憑かれやすい
「……煙草」
吸いたい。無性に。
「あかん。我慢して」
優しく叱られた。「くそっ」と小さく舌打ちをする。
仕方がないので、煙草は我慢することにした。
悪いと思いながら、夜一に体重をかける。そうしないと歩けない。灼を支えられるのか、という懸念があったが、それは大丈夫らしい。
……まぁ、いくら細身といっても、一応はコイツも男だしな。
そんなことを考えていたら、意識が朦朧としてきた。ちょっと、ヤバいかもしれない。
「……んだよ、コレ」
唸るように言うと、夜一がまじまじと灼の顔を見た。
「灼くんって、ほんまに強いんやなぁ」
「あ?」
「この状況になっても、まだ自我があるし。なにより怒ってる」
「普通、怒るだろ」
こんな状況だ。怒りしかない。もともと、頭に血が上りやすい性質ではあるけれども。
「怒りの感情があるうちは、まだ平気やな。喜怒哀楽のなかで『怒』が、一番強いから」
「……もし『怒』がなくなったら、どうなるんだ?」
「あっという間に『哀』だけになって、そのうち感情がなくなって。それでな、取り込まれるねん」
「取り込まれる……?」
ふいに、寧々の両親の姿が頭に浮かんだ。
別人のようになっていた。虚ろな目をして、感情をなくしたようだった。
夜一に説明すると、深刻そうな顔つきになった。
「……その様子やと、かなり早い段階で自我を失ったんやと思う」
夜一が慎重に話している。そうか、寧々に聞かせたくないのだ。
マンションの敷地を出ると、少しだけ呼吸が楽になった。
「灼くんって、憑かれやすい体質なんやな」
「そうなのか?」
「え、もしかして自覚ないん? これまでも色々視えてたやろ?」
夜一が、ちょっと驚いたように言う。
「幽霊を視たのは、寧々が初めてだ」
それ以外にも、おかしな事象に遭遇したことはない。だから今でも、幽霊だとかその類のものを「胡散臭い」と思うのだ。
「なるほどーー! じゃあ、寧々ちゃんに憑かれたのがきっかけで、灼くんは視えるようになったんやな。能力が開花したんや!」
夜一の表情が、ぱあっと輝く。まったく嬉しくはないのだが。不要すぎる能力だ。
「そんなことが、あるのか?」
「何度か、そういう事例を聞いたことがあるで」
憑かれた影響を受けるらしい。体質が変わるようなものだという。
「さっき、マンションで分裂したやつが灼くんに吸い寄せられてたけど。それは視えてへんかった?」
「あぁ……。そんなに、いたのか? というか、お前だって視えないんだろ? 何で分かるんだよ」
「気配やで」
またそれか。
「このマンションには、分裂したのがうじゃうじゃおるねん。その無数のやつがな、うれしそうに灼くんに纏わりついてた」
「……マジかよ」
想像したらゾッとした。灼の体から血の気が引いていく。
「もうな、敷地に入った瞬間からすごいことになってたで」
ちょっと興奮したように夜一が言う。
「そういうことは、早く言えよ!」
知ってたら、一歩たりとも敷地内には立ち入らなかったのに! 本当に、コイツはムカつくな!
夜一の肩に回した手で、思いっきり髪を引っ張る。
「いたっ! もう、やめてよぉ」
「うるせぇ」
気にせず、ひとつに結った髪をぐいぐいと引っ張った。
「……寧々ちゃんも、やめてって言ってるで?」
灼の手が、ピタリと止まる。
途端に、夜一が「ふふん」と笑う。
「くそが!」
「とりあえず、ホテル行こっか」
「はぁ?」
なぜ急にホテルなのだ。意味不明すぎて疲れる。
「駅前にあったやんな?」
「格安のビジネスホテルだったらな」
「高くても、おれは良いで? 払うんは灼くんやもん」
「なんでだよ」
「依頼人は、灼くんやもん」
夜一のにこにこ顔を見て、灼は力が抜けた。そういえば、東京までの新幹線代も灼が支払った。
「このマンションには、もうおられへんやろ? とりあえず、住処は必要やん」
……それは、確かにそうだ。
灼は、少しだけ歩く速度を速めた。
「ちょっとは、元気になったん?」
「まぁ」
ひとりで歩行するのは困難だが、だいぶ楽になった。マンションから距離を取るにつれ、体が軽くなっていくのが分かる。
「灼くんは、憑かれやすいけど強い。変わったタイプやなぁ」
しみじみと夜一が言う。まったく嬉しくはない。
「……ちなみに、今ってどれくらい憑いてるんだ?」
自分では分からない。灼は、気配を感じることができないのだ。
「んーー、たぶんひとつ。神戸まで憑いて来てたやつ。もしかしたら、分裂した核の部分かもしれへん。一番、力を感じるから」
「ふぅん」
灼とは違って、夜一は色々と感知できるようだ。
「もともとは一体やけど、それが細分化していって。それが今は、マンション中で浮遊してる」
「マジで、あのマンション何なんだよ」
「正確には、マンションというより土地のほうやな」
「土地?」
……そういえば、花壇の花はすべて枯れていた。
「あそこは、忌み地や」
「いみち……?」
何だそれは。
灼には、聞き慣れない単語だった。




