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前編(2)

「ねえ、起きて」

 女の子にそう言って身体を揺さぶられるのは、はっきり言って愉楽だ。18歳初の朝にして、早速エロゲーみたいな展開に恵まれるとは思いもよらなかった。

 愉楽に引きずられるように、俺はホーコに引っ張られ部屋を出た。ピンク色の髪の毛が、きゃっきゃと戯れるように揺れる。その艶といい色合いといい、それはあからさまに人工物だった。だけど、こうしてふわふわと上機嫌に動き回るその髪を見ていると、最初から自然のものなんて無いんじゃないかと思えてくる。そう考えると、ファンタジーとかリアルとかいうものの拮抗なんてものは、水と油が境界線の場所を巡ってじたばたしているようなものなのかも知れない。

 ホーコがドアを開け放って外にでると、なんと空は真っ暗だった。未明だったのだ。それを知って、俺はようやく目が醒めた。

「おいおい、早起きにも度ってものが──」

「山に行くって約束したもーん」

 ホーコはそう言うと俺の腕を掴んでいた手を離し、ずんずんと山へと向かっていった。

 うちの近所に山はひとつしか無く、フタマさんの所有する山である。ここには植物しか生えていなくて、動物は鼠一匹どころか、ゴキブリ一匹存在しない。フタマさんが入念に駆除しているからだ。理由は知らないが、きっと彼女はリアルに栄養を与えたいんだと思う。そんなに高さもないから気候の変化なども無いし、土地も安定しているので崩れる心配もあまり無い。そんな危険がすっかり排除された山なので、週末に公園へ来る感覚で訪れる人たちが多い。

 とはいえ流石に、こんな時間に来る人はいない。俺は半分呆れながら、ホーコに続いて山に立ち入っていく。

 人間だけ入ることに許された森林は、冷たく俺たちを迎え入れる。彼らだってきっと温かい空気で迎えてやりたいんだろうが、温かくするとフタマさんに刈り取られてしまうから、渋々冷たさを装っているのだ。生きるためには仕方がない。

 中腹くらいまで来て、ホーコはふいに立ち止まった。そして、まるで後輩の少女みたいな悪戯っぽい佇まいで俺を見据えて、

「素直についてくるなんて、カワイイですね。生まれて最初に見たものを親と思い込むアレみたいな──」

「生まれて最初に俺を見たのは君の方だろ」

「あら、刷り込まれちゃいました」

 そういう台詞を、真顔で言う神経がよくわからないが、そのお陰で救われた感じはする。

 それからホーコは、両手を背中に回して、舐め回すような視線を俺に向けた。リードを取っているようで、その実あまり余裕のない年上キャラが、とても丁寧に告白をするような口ぶりで、

「実は私って……ただの女の子じゃないの」

「知ってるよ」

「あなた専用の武器になることができるの」

「それは知らなかった」

 今度は、俺が真顔になる番だった。

 冒険部で何故死人が出るか。それは武器を持っていないからだ。昔の冒険小説とかゲームとかと違って、俺達にはナイフ一つ持たせちゃくれない。そういう状況で、ファンタジーの生い茂る山とか海とかいう自然に乗り込んでいくのだから、それは死人が出るのは当たり前だ。ナイフがあったところで、太刀打ち出来ない脅威もあるが、それでも無いよりはマシ。俺があの部活で培ったものは、単純に命の可能性がある方に飛びつく取捨選択の能力、そしてその能力をできるだけ集団内で調和させていく能力だ。だからといって、俺は空気が読めるというわけでもない。

 そんなご時世で、この女の子が武器になるというのか?

「なるんだよっ!」

 ホーコは断固として断言する。「だって私は秘宝だもん!」

「確かにそうだった」

 忘れかけていたが、「伝家の秘宝」という言葉の凄さよ。「民族浄化」並の回転の良さがある。

「じゃあ、今から変身するから見ててよ。いいね?」

「いいのかよ、見てて」

 俺は一応、確認する。普通、魔法ナントカ系の変身シーンというのは、女の子の裸を(或いはメタファーとして)合法的に映写するものと記憶しているが。

「うん、いいよ、見てて」

 そんなそっけない返事をもらって、愚問だったと気づく。対面した直後に性交渉を迫ってくるような奴に、そんなナイーブな貞操を期待するのが間違っていた。

 その時、ブッ、と音量上げっぱなしのアンプの電源を入れたような音がしたと思ったら、目の前から少女の面影が消えた。まるでそういう編集がなされたかのように、そこに誰もいない空間が生まれ、次の瞬間にサッ、という地面に何かが突き刺さったような音がする。

