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月光鏡に宿る聖霊

 アナーシャが去ったあと静まり返った部屋の中、ナナキは視線を横にやる。そこには月光鏡をぼんやりと眺めるイヴの姿がある。


 月明かりに照らされたイヴの赤い瞳が大きく開かれ、いつも引き結んでいる唇がわずかに開いている。 いつもの無表情と違ってどこかあどけない表情は、美しい光景に見とれているようにみえる。

 たぶんアナーシャはそう思ったから余計な声をかけずに出て行ったのだろう。

 初めはナナキもそう思っていたが、どこか様子がおかしいことに気がついてナナキは訝しむ。


「イヴ、どうかしたのか?」


 その声に反応してイヴは視線を月光鏡から外しナナキの方を見た。向けられた瞳はいつもの強い視線ではなくどこか彼方を見ているかのように揺れている。


「おい、イヴ?」


 再び声をかけて振り向いたイヴの姿にナナキは既視感を覚える。そして今度は低い声で静かに声を放つ。


「お前は誰だ」


 目の前にいるのは間違いなくイヴである。だが、その顔にはいつもの無表情から一変し、恥ずかしげに微笑みを浮かべた。


『初めまして、満月の夜のお客様。私の名前はガランスフィアです』


 ガランスフィアと名乗った相手はイヴの姿で丁寧に優雅にお辞儀をした。








 少し緊張したような仕草やひどく幼い声音は、彼女がイヴではないことを物語っていた。ナナキはガランスフィアの言葉を聞いて眉をひそめる。


「あんたは聖霊か?」


『はい。私は地の精霊テーラの眷属聖霊で、生まれてからずっとこの土地を守ってきました』


「その聖霊が誓約もしていない人間の体を乗っ取って何の用だ」


 少し険のある声でナナキがそう言うと、ガランスフィアは少し申し訳なさそうに目を伏せる。


『それについては謝ります。ですが、私には具現化する力もなくこの集落者のは言葉もとどかないのです。ですから、少しだけ行動を誘導してあなた方をこの部屋に招きました。別に危害を加える気もありません。ひとつだけお願いを聞いてほしのです』


 そう言ってガランスフィアは両手を胸の前に組んで懇願するように見上げてきた。イヴを知らない人間ならば幼気で可憐な少女だと思うだろう。だがイヴの普段が普段だけにその様子にはだいぶ違和感を覚える。


『そちらにはスキアー様もいらっしゃると存じています。私ごときものは到底叶いません。この方の体も話が終わったらすぐお返ししますし、わたしができることならなんでもします。ですから、どうか』


 ガランスフィアは聖霊であるため人間に外は加えないことは分かっている。だが、お願いと言っているが、イヴの体を乗っ取っている時点で脅迫に近いものがある。

 あまり気分のいいことではないが、ナナキとしてはイヴの体を無事取り戻すのが最優先である。

 どうしたものかと考えていると、頭上から涼やかな声が聞こえてくる。


『深く考えずとも聞いてやるといい。そなたにとって悪いことはないと思うぞ?』


 ドレスの裾を靡かせてふわりと舞い降りたスキアーが横からナナキの顔を覗き込ん微笑んだ。

 スキアーの登場に少し驚いた様子を見せながらガランスフィアは大きくお辞儀をした。


『お初にお目にかかります、スキアー様。この度は目をつぶっていただいてありがとうございます』


『ふふ、固くなることはない。今の世で同胞に見えることはあまりないのものじゃ。せっかくだから話してみるが良い』


 スキアーは相変わらずな様子でガランスフィアに話を促した。それに対しがガランスフィアはまだ申し訳なさそうにナナキの方をちらりと見る。


 会話から察するに、スキアーはこのガランスフィアの存在のみならず何をする気かも気が付いていて黙っていたようだ。ナナキがジト目で見ても、スキアーは『なにか問題があるのか?』といって悪びれもなく微笑んでいる。

 意地が悪いのではなく本気でそう思っているあたり非常に質が悪い。思わずため息が出そうになるが、スキアーが黙っていたとうことは害がないというのは事実なのだろう。

 ナナキはそれ以上の無駄な追求はやめることにした。


「イヴが無事ならいいよ。お願いってのもこっちのできる範囲のことなら聞いてもいい。それから、こっちの質問に答えてくれるとありがたい」


 ナナキの言葉にガラスフィアは頬を紅潮させて嬉しそうに大きく頷く。その仕草はひどく幼くてナナキは懐かしい気持ちにさせられる。


「まずはお願いっていうのを聞こうか」


『はい。実は、私は今は誓約によってこの月光鏡に宿っています。ですが、今の私を保っていられるのは今宵までなのです。ですから朝になって私は核の状態になります。かつて月光鏡が埋め込まれた台座で私は生まれました。だからそこに埋めて欲しいんです』


 切実な様子でお願いをするガランスフィアにナナキは数回瞬きをした。


 聖霊の核とは聖霊の心臓に等しものであり、聖霊は弱るとその姿で再び力が戻るまで眠るのである。死ぬことはないがいつ目覚めるかはわからない。

 そしてその核は聖霊を認識できる人間以外には見えない。


 自分が眠りたい場所に運んでほしという願い正当であるが、ナナキとしてはどうしてそういう経緯に至ったのかが気になるところである。


「そのくらいならわけないが・・・誓約ってことはこの集落に聖霊術師がいるってことだろよな。でもさっきは誰にも声が届かないって言っていたよな」


『聞こえないのは本当です。だいぶややこしい話なのですが、少し聞いてもらっても良いでしょうか?』


 悲しげに微笑むガランスフィアにナナキは頷いた。どうせ乗りかかった船である。長くなりそうなので椅子に座るよう促し、座ったところで話を聞くことにした。


 ガランスフィアはひとつ息をついて長い昔話を始めた。


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