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黒猫年代記  作者: @12
第二部 ~Ⅱ~ FENRIR ― 戦狼となった黒猫 ― Season 4 #067~
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96/189

Season 5「境界の兆候」  #096

第96話「水路から帰る街」

 前夜の雨は、連邦共和国南東部を流れる河川にまだ残っていた。

 水位は平常時より高く、山間部から流れ込んだ泥によって水面は濁っている。流木や家屋の残骸が岸辺に引っ掛かり、ところどころでは開戦時に破壊された橋梁の一部が水面から突き出していた。

 STYXの舟艇は、その流れに逆らいながらベルガ南部へ向かっていた。

 先頭艇に立つルナ・S・クロウ〔夜(ニュクス)〕は、川面だけではなく左右の岸を絶えず見ていた。

 前話でWOLF PACKが選んだ陸上経路には敵の待ち伏せがあり、レイブンは一度突破を断念している。ならば敵が水路を無警戒のまま放置しているとは考えられなかった。

「流れが少し変わりました」

 操艇を担当するセレス・アイレン《Marlin》が速度を落としながら言った。

「右岸から何か流れ込んでる?」

「そのようです。雨だけでは説明しにくいですね」

 ルナも気づいていた。

 川幅そのものは変わっていない。それなのに右岸側だけ水面の動きが不自然に乱れており、流れてきた枝や草が途中から中央へ押し出されている。

「Otter、見える?」

 レオン・シュナイダー《Otter》が前方を観察した。

「岸沿いに何かあります。自然物じゃないですね」

「敵?」

「まだ分かりません」

「なら、分かるまで敵だと決めないでおきましょう」

 ルナはそう答えた。

 兄ならどうするだろう、と考えたわけではない。

 昔なら考えていた。

 しかし今の彼女はSTYXの隊長だった。

 水上で何を見るべきかは、自分で決める。

 舟艇は速度を落としたまま進んだ。

 そして右岸の霧が薄くなった時、ルナはようやく異常の正体を理解した。

 河岸に沿って大量の木材が沈められている。

 自然に流れ着いたものではない。

 人為的に固定されていた。

「……兄様の読みどおりですね」

「何がです?」

「敵も私たちを勉強してます」

 STYXが河川を作戦領域として使うことを、相手は知っていた。

 ただ水面へ障害物を置くだけではない。増水した流れを利用して漂流物を一方向へ集め、舟艇が安全に使える幅を狭めている。

 高度な機械装置は必要ない。

 川と木材と人手があれば成立する。

 FENRIRが持つ通信や無人偵察技術へ正面から追いつこうとするのではなく、自分たちの持つ知識と魔法を組み合わせ、相手の長所を潰す。

 それは単純であるがゆえに厄介だった。

「Nyx、どうします?」

 ルナはすぐには答えなかった。

 障害を強引に突破すれば、後続艇も同じ場所を通ることになる。往路だけ通れても意味がない。負傷者や避難民を乗せて帰る時に使えない水路なら、STYXにとっては道ではなかった。

