助手の業務
早朝、カーテンを開けると海が見えた。
朝陽を浴びて、キラキラと波が輝いている。眺めの良い部屋だ。六甲山の中腹に建つこのアパートからは、神戸港を一望できる。
全室オーシャンビューで、それなりに築年数は経っているものの、かなりの人気物件だという。
部屋の借主は夜一だ。仕事関係で得たツテのおかげで借りることができたらしい。それも、かなりの格安で。
「おい、起きろ。朝だぞ」
夜一の部屋へ行き、乱暴に体を揺さぶった。彼は朝が苦手だ。そのせいで最近は、夜一を起こすことも業務の一環となっている。
朝食を作って(といっても食パンを焼くだけだが)寝ぼけ眼の夜一の口にぶち込む。そして車の助手席に彼を押し込み、職場のある南京町まで連行する。
夜一が所有するSUV型のパイクカーの運転にもずいぶん慣れた。ど派手なチャイナシャツを纏う青年が、隣にいることも。
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「チッ、邪魔だな」
眉間に皺を寄せながら、灼は舌打ちをした。
御影探偵事務所は相変わらず物で溢れている。儀礼用民族衣装やら、謎のお面やら、杖やら蝋燭やら。棚に放置された鉱物たちは、美しくもありグロテスクでもある。
物が散乱しているせいで、とにかく掃除がやりにくい。灼は、慎重にハタキを振った。ここにある物はすべて、自分にとってはガラクタだ。
棚をなぎ倒して、蹴り上げて、元の形が分からないほど粉々にしてゴミの日に出してしまいたいが、そうもいかない。
おそらく価値がある品々なのだろう。たとえ無価値でも、自分が粗末に扱うことは許されない。灼は雇われの身であり、つまりそのような権限はない。
「灼くーーん!」
ゴミ屋敷の主人……いや、この御影探偵事務所の所長である夜一が、灼を呼んでいる。
「なんだよ」
「洗濯終わったみたいやで。さっき『ピロピロリ~~ン』って鳴ってた!」
タピオカティーを飲みながら、夜一が報告しに来る。呑気な顔だ。
「へぇ」
「灼くんが干してな?」
「はいはい」
「今日、めっちゃ良い天気やから」
「へいへい」
いい加減な返事をしながら、横目で夜一を見る。彼は、なかなかに人使いが荒い。おっとり笑顔で容赦なく仕事を振ってくる。
今、夜一が啜っているタピオカティーだって、ついさっき灼がテイクアウトしてきたものだ。南京町で人気のカフェらしく、かなりの行列ができていた。イライラしながら灼は列に並んだ。買ってくるよう言い付かったので仕方がない。社畜は従順な生き物なのだ。
掃除を一旦切り上げて、灼は屋上に向かった。雑居ビルには屋上があって、洗濯物はいつもそこで干している。
細い階段を上って、扉を開けると雲ひとつない空が広がっていた。夜一の言う通り、今日は晴天だ。秋晴れの日差しは心地よい。
「良い天気だな……」
ひとりごとのように、寧々に話しかける。返事がないのは分かっている。いや、もしかしたら返事をしているのかもしれない。その声が、灼には聞こえないだけで。
「……ったく。何度も見ても、派手なシャツだ」
煌びやかなチャイナシャツを広げながら、灼はため息を吐く。御影探偵事務所で働き始めて、かれこれ三週間が経過した。初日から洗濯物を干すよう命じられ、以来、毎日のようにこのクソ派手な代物を目にしている。
「似たような柄ばかり買い込みやがって……」
ボヤキが止まらない。
夜一の生活拠点は六甲山にあるアパートだが、業務が長引いて事務所に寝泊まりすることも多い。そのため、洗濯機を設置しているのだった。
事務所は繁盛している。今日も予定はぎっしりだ。時間を確認すると、もうすぐ依頼人がくる時刻だった。
洗濯を終えて事務所に戻ると、何やら声が聞こえてきた。どうやら、予定より幾分早めに依頼人が到着したらしい。茶の準備をしながら、漏れてくる声に耳を傾ける。
「……北、東、……南南西」
方角の話でもしてるのだろうか。淹れたての中国茶を盆にのせて、茶請けと一緒に依頼人のもとに運ぶ。
「失礼します」
「なんや、見いひん子やな」
依頼人は、五十代後半の男だった。名前は、仁川喜朗。時折、相談に来るのだという。「子」と言われたことに対して、灼のこめかみがピクリと反応した。
血の気が多いことは自覚しているので、表情に苛立ちを出さぬよう留意しながら軽く会釈をする。
さっさと下がろうとしたのに、夜一が灼の腕を掴んだ。
「新しく入った子です」
夜一が、灼の紹介をする。朗らかな声だった。というか、お前も「子」って言うのかよ。ガキ扱いか? 一歳しか違わねぇだろうがよ。あぁ?
奥歯をギリギリと噛み締める。表情に出ているかもしれない。感情を「無」にして、粛々と業務を遂行したいだけなのに。所長である夜一がそれを許さない。