 アーサー王を待つエクスカリバーの様な出で立ちで、俺の目の前に現れたものは、一本のロングソードだった。未明の暗い森の中だというのに、その刃は気味の悪いほどに目立っているが、宝飾品じみた優雅な雰囲気がある。

 俺がぽかんとしてロングソードに見とれていると、どこからともなくホーコの声で、

「何してるの! さぁ、私を手に取って!」

「そのカッコで喋れるのかよ……」

 そこでやっと声を出すことが出来た。不気味なことこの上ない。俺は未明の山中で何をしているんだろう。

 俺はロングソードと化したホーコに近寄って行き、その無骨な金属製の柄に手を伸ばした。そして、そっと掴んでみる。ふわり、と温かい何かが手の内に広がった。

「きゃあああっ!」

 すると同時にホーコが甲高い音を、そのまんま金属音のような声で悲鳴を上げた。俺は耳元で拳銃をぶっ放されたように驚いて、反射的に手を引っ込める。

「な、なんだよ!」

「どこ触ってんの! エッチ!」

「他にどこを持てっていうんだよ!」

 どう見ても持ち手である場所にそんなデリケートゾーンを持ってくるなんて、後先考え内にも程がある。二秒先も見えてないんじゃないか、この子は。というか、人間の体に見立てると、どういう格好で剣になってんだよ、これ。俺はどこを持てばいいんだよ。

 試しに刀身を指で弾いてみた。特に反応はない。カツーンという、本当に武器なのかわからない音を出した。それだけ。指先でこすってみても何も言われない。つつ、と金属特有の冷たさが伝わってくる。凶器の部分は触られても平気らしい。そのまま刃に触れてみたところ、何も言わずに俺の指を傷つけた。破れた皮膚の隙間から、一筋の暗い血色がつるりと流れていく。

 次に鍔をつまんでみると、ホーコは「ふふ」と小さく笑った。くすぐったさからというよりは、そこに宝物はありませんよ、とでも言う風な悪戯っぽい笑いだった。試しに撫でてみたけれど、それ以上の反応は得られなかった。その時、唐突にあのピンク色の髪のことが想起された。この部位は彼女の頭部なのか。分からない。

 そして、グリップを握るとやはりホーコは抵抗した。

「ちょ、ちょっと! そこはダメだって!」

「何でだよ」

 俺の手を切り刻みたいのか、こいつは。俺は構わず、地面からホーコを抜こうと力を込める。

「ひゃあああっ! ああっ、ちょっと、ホントにそこはダメなんだって!」

「悪いとは思ってるけど、俺はここ以外がダメなんだよ」

「そ、そんなのってないよ! ふああああ!」

 艶かしいよりもむしろけたたましいくらいの喘ぎ声を聞きながら、俺はロングソードのホーコを引き抜いた。驚異的に軽かった。レイピアくらい軽いんじゃないか。レイピアなんて持ったこと無いけど。

 ぎゃあぎゃあ騒ぐホーコを無視して、俺は素振りをしてみる。こんなに軽いのに、空気を裂く音に立体感がある。よくあるファンタジー系漫画の剣士みたいなカッコイイ振り方はできないが、それでも振り回しているだけでどんな脅威にでも対抗できるような気がした。

 そんな風にちょっとした高揚感の中で適当に素振りをしていたら、唐突に猛烈な勢いで地面に押し倒された。ひんやりとした地面の感触が背中にドッと押し寄せ、視界がくるりと回って一瞬真っ暗になる。

「も、もう……ちょ、調子に乗るな!」

 直後に、俺の倒れた身体の上に、ホーコがぜいぜい息を吐きながら馬乗りになってきているのが分かった。突然に変身を解いたからこうなったらしいけど、このカッコはどうなんだ。

「ああ、悪かったよ……」

 しかし、ちょっとグッと来た。乱れたピンク色の髪が、ちょっといやらしい。俺はわけも分からずに謝る。

 その時、人の気配が近づいてきた。敏感にそれを感じたホーコがまず、俺を蹴り飛ばすようにしてパッと身体を離す。突然の下腹部の痛みに俺が身悶えしているところへ現れたのは、この山の所有者であるフタマさんだった。

