後編(3)
「宝子!」
俺が彼女を呼ぶと同時に、握った柄に手応えが伝わる。
同時に、ガキン、と甲高い音が鳴って、ホーコは弾き返された。当のドラゴンはどこ吹く風で、突かれた部分の服が破けている以外、さっきと変わらぬ姿勢で岩に座り込んでいる。まるで石を突いたような、およそ人間を突いたとは思えない感触だった。
「残念。僕はあの塔から派遣された一つの似姿なんだよね」
「どういうこと?」
ホーコが切羽詰まったように訊ねる。
「僕は一人の人間の姿をしてるけどさ、これは陳腐な言い方をすれば仮の姿というべきものでさ。僕の身体なんて意志に比べりゃ、末葉のうちの葉緑素みたいなもので、僕はドラゴンって名乗ったけど、それは人間が自分の属する企業の名前を自分の名前代わりに言うようなものなんだ」
「おい、ってことは」
俺は横目で、あの、高くずんぐりと聳える塔を見て、「ドラゴンっていうのは、あの五元の塔のことを言うのかよ」
「いや、アレは本社ビルみたいなもんでさ。うーん、難しいな。まあ、殺したいのなら殺しても結構だけど……まずはツルハシになるところから始めたら?」
ドラゴンは特に嫌味も皮肉もなく純粋に言ったようだが、故に嫌味も皮肉も倍増というわけで、ホーコは俺の手の内で震えだした。
「んんん……!」
それから、何度もドラゴンを殴った。殴ったのは俺だが、やったのはホーコだ。もはや槍はただの棒としてしか機能せず、破壊できないドラゴンの肉体を打擲し続けた。ドラゴンは何も言わずに黙って、襲撃者である俺達を見つめていた。その眼差しに当てられて、俺は噂話をかき集めていた先週のことを思い出す。溢れる無数の噂、乱立するドラゴン像。政府から回ってきた調査依頼。
……過程はともかく、結果として。
何かが起こっても、何もなかったかのように口を閉ざし。
何も起こらなくても、何かが起こったかのように噂され。
いずれにせよ、ドラゴンという奴がしたことといえば、「みる」ということだけ──。
そんな奴を殺して、何が解決するんだ。何も起こらないじゃないか。
「宝子……宝子、もうやめろ!」
俺は荒ぶるホーコを抑えた。刃先を下に向けようとしたが、なかなか言うことを聞かない。それでも持ち主は俺だ、力づくで下へ下へ、押し込めていく。じきに槍の切っ先はドラゴンに届かなくなり、じたばたと虚空に意味のない文字を刻みつけるようになる。
「何でよ! 止めないで!」
ホーコが吠えた。今度は槍が左右に身動ぎし始める。
「バカかよ、そんなことしても意味ねえってのに!」
「意味なんて要らないわ! こんな奴……殺すのに意味なんて要らない!」
「宝子!」
俺は手を離した。カラン、と甲高い音を立てて槍が、ホーコが地面に落ちる。のたうち回るように彼女は土の上を転がっていき、やがて意気消沈するように落ち着いていく。
そのままズズズ、と二歩ほどドラゴンの方へ進んだかと思うと、止まった。じきにさめざめとした泣き声が、槍全身から漏れてきた。
「泣いちゃった」
ドラゴンが俺に向けて言った。穂先に傷つけられて服をボロボロにされているコイツの方がよっぽど泣いた方が良さそうなものだが。
俺はできるだけ事務的な表情を作って言った。
「俺は政府から委託されて調査に来たんだ。ある程度報告をしなくちゃいけないが、どうするつもりなんだ」
「何でそんなことを訊くんだい?」
「政府が軍隊を率いて五元の塔を破壊しに来ても知らないぞ、ってことだ」
「まぁ、別にいいさ。人が現実に生きようとする限り、僕達は無くならない。いつだって見ているんだからね」
そう言って、ドラゴンは朗らかに笑った。分かる、俺はホーコの気持ちが、その笑顔をぶち壊してやりたいと思う気持ちが──でも、それではいけない。そんなやつには、かないっこないんだ。どれだけ刃を立てて、殴りつけたところで、それは奴にとってマッサージにすらならない。むしろそれは「世界に存在したい」と、ドラゴンに向けて必死にアピールしていることに他ならない。そしてその感情は、どこまでもコイツの糧になる。五元の塔は破壊されても、必ず蘇るだろう。
