境界標
数日先まで予定が埋まっていたが、なんとか調整して都合をつけた。そして、翌週には丹波に向かうことができた。
「助手がおるって、最高やな~~! 助手席でのんびりできるもん」
ハンドルを握る灼の隣で、夜一はのほほんと座っている。
「寛ぐなよ」
道案内くらいしろ、と肘で夜一を突く。
「だって、おれは運転が得意ちゃうし」
そう言って、夜一は寝る体勢に入った。すぐに静かな寝息が聞こえてくる。
今日は早朝から行動を開始している。寝不足なのだろう。灼だって同じことだが、夜一の表情に疲労が見えたので、彼を揺り起こすのを止めた。
この車のハンドルも、ずいぶん手に馴染んでいる。毎日のように運転しているからだ。出勤時と退勤時、夜一の運転手をしている。
彼が暮らす六甲山のアパートに、灼も厄介になっているのだ。ルームシェアというのだろうか。神戸に来てから慌ただしく、部屋を探す時間が持てていない。
夜一は、このまま灼との同居生活を希望している。運転手として使えるし、何より「住宅手当を節約できる」とニヤニヤしていたので、ドケチな彼としては都合が良いのだろう。
すやすやと眠る夜一を横目で見る。熟睡しているのを確認して、灼はアクセルを踏み込んだ。
高速を飛ばしまくったおかげで、かなり時間を短縮できた。このままいけば、到着予定時刻よりも、ずいぶん前に目的地に着ける。迷わなければ、の話だが。
灼は道路脇に車を停車させた。これから、いよいよ山道に入る。このままナビに従うと、行き止まりになると的形から言われている。少し前に崖崩れが発生し、道路が寸断されたままらしい。
回り道をする必要があるのだが、分岐点が分かりにくいという。石造りの古い境界標があり、それが目印ということだった。
マップを確認していると、夜一が目を覚ました。
「……もう、着いたん?」
目を擦りながら、ゆっくりと身を起こす。
「これから山道に入るところだ。まだ、寝とけよ」
「分岐点を見つけなあかんねやろ?」
「あぁ」
「おれが助手席側を見るから。灼くんは、運転席側を見てな?」
ぐいっと体を伸ばしながら、夜一が大きな欠伸をする。
境界標は小さく、雑草に埋もれている可能性もある。
「寝惚けて、見落とすなよ?」
肩を竦めながら少し笑って、灼は車を発進させた。
山道は、かなりの悪路だった。舗装はされているが、砂利が多くガタガタと車体が揺れる。道幅は狭く、突然カーブが現れるのだ。木々が生い茂り、日中だというのに薄暗い。さらに視界を遮るように、折れて垂れ下がった枝がフロントガラスを叩く。
いつ対向車が来るか分からず、灼は用心しながらアクセルを踏んだ。夜一は、車から顔を出して境界標を探している。
必要以上にスピードを緩めていたことが功を奏したのだろう。二十分ほど車を走らせたところで、無事に境界標を見つけることができた。
「あ! 灼くん、あったで!」
興奮した面持ちで、夜一が灼を見る。
「これが分岐点か……」
的形から聞いていた通り、境界標のそばに細い道があった。目印が無ければ、発見することは不可能だっただろう。枯れ草に隠れるようにして、未舗装の道路が続いている。
枯れ草をなぎ倒すようにして細い道に入った。大きく車体を揺らしながら進む。しばらくすると、夜一の顔色が悪いことに気づいた。
「どうした?」
「……嫌な感じがする」
灼は一度、車を停めた。ちらりと夜一の腕を見る。ぷつぷつと鳥肌が立っていた。
「気配がするのか?」
灼が問うと、こくり、と夜一は頷いた。
……これは、確実にいるな。
夜一の様子から察するに、確実に悪いモノだろう。どんな悪霊を視ることになるのか、考えただけでも憂鬱だった。憂鬱というより、はっきり言って恐怖に近い。できれば視たくない。許されるならUターンして、神戸に帰りたい。
……でも、ダメだ。
これは仕事で、灼は雇われの身なのだ。青い顔をしながら、それでも夜一は引き返す気はないらしい。
「ここから近いで。たぶん、もうすぐや」
夜一は、まっすぐ前を見据えている。
もうとっくに、というより最初から覚悟を決めているのだろう夜一を前にして、灼は自分を情けなく思った。
「……分かった。行くぞ」
煙草に火を付ける。思いっきり吸い込む。それから、ゆっくりと車を発進させた。




