エピローグ
そこは、古ぼけた駅だった。
私は、この駅に見覚えがある。
赤に白を混ぜたような色の木造屋根。
待合室。
錆びついたバス停。
背もたれの割れたベンチ。
薄汚れた傘立て。
文字の滲んだ古い新聞。
歩みを進めると、無人の窓口に飾られた紅いドライフラワーが、また私の目を奪った。
何もかもが、最初に見た時と同じだった。
けれど、私は少しだけ違っていた。
「また会ったな」
その声の主に顔を向ける。
濃紺の帽子。
くたくたになったスーツ。
見慣れたくはないのに、もう見覚えがありすぎる猿の駅員が、こちらを見て口が裂けんばかりの笑みを浮かべていた。
「――はい。また来てしまいました」
私が笑うと、猿は機嫌を良くしたらしく、くるくる回り始めた。
「前に来た時よりかは、まともな脳みそをしてるじゃねぇか。人間らしさを失っちゃあ、お終いよ。ま、俺は猿だがな」
褒めているのか、皮肉なのか、やっぱり分からない。
彼といつまで話していても、人間らしくなれる気はしなかった。だから私は、彼の職務を思い出させるように手を差し出した。
「きっぷをください」
猿はにやにや笑いながら、首から下げた箱の中をまさぐった。
やがて一枚のきっぷを取り出し、鋏を入れて、私へ差し出す。
「はいよ、お待たせ。――よい旅を」
「ありがとう」
きっぷを受け取る。
星型ポーチが、胸元で小さく揺れた。
このポーチも、コンパクトも、ミュージックプレイヤーも、まだ分からないことばかりだ。
兄のことも。
なぜ忘れていたのかも。
なぜこの世界にあるのかも。
私はまだ、何も知らない。
でも、知らないものから目をそらさないことを、少しだけ覚えた。
改札を通る。
世界が変わる。
その先に見えたのは、とてもまともではない不思議な列車だった。
黒鉄の蒸気機関車。
緑の線が入った車両。
黒い布に包まれた車両。
洋館のような車両。
そして、空へ飛んでいきそうな後ろ姿。
最初に見た時は、恐怖で胸が縮んだ。
今だって、怖くないわけではない。
この旅で、私はまた不安に押し潰されるかもしれない。
悲しみに流されるかもしれない。
誰かの心に触れて、泣いてしまうかもしれない。
それでも。
私の心を照らしてくれる月がある。
ハルクが。
キースが。
ルチトクの夜が。
そう教えてくれた。
ただ一つ、ただ一つ、願うのなら。
この背中に。
鳥のように。
白い翼を。
つけてください。
発車のベルが鳴った。
私は列車へ乗り込む。
足元がふわりと軽くなる。
ほんの一瞬だけ、空が私の身体を支えてくれた気がした。




