方角
「なるほど、助手を雇ったんか」
ズズッと茶を啜りながら、仁川が灼を見る。
「繁盛してるもんなぁ。この事務所も」
「おかげ様で」
「もっと、かわい子ちゃんやったら良かったのになぁ」
ニヤニヤと笑う仁川を見て、カッと頭に血が上る。反射的に手が出そうになったが、かろうじて耐えた。でも、殴りたい。タコ殴りにして、事務所の窓から放り投げたい。
「何を言うてるんですか、仁川さん! 灼くんは、めっちゃ可愛いんですよ?」
夜一が真剣な顔で、ふざけたことを言う。
「どこがやねんな。こんなデカくて無愛想やのに!」
灼を指さしながら、仁川が豪快に笑った。
「まぁ、でも所長が『かわい子ちゃん』やからええか。いつ見ても、べっぴんさんやもんなぁ。やっぱり若くて可愛い子に話を聞いてもらうと、元気が出るわ~~!」
仁川の鼻の下が、だらしなく伸びている。夜一を見る目がシンプルにいやらしい。
……ここはキャバクラじゃねぇよ。
「もう、仁川さんは調子がええんやからぁ~~!」
照れた様子で、夜一が長い髪をかき上げる。
……おい。まんざらでもないって、どういうことだよ。
「それで今日は、どういったご相談で?」
とうとう我慢ができず、灼は口を開いた。夜一と仁川のやり取りがキモすぎて、これ以上は聞いていられない。
「今日は、家の方角についての相談に来たんや」
仁川の答えに、灼は「そうでしたか」とうなずく。やはり、方角の話だったらしい。
「引っ越しを考えとってな、あちこち探して。気に入った土地を見つけたんやけど。懇意にしとる占星術の先生に反対されてしもたんや。どうやら、今住んでるところから見て、方角が最低最悪らしいんや」
仁川が、がっくりと肩を落とす。
……胡散臭ぇ。
灼はドン引きした。残念ながら、占星術なるものをまったく信用していないので、胡散臭い以外の言葉が見つからない。
「仁川さんはな、建設会社の社長さんで。業績もすっごい順調なんやって。それで、広い土地に豪邸を建てることに決めたらしいで」
夜一が、にこにこ顔で仁川の紹介をする。
「そうなんですか」
愛想を振りまくのが絶望的に苦手なので、灼は無表情でうなずいた。
少し、分かった気がする。社長というのは孤独な一面もあるというし、だから占星術とか、幽霊が視える探偵とか、そういう科学的根拠のないものに縋るのではないだろうか。
「前に一度な、占星術の先生のアドバイスを無視して、会社の事務所を移転したことがあるんや。方角があかんって言われとったんやけど、賃料も安かったし。でも、そうしたら……」
仁川が、深刻そうな顔をする。
「そうしたら?」
夜一は前のめりだ。目がキラキラと光っている。まるで好奇心を隠せていない。
「幽霊が出たんや……!」
そう言って、仁川が頭を抱えた。
「この目で見たから、間違いない。白装束を纏った女の幽霊やった。髪が長くて、ぼんやりと浮かんでたんや」
ぶるぶると仁川が震えている。怖がっているところ申し訳ないのだが、そんな白装束の、いかにも「幽霊です」的な幽霊はいるのだろうか。見間違いの可能性を探りたい。
幽霊なんてものは、そう簡単に現れるものではない。ほぼインチキだ。現在進行形で、幼い少女の幽霊に憑かれている灼が、断言することではないのだが。
「気味悪がって従業員は辞めていくし、業績は下がるし。今でも後悔しとるんや……」
「それは、お気の毒でしたね」
夜一が、気遣わしげな顔で仁川に寄りそう。
仮に、白装束の女が本物の幽霊だったとして、それは方角が云々の話ではない。物件に難があったのだろう。いわゆる事故物件だ。賃料が安かったと言っていたから、可能性は高いと思うのだが。
「それ以来、俺は方角を大事にするようになったんや!」
はいはい、そうですか。
「でも、今回の土地を諦める踏ん切りが、なかなかつかんのや。なんとか、あそこに家を建てたい。ええ場所やねん。どうにか、ならんやろうか……?」
しょんぼりする仁川を見下ろしながら、灼は「どうにもならねぇだろ」と心の中で冷たく突き放す。
「大丈夫ですよ!」
「えっ」
夜一の明るい声に、思わず灼は反応してしまった。
仁川も、驚いたように夜一の顔を凝視している。
「ほ、ほんまか……?」
「簡単なことですよ。回り道をすれば良いんです。方角が悪いっていうのは、今住んでるところから見て、ということなんですよね?」
「そうや」
仁川が、信じられないという顔でうなずく。
「だったら、良い方角になるまで引っ越しを繰り返せば良いんです。転々としたら、いずれは良い方角になりますよ。手間もお金もかかりますけど、金銭のほうは心配はないでしょ? 仁川さん、今はすごい儲けてるんやから」
夜一の解説を聞いて、思わず力が抜けた。馬鹿だろ。誰がそんなつまらない理由で、何度も引っ越しをするんだよ。完全に金の無駄ではないか。
いくら仁川が馬鹿野郎で占星術マニアだとしても、そんな理由で金は使わない。金持ちというのは、金を使わないから金持ちなのだ。
「ええアイデアや……!」
仁川が、ゆっくりと膝をついた。夜一を見上げながら、恍惚とした表情を浮かべている。
「ありがとう、ありがとうなぁ……!」
涙目になって、仁川が夜一の手を握る。
「これで、理想の家が建てられる。嬉しいわ、ほんまにありがとう。所長さんは、女神様やぁ……!」
大馬鹿者じゃねぇか。というか女神ってなんだよ。夜一は男なんだが?
灼は思いっきり睨んだが、感激している仁川が気づくことはなかった。
「相談に来て良かったわ。また、何かあったら頼むで~~!」
そう言って、ホクホク顔の仁川は事務所を後にしたのだった。