「……『ドラゴン』との接触には成功。対象は敵対意識は無いと言明、調査員もそれを認める。仮に、『ドラゴン』による大規模攻撃が加えられたら五元の塔に核を落とすなりして破壊すれば、相手は手も足も出なくなる模様。こうやって報告する」
「別に気を使ってくれなくてもいいのに」
「これで二億もらえるなら儲けモンだ。なにせ、国民の税金をもらってやってるからな」
そう言いながら俺はホーコを拾い上げて、ドラゴンに向けて手を振る。もうここには用は無い。
「もう帰るんだ」
「ああ。暇ができたらまた来る」
「うん、おいでよ。また僕が相手できるかわからないけど」
どこまでも余裕なヤツだった。それはまあ、そうだ。ここはドラゴンの掌の上であって、どこまで行ってもそこに俺達の意思というものは無い。俺が、ここから立ち去ろうと思ったことですら、俺の意思ではないだろう。もしかしたら、ホーコがドラゴンを殺そうとしたことすらも。
この現象は……ファンタジーの特権なのだろうか。いや、リアルの特権でもあるだろう。
俺達はいつだって、その狭間でしか生きることが許されない。拮抗の間に挟まれて、波にのまれるように生きるしかない。そうである以上、人は決してユートピアに辿りつけないだろう。血肉尽き果てるまで、幻想と現実の狭間で生き続けるしか無いんだ。
「そうそう、最後にひとつだけ」
ドラゴンは立ち去ろうとする俺の背中へ、独り言みたいに言った。
「僕は『ドラゴン』なんてろくでもない名前をもらったから、君たちは僕の視線を感じることができるようになったんだよ。そうなると、やっぱり名前って大事だよね」
僕も欲しかったなあ、と喜劇俳優みたいに呟く。
帰りの新幹線中、というか事務所に戻るまで、ホーコは武器の姿から元に戻ることはなかった。流石に槍だと目立つと思ったからか、短剣となって俺のポケットに収まり続けていた。こういってはなんだが、お陰で新幹線代が一人分浮いた。決して嬉しくはない。
事務所に顔を出して、フタマさんに明日中に報告書を出す旨を伝えた。鍬崎くんは俺に「お疲れ様でした」と言いつつ、目でホーコを探していた。ホーコは俺にぶら下がってるよ、ひどく小さくなってさ。もちろん、そんなこと言わなかったが。
自室に戻って、俺はベッドの上にホーコを置いた。今まで必要なかったから言及しなかったが、一応後継者と秘宝という密な関係だから、同じ部屋で暮らしている。で、先述したように交わる回数は圧倒的に減った。
「宝子」
彼女はずっと泣いていた。
俺が風呂を済ませて出てきた時には、流石にもう人の姿に戻っていたものの、相変わらずベッドに突っ伏して泣いていた。
正直なんと声をかければ良いのか分からなかった。ああするしかなかったとはいえ、ホーコを無理に止めたのは自分だ。まだ、ドラゴン自身でホーコを無力化してくれれば良かったが、そうしないであいつは黙ってホーコの切っ先を受けていた。今にして思えばあれは罠であって、それにまんまと引っかかってあの場の空気を家にまで持ち帰ってきてしまったわけだが。
「宝子……」
俺はもう一度呼びかけて、彼女の傍らに腰掛ける。臥して嗚咽を漏らす彼女の、桃色の髪の毛にそっと触れる。
と、指先にしびれるような感覚が走り、俺は咄嗟に手を離した。見ると、指先から血が流れ出で、掌に向けて転がっていく。俺は痛みも忘れて、呆然とホーコの方へ視線を向けた。ホーコも何か異変に気がついたのか顔をはたとあげて、涙で濡れた面を見せた。それから、生まれて初めて人というものに出会ったような、虚ろな表情を浮かべて、俺の頬へ、ゆっくりと指を伸ばしてくる。
顔が、引きつった。
頬が、熱くなった。
ホーコが手を引っ込める。俺は頬に触れる。ぬるりとした感触に驚いて手を離すと、指先が真っ赤に染まっている。
