前編(1)
昔々あるところに、ひとりの青年がいた。俺である。
昔々、と言っても別に今が特に昔なわけではないが、物語は基本的に過去形で語られるわけだから、確実に過去のものなわけで、昔というのも、「時間的にさかのぼった過去の一時期・一時点。時間の隔たりの多少は問わずに用いるが、多く、遠い過去をいう」と辞書では言っているので、昨日の出来事でも、一分前の出来事でも昔々である。
俺はエルージャと呼ばれる一つの都市に育った。
この世界が唐突にファンタジーと拮抗を始め、リアルとファンタジーという両陣営の狭間で生きることを余儀なくされてから半世紀、エルージャは比較的新興の都市であるから、伝統というものがない。伝統というのはファンタジーであるから、リアル陣営が勝っている何よりの証拠だ。ただ、別にどちらが勝てば良い、という価値判断を人間は持ち合わせていなくて、リアルが勝とうがファンタジーが勝とうが、大きな違いが出ることもないので、大して興味はない。
そう思っていたわけだから、俺の一族にのみ伝わる秘宝というものがあると聞いた時は驚いた。そんなものはまるきりファンタジーであって、いわばファンタジーのゲリラであった。ゲリラファンタジーだった。その時、俺は15歳で、青年というよりは少年だった。
「なんだよ秘宝って! 聞いてないぞ!」
「いや……俺も最近知ったんだよな」
親父はそう言って頭を掻く。「うちには代々受け継がれる秘宝があるってことになっているらしい」
「趨勢がファンタジーに傾いてるって本当なのかしらね」
母親はもう若くもない顔を鏡に突き合わせ、化粧を施しながら言った。つまりまあ、ファンタジーのほうが優勢になってきてるということだ。
親父も親父でこの件については本当にわからないようで、困ったように身体を揺らしながら、
「一応、お前が18歳になった時に引き継ぐ段取りになってるから……まあ、その時までに身体でも鍛えておけ」
「何それ、重いの」
「重いかも知れない。人と同じくらいの重さだと思うが」
そりゃ大変だ、ということで、俺は高校に通って冒険部に入部して、それまでぬるま湯に使ってきた身体を鍛え直すことにした。
冒険部は、ファンタジーとの拮抗が始まってから普及し始めた部活動で、端的に言えばドラゴンクエストとかのマネッこをする。山や海とかいう自然地帯へ赴くのはもちろんのこと、人んちに勝手に入ってツボを覗きこんだり、街の外に出てモンスターを倒して金を稼いだり、なんにもないところを調べて鏡を見つけたりする。それで身体が鍛えられるかというと、知らない間に育っていく。ファンタジーとはそういうものなのだ。
とはいえ、それが楽ちんかというと絶対にそうではなく、そこではせわしなくリアルが俺たちを走査しては、むごたらしく体力を奪ったり、えげつないトラウマを与えたりする。抽象的な話で申し訳ないが、あまりにぶっきらぼうに言えば、死ぬのである。俺達は常に死の瀬戸際に立たされている。ファンタジーとリアルの拮抗とはつまりそういうことだ。俺はこの三年間の活動で三人の死者を見た。そのうち二人は死体が見つからなかった。ファンタジーに喰われてしまったのだ。
それが危ない世界かと問われれば、必ずしもそうではない。例えば理由は分からないが、半世紀前に比べて交通事故は随分減ったのだという。交通事故で死ぬはずだった者が、冒険によって死ぬ方へ回されたのだろう。ファンタジーとリアルの拮抗はこんなところにもある、という例で紹介されるに過ぎないものであるが、交通事故で人が死にまくる世界と、冒険で人が死にまくる世界に、どういう違いがあるのか俺にはよくわからない。死者が他人である限り、「飛び出したかなにかしたから死んだんだろう」と、まるで別世界の出来事のように捉えてしまう思考癖の範疇であるのだから、どちらも一緒だ。結局、確率の問題なのだ。
俺はたまたま生き残って、18歳の誕生日を迎えた。それまでの誕生日は、母親が手作りのお菓子を振る舞う程度のものだったのに、今回は「成人おめでとう」と称して、近所の人達が総出で祝ってくれた。いつの間に成人の基準が18歳になったのかと驚いたし、それを近所ぐるみで祝うなんて初めて聞いたので、俺は終始目を白黒させながら、誕生日会の進行を見守っていたのだった。
「なんでこんな盛大なんだよ」
俺はお誕生日席に座って、脇に居る親父に訊ねてみる。どこからうちにこんなスペースを引っ張り出してきたのか、居間だった空間にはぎっしりとパーティ用の円卓が立ち並び、めいめいの用意してきた料理が並んでいる。特設ステージでは即興演奏家がギターとサックスをかき鳴らし、プログレッシブな旋律を奏でていた。賑やかなのは間違いないが、身に余るというのが正直なところだった。
「さあ。そうなってるんだからしょうがない」
案の定親父も、首を傾げてそう言った。
