ひとりの少女と聖霊アルポスの気まぐれのお話
それは戦乱後にわずかに残された書物に記されていた少女と聖霊の物語。
昔々、長い戦争がやっと終わった頃、世界を旅をするひとりの少女がいました。戦争が終わったばかりの世界はまだ平和とは程遠いもので、旅をする者などは本当に珍しいものでした。
少女は一見小さくとてもか弱い姿をしていましたが、それは見た目だけで実際は大の男を相手にしても劣らないほど強くたくましい精神を持っていました。その上少女は人懐こく気立ても良かったので訪れた土地では歓迎を受け、去るときには多くの人に引き止められるほどでした。少女ははただの人ではありませんでした。
少女は元初聖霊に誓約捧げた聖霊術師でした。そんな少女の旅の目的はただ一つ。
幼いころ生き別れた兄を探すこと。
では、少女がどうやって聖霊術師になったのか。
はじまりは少女が物心つくかつかないかという頃のことです。
戦争が終わってもしばらく残された大地の傷跡は深く、その戦争の産物の一つに戦災孤児という存在がありました。国が滅び、新しい一つの国ができ、町や村にわずかながらも食べ物がもたらされましたが、すぐに大陸全てに行き届くほどのものではありませんでした。
当時はまだ孤児院などというものはなく、戦争で親、兄弟、そして家を失った子どもたちがそこかしこに溢れていました。少女も例に漏れず親はなく、さらに親の亡き後に自分を育ててくれた年の離れた義兄とも離れ離れになりました。そして荒地をさまよい飢えに苦しみながら日々を過ごしていました。
多くの人は自分たちが生きていくので精一杯で、見ず知らずの子どもに施しを与えられる余裕などまるでありませんでした。ですから少女は食べ物が手に入らない日が続いた時には木の根を食べて、夜は森の洞窟に身を寄せて眠りどうにか生きていました。少女にとって生きることは苛酷でしたがそれでも必死で生きようとしたのはひとえに兄の存在があったからでした。少女にとって兄は何よりもかけがえのないもので、その顔も声も日々過ごすうちに薄れていくものの会いたいという気持ちは薄れることはありませんでした。
その後、数年間は酷い生活を送っていましたがなんとか働ける年になり、町で仕事を見つけ前よりはましな生活を送ることができるようになりました。いつか兄を探しに行こう。そう思って必死に働きました。
しかし、やはり少女が一人で生きていけるほど優しい世界ではありませんでした。ある時少女のもとに流れ者の盗賊が現れたのです。
その時少女はもう何も考えることができませんでした。けれど盗賊の一人が振り下ろしたナイフみた瞬間、頭の中にある人の顔が思い浮かんだのです。それはもう朧げにしか覚えていなかったはずの兄の顔でした。その時、少女の瞳から涙が溢れました。
けれどそれは死への恐怖からではありません。頭の中でただ一つ鮮明に浮かんだのは兄の笑顔。
もう会えない
少女にとってそれが何よりも悲しかったのです。
しかしそんな少女の思いなど関係なく盗賊が振り下ろした刃が少女に振り下ろされその身が貫かれました。
少女の命はそこで尽きるはずでした。しかし、思いもよらないことが起こりました。初めに声を上げたのは少女を貫いた盗賊でした。その声は悲鳴に近いものでした。なぜ悲鳴を上げたのか?
それは目の前に信じられない光景が広がっていたからです。
少女を貫いたはずのその刃が朽ち果てた木のようにもろく崩れ落ち、さらにはあたりの植物がまるで少女を守るかのように急激に成長し、のびたツルが盗賊たちに襲い掛かりました。それに驚いた盗賊たちは剣でツルを切ろうとしましたが、全く太刀打ちできず最終的には少女のことなど眼中になく慌てて逃げていきました。
残された少女には傷ひとつありませんでした。何が起こったかわからなかった少女はただ惚けたまま自分の身を包む大きな葉にそっと触れました。
すると突然小さな笑い声が聞こえてきました。
ぼんやりした頭で少女が声の主を探して目線を揺らすと目の前に現れたのはなんと少女自身でした。
正確に言えば体中から植物の芽を生やした少女と瓜二つの顔をした子どもです。驚く気力ももうなかった少女はわずかに目を瞬かせ子どもを見つめました。
目が会った瞬間子どもは静かに微笑みました。それは自分と同じ顔なのに随分違いどこか兄に似た微笑みで、少女は無意識に目の前の子どもに手を伸ばしました。
すると少女の耳に不思議な声が聞こえてきました。少女は直感しました。この声は目の前の聖霊の声であると。そして聞こえてきた声はこう言いました。
『あなたの願いと釣り合う価値のあるものはなんですか?』
柔らかい声に少女はなぜか何の疑問も思い浮かびませんでした。ただその言葉に一言答えました。
“私の全て”
少女の言葉はその聖霊に対する誓約でした。
その言葉にとても満足気な笑顔を浮かべた聖霊は少女に木の実を差し出しました。少女がその木の実を受け取るとそれは少女の手に溶け込みました。
そして聖霊はまた訪ねてきました。
『願いを叶えるためにあなたはその身に何を望みますか?』
その言葉にも少女はすぐに答えを出しました。
“力が欲しい。誰にも負けない。兄に会うまで絶対負けないように”
少女のいう力は腕力などではなく生き抜くための力のことでした。けれど聖霊は人の機微に詳しくなかったので少女の全てと釣り合うだけの様々な“力”を貸し与えることにしました。
その聖霊はカルポスという樹の聖霊でした。自分の聖霊域から出ず、人に干渉することはなかった聖霊であるカルポスは何を思ったのか自分から少女を救い誓約を促したのです。仲間たちにとってはありえない珍事だったことでしょう。
そしてこの時を持って新たに誕生した聖霊術師の少女は町を捨て旅に出ました。それは兄を探す旅です。
誓約を捧げたアルポスは少女が迷わないように道導となり、盗賊に襲われた時にはその力を貸して退け、食べ物がないときどこからともなく果実などを生み出し少女に与えました。
少女は願いを叶えるために自分の全てをかけていいと思っていました。そしてアルポスはただ少女の旅にあくことなくついていきました。まるで母のように少女の行く末を見守りました。
その後、彼女が兄を見つけられたかどうかは誰も知りません。
けれど少女が柩に収まるその時までその傍らには聖霊アルポスがいたと言われています。




