後編(2)
ネットで急に「そいつ」のことが話題になり始めた。
名づけて「ドラゴン」である。最初はうちにいる子どもドラゴンのことかと背筋が粟立ったが、よくよく情報を見ていくと全然違う。まず生息地は五元の塔の方面である。これは、品川から新幹線で2時間ほどの位置の場所にそそり立つ塔で、典型的なファンタジーによる産物だ。
で、それだけが確定している情報。それ以降はあらゆる噂もあやふやである。そもそもドラゴンなのかどうかもわからない。
《バカでかいらしいぞ。五元の塔の二倍くらいあるらしい》
《放射能光線を吐くらしいで》
《ゴジラじゃねえんだから。ただの火炎だろ》
《吐くのはカニだって。ばっちゃが言ってた》
《普段は人の姿をして暮らしているらしい》
《シカだろ》
《シカがあの方面に住んでるかよ》
《バカ》
《ドラゴンが来たら東京壊滅、関東民ざまぁwwwww》
《陰謀だ。その大型兵器によって日本はすぐに占領されるだろう》
《神なんだろ。世界滅亡だよ》
《っていうか、具体的な被害が出てる地域があるわけ?》
《横から失礼します、真剣な議論の場所で「バカ」などという非生産的なコメントはどうかと思います》
《リアルとファンタジーの拮抗に関連してんのかな?》
《ドラゴンなんてものをファンタジーが想像できるわけないだろ》
《ファンタジー厨が湧くのを見て、夏を感じる》
《津野田クリアちゃん可愛くない?》
《ドラゴンちゃん擬人化しようぜ》
よくわからないが、載っている情報は全て想像の域を出ていない。何か被害があったことすらわからない。しかし、そのドラゴンというものの影響で、東京という街全体に奇妙な緊張感が生まれつつあった。
鍬崎くんが、ネットに散らばる情報を集めて教えてくれたが、どれもこれも与太話に過ぎなく、余裕で矛盾が生じまくっている。それでもフタマさんは丁寧にファイリングを続けていき、俺も負けじと放課後の高校生が集まる店や夜のクラブに入り浸り、色々と情報を探っていた。その間に、ホーコは鍬崎くんを映画に誘っていたらしく、次の休日に二人でハリウッド映画を見に行ってしまった。
俺はなんとなくこのドラゴンのことが気になったから、休日出勤をしたところ、何故か出勤していたフタマさんに笑われた。
「嫉妬してるのね?」
どうやら、ホーコがいないから落ち着かなくって、出勤してきたものだと思われているらしい。
「してない」
「ふーん、それなら私とデートしない?」
「生憎、年上はタイプじゃないんでね」
本心を言うと、「つまらないコね」とうんざりとした風に言われた。フタマさんは別に美人ではないし、そうでなくとも10歳年上はキツい。
「じゃあ、しょうがないわ。仕事しましょう。飲み屋で口コミを聞くのよ」
「手当がつくならいいけど」
「もちろんよ。ゴム代も出してあげるわ」
「バンジージャンプでもするのかよ」
この人、欲求不満なのか。どっちにしろぞっとしない話だ。
……数十分後、俺達は渋谷の高そうなホテルの騒々しいバーに居た。俺は酒は飲まないしタバコも吸わないのだが、どっちも嗜むフタマさんが楽しそうにそれらを摂取するのを眺めていた。
俺は周りを見渡してから、
「聞き込みしないのかよ」
「いいの。それより、あなたに伝えておかなくちゃいけないことがあって」
「何」
すると、フタマさんはスマホを取り出して、危なっかしい指使いで操作した。それからとろんとした瞳を俺に向けて、しっかりとした口ぶりで言う。
「明日、政府から正式の通達が来るわ。あなたに、ドラゴン調査の依頼が来ているの」
「……俺がドラゴンを?」
「そう。今まで調べてきた情報をまとめて防衛庁に送ったの。そうしたら、是非とも我が社に調査を依頼したいって通達が来てね。そういうわけで、五元の塔へ、あなたとホーコが派遣されるわ。国民の血税で新幹線に乗れるなんてラッキーじゃない」
口笛を吹き出しそうな様子のフタマさんに、俺は身を乗り出して問う。
「五元の塔って……エルージャより更に深淵の方だよな」
「そう。ファンタジーのふるさととも言える場所に近いわ。まあ、あのエルージャの高校の冒険部に入って生き延びたのだから、ホーコと一緒なら死ぬことはないんじゃないかしら。最優先事項はドラゴンの調査、可能であれば殺害し、身体の一部を持ち帰ること。前金で一千万、有力な情報一つにつき一億、殺害に至った場合は十億の報酬が出るわ」
