
手紙の鳴る音だけが、しばらく耳に残った。