「別の水路を探します」

「迂回ですか?」

「はい。私たちはベルガへ行くためだけに来たんじゃありません。帰りにも使える道を作るために来ました」

 ルナが地図を開くと、本流の少し手前から古い農業用水路が北へ分岐していた。

 平時なら小型舟艇でも使う理由のない狭い水路だったが、前夜からの増水によって水深が増している。

「Marlin、この水位なら?」

「大型艇は無理です。でも先行艇なら可能性があります」

「戻る余裕は?」

「ぎりぎりですね。雨が止んでいるので、水位が下がり始めれば条件は悪くなります」

 ルナは空を見た。

 朝の雲は少しずつ切れ始めている。

 天候が回復することが、必ずしも味方になるとは限らない。

 今のSTYXにとって、前夜の雨は敵が想定していなかった道を作ってくれている。同時に、その道には時間制限があった。

「先行艇だけ入ります。後続は本流で待機して、帰還経路を維持してください」

「了解」

 ルナは通信機を取った。

「こちらNyx。NoX、聞こえますか?」

『聞こえてる』

「本流は塞がれています。自然障害ではありません」

『やっぱりか』

「ただ、北へ分岐する旧農業水路が使えそうです。ベルガ南西部へ繋がっています」

 少し沈黙があった。

『帰りも使える?』

 最初に聞くのがそこなのは、兄らしかった。

「今なら。でも水位が下がれば使えなくなります」

『時間制限付きか』

「そうなります」

『無理はするな』

「その言葉、そっくり返します」

『……腕のこと?』

「腕のことです」

 ルナは兄が前の戦闘で負傷したことを知っていた。

『Sageには処置してもらった』

「だから無傷になったわけじゃないでしょう」

『分かってるよ』

「本当に?」

『Valkyrieと同じこと言うなよ』

「エリシア姉様と意見が一致するのは珍しくありません」

『俺の味方はいないの?』

「帰ってきたら考えます」

 通信の向こうからガイルの笑い声が聞こえた。

 その僅かなやり取りが終わると、二人の声はすぐに指揮官のものへ戻った。

「旧水路からベルガ南西部へ入ります。侵入地点が確保できたら座標を送ります」

『WOLF PACKは西から南へ回る。合流できなくても構わない。お前は水路を維持してくれ』

「了解。こちらは水上から道を開きます」

『頼んだ、Nyx』

「任せてください、NoX」

 通信が切れた。

 STYXの先行艇は本流を離れ、増水した旧農業水路へ入った。

 川幅が急激に狭くなったことで周囲の景色が近づき、左右から伸びた木々の枝が舟艇の上まで覆い被さってくる。速度を出せば流木へ衝突し、慎重になりすぎれば水位が下がる。

 ルナは何度も後ろを振り返った。

 進めるかどうかではない。

 戻れるかどうかを確かめていた。

 やがて、前方の木立が途切れた。

 その向こうにベルガ南西部の外縁が見えた。

 農地。

 倉庫。

 低い住宅。

 道路には放棄された車両が残り、遠くには砲撃で損傷した建物が見える。

 それでも町そのものは残っていた。

「ベルガ……」

 ルナが呟いた直後、後方のフィオナ・リューン《Siren》が声を上げた。

「Nyx、HUGINNから情報更新です。WOLF PACKも南側へ接近中。EINHERJARはさらに後方で待機しています」

「敵反応は?」

「RATATOSKRの上空観測では、市街地中央に複数。ただし南西部は少ないです」

 ルナは周囲を見る。

「少ないだけで、いないわけじゃないですね」

 先行艇が水路出口へ近づいた。

 その時だった。

 ルナの耳が微かな音を拾った。

「止めて」

 Marlinが即座に推進を落とす。

 水音が静かになった。

 ルナは右岸を見る。

 何も見えない。

 だが、草の向こうから水へ小石が転がり落ちた。

「誰かいます」

 STYX隊員の緊張が高まった。

 ルナはすぐに武器を向けさせなかった。

「出てきてください」

 返事はない。

「連邦共和国軍と共同で活動しているFENRIRです。攻撃する意思はありません」

 草が動いた。

 やがて。

 泥で汚れた顔が現れた。

 兵士ではなかった。

 年老いた男性だった。

 その後ろには、若い女性と二人の子供がいる。

 ルナは息を呑んだ。

「……民間人」