「それだけあれば、ハンター稼業なんてやめてゲーセンでも作って一生遊んで暮らしたいな」
「ハンターしながらなら良いんじゃない?」
他人事のようにフタマさんは言って、ロックのウィスキーを口に含む。飴でも舐めるかのように転がして、こくりと嚥下する。そして、アルコール臭い息をつく。
「逆に言うと、ドラゴンを発見できなければあなたは帰ってこれないわ。私の顔に泥を塗るようなことは許さない」
「……そんなでかい奴を見逃すとは思えないけどな」
「噂は噂よ。仮に微生物クラスの小ささだったとしても、絶対に見つけて何かしらの情報を得て戻ってくること。いいわね」
「ああ、構わない。……俺も遂に出世する時が来たのか」
「そうね。思ったより早かったわね」
フタマさんは共犯者の顔つきになって頷く。「それじゃあ、よろしく頼むわね。ところで、その前に」
「その前に?」
俺が問い返すと、フタマさんはゆっくりと立ち上がった。
「バンジー、してかない?」
やれやれ。そのために、わざわざ明日になればわかるはずの情報を伝えてきやがったのか。まぁいいさ、この位のリアリティがちょうど良いんじゃないのか?
翌日の昼、俺とホーコは五元の塔へ出発した。九時に出勤して、ホーコと一緒に昨日に聞いたのと同じブリーフィングを受ける。ホーコは、俺がホーコと鍬崎くんがどうやって過ごしたのか知らないのと同じように、俺がフタマさんと過ごしていたことを知らないし、任務のことも当日になって初めて知るわけだが、毎回の出動がそんな感じなので特に違和感を抱いていない。むしろ、初めての遠出ということでワクワクし始めたようだ。
「新幹線! 好き!」
ホーコはそう言いながら新幹線に乗り込んだ。俺もその後に続きながら、
「お前、東京に来た時もそうやってはしゃいでたけど、すぐテンション落ちてたじゃねえか」
「だって思ったより速くなかったんだよ」
「ヒドイな。ありえないくらい速いだろ」
「まあ、走るよりは速い程度かなー」
「そんなエラく評価低いのに、どうしてそんなはしゃいでるんだよ」
俺がそう訊ねると同時に席を見つけたホーコは、シートに倒れこむように座って、
「椅子が! 好き!」
「そうかい」
そんな庶民的な回答に適当な相槌を打ちつつ、俺もホーコの隣りに座った。
そして、俺たちが座るのを待ち構えていたかのように、車両が動き始める。スーッ、と地殻ごとスライドさせるように、風景が動き出す。僕の身体は止まったままで、時速うん百キロをうんやらかんやら、そんな歌詞を思い出す。俺の身体は静止しているはずなのに、でも高速で移動をしている、というおかしさ。でも、やっぱり実際に身体は高速で動いていて実際に疲労が溜まっている、その度合が極端に少ないだけだと考えれば、まあ確かにホーコの言うように乗り物というのは概して「走るより速い程度」のものなのかも知れない。身も蓋もないが。
「ねえ、昨日どこいってたの?」
ホーコが俺の顔を覗き込みながら、訊いてきた。
「事務所だよ。休日出勤」
「ふうん。そっか」
「そっちはどうだったんだよ」
「鍬崎くん? 映画?」
「どっちも」
「どっちも、つまらなかった」
冷淡さがぎゅっと詰まったような物言いに、俺はギクリとした。同時に、あの高校生の清潔な印象を思い起こす。
「つまらなかった、ね」
「そう。いい子なんだけどさ。ただ、浮気するほどじゃないんだ。今わの際に思い出したい人じゃない」
「……浮気のつもりだったのかよ」
「どうだろうね。もともと私達は恋人同士でも夫婦でもないし、君の方もそう思ってると思った。けど、やっぱり気分的には浮気、かなあ。目的のほうはもっと真摯だったんだけどなあ」
「目的って?」
「存在の分析」
「……お前」
俺はホーコの瞳から目を逸らせなくなった。植え付けられた記憶と迎合して生まれたその不安定な人格の上で安定した人格を求めて彷徨し、文字通り俺の武器として肉を裂き血をまとい、たまの休暇に東京の街をぶらぶらと散策する、そんな日々を、俺は勝手に想像した。その気分を、リアルを、想像した。
俺は前に向き直って、訊いた。
「ずっと訊いて欲しかったのか?」
「うん」
「お前は一体何者なんだ、って」
「そうかも」
