旅先で起こるべくして起こったある事件2
「ぷっはぁ!生き返る!」
男は店の裏手にある井戸の水を両手ですくって一気に飲み干した。酔っぱらい男を引きずってここまでは運はめになったナナキは、青い顔に疲労を浮かべてそれを見守った。男のそのすっきりした顔が無性に腹が立つ。ただ自分に吐瀉物を吐きかけられなかったのが唯一の救いである。
「あんた、飲むなら自分の許容量を把握して飲みなよ。酔って下手な奴に絡んだら酷いことになるぞ」
「いやぁ、面目ない。結構飲みやすかったからいけるかなって思ったんだけどねぇ。今度から気をつけるよ」
「そうするといい」
意外に殊勝な返答にナナキはそれ以上言う必要はないと判断した。そんなやり取りをしていると不意にざわめきが聞こえる。
「なんだ?」
「ん?こりゃあ・・・表から聞こえるみたいだなぁ」
互いに顔を見合わせたあとどちらともなく歩きだし、表の通りに顔を出す。すると、そこには人だかりができており、のどかな町並みに不似合いな喧騒が響く。見てみればその人だかりの向こうには白いローブを纏った聖堂の兵士たち数人がかりで誰かを取り押さえている姿が見える。
「何かあったのか?」
ナナキが見物に来ていた10代半ばほどの少年にそれとなく問いかけた。すると、少年は少し驚いた顔をしながらも親切に教えてくれる。
「ああ、あれは逸脱者だよ」
思いもよらない返答に今度はナナキの方が驚いてみせた。別に逸脱者自体に驚いたというわけではない。街の人間であろう少年や他の人々が、この状況を普通に見物していることにナナキは驚いたのである。
逸脱者というのは一般的に魔物と同一視されることが多い。逸脱者が出現した際、ほとんどの土地では外出禁止令が出されることが常である。
外出禁止令が出されなかったとしても普通の人間は魔物と同等と称されるものが街に現れたら自主的に避難してもいいところである。
野次馬根性が旺盛なのかと言ってしまえばそれまでだが、それにしては雰囲気がおかしい。すると、同じことを思ったのかナナキの疑問を代弁するかのように今度は男が少年に尋ねる。
「こんな街中に逸脱者が出たっていうのに随分のんきだねぇ。いくら聖堂の兵士がいたって何が起こるかわからないでしょうに」
「おじさんたち外から来たんだろ。じゃ驚いても仕方ないね。ここじゃこんなの日常茶飯事だよ」
少年は肩をすくめてそう答えた。
「どういうことだ?」
「そのまんまだよ。ここじゃ逸脱者出るのはしょっちゅうなんだよ。それに出ても一匹で、兵士の人が数人いればどうにかなるくらいだし。今まで死傷者は誰もいないからみんなまたいつものかって感じなんだよね。ま、それももうすぐ出なくなるけどね」
「出なくなるって、随分はっきり言い切るな。何か根拠があるのか?」
「うん。逸脱者頻繁に出だしたのはここ最近なんだけど、セント・カルディアーナの人たちが調査した結果、その逸脱者が生み出される遺跡っていうのが発見されたんだ。だからそこさえどうにかすればもう出ないって話だから明日その遺跡に兵士を派遣するんだって」
「・・・そりゃいいことだ」
少年の話でナナキは納得した。だた、ひとつ問題があった。少年の手前そう言ったがナナキとしては全面的にいいこととは言い切れない。それが本当に逸脱者であるならばナナキも文句はない。だがそうでなかった場合。非常に面倒なことになる。
ナナキは目を凝らして兵士に取り押さえられている存在を見つねる。兵士の腕の隙間から見えるのは黒いローブから伸びる細い腕。遠目には人間にしか見えない。兵士と比較すると随分小さいように見える。
「随分な熱い視線だねぇ。兄ちゃん、逸脱者に興味があるの?」
黙っていた男がナナキを見てそう問いかけてきた。どうやら凝視しすぎていたようである。
「いや、随分小さいなと思ってな」
「うーん、確かに小さいねぇ。子供サイズ?おれ実物は見たことなかったけどあんなもんなのかね。ていうか逸脱者って見た目人間と変わらないって聞くけどホントなの?少年よ」
「えっと、俺もそんな近くで見たことないけど大抵は人の形をしてるよ。火を噴いたり体がすけたりするらしいから明らかに人外だけど」
その言葉にナナキは頭が痛くなる。これはどうやら面倒なことになる予感がした。
そんなことを考えていたとき、兵士の一人が叫んだ。
「そこの人!たち離れてください!」
その言葉を合図にするかのように兵士たちの手を逃れた黒い影は天高く跳躍する。見物人は慣れているのかその言葉に忠実にその場から離れた。
振り仰いだナナキの瞳がその黒い影を捉えた時、目の前には赤が広がる。そして次には全身に衝撃を受けてそのまま後ろに転げしたたかに背中を打ち付け「うぐっ!」とうめき声を上げた。
不意にとじた瞳を次に開けたとき、その腕の中には柔らかい感触があった。
突然のことに驚いて起き上がろうとすると、自分の体にのしかかるようにしていた黒いローブの隙間から見えたのは、燃えるような赤い髪に褐色の肌をしたエキゾチックな少女の顔。ナナキを見つめる赤い瞳に浮かぶのは誰がどう見ようと歓喜と言えるもの。
「主さま!」
少女はナナキを愛おしそうにそう呼び、力いっぱい抱きついてきた。
何がなんだかわからない。ナナキはただ困惑するばかりである。
そして、気がついたときには兵士たちがナナキたちを囲っていた。
「おとなしくしろ!」
兵士の一人が厳しい口調で命令した。その手に持つ白銀の杖の先をナナキたちに向けた。
兵士たちの目は明らかに敵意を宿している。それは腕の中の少女だけでなく、ナナキに対しても同じく向けられていた。
ここで言い訳したところで、はいそうですかと納得してもらえる雰囲気ではない。だからと言って、逃げたとしても何の解決にもならないことは明らかである。
ナナキが諦観の念で事の成り行きを見守っていると、同じく逃げ遅れたらしい男がナナキにだけ聞こえるように小さく、だがのんきな調子でつぶやいた。
「えーと。これおれも巻沿い決定?ていうか兄ちゃんその子とお知り合い?」
「・・・むしろ俺が聞きたいくらいだよ」
思いもよらぬところでとんだ騒動に巻き込まれたナナキの心境は最悪としか言い様のないだった。




