4 偽物
フォーゲル男爵と名乗り、カメリアに依頼した男は、一夜明けて昨日よりもさらに酷い顔色になっていた。
カメリアと私は、ハドソン警部補の立ち合いの元、彼と面会することになった。
意外なことに、この面会はハドソン警部補の要望だ。
ハドソン警部補は乱れた髪を後ろへ撫で付けて言う。
「あの男はずいぶん怯えてしまっていて、取り調べしようにも会話にならないんです。」
ハドソン警部補の言うように、男は心を追い詰められているようだった。
濃い隈を携えた目は虚で、椅子に座っているのもやっとという様子だった。
カメリアに気づくと、「カメリア様、私が殺してしまった男は、フォーゲル男爵だそうですね…。」と掠れた声で言った。
「ではいったい、私は誰なのでしょうか…。」
男は自分が何者かわからなくなっていた。
「父は8年前に亡くなり、母も後を追うように亡くなりました。
2年前に妻が逝って、以来私は孤独に暮らしていました。
私を私であると証明してくれる人など、もうどこにもいないんです。」
何者でもなくなったその男は、力なく俯いた。
カメリアは彼を真っ直ぐに見つめた。
「昨日私の屋敷を訪れたとき、貴方はフォーゲル男爵と名乗りましたわ。
あれは嘘だったのですか。」
男は「どうでしょう…。わかりません…。」と曖昧に答える。
「私はずっと、フォーゲルと名乗って生きてきました。
でも、本当は、私のこれまでの人生は勝手に借りたものだったのかもしれません。」
男は「フォーゲル男爵とは、紡績業で成功した立派な方なのでしょう。」と聞く。
「妻が亡くなってから惰性で生きてきた私よりも、そちらの方がずっと本物らしいじゃありませんか。」
煮え切らない彼の態度に、ハドソン警部補は痺れを切らし、「では自分が偽物だと認めるのですか。」と問い詰める。
「そうなのかも知れません…。
私は、殺した男が自分に成り代わったと思っていた。
でも本当は、成り代わったのは私の方かもしれない。」
結局、男は休養が必要な状態だと判断され、面会は数分で打ち切られた。
男が警官に支えられながら部屋を出たのを見送ってから、ハドソン警部補は深いため息をついた。
「終始あんな感じなんですよ。
まったく話にならない。」
「彼がフォーゲル男爵を殺害した犯人であるのは確かなんですけどね。」とハドソン警部補は溢す。
「フォーゲル男爵の遺体が見つかった川の上流には、あの男が住んでいた屋敷があるんです。」
屋敷の近くの橋から突き落とした、という男が昨日話した内容と一致している。
カメリアは少し考えこんでから言う。
「殺されたフォーゲル男爵が、川沿いの屋敷を訪ねたのは事実ですわ。
でしたら、フォーゲル男爵は何の目的で屋敷を訪ねたのか、秘書のイザーク様ならご存知かも知れませんわ。」
事業家の秘書は、主人のスケジュールを管理する仕事を担っている。
フォーゲル男爵の秘書イザークなら、殺害された日のフォーゲル男爵の行動を知っているはずだ。
カメリアと私、ハドソン警部補はイザークのもとへ向かった。
イザークは、フォーゲル男爵が経営していた工場にいた。
「実は、フォーゲル男爵が姿を消す直前、彼から手紙を受け取りました。」
イザークは一通の封筒を差し出した。
「黙っていたのは、隠したかったからではありません。
内容があまりに奇妙で、真実と思えなかったのです。」
カメリアは封筒を受け取り、フォーゲル男爵が最期に残した手紙を読んだ。
その内容は、現実と思えないほど謎めいたものであった。
そこには、もう一人の自分の影に脅かされた男の半生が書かれていた。