「そんな……」
ホーコの瞳が緩む。それから、止めどなく涙が流れ始める。
俺はすぐさま抱きすくめたかった。でも、それはできなかった。そんなことをしたら……俺は血だるまになってしまう。俺はそれでも構わなかったが、いや、ちょっとは構うが、それよりもホーコに俺を殺させるというのがダメだった。
ホーコがぎゅっと、ベッドのシーツを掴む。シワが伸びるだけで、ずたずたになったりしない。それがもどかしいと言わんばかりに、握る手はどんどん強くなり、震えていく。
「……私」
「……どうしたんだよ」
「わからない……、でも、あいつはヤバイって、なんか、思っちゃったの……、潰さなきゃ、潰さなきゃって……」
怖かったの。
小さく呟く彼女は、とても人を傷つける武器には見えなかった。俺は、もう一度彼女に触れてみたい衝動に駆られたが、抑える。痛みを恐れるとかいう、本能的な抑制ではなく、もっと、人間的な抑制が働いて。
「ドラゴンは何も俺達から奪わない。あいつは見ているだけだ」
「そうなんだよね。今となっては、そうなんだ、って思える。そうなの……私達、見られてるだけなの……」
だから、怖いの。「見ないで欲しい。見ないで欲しい」
ホーコは桃色の髪を、しきりに指で梳く。刃物の指が通る度に、その派手な色合いの毛があどけなく揺れる。
そして、小さな声で言った。
「ねえ、私、名前が欲しい」
「え?」
「お墓に刻めるような名前が欲しいの。ホーコじゃなくて。ううん、ホーコでも良いんだよ……この名称が私と君を伝統として結びつけているから……でも……、それだと私はドラゴンの眼差しに耐えられない。あの視線に耐えられるだけの、名前が欲しい……」
俺はそこで、初めてホーコという名が、いや、ホーコという響きが、俺とホーコの関係を必然としていたことを知った。俺がホーコと呼ぶ限り、また彼女が応える限り、俺達の関係性は保証される。秘宝とその後継者。いつのまにか押し付けられたこの関係は、それはそれは居心地の良いものだった。とても。愉楽だった。
それなのに、違う名前を求める、ということ、は。
「俺と別れたいってことか」
「君は、少なくとも変わらない。私は変わってしまうけど……それを別れと呼ぶかは分からない」
「──」
俺は黙りこくってしまった。俺はどうすればいいんだ。真剣な映画とかなら、俺はいま、ここにいる彼女に抱かれることを選ぶんじゃないかと思う。アイアンメイデンよろしく、刃と化した身体に抱かれながら、俺は愉楽のまま死んでいく。血だるまが美しくなる筈はないが、絵にはなるんじゃないだろうか。知らない。あとホーコは処女ではないから、この比喩は適切なのかどうかも、知らない。
名前。ドラゴンは名前をもらったがために、その存在感を顕すことができた。そうして、奴はいまもせっせと塔を養っている。ホーコは名前を持たぬ存在だったから、あいつに対して手も足も出なかったのか。耐えられない、落ち着かない、そわそわする、ためらう、振り向く、焦る、しかし動けない、また振り向く、恐怖を感じる。最終的には、徹底的に抗すべき対象として、とにかく眼前のソイツという現象に立ち向かおうとした。
そんなのは。ダメだ。
くだらない感傷じゃない、ホーコという一つの魂のために。
「宝子」
武器としてじゃない、一人の魂のために、名前を与えなければ。
俺はホーコの顔ギリギリまで自分の鼻を近づけ、言った。
「俺の名前をやるよ」
「……」
「お前の名前は細村市。ホソムライチだ。俺はこれから、細村実として生きる。俺は、ホソムラマコト、お前は、ホソムライチだ。……これでいいな?」
「え……」
「二人で変わればいいんだよ。そうすれば少なくとも別れはない……出会いはあってもな」