 老人は舟艇に描かれた徽章を見たあと、ルナの白い猫耳へ視線を移した。

「連邦軍……なのか?」

「違います。でも、連邦共和国軍と一緒に来ました」

「助けに?」

「はい」

 老人の顔が崩れた。

「まだいる」

 ルナが舟艇から身を乗り出す。

「何人ですか?」

「町の中に……まだ大勢いる。逃げられなかった者がいる。地下に隠れてる」

 予想していた。

 それでも、実際に聞くのとは違った。

「どこです?」

「学校の地下と、古い市役所、それから病院にもいるはずだ。敵が町の中心を使ってるから、動けない」

 ルナはSirenを見る。

「全部送って」

「送信します」

 数秒後。

 情報はHUGINNを経由し、WOLF PACK、EINHERJAR、連邦共和国軍、そして海上の《VALHALLA》へ共有された。

 Operation HOMECOMINGの意味が、その瞬間に変わった。

 地図上の領土を取り返すだけの作戦ではなくなった。

 帰る場所には。

 まだ人がいた。

     ◇

「生存者確認?」

 レイブンは歩みを止めた。

 ノアが頷く。

「STYXから。ベルガ南西部で民間人四名と接触。市内にさらに多数の住民が残ってる可能性が高い」

 レイブンの表情が変わった。

「場所は?」

「学校、市役所、病院。敵は市街中心部に展開」

 ガイルが地図を見る。

「面倒になったな」

「逆だ」

 レイブンは言った。

「やることが決まった」

 ベルガを奪還する。

 その意味が明確になった。

「Valkyrieへ繋いで」

 ノアが通信を開く。

『こちらValkyrie』

「民間人の情報は?」

『受け取った。EINHERJARを前へ出す』

「待って」

『何?』

「俺たちが先に市街地へ入る」

『敵配置が分かってない』

「だから俺たちが見る」

 エリシアは反論しなかった。

 ただし、無条件にも認めなかった。

『NoX、任務を確認するよ。あなたの仕事は敵を全部倒すことじゃない』

「分かってる」

『住民までの道を開くこと』

「ああ」

『開いたら、私たちに渡して』

「了解」

『本当に?』

「今日は信用ないな」

『前科が多いから』

 ガイルが横で頷いた。

「否定できねえ」

「Hound、後で覚えてろ」

 エリシアの小さな笑いが通信に混じった。

『じゃあ後で全員で帰ってきて。その時に怒ればいい』

「それなら帰る理由が減るんだけど」

『レイブン』

「冗談」

 通信が切れた。

 WOLF PACKはベルガ南西部へ向けて進路を変えた。

 前話で負傷したレイブンの上腕にはまだ鈍い痛みが残っている。傷そのものは通常では考えにくい速度で塞がり始めていたが、それでも完全に回復したわけではない。

 レイブン自身、その異常な治癒について考えることはあった。

 だが今は後回しにした。

 傷が治りやすいことと、撃たれても構わないことは同じではない。

「Lynx、先行できる?」

「行ける」

「無理に奥まで入らなくていい。入口だけ見て」

「了解」

 ミレイアが先行する。

 レイブンも少し遅れて進み、〔透明(ゴースト)〕によって自らの存在感を抑えた。

 しかし今回は、最初からそれを信用し切らなかった。

 敵は既に《ゴースト》への対策を始めている。

 視覚だけで探さず、魔力の変化や地面の痕跡、環境そのものから侵入者を見つけようとしている。

 ベルガの外縁へ入ったところで、レイブンは足元を見た。

 道路には泥が残っている。

 昨日の雨だ。

 その上に。

 複数の足跡。

「敵が通ってる」

 ガイルが囁く。

「最近だな」

「うん」

 レイブンは周囲を見る。

 壊れた民家。

 放置された農機具。

 窓の割れた商店。

 だが、完全な廃墟ではない。

 生活の痕跡が残っている。

 ある家の軒下には洗濯物がそのまま掛かっていた。

 持ち主が帰るつもりだったのか。

 逃げる時間さえなかったのか。

 レイブンには分からなかった。

 前方からミレイアの通信が入る。

『NoX、止まって』

 全員が動きを止める。

『敵がいる。三……いや、五。道路じゃなく建物の中』

「待ち伏せ?」

『たぶん。でも前みたいじゃない』

「どう違う?」

『こっちを待ってる感じがしない。見張ってる』

