還る
数日が経ち、シェアハウスは少しずつ落ち着きを取り戻しつつあった。それでも、青倉はホテル暮らしを継続している。さすがにあの部屋には、戻る気になれないようだ。夜一から八家不動産を紹介してもらい、安全な部屋への引っ越しを検討している。
意識を取り戻してから間もなく、灼は退院した。現在は夜一と共にビジネスホテル暮らしだ。神戸に戻っていないのは、夜一の祓い師としての業務が残っているからだった。
今日、その儀式を行う予定になっている。
「はぁーー、ソースが恋しい。そばめしが食べたいなぁ。老祥記の豚まんを口いっぱいに詰め込んで……」
ホテルからシェアハウスへ向かう道中、夜一が独り言を繰り返す。さすがに、神戸が恋しいのだろう。正しくは、神戸の「味」のほうかもしれないけれど。
「神戸ビーフにかぶりついて、天福茗茶のタピオカミルクティーをがぶ飲みして~~!」
早朝だというのに、凄まじい食欲だ。というか、ついさっきホテルの朝食バイキングでたらふく食べていた気がするのだが……。
ちなみに天福茗茶というのは、南京町にある中国茶専門店だ。一階では中国茶や茶器が販売されており、二階はカフェになっている。様々な種類の中国茶をはじめ、杏仁豆腐などの自家製スイーツがいただける。
店先にはタピオカミルクティーやデザートを販売するテイクアウトコーナーがあり、夜一はタピオカミルクティーがお気に入りなのだ。灼はこれまで、何度も買いに行かされている。
「……もう少しの我慢だろ。祓いの儀式が終わったら、神戸に帰れるんだから」
そばめしでも、豚まんでも、神戸ビーフでも、好きなだけ食べれば良い。
「そうやな! ごちそうが待ってると思ったら、なんかやる気が出てきたで……!」
トボトボ歩いていた夜一が、急に歩くスピードを上げた。なんという単純なヤツだろう。灼は思わず苦笑いした。
青倉の部屋に到着すると、夜一はさっそく儀式を始めた。
陶器に入った砂が、複雑な紋様を作る。綫香の火が香粉に移ると、なんともいえない匂いが辺りに立ち込めた。夜一が静かに念を唱える。
やはり、儀式を行うときの夜一は特別だと思う。魅入ってしまうというか。ついさっき、驚異的な食欲を見せていた人物と同じなんて、到底思えない。
結局、彼女……谷上結花は、自殺だと断定されたようだ。遺体は無事、両親の元に戻されたと聞いている。
彼女の願いは叶った。だから幽世へ旅立ったのだ。それなのに、灼の気持ちは晴れない。なぜなのか、自分でもよく分からない。若くして亡くなったからだろうか。彼女の意識に触れたせいだろうか。どちらにせよ、もうどうすることもできない。
ただ「安らかに」と、祈ることしか灼にはできないのだ。
一通りの儀式を終えてから、灼は夜一と共に部屋を後にした。
シェアハウスの敷地から出たところで、老夫婦とすれ違った。反射的に「あ」と声が漏れた。彼女の両親だと、すぐに分かった。間違えようがない。彼女の意識と重なり合ったとき、たしかに視えていたから。
老夫婦は、一階の角部屋に向かって手を合わせている。
気づいたら、灼は声を掛けていた。