なんだか言ってる間に恥ずかしくなって、俺は市から目を逸らしてしまった。どうして自分の名前も分けるだなんて発想に至ってしまったんだ、普通に一つの名前をつけてやれば良かったじゃないか。でも、それじゃあ、なんとなく嫌だった。俺は確かにこいつを愛おしく思っている。それが真実かどうかはともかく、これは、俺の愛おしさのひとつの表現だった。
「それって」
市は息を呑んで、言った。
「結婚するってこと?」
「……ええっと」
俺はたじろいだ。いや確かに苗字は同じになるけど、それで即ち結婚するということになるのか? ああ、まあ、なるか。いやでも妹という線もあるし、同姓とかザラにいるからその辺はなんとも……。
「ふふ、冗談」
困惑する俺に、市は嬉しそうにそう告げて、小さく笑った。
「細村市。確かに、今から私は、市になったんだね」
「あ、ああ。今のところ、俺とお前の間だけだけどな」
そう言いながら、俺は市の手を取ってみた。気取られないように取ってみたので、市はびっくりしたように俺の手を見、それから俺の顔を見た。
市の手は俺を傷つけなかった。秘宝でもなんでもない彼女は、彼女でしか無いのだから。
きちんと繋がれた手を認めた瞬間、バネで飛び跳ねるように市は俺に抱きついてきた。俺も喜んでそれを迎えてやった。桃色に輝く髪の上から頭を撫で、同じ色の唇に口をつける。
よくわからない。好きか、好きでないかなんて。
ただ、今持っている愛おしいという気持ちを道標に、どちらか知るために生きていくのも、いいように思えた。
俺が調査結果を報告してからも、ドラゴンに関する話題は一向に消える様子はなく、むしろ一層強くなっていった。五元の塔は高さを増しつつある。でも、そんなことは最早、どうでもいいことだった。リアルとかファンタジーとかいうフ要素も、俺達にとっては舞台照明でしかなく、その色合いに身を委ねて立ち振る舞うことに何の障害は存在しない。
市は髪を黒く染めた。ピンク色の髪だったほうが人工物のようだったのに、黒色に染めてみたところ、人工的に色を変えたというのに、こちらのほうが自然な感じがして変だった。
「変じゃないかな」
と、訊かれたので、そう答えたら彼女はころころと笑った。
市と名前を得たことで、もう彼女は武器になることができなくなった。
「だから、ハンターはもうやめます」
「そう」
フタマさんは膝の上に子どもドラゴンを載せて片方の手で撫でながら、もう片方の手で俺の辞表を受け取った。
「仕方ないわね。ドラゴンがそんな奴だなんて知らなかったんだもの」
「でもあいつはフタマさんのことを知ってましたよ」
「まぁね。私もある意味、ドラゴンの一員みたいなものだから……」
ドラゴン調査の報酬として得た二億一千万円のうち、三千万円を退職金として受け取った。俺たちで一億単位の金をもらったところで、どうせまた税金に戻っていくのが関の山だろうから、フタマさんの資本として役立てたほうがまだ良い。そんな具合だった。
鍬崎くんは市が髪を黒くしてしまったことにがっかりしていた。
「ああいう、常識破りな感じが好きだったんですよね」
常識を破られたいという倒錯的な欲求。市はごめんね、と笑いながら言った。それから、子どものドラゴンに最後の餌付けをして、俺達は事務所から去った。
「私、東京に来てから君の事が好きなのかそうじゃないのか、分からなくなったんだ」
明治通りをぶらぶらしながら、市が言った。黒い髪に、白いワンピース。最早誰だか分かりゃしないが、それでも俺はこいつが宝子であり市であるという連続性を疑わない。そういう狭間で、生きている。ファンタジーとリアルの狭間、としか言いようのない、無限の広がりのうちで。
「でも今もやっぱり分からない。好きとか嫌いとか。でも、そういうものだよね。こんなに一緒に居たいのにさ」
「またいつか、俺が居ても居なくてもいい時が来るのかも知れない」
「そうかもね。その時が楽しみでもあるかも」
市は俺の方を向いて、にっこりと笑う。「また君と会えるからね」