 レイブンは地図を見る。

 その先には学校がある。

「住民を?」

『可能性ある』

 レイブンは目を細めた。

 敵を排除すればいい。

 そう考えるのは簡単だった。

 だが敵が民間人の近くにいるなら、火力を使える範囲は急激に狭くなる。

「Hawk」

『位置変える。見える場所探す』

「撃つのは待って」

『了解』

 ヨハンが移動する間、レイブンはISG-42A3《RAVEN》へ触れた。

 〔兵器接続(アームズ・リンク)〕が武器の状態を感覚へ返してくる。

 正常。

 しかし今必要なのは、銃の性能ではない。

 撃たずにどこまで近づけるかだった。

「Hound、Grizzlyはここで待機。SageとCipherも残って」

 ガイルが眉を上げる。

「一人で行く気じゃないだろうな?」

「Lynxと行く」

「二人ならいいって話か?」

「入口を見るだけだ」

 ガイルは納得していない顔をした。

「Valkyrieに言うぞ」

「何で妻を脅しに使うんだよ」

「一番効くから」

「……否定できない」

 ミレイアが通信越しに笑った。

『早く来て』

「今行く」

 レイブンとミレイアは建物の影を使いながら進んだ。

 敵は五人。

 そのうち二人が道路を監視し、残りは学校側へ意識を向けている。

 こちらを探しているわけではない。

 学校を見張っている。

 レイブンの〔殺気看破(アタック・シールド)〕が、複数の敵意を拾う。

 だが。

 それだけではなかった。

 学校の地下から、微かな音が聞こえた。

 子供の泣き声だった。

 レイブンの耳が動く。

 ミレイアも気づいた。

「いるね」

「ああ」

 レイブンは一瞬目を閉じた。

 これで。

 ベルガを取り戻す理由は十分だった。

     ◇

 同じ頃。

 市街南西部では、ルナが救出した住民から情報を集めていた。

「敵は何日前から学校を?」

「三日くらい前だ。最初は町の中心だけだった。でも最近になって外へ見張りを出し始めた」

「住民を攻撃しましたか?」

 老人は答えるまで少し時間がかかった。

「抵抗した者は……戻ってこなかった」

 ルナはそれ以上聞かなかった。

 必要な情報は得た。

 怒りはある。

 しかし、その怒りを判断より前へ出すわけにはいかなかった。

「Siren、Valkyrieへ直接送ってください。学校地下の生存者を最優先救出対象にします」

「了解」

 その直後。

 水面が揺れた。

 ルナが振り返る。

 最初は増水による波だと思った。

 しかし違う。

 岸に近い水面の下を。

 何か大きな影が通った。

「Marlin」

「見ました」

「Otter」

「水中反応あり」

 STYXの空気が変わった。

 ルナは水面を見つめた。

 敵は舟艇を止めるために障害物を置いただけではない。

 水の中にも。

 何かを入れている。

「全艇、距離を取ってください。住民を先に安全な位置へ」

「Nyx、あれは?」

「分かりません」

 ルナは正直に答えた。

「だから、分かるまで近づきません」

 水面の下。

 影がもう一度動いた。

 今度は。

 はっきりと舟艇の方角へ向かっていた。

     ◇

「NoX」

 ノアから通信が入った。

『STYX、水中で大型反応を確認』

 レイブンは学校を見張る敵から目を離さないまま答えた。

「Nyxは?」

『交戦前。距離を取って確認中』

「分かった。無理させるな」

『それ、本人にも言う?』

「言ったら同じ言葉を返される」

『だろうね』

 レイブンは小さく息を吐いた。

 陸ではWOLF PACKが学校へ近づき。

 水路ではSTYXが正体不明の脅威と向き合っている。

 その後方から。

 EINHERJARが近づいている。

 戦場が一つの方向だけに動かなくなっていた。

「Valkyrie」

『聞こえてる』

「学校に生存者がいる。俺たちが見張りを外す」

『その後はこちらで受け取る』

「水路側は?」

『Nyxが危険と判断したら陸路へ切り替える。STYXだけに背負わせない』

「了解」

 エリシアの声は落ち着いていた。

『NoX』

「何?」

『今回は道を開いたら、ちゃんと渡して』

 レイブンは学校を見る。

 昔の自分なら。