お陰様で、俺はいつも使わない愛想を振る舞わなくてはならなかった。
「ついにあなたも継承をするのね」
と言ったのは、うちの近所を総括するフタマさんというお姉さんだった。俺がガキだった頃は、フタマタさんと言ってバカにしていたが、そんな過去のことは水に流してくれる、良い人である。
「何を?」
心当たりが無いわけではなかったが、俺はとぼけて反問する。
「秘宝、よ。伝家の秘宝」
「うちはそんな大層なお家柄じゃなかったと思うんだけど」
「どんな大企業でも、ベンチャー時代が必ずあるのよ。これから大層なお家柄になるの」
「ファンタジーだなあ」
「ファンタジーよ。皆の夢を食べて肥えるファンタジーは、皆の現実を食べて肥えるリアルよりも、ずっと餌を見つけやすいの」
現実がリアルを食べるのか、という議論が起こりそうなところだが、「リアル」はそれ自体で一つのタームとして成り立っているから、決して重言ではない。
しかし、そう考えるとファンタジーというのは圧倒的だ。人間は現実のつまらなさに随分と辟易しているのだから、リアルの食糧難は一つの社会的問題である。それはファンタジーが勢いを増すのも当然の話だ。
「これからはファンタジーの時代になる?」
そういうわけで、俺がそう問うたのも、無理からぬ話だ。
「何を言ってるの」
すると、フタマさんは妖しく笑った。「有史以来の人類の歴史は、ずっとファンタジーだったじゃない」
で、俺はその宴会の最後のプログラムとして、伝家の秘宝とやらと対面することになった。
城の倉庫から引っ張り出してきたかのように豪華な飾り付けをなされた、大きな箱が目の前にどんと置かれる。(俺が)招いてもいないのに招かれた客達は遠巻きに、「ついにこの時が……」というような感慨を表情に刻みつけ、固唾を飲んで俺がその箱を開くのを待っていた。
俺はゆっくりと近寄っていって、息を呑み込みながら、その箱をゆっくりと開いた。
その瞬間、
「ばあ!」
俺の目の前には女の子の顔があった。明るく映えるピンク色の長い髪と、それに合う真っ白な肌。そして、あどけなさ全開、茶目っ気全開の笑顔。
……あまりにも怒涛の展開すぎて、顔のあらゆる筋肉が硬直する。そのまま周囲を見渡す。これは一体なんのドッキリなのだろう。ファンタジーとかリアルとか、そういうのは全部嘘っぱちなのでは? という疑いが、間欠泉の熱湯のように噴出してきた。
しかしまあ、周囲の反応はピンク色である。ヒューヒュー、と要らない口笛が聞こえ、キャーキャー、と要らない黄色い声が耳奥を突く。辺り一帯、歓声である。今では死にかけの四字熟語で言えば、四面楚歌である。
声を失う俺に、どさ、と体重がかかる。文字通りの箱入り娘が、俺に抱きついてきたのだ。柔らかく温かい人肌の感触に、俺は一瞬、空を飛ぶかのような清々しい気持ちになったが……すぐに理性を取り戻して、彼女を振り払った。
「誰だよ!」
「なんで!」
質問と質問が激突する。
女の子はひどい仕打ちを受けたといわんばかりに瞳をうるうるとさせ、俺が彼女のスキンシップを拒んだ理由を求めてきた。一方俺は、青年ならではの貞操観念から彼女を振り払ったわけで、どこの誰だか分からない娘さんに抱きつかれるだけで、チョロっと落ちてしまうような男ではない、というプライドを誇示するかのように誰何したわけである。
すると女の子は、辺りをキョロキョロと見渡して衆人環視であることを認めると、さっと顔を赤らめて、ごにょごにょと何か言ったかと思うと、俺の腕を取って走りだした。わけも分からずついていくと彼女はパーティー会場を脱出して、俺の部屋へ無遠慮に押し入ると、俺を押し込んで扉をバタリと閉めた。
「もう、何なの! あの人だかりは!」
そうしてぷんすかと怒り出す。俺もぷんすかと怒り出したい気持ちでいっぱいだったが、あいにく成人になったばっかりなので心のうちにしまっておくことにした。
「俺の誕生日会に来てくれたお客様方だよ」
「んもう、また会うときはふたりきりでって、約束したでしょ」
もちろん、そんな約束した覚えは一切無いのだが、ファンタジーの手にかかれば、そんな記憶の捏造などお茶の子さいさいであろうから、不思議なことではない。
「約束なんかしたっけ」
でも、知らないものは知らないので、俺は訊ねる。すると、彼女は首を傾げて、
「してないっけ」
「してない」
「……というか、あなた誰?」
しまいにはそんなことを言う始末である。こういう突飛さはもはやファンタジーではなく、打ち合わせ不足のヒューマンエラーに分類されそうなものだ。
「……俺は細村市実っていう。今日十八歳になった」
「イチザネ? ほえー、じゃああなたが私の後継者ってこと?」
「知らん。で、君は誰なんだよ」
「私? 私は伝家の秘宝。名前はまだないの」
「伝家の秘宝なのに名前がないのかよ」
