ガランスフィアの願い、アリシスの傍らで
それは、戦争が始まるより少し前のことでした。
イナースイグナの深い森には小さな集落があり、そこには森の民がひっそりと暮らしていました。そして、そこには聖霊術師の家族も暮らしていました。
黒髪に優しげな青い瞳をした夫はジーン、赤い髪の美しい妻はメリルナ。
わたしの誓約者はメルリナでした。
彼らはともに善良で有能な聖霊術師で、森の民は彼らの大きな信頼を寄せていました。
そしてその夫婦の間には小さな娘がいました。
彼女の名はアリシス。
母親譲りの赤い髪に父親譲りの青い瞳にアリシスは容姿だけでなく素質も受け継ぎ、将来は立派な聖霊術師になるだろうと言われ、森の民もその子をとても可愛がっていました。
各国を巻き込んだ本格的な戦争が始まったのはアリシスが6歳の時でした。
ですが、戦争をしている国から遠い場所にあったイナースイグナの森には戦火も及ばず、その頃は何事もなく暮らしていました。
けれどそのまま何事もなくすむことはありませんでした。
アリシスが10歳になった年、〈破滅の魔人〉が現れるたことで事態は一変しました。集落に戦火は及んでいないものの、その噂は耳に届き人々にその余りの残虐さに身を震わせました。
そんな噂が届いてしばらくした頃、それまで森に現れることのなかった魔物の群れが森の民を襲いました。
ジーンとメリルナは聖霊術を使い魔物を追い払いました。ですが、それはその場しのぎにしかならず、魔物を消滅させることはできませんでした。
魔物が少ないうちはそれで十分ですが、いずれ限界がきます。今のうちに集落のまもりを固めてはどうかとジーンは皆に提案しました。
それに賛同し、森の民は気を伐採して集落を囲う砦を作ることにしました。
あまり人のいない集落だったのでそれは難航しましたがどうにか砦を完成させたることができました。 それによって魔物は集落に入ることはできなくなり人々は安心しました。
ですが、それは根本的な解決にはなりませんでした。
魔物は増える一方で、集落の周りに住み着き時に体当たりをしてくるようになました。ジーンたちはその度に聖霊術で追い払い続けました。
ジーンは解決の糸口を探すために、家にある書物から役に立つものがないかと探しました。
ジーンの聖霊術以外でも方陣の扱いにも長けており、幸い水晶の蓄えもあったので方陣を利用することにしました。
“鏡面反射”という方陣で、水の聖霊を集めて擬似的に鏡を生み出す方陣でした。ジーンは砦の周りを水鏡で囲い、魔物から砦が見えないようにしたのです。
その策は成功し、集落は魔物を遠ざけることにことができました。そして、そのまま戦争は終わりを迎えたのです。
その後、カルディアーナの神話に語られたとおり、太陽が突然姿を隠し、何年も日照りが続きました。
ですが、幸いなことに地と水の精霊術を扱うことができたので他の土地と比べて随分ましな生活を送ることができました。
16歳になったアリシスは聖霊を受け継いでいないものの、方陣の扱いに長けており集落のために働くようになっていました。
そんな時現れたのはひとりの女性でした。森の中を身一つでフラフラと彷徨っていた女性を森の民は集落に招き入れました。
それがこの集落にとって本当の災厄となりました。
意思のない瞳の女性はジーンとメリルナを前にして豹変しました。女性の体が突如黒く染まり、鋭い爪でジーンの心臓を貫きました。そして駆け寄ったメリルナの喉を切り裂きました。
集落は恐慌に陥りました。女性の姿をした化物はジーンを殺しただけではなく、近くにいた人間を次々と殺しました。
まだ逸脱者の存在を知らなかった人々はただひたすら逃げ惑うことしかできませんでした。
両親が倒れ茫然自失のアリシスの前に現れたのは水の眷属聖霊クィーアでした。
ジーンが死んだ瞬間、新たの誓約を結ぼうとしたのです。アリシスは迷わず誓約しました。
その結果聖霊術を得たアリシスは逸脱者を水の中も閉じ込めることに成功しましたが倒すことはできませんでした。
そんな時わずかにまだ生きていたメリルナが、最後の力を振り絞って地の聖霊術で大地を割り、逸脱者を地中深くに沈めました。
ですが逸脱者はまだ生きていました。
メルリナがこのまま死んでしまえば、再び地上にはいでて殺戮を繰り返すでしょう。
その時クィーアは言いました。
『ジーンの編み出した方陣を使えば封印できるかもしれません。どうしますか?』と。
アリシスはそれに頷きました。
ジーンの方陣をクィーアから聞いて、集落中のすべての水晶をかき集め、逸脱者の沈んだその場所に方陣を打ち立てたのです。すると、方陣に小さな聖霊が集まり大地に蓋をしました。
無事封印することができましたが犠牲は多く、メリルナはもう虫の息でした。
喉を切り裂かれたメリルナは最期、わたしに聖霊にこう残しました。
“ごめんねアリシス。あとは頼むわね”と
その遺言を聞いたアリシスは、その後はメリルナの聖霊も受け継ぎ村を守り続けました。けれどその数年後、再び悲劇が訪れます。
アリシスは18の歳、病にかかりました。原因不明の病でした。
余命幾ばくのないアリシスはある決断をしました。それは逸脱者が再び地上に出ることがないよう二重の封印を施すことでした。
アリシスは方陣と二つの聖霊術を組み合わせ後に“月光鏡”呼ばれる物を生み出しました。そして死後、アリシスの墓を封印の上に作りその“月光鏡”でとじるよう森の民に言いました。
“ずっとこの土地を守るから”
そう言ってアリシスは死にました。その日は満月の綺麗な夜でした。
森の民はアリシスのしを嘆き悲しみながらも、彼女の遺志を叶えました。
以後彼女は守人として尊ばれることになりました。ですが、アリシスが森の民に話したことと真実は少し違いました。
アリシスが生んだ方陣は確かに封印のために使われました。ですが彼女はもう一つ方陣を施していました。
それは、肉体を仮死状態にして凍結させ精神のみを切り離すというものでした。アリシスは両親以上に非凡で、異端でした。
誰にも気づかれず絵空事のような方陣を実行しそしてそれは成功しました。
聖霊を忘れ術師の存在も忘れその中で少し変わりながらも、カルディアーナの神話に打ち消されず伝承が残りました。
紅も纏う乙女はアリシスです。彼女は今もこの土地にとどまり誓約を捧げ続けているのです。
ただ千年という時間は人には長いものです。アリシスの精神は弱り始めました。ここ数年で急激に衰え、消え入るそうなところを耐えている状態でした。
そして、少し前のことです。
今度はアリシスだけでなくこの近隣すべての聖霊たちに異変が起きました。
それまでどうにか保っていたものが完全に狂い始めました。そして、今夜全てにおいて限界が訪れました。
アリシスの精神は今夜消えます。
わたしも月光鏡から解き放たれるでしょう。ですがわたし自身も既に力はほとんど残っていません。
ですからできれば最期はアリシアの傍らで眠りたい。そう思ったのです。