「こんな時間に山の中でいちゃついてる奴がいるかと思ったら、アンタ達か」

「え、聞こえてた?」

 俺が訊くと、フタマさんはふふ、と笑い、

「わたしの耳にだけね」

 機嫌は良さそうなので、ホーコの喘ぎ声に起こされたわけではなさそうだ。

 フタマさんはホーコの方を向き、その全身を観察するように眺めた。その視線に射すくめられたヨーコは、呼吸音を引っ込めその腕で自分の身体を抱く。

 やがて、フタマさんが一言。

「まだまだ、これからね」

「は、はい……スイマセン……」

 ホーコはうなだれた。師匠とその弟子みたいな出で立ちだった。なんというか、そんな場面を見せられては俺も悪いことをしたような気分になってくる。

「いや、俺もよく分からなかったから、ぶんぶん振り回しちゃって──」

「うん、あなたはそれでいいの。後継者なんだから。でも、この子は秘宝なんだから、秘宝らしく振る舞ってもらわないと」

「はい……」

 ホーコが更に縮こまる。なんだこれ、俺はどうすればいいんだろう。

「夜が明けるまで時間があるから、それまで必死で練習することね」

 フタマさんはそれだけ言い残して、山を下りていった。何しに来たのか俺にはさっぱり分からなかったが、ホーコはフタマさんの後ろ姿をじっと見つめていたと思ったら、急に真剣な表情になって、

「もう一回やって!」

 と、要求してきた。別にふたりきりだからいいが、もっと別の言い方はできないもんか。そう思いながらも、俺は首を縦に振る。さっきと同じようなグリップを握りしめて、振りかざす。

「んっ……、あっ、も、もう、ちょっと……したのほう……も、持って……ん」

 さっきよりも大人しくなったけど、これはこれで問題ではある。というか、柄をそういうデリケートなところにするなよ。


 俺は秘宝の正式な後継者ということで、18の誕生日以降、なんにもしないで暮らしていた。大学にも入らなかったが、それはどこか親から無言の圧力をかけられていたようではある。家は広いが、別に裕福ではないから、今や法外に膨れ上がった学費を払えるだけの余裕はない。大学の冒険部に入ることができれば、もうちょっと探検範囲が広がるのであるが、まあ、しょうがない。ファンタジーに高等教育機関は必要ない。

 ホーコにはもともと物置だった部屋があてがわれたけれども、大抵俺の部屋で過ごしていた。日が暮れている間に山に篭って訓練をする以外の時間は、大体漫画とか小説を読み耽って、たまに思い出したように俺にくっついてくる。

 どうしてそんなにべったりなんだと訊いたことがあった。

「今まで言ってなかったけど、私はキミのこと大好きなんだ」

 とびきりの笑顔で答えてくれた。どうしたものか。

「俺のどこがいいんだよ」

「一人称が『俺』っていうところ」

「じゃあ今日から私って言うことにするってしたら?」

「やだぁ」

 そう言って彼女はキスしてくるのである。声にならない声を漏らしながら、俺から『俺』が抜け出さないように、口で口を塞ぐ。じんわりと温かい舌が口内に這ってきて、甘い芳香を口いっぱいに充満させる。

 初日こそしなかったものの、それからは定期的に例の営みもするようになった。どうして18の誕生日の夜にしなかったのか不思議なくらいだ。目をはしたなくとろとろとさせて、綺麗に整った唇の端から舌をはみ出しぬらぬらとさせて、ピンク色の髪を揺らすホーコの姿は、果てしなくエロかった。胸を触ろうとすると最初は嫌がるのに、ノってくると無意識に俺の手に押し付けてくるようになるのも可愛かった。

 俺が19になって、ちょっとだけ経ったある日、ホーコはフタマさんとの関係について教えてくれた。

「フタマさんにも武器になれるパートナーがいたみたいなの」

 椅子に腰掛けて、サンドイッチを角から削るように食べながら、彼女は言う。

「それがある日、どこかへ行っちゃって、竜になったとかなんとか言ってた。それで、もう会えなくなっちゃったから、その人の代わりに私を生み出して、君に託したんだって」

「ナニモンなんだよ、あの人」

「よくわからないけど、ファンタジー最前線で戦ってるよね。リアルが嫌いなのかな」

 ホーコは紅茶を一口飲んでから言った。そうして、静かにカップを机の上に置く。俺は布団に横たわって、そんな彼女を眺めていた。

 18歳誕生日翌日に始まった例の訓練は、隔日で続けられていき、半年経ってようやくホーコはグリップの位置から自らの性感帯をズラすことに成功した。お陰様で、ようやくアオカンに励んでるカップルみたいな体裁から脱出できたわけだ。それから19になった翌日にベルトと鞘もオプションとしてついてくるようになる。一応ここまできて、ようやく人前に出れるようになった。いくらファンタジーが優勢とはいえ、刃をちらつかせて町中を歩けばすぐに警察がやってきてとっ捕まるからだ。まあ、少女の姿でいればいいじゃないか、という話ではあるのだが。

