指切り
「お前が、こいつに命令したんじゃねぇのか」
あまりにもタイミングが良すぎる。
ぜぇぜぇと肩で息をしながら、なんとか身を起こした。そして、倒れ込むようにソファに腰を下ろす。
「おれが? そんなわけないやん。でも、分かったで」
「何がだよ」
「女の子の幽霊がおる」
夜一の言葉に、灼はビクリと反応した。
「暴力、嫌いみたいや」
「なんだと?」
「小さい女の子の声がするねん。その子がな、『やめて』って言うとる。『殴らんといて』って、悲しそうな声で言うとるよ」
……暴力。
そういえば、あの子の体には。
「日常的に、暴力を受けていた痕跡が……」
小さな体には、無数の殴られた跡があったらしい。
胸の奥が苦しくなって、思わず唇を噛んだ。拳を握り締める。
「もう殴ったりせえへんよ? うん、大丈夫。灼くんは、ちょっと怒りやすいねん」
急に、夜一が話し始めた。
「仲良しになるから、大丈夫やで」
灼に言っているのではない。
やたら口調が優しい。
まるで、小さい子に話すみたいな……。
「お前、まさか……」
目の前にいる夜一を、灼は信じられない思いで眺めた。
「話せるのか?」
「うん」
「視えないのに?」
「そうやねん。視えへんけど、会話はできるねん。気配も察知できる。これで姿形を確認できたら、もっとええねんけどなぁ」
腕を組みながら、おっとりした口調で「灼くんは、視えてええなぁ」と夜一が言う。
「その、灼くんっていうのやめろよ」
「名前で呼んだほうが仲良しやん?」
「仲良くなる必要ないだろ」
「寧々ちゃんは、そうしてほしいみたいやで?」
いつの間にか、名前まで把握している。
「灼くんは、恥ずかしがり屋さんやねん。うん、そうそう」
どうやら、また寧々と会話しているらしい。というか、誰が恥ずかしがり屋だよ。イライラする。
腕を組みながら、灼は夜一を睨んだ。
しばらくして、夜一は灼の手を取った。利き手の左とは逆。煙草を持っていないほうの手だ。
「なんだよ」
「指切り」
「はぁ?」
夜一が小指を絡ませてくる。
「ほら、寧々ちゃん。おれと灼くん、仲良しやろ~~! もう喧嘩したりせぇへんって、指切りもしてくれたで」
随分と楽しそうだ。
まったく馬鹿馬鹿しい。灼の苛立ちは、限界点に達しそうだった。
夜一をボコボコにしてすっきりしたくなったが、寧々がいるのでそうもいかない。思いっきり煙草を吸って、なんとか気持ちを抑える。
「それで、灼くん」
にこにこ顔の夜一が、こちらを見る。
「灼くんは、なんでうちに来たん?」
「青倉から聞いてないのかよ」
青倉が、遠縁の親戚に話をしてくれたのだ。そのツテを頼って、灼はここに来ることができた。
「詳しいことは全然」
夜一が、ゆるゆると首を横に振る。
「幽霊に憑かれた奴がして欲しいことなんて、ひとつしかないだろ」
「祓ってほしい?」
「……あぁ」
「それって、本心と違うやろ」
何もかも見透かしたような、彼の表情が嫌いだ。
「……どうして、そう思うんだ?」
「幽霊は、すごい敏感やから。憑いた相手のこと、よく理解してるねん」
夜一が、まっすぐに灼を見る。
その視線に、思わず怯みそうになる。
「灼くんは、寧々ちゃんを祓いたいと思ってない。それを寧々ちゃんは分かってるねん。灼くんがここに来るとき、寧々ちゃんは抵抗せえへんかったやろ?」
確かに、そうだ。
東京から神戸に来るまでのあいだ、灼の身には何の異変も起きなかった。
「灼くんは、なんでここにおるん? おれに、どうしてほしい?」
静かな声だ。凪のような。しんしんと降り積もる雪のような。
なんだか、急に胸の内を明かしたくなった。
「俺に、罰を与えたいんだと思う……」
「寧々ちゃんが、灼くんに?」
「あぁ」
きっと、殺したいほどに恨んでいる。
「声を、聞いて欲しかった……」
「こえ?」
「俺は聞こえないから。代わりに、聞いて欲しかったんだ。胡散臭いとは思ったけど、少しでも可能性があるなら行動しようと思った。……俺が、ここに来た理由だ」
確かめたかったのだ。少女の気持ちを。そして、詫びたかった。
「灼くんは、視えるけど会話はできひんのか」
なるほどぉ、と夜一が頷いている。
「恨んでないみたいやで?」
夜一が明るい声で言う。
「罰を与えたいとか、そんなことぜんぜん考えてへん」
「……そんなはず、ないだろ」
だったら、なんで首に手をかけてるんだよ。
「本人がそう言うてるもん」
そうだとしたら、なぜ俺に憑いている? 恨んでるからじゃないのか? 首を絞めて、殺したいんだろ?
寧々の意図が分からず、灼は困惑した。
「それより、灼くん」
「なんだよ」
「他のは、どうする?」
「……どうするって?」
何の話だ。
「他の幽霊」
「え?」
「寧々ちゃん以外にも、憑いてるで」
「はぁ!?」
夜一の指摘に驚いて、思わず声を上げた。