「まだできたばっかりだからねえ」
この短いやりとりではっきりしたのは、ファンタジー部署で俺達の身辺を担当するヤツは、とんだ行き当たりばったりヤローだということである。仮にそんな奴がいるとしたらの話だが。
「ふうん。じゃ、秘宝の宝をとって、宝子ちゃんで良いか」
「ホーコ? いい感じかも!」
女の子は手を打って喜ぶ。この価値判断がガバガバな感じ、俺は先行きに不安を覚えずにいられない。
俺は、ホーコの少女然とした姿(サイズの違う豪奢な布地を一遍に身にまとった、見ようと思えば一国の王女に見えなくもない)を観察しながら、
「それで、秘宝が女の子って、一体どういう了見なんだよ。ファンタジーに食いつくされて、リアルが幼児退行してるのかよ?」
「話せば長くなるのでざっくばらんに言うとね、私はファンタジーとリアルの間の子なの」
「……へえ」
「拮抗している以上仕方なく生まれてきちゃったはいいけど、純粋な肉体の無、観念の狭間から生み落とされたものだから、どこかしらに私の実存が挿入される必要があって、その緩衝地点があなたの家系で、そこに重なった時間の間を縫うように、私は受け継がれて、今ようやくここに現れたってわけなの」
「なるほどな。全然分からない」
ざっくばらんに言うなら、もっとざっくばらんに言って欲しい。
するとホーコは困ったようにははは、と笑って、
「まあ、分からない方が良いんじゃないかな。私は代々伝わってきた秘宝、あなたはそれを引き継いだ」
「それで、何か知らないけど、また会うときはふたりきりで、なんて約束を交わしていた」
「それはあなたが、私の前の使用者の生まれ変わり、っていう設定があるから」
「そんな重要そうなネタバレしちゃっていいのかよ」
「設定は設定なだけだし、それ以上の意味は無いよ。隠しておく必要もないしね。しかも、私が誕生したのは、あなたが箱を開けた瞬間のことだし、実際に私は前の使用者に会ったことはないの、そういう記憶があるだけ」
かなり情報がゴタゴタしてきたが、どうもこの子が生まれたばかりであることは間違いがないらしい。そういう記憶があるのに、それが実際にあったことじゃないと認識するのはどういう気分なのか、訊いてみたい気持ちもあったが、面倒臭かったのでやめた。
俺はどう見ても生後十数年と思しきホーコという少女の顔を見て、言う。
「まあつまるところ、俺と君は単純に知り合ったっていうわけだな。今、この場で」
「そうそう。そういうわけだから、よろしくね」
「ああ、よろしくな」
長い長い自己紹介が終わった。主に、この秘宝娘の、だが。
俺のお誕生日会は俺の退場を以って、すっかり解散ムードが漂っていた。居間に戻ったが、うちの親を含めて誰もいなくなっている。部屋の隅っこで、この界隈の端っこに住んでいる男が、界隈の右よりに住む女に口説かれていた。それがリアルなのかファンタジーなのかよう分からんが、他人の家でよくもまあ、そんな色めいたことに及べるもんだ。居心地が悪くて、俺は気配を立てないようにして俺の部屋へ戻る。ホーコが窓から外を覗いて、はしゃいでいた。
「ほら、花火上がってる! 花火!」
「花火? 何でまた」
ホーコの隣に寄って行って、外を見てみると、確かに花火が上がっていた。吹き上げ式の花火が、四つ、結んだ線が正方形となるように並べられて、血しぶきみたいに火花を散らしている。中途半端な暗さの中でド派手に散っているその明るさは、過剰に塩をきかせた燻製みたいな気持ち悪さを醸している。
「明日は早起きして、山に行こうね」
ホーコは、とんと頭を俺の肩に預けながら、そんなことを言った。あまりにも自然、あまりにも当然といったその行為を、無下に振り払うこともできず、その心地良い重さと温かさに対して、子どもじみた緊張を以って返事をした。
「ああ。そうだな」
そんなスキンシップ、なんてことのないふうに。10年も前から習慣としてやってきたかのように。
でもそんなのは実感に過ぎない話で、流石にその夜に求められたのには閉口した。確かにホーコは可愛い女の子であったが、かといって俺は別にイケメンでもなんでもないし、映画的な美男美女ならともかく、冒険野郎と秘宝少女という取り合わせで、物語が始まっていないのにエッチなことに及ぶのは、いかがなもんかと要求を拒み続け、最終的には俺が勝つ運びとなって、妥協策として同じ布団で寝ることになった。どこが妥協なのかは訊かないで欲しい。
しかしまあ、くうくう寝息を目の前で立てられて、謎の良い香りを発せられたとあっては、こちらもムズムズするのを抑えるのに相当苦労した、と言っておかないと妙な勘違いをされそうなので明言しておく。お互い、ガマンする必要もないのに、どうしてガマンしなくてはいけなかったんだろうか。不思議だ。俺は、温もり二倍の布団の中で、息を潜める。




