プロローグ
彼女は赤がとても好きでした。
そして私も、赤がとても好きだった。
甘い菓子の包み紙も、熟れたいちごも、窓辺に飾った花も、夕暮れに灯る提灯も。彼女がそれを見て笑うのなら、私は世界中の赤を集めて、彼女の前に並べてやりたかった。
なかでも、るびぃは特別だった。
あの石の中には、火ではなく、彼女のためだけに燃える小さな心臓が入っているように見えたからだ。
「男なら、もっとどんと構えろ。お国のため、我らが神のため、闘志を燃やせ」
父も、母も、誰も彼も、私達を置き去りにした。
皆、同じ顔をしていた。
ブリキの人形のように冷たい瞳で、私を見た。
誰かと同じ言葉を吐き、誰かと同じ怒りを抱き、誰かと同じ敵を憎む。そうしているうちに、人は少しずつ、自分の顔を失っていくのだと思った。
怒りは人を怪物に変える。
嘘は、人の左胸を抉り取る。
そして抉り取られたことにも気づかないまま、彼らは獣のように吠えた。
もう、人ではないのかもしれない。
少なくとも、私にはそう見えた。
私達は、ただ好きなものを愛でていたかった。
好きな人を愛し、好きな唄を歌い、好きな色を見つけて、これは綺麗だねと笑い合えればよかった。
それだけでよかったはずなのに。
――鉄の臭いは嫌いだ。
どこまでも続く黒い雲も、そこから降り注ぐ雨も嫌いだ。
歌うことを忘れた声も嫌いだ。
そして、好きだったはずの赤までもが、ここでは死の色をしていた。
赤はもう、彼女の頬を染める色ではなかった。
花の色でも、菓子の色でも、宝石の色でもなかった。
地面に染み込み、靴裏にこびりつき、誰かの名前を奪っていく、浅黒い悲しみの集合体だった。
「お前は死ぬなよ」
長いこと私と共にいた戦友が、不意にそう言った。
本来ならば上官と呼ぶべき人だった。けれど、彼はなぜか私を気に入っていた。理由を訊くことは、ついにできなかった。
その人と戦後に会うことは、叶わなかった。
鉄と汗と涙の混ざった液体が、舌を突き刺す。
ひりひりと焼けた肌に触れる風が、やけに痛かった。
遠い海の向こうにいる彼女に、たまらなく会いたくなった。
彼女の好きな赤を、もう一度、綺麗なものとして見たかった。
緩んだ撃鉄が、かすかに揺れたように思えた。
地響きのような呻き声が、四方八方から聞こえてくる。
ブリキの兵隊達が、恐れることなく炎へ前進する。
紅蓮の海を泳ぐように、こちらへ近づいてくる。
背中から伝わる重さは、とても冷たかった。
それが誰の重さだったのか。
その時の私は、振り向く勇気すら持っていなかった。




