慈しむような微笑みを
『ふふ』
突然スキアーが小さく笑い声をあげた。その顔は先程と同じ母のような柔らかい笑みだった。
「どうしたんだ?」
脈絡なく笑い出したスキアーにナナキが問いかける。するとその表情を崩さぬままスキアーが訳を話した。
『ふふっ。すまぬ。つい声が漏れてしまった。今ライラの願いを今しがた聞いてな。人の真似事をして幾千年、このように内面が思わず外に出るとはな』
スキアーは浮かれた様子でそう告げた。貴婦人のような振る舞いとその容姿ゆえに祭りに浮かれた町の住人とは比べることはできないが、その様子を言葉で表すとそうとしか言い様がなかった。
聖霊特有とも言える“言葉の足りなさ”についてよくわかっているナナキはスキアーの言いたいことを理解し質問を投げかけた。
「誓約が成立したのか?」
今現在ナナキと言葉を交わしているのはスキアーの写し身である。よってスキアー本体にもナナキとの会話は伝わっているのと同時にこちらのスキアーにもライラとの会話が伝わってきている。
『ライラの誓約を確かに受け取めた。ふふ、そなたとの話とはまた違った願いじゃった。そなたは気づいていたのか?ライラの本当の願いを?』
スキアーの言葉に特に驚くこともなく応えた。
「あんたはライラから本当の願いを聞いたのか」
『わらわはずっとライラの心の近くにいた。ライラ自身その意思を持っていてすでにその心には唯一無二のこたえがあった。ただ幼く優しいがゆえ口に出すことができなかっただけじゃ。それも仕方なきこと。あの子はその境遇ゆえ我儘というものを知らぬ。我儘が過ぎるのは良くないがそれは時として大事なものじゃ』
胸を張って語るスキアーはまるで溺愛する娘の話をしているような風である。そんな様子にナナキはスキアーと対面してから初めて微笑みをうかべた。
「ライラはあんたにそれを言えたんだな」
『当然じゃ。人間で言うところの年の功といったところじゃろうか。慣れ親しんだ者や、自分に近しい存在よりもまるで異なるものの方が話しやすいこともあろう?』
どことなく無邪気な笑顔を向けてくるスキアーにそうだなとだけ答える。
ナナキは初めに望みを聞いたとき、ライラが何か別の願いを持っていたのは誰が見ても明らかだった。言葉にできなかった願いを誓約に捧げた。それはライラが自分を抑えず願いを叶えようと決意した証拠だ。だからスキアーは満足そうに微笑んだのである。
『わらわはこれからずっとあの子とともにその道を歩んでいくのだ。そなたに詫びることはしないが最大級の敬意を払うつもりじゃ』
ナナキは否定も肯定もしなかった。今スキアーに対して言うべきことは何もないと思ったからである。詫びられる必要性はもとより感じていなかったし、スキアーなりの気遣いを無にする気もなかったからだ。
「それはありがたいね。あの書物に書かれた聖霊そのままだったら今後の付き合い方に悩まされるところだ」
ナナキは何か思い出したように盛大に息を吐いた。書物とは当然スキアーのことを書いたものだ。
『ふむ。先程、恨み言が書いてあるといったがよほどひどく書かれたようじゃな。確かに昔のわらわはまだ人間というものをよく知らなかったからの。人間からするとあまり良いと言えない振る舞いをしたかもしれんな』
スキアーも同じように何かを思い出すかのように考え込んだ。
「まぁ、あの書物は他の文献と照らし合わせたけど契約や戦争の背景などの重要な部分以外はちょっと私情が挟まれすぎて本当かどうかわからなかったが・・・。文中に小悪魔とか女王様という単語が出てきすぎて初めはただの怪しい日記かと思ってうっかり素通りするところだったぞ」
ナナキは嫌そうにそう告げた。
その書物はとある遺跡の小部屋で発見したものであった。地下にあった相当古い遺跡でナナキは学者としていつになく好奇心をそそられていた。そんな遺跡で発見されたのだから当然中身に期待を寄せるのは当然のことであった。だが最初の1ページ目で手酷い裏切りにあった気分になった。
期待を寄せていた書物の書き出しは“あの小悪魔め!”だった。そして始めの数ページにわたり愚痴というにも哀れな心情が綴られていた。
期待を裏切られたことへの落胆よりも、読むごとにいたたまれない気分にさせられる文章にそのままそっと土に返そうかとも思ったつかの間、書物あいだから古ぼけた一枚の栞がするりと抜けて床に落ちた。
