枯れた花
「うーーん、これは思ったよりも凄いなぁ」
マンションを見上げながら、夜一が身震いする。
よく見ると、彼の二の腕には鳥肌が立っていた。どうやら、状況は芳しくないらしい。
灼が夜一を連れて東京に戻ったのは、すでに陽が落ちかけている時分だった。
最寄り駅から徒歩でマンションに向かっていると、夜一が「灼くんのマンションって、あっちやろ」と指を差した。まさしくその通りだったので、なぜ分かったのか訊いてみた。
「気配を感じるから」
そう言って、眉根をきゅっと寄せた。
マンションが近づくにつれ、夜一は「うわっ」「うそやん」「あかん」という、芸人並みのリアクションを見せるようになった。
黙っていれば夜一は、この世のものとは思えないほどに美しい。ゾッとするくらいに美形だ。
しかし、コテコテのオーバーリアクションのおかげで彼が間違いなく現世の人間だと判別できる。
ちょっと動きがコミカルなだけで、ごくごく一般的な人間だ。
……いや。幽霊が視えるし、おまけに会話もできるから、普通の人間とは少し違うかも。
マンションの敷地内に入ると、すぐに部屋に向かうことなく、彼は周辺をうろうろと歩き回った。仕方がないので、灼も夜一のあとを付いて歩く。
建物の周囲をぐるりと移動して、エントランス付近に戻ってきた。
「灼くん、これ見て」
夜一が、しゃがみ込んでいる。
「なんだよ」
背後からのぞき込むと、そこには花壇があった。
「……花か」
どれもこれも萎れている。綺麗に咲いている花はひとつもない。
「このマンションは管理が杜撰なんだよ。どうせ、水やりをサボってるんだろ」
灼が呆れたように言うと、夜一は首を横に振る。
「土は湿ってるねん」
どうやら、手入れはされているらしい。夜一は熱心に土を触っている。
「……だったら、なんで枯れてるんだ?」
「根腐れするみたいやなぁ。この場所では、ちゃんと育たへんみたいや」
数か所、掘り起こしている。
しばらくそうしていたが、気が済んだらしい。手に付いた土を払いながら夜一が立ち上がる。
「さて。じゃあ、灼くんの部屋を見に行こう」
「……あぁ」
夜一に促されたが、気乗りしない。自分の住処だというのに、近づくのも嫌だ。拒否感というのか、何としても部屋に入るのを回避したい感情が渦巻く。
今朝、神戸に行くまで、ごく普通にこの場所で生活していたのに。
たぶん、このマンションにいわくがあると知ってしまったからだろう。
鍵を開けて、玄関でのろのろと靴を脱いでいるあいだに夜一が先を行く。すたすたと部屋の奥に侵入した。
「おい! 他人の部屋に勝手に入るなよ」
「え? 鍵開けてくれたやん?」
廊下の突き当り。リビングのほうから、夜一がひょっこりと顔を見せる。
「普通は、家主の後ろを付いてくるもんだろが」
「だって灼くんが、ぐずぐずしてるんやもん」
のろま扱いされた。夜一に。ド派手チャイナシャツに。灼のこめかみが、ピキピキと反応した。
「灼くんは綺麗好きなんやな」
あちこち見回しながら、夜一がつぶやく。
彼の言う通り、殺風景な部屋だ。ミニマリストというわけではない。単純に、灼が物に興味を持てないだけだった。
「誰かさんの事務所は、物で溢れてたな」
嫌味っぽく言ったが、夜一には届かなかったらしい。
「なるほどなぁ」
点検するように部屋の中を歩きながら、ひとりで納得したように頷いている。
「何が分かったんだよ」
天井を見たり、壁に手を当てたり、床に顔を近づけたり。
「おい、無視するなよ」
全ての部屋を確認すると、まるで宣言するみたいに、夜一が「よし! 分かった!」と言った。
「だから、何がだよ」
「この部屋を出る!」
「はぁ?」
本当に意味が分からない。
釈然としないまま、夜一の後を追った。
夜一は、颯爽と部屋を出てエレベータに向かう。
どうなっているのか、まるで分からない。置いてけぼりを食らったようで苛立ちを覚える。
最上階まで上って共用廊下を歩く。端から端まで。
そうして、階段を使って下の階に行く。
また、端から端まで歩く。階段を使って下りる。その繰り返し。
一階まで下りたところで、とうとう灼は我慢の限界に達した。
「いい加減にしろよ。こっちは意味が分からねぇんだ。一体、何がどうなってんだよ? あぁ?」
思いっきり夜一を睨む。彼の腕を掴み、捻り上げようとした。……のだが。
夜一の腕があまりにも華奢で、怯んでしまった。力を入れたら、簡単に折れてしまいそうだ。
「ちょっと、分かったで」
腕を掴まれている夜一は、特にそのことを気にした様子もなく灼を見上げた。
「分かった?」
「うん。でも、それより……」
「何だよ」
「この場所から離れるのが先やな。灼くん、そろそろあかんやろ?」
あかんって、何がだよ。
そう思った瞬間、ガクンと体の力が抜けた。立っていられない。平衡感覚を失っている。
ぐらぐらと左右に傾ぐ体を、夜一に支えられた。掴んでいたはずが、いつの間にかその腕に縋りついている。
「……くそが」
イラつく。何だよこれ。踏ん張ろうとして、灼は必死に足掻いた。
「おれに寄り掛かっていいから」
そう言って、夜一は自分の肩に俺の腕を回した。
「何とか、歩けそう?」
「……あぁ」
「大丈夫?」
癇に障っていた独特のイントネーションが、今はやたら優しく感じる。その事実にイラつく。




