行方不明者
「管理会社からの返答に、納得がいくはずもないだろう。たいていの住人は、この時点で退去を決めるそうだ。それでも『仕事が忙しい』とか『引っ越し費用が足りない』とか、他にも諸々ね。とにかく、なんらかの理由でその部屋に居続けると……」
「ど、どうなるんですか……?」
ごくりと息を飲みながら、夜一が問う。
「部屋中のあちこちから、一気に水が噴出して。溺れるんだそうだよ」
八家の言葉を聞いた瞬間、灼は後輩の顔が頭に浮かんだ。本当に、青倉が無事で良かったと胸を撫でおろす。
「お、溺れたひとは、どうなったんですか……?」
夜一が、遠慮がちに訊いた。
「幸いにも、まだ死人は出てないみたいだけどね」
八家の「まだ」という言葉に身震いがした。
「水が噴き出して、溺れる。息ができない。いつの間にか意識を失っている。そして、次に目が覚めたとき。どこにも水の痕跡は残っていないそうだ」
そう言って、八家がマグカップをふたつテーブルに置いた。「どうぞ」とすすめられ、灼と夜一はそれを手に取る。
「そういえば、行方不明になっている住人がひとりだけいるそうだよ」
「行方不明……。何年くらい前ですか?」
マグカップを両手で持ちながら、夜一が八家に質問する。
「たしか六年、いや七年くらい前だったかなぁ。最初の住人だよ」
大手商社に勤務する女性だったらしい。年齢は二十代後半。ある日、忽然と部屋から姿を消したというのだ。
なんとなく、灼はその人物のことが気になった。行方不明。あの部屋の、最初の住人。
手の中のマグカップから、ゆらりと湯気が揺れる。そっと口を付けた。淹れたてのコーヒーには、深い苦みがあった。
✤
「おれはな~~、最初の住人が怪しいと思うねんなぁ」
八家不動産を後にして、駅に向かう途中。夜一は「怪しい」と繰り返した。
「まぁ、俺もそう思うけどな」
灼も同意見だ。
「もしかしたら『呪詛師』かもな……!?」
夜一は、ハッとしたような顔になった。
「なんだよそれ」
「自分の欲望の赴くままに《呪い》の力を使う奴らのことやで」
「……へぇ」
「その《呪い》でな、商売をしとる不届き者もおるんや……! 許せん奴らやで!!」
夜一が語気を強める。
「……ふぅん」
現実味がなさ過ぎて、相槌が適当になってしまった。本当にそんなことが有り得るのだろうか。
「誰かに頼まれて《呪い》をかけたんとちゃうかな? すぐに住人が出ていくように仕向けて。あのシェアハウスの運営を妨害しようとしてる……? ということは、ライバル会社が怪しいな!」
夜一は、完全に「閃いた!」という顔をしている。
謎推理を聞かされた灼は、ガクッと力が抜けた。
「妨害したいなら、全室に《呪い》を仕掛けるんじゃないか? なんで、一階の角部屋だけなんだよ」
「そ、それは……。えっとぉ、その……」
閃き顔から一転して、夜一はしどろもどろになった。
横浜に戻ると、ホテルではなくシェアハウスのほうに直行した。もう一度、状況を確認しようということになったのだ。なにか見落としている点があるかもしれない。
最寄り駅に着き、改札を出ようとしたところで灼は足を止めた。構内の掲示板に、行方不明者の情報提供を募るチラシがあった。
顔写真付きで、氏名、性別、身体的特徴も細かく記載されている。
「灼くん? なに見てるん……?」
掲示物を凝視する灼の背後から、夜一が覗き込んでくる。
「この行方不明者、女だな」
「え? あ、ほんまや!」
夜一は驚いたように声を上げ、チラシを確認する。
失踪したのは、今から六年ほど前のようだ。行方不明当時の年齢は、二十八歳。シェアハウスで暮らしていたことが書かれていた。
おそらく、間違いないだろう。
「このひとが、最初の住人や……!」
夜一がチラシを指さす。
灼は、顔写真をじっと眺めた。色白で、長い黒い髪。前髪は綺麗に切り揃えられている。顔立ちは、これといって特徴はなかった。それぞれのパーツが小さく、印象に残らない。地味といえば地味だが、粗がないので美人とも捉えられる。そんな顔だった。