 それからというもの、俺達は一人前のカップルよろしく、デートめいた遊びを散々した。実際、訓練は割合厳しく、月並みに言ってしまえば挫けそうになったことも何度もあった。その度にセックスして一晩寝ることによって、ネガティブな思いを追放していたわけで、それを描写して皆様が楽しいかどうかは不明なのでそれは割愛する。それでも曲がりなりにも苦労を偲んできたわけだから、その反動は大きかったわけだ。スピルバーグやジブリの映画を片っ端から観たり、劇場に何度も足を運んで同じ映画を何遍も観たり、古本屋で文豪の全集をどっさり買ってきて、二人で一日中読んだり、おおよそカップルらしからぬ日常だけど、実のところ俺達はカップルではないので、別にいいんじゃないかとは思う。

 王道であるテーマパークには三回行った。「あのキャストの持ってる模造刀と私だったら、どっちが好み?」とかおっとりと訊かれたものだから、俺は即答でキャストの持ってるサーベルだと答えたら、ものすごいショックだったらしくて意気消沈、その晩はデザインを整える特訓に費やした。お陰様で、前よりはずいぶん見てくれは良くなったが、もうやりたくない。


 そんな生活が、俺が二十歳になるまで続いた。

 ご存知の通り、ホーコは性格が安定しなくって、ちょくちょく喋り方や気性が変わるが、実のところ俺がそれに気がついたのは二十歳になる直前だった。

 そのことを指摘したら、

「でも、そんなの私だけじゃないもん。みんなそうだもん」

 と、頬を膨らませた。俺はとくに反論しなかった。

 で、そんなやりとりを済ませて無事に二十歳になった俺に、親が手渡してきたのは一枚の招集状だった。送り主はフタマさんで、ざっくり言うと、うちに来い、というような内容だった。ちなみにざっくり言わないと、さっさとうちに来い、という感じだ。

 俺はちょっと尻込みするホーコを従えて、フタマさんの家へ向かった。いつも訓練していた山の麓にフタマさんの家はある。中流階級じみた一軒家の他に、物置にしているのかよくわからない水車小屋があって、そこを川がぷかぷかと流れている。その川にはどこからやってきたのか鯉がたくさん棲んでいて、フタマさんお気に入りの子どもたちが彼らにパンくずを分け与えていた。

 呼び鈴を鳴らすと直ぐに扉が開き、フタマさんが顔を覗かせた。昔から慣れ親しんでいる俺はふてぶてしく敷居を越えたが、ホーコはちょっと躊躇うような素振りを見せて「お邪魔します」と小さく言って玄関にあがった。

「久しぶりね」

 居間のソファに腰掛けたフタマさんが言った。確かに、会ったのは半年ぶりくらいだった。

「あの大仰な招集状は何なの?」

 俺が間髪入れずに問うと、フタマさんはちょっと首を傾げて不敵に笑った。

「あなたの誕生日祝いよ」

「ああ、それはどうも」

「二十歳といえば、リアル的に言ってもう成人よ。二年前がファンタジーのだったから、二度目の成人ね。だから、あなたはハンターとして活動できる年齢になったわけ」

「ハンターってなんだよ」

 そのファンタジー臭い用語に、俺は顔をしかめる。フタマさんは行儀よく膝の上で手を組みながら、ソファに深く身を沈めた。

「そのまんま、狩人のこと。ファンタジー側の要請で誕生したジョブよ。リアルではもうすっかり需要が減ったけど、最近は火を吹くトカゲとか、火を吹かないドラゴンとか、いろいろとごちゃごちゃしてきてねえ。そういうのを片っ端から退治して、結び目を解く仕事をハンターは任じられるわ」

「食料にするのが目的じゃなくて、退治が目的?」

「食糧危機なんて、拮抗が始まる前に解決した問題じゃないの。それよりも、そういうバランスを取る作業がこれからは必要になってくる。それを、あなたにお願いしたい」

 そこで、沈黙が降りた。俺が横目でホーコをちらりと見ると、彼女はどこか浮ついたような視線を向けてきた。バレンタインデー直前の女子高生みたいで、本当に武器に変身できる秘宝なのか疑わしい。

 まあ、どうやら、この空気が俺の回答を待ちわびるものらしいことは分かった。

「やるよ」

 だからさっさと肯定すると、フタマさんは相好を崩してみせた。もしかしたら初めて見るかも知れない、和やかな顔だった。

「だと思った」

 もしかしたら俺はこの人に育てられていたのかも知れない。すぐそこの川を泳いでる鯉みたいに。


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