その栞を拾ってみると思わぬことに元初スキアーの名が記されていた為、捨てずにそこから持ち出したのである。つまり栞さえなかったらスキアーの事など知らず今このような会話をすることもなかっただろう。偶然とは恐ろしいものである。
しかしナナキにとっては、そのことよりもその書物に書かれたスキアーの傍若無人ぶりが酷かった。ライラに色々話した理由はそこにあった。もし書かれた通りの聖霊であったのならかなりの用心が必要であったからだ。
書物が盛大に誇張されていたのか、それとも長い年月でスキアー自信が人間への理解を深めたのかどちらかは定かではないが幸い今目の前にいるスキアーはその書物に書かれたスキアーとはまるで違う。
人間と外れた思考をしている部分は当然あるとしても少し話しただけでもそれはわかった。
そんなことを考えているナナキの前でスキアーはまだ考えていた。
『そういえばわらわのことをそのように称した者がいたような。だがその書物が記された頃は特にそういったことは言われた覚えわない気もするが?まぁ、日記というものは心の内にしまった本音を映し出すこともあるだろう。奥ゆかしいことだ』
日記というものをいささか誤解しているような発言である。
そしてその感想も意味不明だがスキアー自身は自分への評価はあまり気にしていないようである。
聖霊は人間同士の心の機微をあまり気にするということがない。それは、聖霊が言葉にはしない思いを感じる力があり、聖霊自身は思いを偽ることはない。
たぶんそういう性質があって、本音と建前を使い分けることを“奥ゆかしい”と表現したのだろう。
スキアーが人間であったならその日記が見つけられてしまった時点で日記の持ち主との関係は泥沼であろうことが容易に想像出来る。
「あんたたちの大らかさに人間は救われてるんだろうな。気づく人間は少ないかもしれないが」
巨大な力を持つ聖霊たちがこれほど大らかでなければ人間などとうに滅亡しているだろう。そういう意味で呆れたようにナナキは笑う。
『どうなのだろうな?わらわ達はただ思うがままに過ごしているだけだしのう。人間と触れ合うのはとても面白い。ずっと触れ合ってきた血筋は特にな。いや、これは愛しいと言うものか?ふふ、人間の思いは感じその思いの強さも感じ取れる身だがその中身を本当に理解するというのは難しい』
難しいと言いながらそれを言葉にするスキアーの口は常に弧を描いている。たわいのない雑談のように話すスキアーと同じ調子でナナキも肩をすくめて言葉を返す。
「それは人間同士でも難しい話だ」
『そうか。だがやはりどうしても越えられぬ壁というのがある。人の身であれば当然持つであろう欲求を持たぬわらわ達には、それを渇望する心に寄り添うのは難しい』
「でもあんたたち聖霊はそれでも人間に寄り添うのをやめない」
『そうじゃ。人間風に言えばそれはわらわ達聖霊が己に課された“命題”じゃ。死の概念なきわらわ達が言うのは矛盾しておるが。』
スキアーはまさに談笑というのがふさわしい様子でそう語る。
「じゃあ、俺も今からその命題に含まれるわけか」
『そうじゃな。言葉を交わすごとに真意がつかめぬそなたには教わることは多そうじゃ』
ナナキの言葉を合図にしてスキアーは一言告げたあと手を前に差し出した。
その手に現れたのは黒く輝く光のかけら。
『これがライラの命とわらわを結ぶ“血の楔”じゃ』
その名とは裏腹にそれは静かに優しい光を放ちナナキの目の前に揺らめいている。
『くどいというかもしれないがここは人に習って最後にもう一度聞いておこう。そなたはこれを受け入れる覚悟はあるか?』
その言葉はスキアーの優しさであるとナナキは知っている。聖霊は人とは違う。けれどそれは何も感じないというわけではない。きっとここでナナキがやめるといっても何も言わないだろう。ナナキは困ったように笑った。
「あるよ。ありがとうスキアー」
そう応えたナナキの言葉の真意をスキアーが理解したのかどうかわわからない。けれどスキアーは同じ言葉を返した。
「ああ。ありがとう」
強い光が放たれた。
強く優しい光はナナキの胸の前で小さくはじけた。
はじけた光はナナキの前で消えてなくなる。
まるで始めからなかったかのようにあっさりと。
そして契約は交わされた。まるでそれが命のやりとりとは思えないほどあっさりと。
そしてそれを交わした本人たちは変わらぬ笑顔を交わした。当事者であるはずの。少女の知らぬところで。




