旅先で起こるべくして起こったある事件5
先程までコロコロと変わった表情は一変して眉ひとつすら動かない。目の前のイーヴァの佇まいは明らかに別人であった。表情こそないが敵意は見られない。ただ突然の変わりように少し驚かされた。
「イーヴァは?」
ナナキは静かにそう尋ねる。
「今は眠っています」
少し安心する。イリアリーゼと名乗った聖霊から感じる威圧感にナナキは覚えがあった。
「もしかして、牢屋で兵士をぶちのめしたのはお前か?」
ナナキがそう問うとイーヴァもといイリアリーゼは少しだけ目を見張る。
「ご名答です。よくお分かりになりましたね」
「いや、イーヴァの性格じゃ他人を格闘なんてできないだろ?」
「そうですね。体はイーヴァのものですから同じことが可能と思いますが、躊躇するのは確かでしょう。それはともかく、貴方は私が思うよりも私たちのことをご存じのようです。ですからあなたの疑問にイーヴァの代わりに答えましょう。」
イリアリーゼの申し出はありがたいものだった。そう思って改めて確認することにした。
「やっぱりイーヴァは聖霊術師か」
イリアリーゼは静かに頷いた。
「イーヴァはこの地に住まう最後の聖霊術師。この地はずいぶん昔に創られた聖霊術師の安住の地です。先程までいた街の東の森の一部を切り取って出来ています」
「それは大戦時代の話か?」
「たぶんそうだと思います。戦いを強いられそうになったとき、それを拒否して追われた聖霊術師たちをかくまうためにある男がここを生み出しました」
「ある男?」
「そうちょうどあなたのような髪色をした。聖霊術師たちはその男を森の主として崇めていました」
「それがイーヴァの言う主さまか。でもなんでそれを俺と勘違いしてるんだ?髪色が同じだと伝わっていても1000年前の人間だろう?」
「理由のひとつはこの森の伝承のせいです」
「伝承?どんなのだ?」
ナナキが問うとイリアリーゼは伝承を語り始めた。
「“行き場をなくした同胞に森の主はこの地を創り、安寧をもたらした。いつしか人が森を故郷と呼んだとき、役割を終えた主はまた新しい土地を救いに行った。だが、主はいつしか帰ってくる。いつかこの森が役目を終えるとき、この森は安らかな眠りに誘うだろう”」
「その帰ってきた主が俺だと?」
イリアリーゼは頷いた。
「その男は神同等で人間とはとは別格視されていたので1000年前でも関係ありません。イーヴァはこの伝承を真実としています。私が貸与えた力によってこの子は森羅万象の気配を感じ取ることができます。それによってあなたを見つけて結界の外に出たのです。」
ナナキはその言葉に若干目をすがめた。
「それで逸脱者と勘違いされて捕まったと。何かしたのか?」
「結界から出たところがたまたま逸脱者とやらが現れる場所の近くだったらしく、兵士にそれを見られてしまったんです。聖霊を知らない人間からすれば何もないところから現れたように見えるでしょうから」
「そりゃ、勘違いされても仕方ないな。でもやっとわかったよ。その主の正体が。そいつは俺と同じなんだな」
「ええたぶんそうだと思います」
ナナキは首元に手をやった。ナナキの声は聖霊を寄せ付ける。言葉のよって聖霊を操ることができる特異な体質だ。
マフラーの下にはチョーカーが付けられている。変わった刺繍の施されたチョーカーはその声を無効化するための呪具である。
「それにしても気配か。一応力は封印してあるはずなんだけど」
「見たところその封印が緩んでいるように見えます。現に複数の聖霊があなたの周りを楽しそうに舞っていますし」
楽しそうと言いつつイリアリーゼは無表情である。
ナナキは記憶を巡らした。このチョーカーは物心ついた時からずっとつけているもので、ナナキにとっては生活必需品とも言える。普段乱暴に扱うことはないが、今日は荒事に巻き込まれたのを思い出す。けれどそれはイーヴァにあったあとのことであり、それくらいのことで壊れたりするほどやわなものではない。それ以前になにか問題があったのか。
「あ、」
「どうしました?」
唐突に声を上げたナナキにイリアリーゼが問いかけた。
ナナキの頭に浮かんだのは宿で絡んできた酔っぱらいである。絡まれた時にあの時もみくちゃになったことと同時に牢屋で別れたきりなのを思い出した。
「そういえば、隣の牢にもうひとりいたのに気づいてたよな?やっぱり置き去りか?」
「となりの牢屋ですか?誰もいないと思いましたが」
イーヴァの答えナナキが疑問をぶつけにようとしたとき、外で何かが衝突したかのように地が揺れる。
ナナキは反射的に振り返り窓の外をみた。次の瞬間雷のような空気をつんざく音ともに空がひび割れる。最後にガラスのように飛び散ったかと思えば、先程までと変わらない景色が広がっていた。
見た目は変わらない。だが確かに変わってしまった。そうナナキは感じた。
「何が起きたんだ」
ナナキの言葉に入アリーゼが初めて表情を曇らせた。
「結界が壊されました。この気配は、」
言葉の途中でイリアリーゼはぐらりと倒れた。とっさにナナキが腕を伸ばして支えると小さな声が聞こえた。
そして再びまぶたを開いたときそこにいたのはイリアリーゼではなく、不思議そうにナナキを見上げるイーヴァだった。
そして次に口を開いたときイーヴァは驚愕の表情で辺りを見回した。
「ここどこですか?」




