暖簾の向こう
ホテルを出て、薄闇の中を夜一と歩く。目的の店は、八家不動産からの帰り道に見つけたらしい。
「駅のな、向こう側にあるねん」
夜一が指をさす。そういえば、駅の反対側には一度も行ったことがなかった。踏切を渡り、しばらくすると細い路地があった。昔ながらの飲み屋街のようだ。
「ほら、ここ」
夜一が足を止めた。藍色の暖簾と赤提灯には「お好み焼き」の白抜き文字が入っている。
彼の言う「ええとこ」とは、どうやらこの古びた店のことらしい。
「……いかにも関西人って感じだな」
灼が感想を述べると、夜一は「定期的にソースが欲しくなるねん!」とうなずく。
暖簾をくぐると、明るい店員の声が聞こえた。
「いらっしゃいませ!」
香ばしいソースの匂いが、店内に充満している。
「良い匂いやなぁ~~」
鼻をくんくんさせながら、夜一が腹をさすっている。
半個室に案内され、鉄板を挟んで夜一と向かい合って座る。
さっそく、夜一はメニュー表を手に取った。昨今は、タッチパネルでオーダーする機会が増える一方だが、この店はそうではないようだ。
店内を見回しても、いかにも昔ながらという雰囲気が漂っている。
「迷うなぁ」
ペラペラとメニュー表をめくっては、夜一が思案している。
「食いもんくらい、さっと決めろよ」
「だってぇ」
「語尾を伸ばすな」
「灼くん、お好み焼きにせぇへん? ほら、このデラックスお好み焼きとかどう? 具がめっちゃ入って美味しそうやで」
夜一が、メニュー表を見せてくる。
「なんでも良いよ、俺は」
お好み焼きに興味も思い入れもない。ただ、かなり腹は減っているので早く食べたい。即刻、胃にぶち込みたい。
店員を呼ぶと、夜一がオーダーを伝える。
「冷やしトマトとぉ、枝豆とぉ」
イントネーションの語尾が気になって仕方ない。イライラする。些細なことに引っかかるのは、たぶん腹が減っているせいだ。
「あと、冷奴も!」
……酒を飲む気、満々かよ。
「それからデラックスお好み焼きとぉ、特製焼きそば。あと、おにぎりも! あ、おにぎりの具はなしで」
「塩むすびですか?」
「うん! 塩むすびの塩なしで!」
謎のこだわりだ。店員が若干、困惑しながら「承知しました」と言って引き下がる。なんとも迷惑な客だった。
「で、どんな感じなんだ?」
灼としては「特別な儀式」の詳細を知りたい。そこが分からないと、区切りにならない。
寧々の両親が未だに発見されていないので、終わった話ではないのだが。
「どんなって言われても……」
夜一が困った顔をする。
「写真は?」
「そんなん、ないで」
「撮ってねぇのかよ。使えねーー!」
「だって、前に見せたときはいらんかったやん!」
「ジジイとのツーショットとかいらねぇだろ」
消えて欲しいと思えば思うほど、二人のピース写真が色濃く記憶に刻まれていく。勘弁してほしい。
「撮るヒマもなかったし! あ、でも。おれと一緒におったら、またすぐに見れるで?」
冷水の入ったグラスを灼に手渡しながら、夜一がそんなことを言う。
「一緒……?」
灼は、グラスに口をつけた。
「うん。おれと組まへん?」
「ブフォッ!」
思わずふき出した。
「灼くんに、助手になって欲しいねん」
幽霊が視える人間というのは、この界隈でもめずらしいようだ。貴重な人材らしい。だからといって、簡単に「助手になる」とはいえない。
というか、やりたくない。夜一が身を置く世界には、安易な気持ちで近づいてはいけない気がする。
断ろうとしたけれど、ふいに寧々のことが気になった。灼の思考や言葉は理解できても、会話はできない。ひとりぼっちだ。
もう、孤独にはさせたくない。硬いフローリングの上で、捨て置かれたように横たわっていた寧々の姿を思い出す。




