騎士と少年
ナナキは聖堂の薄い膜が貼られたような扉をくぐり礼拝堂の中に入る。
入った瞬間、外観から想像もできないほどの広大な空間が広がっており、その奥にはこれもまた白く巨大なカルディア―ナの神像がそびえ立っている。
しかし、次に目に入ったのはそこに置かれたテーブル上に敷き詰められた料理と祈りを捧げる人々であった。そこにいる人々は聖堂の関係者らしく白い聖服を身にまとっており、皆一糸乱ぬ呼吸で〈聖歌〉を歌っていた。
歌は広い空間で反響し不思議な音色を奏でている。誰もが歌に集中しており、入ってきたナナキに気づく者はいない。
「へーすごいもんだ・・・」
〈聖歌〉は神へ捧げる歌であり、それを中断することは言語道断とされている。よって、これはしばらく待つしかないなとナナキはその歌声を静かに聞くことにした。
〈聖歌〉は本来は神呼が歌ってこそ本来の効果が得られるものであるが、聖堂〉¥が各地に建てられた折に当時の神呼がその歌を伝承したため、今では祭りや何かしらの祝い事で必ず歌われることになっている。
「参拝者がいない時間になんで歌ってるんだ?」
「あれは練習ですよ。本番は夕方なので」
ナナキが尤もな疑問を口にすると後ろから不意に声が降ってきた。
その声に驚いて振り向くと、そこにいたのは20歳半ばの骨太で背の高い男でその鎧姿から一目で騎士と分かった。
「すみません驚かせてしまって。この聖堂の騎士コウエンと申します。祭を見にいらっしゃった方ですか?」
その騎士コウエンはその図体に似合わず愛嬌のある柔和な笑みを浮かべて話しかけてきた。愛想よく名乗られたのでナナキも素直に名乗り返した。
「俺はナナキだ。見に来たというか旅の途中に通りかかったんだ。でも〈聖歌〉の練習ってこんなに大々的にするものなのか?」
ナナキは机の上の料理に再び目を向ける。その量たるや、町中に開かれている店全ての料理と比べても引けを取らないほどであり、また本番までにはかなり時間がある。ナナキの視線の先に気づいたか、騎士コウエンは声を潜めて話し出す。
「あの料理は実をいうと全部偽物なのですよ。そうは見えないでしょう?」
「偽物・・・あれが?」
料理から湯気が溢れ、美味しそうな匂いまでしており、到底偽物には見えない。
「はは。私も初めてここに来た当初はまさか偽物とは思いませんでした」
「あれ?コウエンさんここ出身じゃないんだ?」
「ええ、私は中央から派遣されたので。私以外は殆どこの街の出身者ですけどね」
「へぇ、そうなんだ。それにしてもあそこまでこだわった偽物なんて俺も見たことないや。というかなぜ偽物を?」
練習に料理なんて必要ないし、ましてや昼時にこんないい匂いの中歌うのはある意味拷問である。
「まぁ、この土地なりのしきたりがあるようで。練習でも〈聖歌〉を歌うならばその場に供物がないのは許されないとのことだそうで、だからちょっとした呪いをかけてより本物に近づけていると聞きました。」
「ふーん。しきたりねぇ。」
ナナキが含みを込めてそう口にすると、騎士もそのしきたりにはなにか思うところがあるのか何とも言えない苦笑を浮かべていた。
むしろ形だけしかないならないほうがましだと思うナナキだが、長きにわたって続けて来た慣習はそう覆らない。
やっている本人たちが苦痛でないのならそれはそれでいいし、部外者が口を挟むことでもないが、自分がその立場ならごめん被る。なんとなく邪道に思えてしょうがない。
「ところであんたがアルフさん?」
「いえ、違いますが、ナナキさんはアルフをご存知なのですか?」
コウエンはその風体に似合わず小さく首をかしげる。大の男がする仕草ではなったが不思議と違和感がないのは人柄のせいだろうか。
「いや。路店で会ったジェフさんがここの騎士のアルフさんに言えば宿を貸してもらえると聞いたもんでね」
「ああ!アルフの親父さんですか。泊まるならここの左手に騎士の宿舎があるので、そこに行って入口のホールにいる管理人に言えば大丈夫ですよ。アルフも今休憩でそこにいると思いますし」
特に警戒されることもなく親切に教えてくれた。祭りで人の出入りも多いのにこんなにあけっぴろげなのは、相当治安がいいか警備体制よほど自信があるかどちらかだろうが、街の様子からすると前者が妥当だろう。
「そうか。じゃあ、隣に行ってみるよ。ありがとう」
「いえ、とんでもないです。また何かあったら気軽に声をかけてください。私はここが閉門するまでいますし、宿舎や町にも騎士が配置されていますので」
そう言われ、ナナキが返事をしようとすると、突然腰のあたりに衝撃が走った。それによってナナキがたたらを踏むと、同時にドスンッと音がしてそのあと続いて足元から声が響いた。
「いってー!!」
ナナキが振り向くと足元には12、3歳ほどの少年が座り込んで尻をさすっていた。どうやら腰への衝撃は少年がぶつかったらしい。
「アシュレイ!」
コウエンが慌てた様子でその少年に「大丈夫ですか?」と声をかけた。
「うーん。平気だよ。コウエンさん」
どうやら見知った仲らしく、騎士コウエンは若干呆れ顔をしながらもアシュレイと呼ばれた少年に手を貸した。ヘラっと笑って何事もなく立ち上がったのでどうやら怪我はないようである。
「ナナキさんは大丈夫ですか?」
その言葉にナナキが「大丈夫だ」と答えるとコウエンはホッっと息を吐いたあとアシュレイに向かって注意する。
「全く。入口に駆け込むから人にぶつかるのです。アシュレイきちんと謝りなさい」
「いや、そんなに痛くないし。俺も入口の近くにいたからな。悪かったよ。」
ナナキが謝るとアシュレイはなぜか目を見開いて立ち尽くした。
「どうかしたのか?」
その様子を怪訝に思いナナキが問いかけると、少し慌てた調子でアシュレイが口を開いた。
「あっ。いや、姉ちゃんの髪の毛、見たことない色だったから驚いてさ!」
「・・・姉ちゃん?」
なんの悪気もない笑顔のアシュレイのその言葉をナナキ反芻して固まると、今度はゴンッという音があたりに響き渡った。
「ッグオァー…」
アシュレイが頭を抱え込みうめいていると彼にゲンコツをお見舞いしたコウエンがと素早く頭を下げた。
「重ね重ね申し訳ない!アシュレイとにかくまず謝りなさい!」
アシュレイは未だにゲンコツの痛みに悶えておりそれどころではなく、更に言うとゲンコツをされたのかも分かっていないように見受けられる。コウエンが「後でちゃんとさせますので!」と言って再び頭を下げた。
先程からだいぶ騒いでいるのに、まるで何事もなかったかのように〈聖歌〉は響く。皆勤勉で何があっても祈りを中断させたりはしないようである。ただ、その様子を目の端に捉えていた何人かは肩を小刻みに震わせ若干顔が赤らんでいるように見受けられる。
そんな光景の中、ナナキは怒る機会を逸し、もはや苦笑を浮かべるしかなく、「もういいよ」と少し投げやり気味に返事をした。