ホーコの方を見ると、彼女は照れ隠しをするように笑った。ピンク色の髪が、風景を隠すように揺れる。細められた眼には、おおよそ武器には似つかわしくない光。愛おしいか愛おしくないか、と問われたら、愛おしいと答えるに決まっている。ただ、分からない。そういう意味では俺とホーコは同じ穴のムジナだ。秘宝であるなしに関係なく。
新幹線を降りると、一気に懐かしい空気が俺たちを包み込んだ。俺はふと、故郷のエルージャのことを思い出したが、あの新興の街よりも深い場所に、この五元の塔は屹立している。
改札を出て、駅前のロータリーを突っ切り、適当な道を進んでいく。
「ファンタジーとリアルが拮抗する前は、あんな塔は無かったんだ」
俺はちょっと首を上に向けるだけで、否応なしに見えてくる五元の塔を指さして言った。ホーコは昔からのクセのような振る舞いで、ピンク色の髪先をいじりながら、
「ねえ、どうしてファンタジーとリアルは拮抗し始めたの?」
「理由なんかない。あるべきように、そうなっただけ……ってフタマさんが言ってた」
「フタマさんって結婚しないのかなあ?」
「本人の前でそれ言うなよマジで」
五元の塔は高さこそスカイツリーよりは低いが、幅は比べ物にならない。ずんぐりとした筒が、果てなく天へと伸びている。そして、今も伸び続けているらしい。まるきり現代版バベルの塔だが、誰が怒ってアレを崩すのか見ものではある。
やがて俺達は、このドデカイ建築物のふもとに到着した。入念に裏を取ったので、この辺にドラゴンとやらが生息しているのは間違いない。が、少なくともそんな奴の姿が目につかないという時点で、五元の塔の二倍近くあるだなんていう噂はパチということになる。……ここがリアルなら。
「でも奴の身体が伸縮自在だとすると、相当厄介だな」
「ファンタジーなら、あってもおかしくない設定だね」
ホーコがごろごろと転がっている岩に棲息するコケを蹴っ飛ばしながら言う。その辺りにあるヤブを突いて出るのはヘビではなくタヌキだし、岩をひっくり返せばいくらでも虫が出てくる。これがファンタジーなのかどうかは知らないが、おおよそ「ドラゴン」という名詞にふさわしい雰囲気とは思えない。
五元の塔はこの土地を象徴する建築物だが、それをウリに観光客を呼んでいるわけではなく、どちらかというと冒険部員たちが数多く訪れる場所だ。難易度的には相当低い場所になるが、いかんせん立地が悪いので今日みたいな平日にやってくる奴は少ない。休日にやってくると、多数の冒険部員で賑わっていて、全然冒険感がない。それはそれで安全で良いんだが、ファンタジーとして深い場所にあるというのに、人気であるがゆえにリアリティに富むというのは皮肉だ。まあ、最近はドラゴン事情のせいで人出は少ないらしいが。
だから、高校生くらいの冒険部員らしき人を見つけた時はちょっと驚いた。
「あれ……、もしかして冒険部員ですか?」
俺が声をかけると、彼はゆっくりと振り向いた。その姿を見て、俺はそんなハズがないとすぐに思い至る。ボレキレみたいな服を着て、しなやかに伸ばした髪を遠慮無く放っておき、何の装備を持たないで(靴すら履いてない)いる奴が冒険部員なはずがない。
「違うよ」
そいつは声優みたいな、演技しているはずなのに演技には思えない声で、きっぱりと言い返してきた。そして、前髪の隙間から黒い瞳を覗かせて俺を見ると、
「君はハンターかい?」
「何モンだ、お前」
俺は、先ほど手に滑りこんできたホーコを掴むと、切っ先をその男に向けた。すると、彼は怯んだ様子を見せず、というかもはや笑いを浮かべながら両手を挙げた。
「大丈夫だ、君の敵じゃない。僕は、フタマさんにはお世話になっていてね」
「フタマさんを知ってるのか?」
「知ってる。会ったことはないけどね」
そう言いながら、その男はコケの生えた岩に腰掛けた。「タバコ持ってる?」
「なんかの映画の真似かよ」
「映画? そんなリアルなもの観ないよ」
はは、と男は笑った。俺はその表情を見て、学生時代になんとなく笑ってるだけで、あらゆる状況に対処してきた奴がいたのを思い出した。笑うのが上手いか下手かで、人生は大きく違ってくる。それが良いにせよ、悪いにせよ。
「君の名前は?」
彼は俺のことを見上げて、訊ねてきた。
「細村市実だ」
「僕はドラゴン。よろしく」
「ドラゴン……?」
こいつが? ネットを始めとして、人々の噂の的になっている、あのドラゴンだって?
