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聖霊域と影聖霊

 目の前に現れたのは薄暗い空間だった。僅かな光でうっすらと自身が見える程度である。なぜこんなところにいるのか。答えは簡単。ヴェントゥスが有無を言わさず聖霊域に二人を吹き飛ばしたからである。連れてきたのではない。文字どうり吹き飛ばしたのである。


『どうしたんだい?急いでいたんじゃないのかい?』


 どこからともなくヴェントゥスがそう言葉を発する。


「お前・・・誰のせいだと思ってるんだ」


 暗闇の中うなだれながらナナキはふつふつ湧いてくる怒りを抑えつつそう返す。

 百歩どころか一万歩譲って運んだことは良しとする。しかし本題はそこではない。聖霊域というのは簡単に言えば聖霊の力の塊のようなもので、その周りは外界を遮断する聖霊膜というもので覆われている。

 それゆえ同じ物で構成されている聖霊以外は通ることができないようになっている。つまり人間も通れない。そんな場所を無理やり通るとどうなるか。通った瞬間その体は聖霊の力に耐えられず消滅する可能性が高い。

 

 ライラはナナキの封印によって体を聖霊によって包まれている上、聖霊術師でもあるのでよほどのことがなければ聖霊の力に害されることはない。しかし、ナナキは違う。聖霊に好まれる体質であるが普段は封印している。ライラのように聖霊ではなく道具で封印しているので言ってしまえば普通の人間である。


 本来無事なはずがないのにナナキはなぜか無傷だった。それについては色々な仮説は立てられるがあくまで仮説なので憶測の域を出ない。しかし、それなりに詳しい知識を持ったナナキにとってはこれが生死を分ける体験であったということが分かっているので、生きた心地がせず嫌な汗が流れた。


 しかし、そう思う一方で仕方がないという思いもあった。

 聖霊は意志の疎通のために人の言葉を解するが、根本的には全く異なる概念に生きる存在なのでどうにも話の噛み合わない部分が出てくるのである。彼らには”死”という概念はない上、消滅することはあるがそれに対する恐怖というものを持っていない。


 ヴェントゥスに至っては話しているとあまりに人間臭いので、分かっていてもついつい反論したくなってしまうが、それは殆ど人間の模倣であるので人間にとっての“当たり前”を押し付けても意味はないのである。


『ナナ坊、今気配を探ってみたんだけどさっきのやつもういないみたい!まったく不法侵入した上にお邪魔しましたの一言もないわけ?失礼しちゃうわ!』


 怒った口調でなんともずれた発言をするヴェントゥス。普通不法侵入して「お邪魔しました」などと言う奴はいない。むしろそんなこと言う奴はの方が逆に腹立たしい。


「お兄ちゃん達無事なの!」


 唐突に聞こえてきたのはライラの声。それなりに近い場所にいるようである。


『イーヴァの気配はハッキリするわよ』


「まぁ、イヴが無事なら。アシュレイも無事だろう」


「本当?」


 若干不安そうな声で聞き返すライラに頭を撫でてやれない代わりに、ナナキはライラが安心するようになるべく優しく声をかけた。


「イヴは正義感が強いからな。何かあったら必ずアシュレイのことを優先するだろう。イヴが無事だというならアシュレイが無事でないわけがない。大丈夫だよ。安心しな」


 そう告げるとほっと息を吐く音がした。どうやら納得してくれたらしい。ナナキは若干大げさに言いすぎた気もしたが丸く収まったのでこれはこれで良しとしておこうと思った。とりあえず一番の心配事が消えたので急ぐ理由もなくなり気持ちに余裕が生まれる。


 ナナキはどうせこの薄闇の中では進めないと判断し、とりあえずライラのもとに行くことにした。


「ライラ。ちょっと手をたたいてみてくれ。音を頼りにそっちに行くから」


「うん、わかった!」


 ライラはナナキの言うと通りパンっと手を打つ。音は声と同じく意外に近く、3回ほど叩くとナナキの前に薄ぼんやりとライラの姿が見えた。


「良かった!」


 やはり心細かったらしくナナキの姿が見てライラがその腰に抱きついた。ナナキがぽんぽんと背中を叩くと顔を上げて柔らかく笑う。


「無事でなによりだ」


「うん!ナナキお兄ちゃんも無事でよかった」


 互の無事を確認したあと、ライラがナナキに問いかけてくる。


「ここってもしかして聖霊域なの?」


「そうだ。よくわかったな」


 意外な言葉にナナキが若干目を見張るとライラは何か困ったような顔で言葉を探す。


「えっと、なんて言ったらいいのかな?なんだか黒いモヤが出てた時と似てたから」


 ライラの言葉は拙いがナナキはその言葉からあることを察した。


「もしかしてこの薄闇はライラの聖霊か?」


 先日も確かに黒いモヤをまとっていたライラだが身動きが取れなくなるほどではなかった。この薄闇に包まれた瞬間そうではないかという予感はあったが、ナナキはイヴのように気配を感知する術を持っていないので確信はなかった。