まるきり、人じゃないか。
ドラゴンと名乗ったそいつは、俺の持っているロングソードの方に目配せして、
「そっちの武器の子は? あ、別に戦う必要は無いから元に戻っていいよ」
「……」
ホーコは無言で変身を解いて横に立った。若干、俺の身体に隠れるようにして。
なので、俺が代わりに名前を教えてやる。
「宝子だよ。俺の引き継いだ秘宝だ」
「いいなあ、僕が両親から引き継いだのは、この身体だけさ」
ドラゴンは、自分の胸辺りに触れて、自嘲気味に言った。本来は俺だってそうだったはずだが──なんだか、ホーコと出会う以前の自分が、すっかり他人のように感じられた。ホーコと出会う前、どんな風に過ごしてきたのか思い出せない。だとするとホーコは、俺にとって第二の身体のようなものなんじゃないかと思われた。親から引き継がれた、もうひとつの身体。
……それなら、愛おしいと思いつつも、その先がわからないのも無理は無い。自分の身体が好きかどうかなんて、ラディカルに分かる奴なんているのだろうか。
「東京からドラゴンの調査にやってきた。お前は一体何者なんだ」
俺がそう質問をすると、、ドラゴンは首を傾げた。
「主体、さ」
「なんの」
「ドラゴンという主体」
「哲学の講義を受けに来たんじゃないんだが」
「そうとしか言いようがない。或いは機構と言おうかなあ。僕はリアルを見据えている、リアルを睨みつけている、リアルを眺めている。たったそれだけの存在さ。そこから情報を生み出し、人々をあくせくさせる。例えば、君がすがってきた噂話、あれは僕の視線を感じ取った人々のファンタジーなんだ」
……俺はドラゴンのいうことをなるべく一言一句メモに取って、それから訊く。
「仮にそうだとして……何が目的なんだ」
「『拮抗』さ。五元の塔は拮抗を養分に成長していく。神の時代は過ぎた。神はいつだって生きては現れない。人々が調和の中を生きるには、猛烈な象徴を打ち立てる必要があるのさ」
そう言って、ドラゴンは五元の塔を見つめる。俺もつられて、その大きな塔を見上げた。首を限界まで傾ければてっぺんが見えるが、そうまでする気はおきない。
「最近になって東京の人間たちが僕の『視線』を感じるようになったのは、こいつがそれなりの高さにまで成長したからさ。今までずっと見られていたのも知らなかったから、その分慌てているってワケ」
「破壊光線を吐くとかいう噂があるが?」
「まあ、吐かないこともない。実際に吐くことはないけど、吐いただけの『結果』を提示することはできる」
「……何者なんだ、お前は」
「意思だよ。よくわからないけどね。人間に意思があるなら、世界に意思があっても良いだろ? それと同じカテゴリに入る存在と思ってくれればいい」
「これからどうするつもりだ」
「どうもしない。この塔を育てていくつもりさ。まあ、当面はスカイツリーを目標に。634m」
その時、俺の腕をぎゅっと、ホーコが握った。俺が驚いて振り返ると、そこにはホーコの怯えに満ちた瞳があり、細かく首を横に振っていた。
そして、震える唇で言う。
「殺そう……」
「え?」
意味は分かったが、何を言っているのか分からなかった。
俺の意表を突かれた顔に向けて、ホーコはもう一度、言う。
「殺すの、こいつを!」
「……おい、お前」
「可能ならば殺害する、って、フタマさんに言われたでしょ! だから、殺すの……はやく!」
ホーコは叫ぶようにそう言い、俺の手の内に潜り込んできた。彼女は一瞬朦朧とした姿を取った後、その身を槍へと変える。ホーコが槍になるなんて、初めて見た。というか、なれたのか。いや、なってしまった、というのが正しいか。
槍となったホーコは、俺を尋常じゃない力で引っ張った。その引力に俺はバランスを持って行かれて、ずっこけるようにして腕を前に突き出す。その刃はまっすぐに、ドラゴンの左胸へと、その心臓へと差し出された。