『元初スキアーだわね。眷属以外の聖霊がここに入ったのって何年ぶりかしら?』


 相変わらず呑気なヴェントゥスが発した言葉にナナキは驚いたように目を見開いた。


「元初スキアーってお前と同格の聖霊じゃないか。ちゃんと実体化しないから眷属の聖霊かと思っていたが。それにしてもやっぱりライラの封印は解けてるのか」


「スキアーってなに?」


 ライラがまた出て来た新しい単語に首をかしげる。


「さっき聖霊には格があるっていっただろう?それ以外にも種族があるんだ。スキアーはその一つ。別名〈影聖霊〉といっての影さえあればどこにでも現れる。そして元初っていうのはその種族の祖。つまり一番初めに生まれた格の高い聖霊ってことだ。元初聖霊以外はみんな眷属聖霊って言うんだ」


 ナナキがライラの力の封印のために力を借りたのはその眷属である。眷属では元初を封印できないはずなのにとナナキは疑問に思ったが、それに応えを出せる材料は今ないので、それについての追求は後回しにしようとナナキは思考を切り替える。まずはライラの聖霊をどうにかするのが先決である。


「スキアーさんはヴェントゥスさんみたいな聖霊さんなのかな?」


 ライラの無邪気な発言に一瞬思考が止まる。ナナキの頭の中でヴェントゥスが二人(?)いる光景が浮かんだ。何とも言えない残念な感じである。


「・・・いや、それはどうだろう」


 ライラはヴェントゥスに対して驚いたりはしているが特に嫌がる様子はない。ナナキとて嫌ってはいないがヴェントゥスのようなのが増えるのはゴメン被りたいと心の底から思っている。


『スキアーってあんまり会ったことなかったのよねー。最後はなんかの戦争だったかしら?でもあいつほど人間に近かった聖霊もいなかったわねぇ。まさかまだ誓約を受け入れたままなんて。一体どんな誓約を受けたのかしら?』


 珍しくため息混じりにヴェントゥスがこぼす。


「昨日イヴお姉ちゃんも誓約って言ってたけど、誓約ってどんなもの?」


 昨日から色んな話を聞いたがそう簡単に理解できるような内容ではなく、初めて聞く言葉も多くてライラの頭の中は今も疑問でいっぱいである。1度説明されたもののなかなか理解が進まない。年齢から考えれば当然のことである。先程ナナキになんでも聞いていいと言われていたので、素直なライラは思いついた疑問を遠慮なくどんどん口にしていた。


「簡単に言うと誓約っていうのは、大昔に聖霊に遭遇した人間が力を貸してもらうためにした約束ごとだよ。もっと平たく言うと“私はこの約束を守るので力を貸してください”っていう感じかな」


「えっと、お手伝いするからおやつをくださいみたいなの?」


 微笑ましいた例えにナナキは思わず笑をこぼす。調度いいのでそのライラの例えをもとに説明することにした。


「まぁ根本は間違ってはいないかな。ライラはおやつで何が好きだ?」


「クリームケーキ!」


 ライラが酷く嬉しそうな声がする。よほど好きなのだろう。ここでいうクリームケーキというのは上流階級で食されるやわらかなスポンジケーキではなく、砂糖を加えた柔らかいパンにすり潰した木の実を加えたバタークリームを塗ったものである。多くの一般家庭ではそれが主流であった。さらに言えばライラの場合は小さな村の孤児院で育ったのでそれ自体も食べられることのほうが稀であっただろうと思われる。


「じゃあそのクリームケーキをもらう代わりに何かお手伝いをするとする。ライラならどんなお手伝いをする?」


「うーん」


 ライラはまるで本当にもらえるかのように真剣に悩んでいる。


「森で薬草をたくさん探したりかな?そうじゃなかったら・・・」


「花瓶の水を換えるのじゃダメか?」


 ナナキがライラの考えに敢えて口を挟むとライラはとんでもないと言わんばかりに激しく首を振る。


「それじゃ、絶対無理だよ!」


「そうだな。そのくらいじゃもらえないな。つまりはライラがおやつに欲しいクリームケーキは簡単なことじゃもらえない価値のあるもので、それ相応のことをしないといけない。誓約も同じ。欲しいものにふさわしいものを差し出さないといけない。じゃあ今度はある聖霊術師の話だ。ちょっと長いけど今のライラには必要な知識だと思う。なに、おとぎ話に近いもんだから難しく考えず聞いてくれればいいさ」


 ナナキの言葉にライラは期待のこもった眼差しを向け頷く。その様子に満足したナナキは自分が知る聖霊術師の話を語り始めた。


 お話の始まりは神話の時代。ある女の子と気まぐれな聖霊が出会うところから始まりました。


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