 そのまま地下へ入ったかもしれない。

 住民を見つけ。

 自分で連れ出し。

 敵が来れば自分で戦い。

 全部終わるまで前に残った。

 だが今は。

 後ろにEINHERJARがいる。

 水路にはSTYXがいる。

 さらに後ろにはFJMGと大規模合同防衛軍がいる。

「分かってる」

 レイブンは答えた。

「俺たちは入口までだ」

 エリシアは短く返した。

『信じる』

 その一言が。

 妙に重かった。

 レイブンはガイルたちへ合図を送った。

 WOLF PACKが動き始める。

 学校を監視していた敵が、こちらの動きに気づいた。

 魔力が膨らむ。

 レイブンの〔殺気看破(アタック・シールド)〕が反応し、身体が判断より僅かに早く遮蔽物へ入る。

 敵の攻撃が壁を抉った。

「接敵!」

 ガイルの声が飛ぶ。

 そこから先。

 先ほどまでの軽口は消えた。

「Hawk、右!」

『見えてる!』

「Grizzly、入口を維持!」

「了解!」

「Cipher、EINHERJARに経路を送れ!」

「送ってる!」

 レイブンは敵を追わなかった。

 撃退された敵兵が学校の反対側へ下がっていく。

 以前なら。

 その背中を追ったかもしれない。

「NoX、追えるぞ!」

 ガイルが言う。

「追わない!」

 レイブンは学校の入口を見る。

「目的はこっちだ!」

 WOLF PACKが学校前を確保する。

 数分後。

 EINHERJARが到着した。

 先頭を進んできたエリシアがレイブンを見る。

「入口は?」

「取った」

「地下は?」

「まだ入ってない」

 エリシアが少し驚いた。

「本当に待ったんだ」

「俺を何だと思ってる?」

「昔のレイブン」

「今日それ二回目だぞ」

 エリシアが笑った。

「じゃあ、ここからは私たち」

 レイブンは頷いた。

「ああ」

 WOLF PACKが開いた入口を。

 EINHERJARが通っていく。

 エリシアたちは地下へ向かい、取り残された住民を探し始めた。

 レイブンはその背中を見送った。

 自分で行きたい気持ちは。

 まだある。

 だが。

 任せることも。

 指揮官の仕事だった。

 やがて通信機からエリシアの声が届いた。

『NoX』

「聞こえてる」

 少し間があった。

『生存者確認』

 レイブンの肩から力が抜けた。

「何人?」

『今確認できているだけで三十四名。子供もいる。負傷者あり』

「全員出せそう?」

『出す』

 エリシアの声には迷いがなかった。

『そのためにEINHERJARがいる』

 レイブンは小さく笑った。

「頼んだ、Valkyrie」

『任せて』

 その時。

 別回線からルナの声が飛び込んだ。

『NoX、Valkyrie、こちらNyx』

「聞こえてる」

『水路側で敵性大型生物と接触しました。帰還水路が脅かされています』

 レイブンとエリシアの表情が同時に変わった。

「撤退できる?」

『できます。ただし、このまま下がればベルガからの水上避難路は失います』

「住民は?」

『先に安全位置へ移しました』

 レイブンは地図を見る。

 学校には三十四名以上。

 市役所と病院にも住民がいる可能性がある。

 全員を陸路だけで運ぶには時間がかかる。

 しかも敵の増援が東から近づいている。

 水路が使えれば。

 選択肢が増える。

 しかし。

 そのためにSTYXを失うわけにはいかない。

「Nyx」

『はい』

「水路を守れる?」

 ルナはすぐには答えなかった。

 水面の下。

 大きな影が旋回している。

 舟艇。

 増水。

 狭い水路。

 住民。

 そして。

 帰るための道。

『守ります』

「無理なら捨てろ」

『分かっています』

「本当に?」

 今度は。

 ルナが少し笑った。

『兄様と違って、私はちゃんと退きます』

「勤務中」

『NoXと違って、Nyxはちゃんと退きます』

「言い直さなくていい!」

 緊張の中で。

 エリシアが小さく笑った。

 だが。

 次の瞬間。

 水面が爆ぜた。

 巨大な影が。

 STYXの目前で水上へ姿を現した。

 同時に。

 ベルガ東部から敵増援接近の警報がHUGINNを通じて全軍へ送られた。

 学校地下では。

 EINHERJARが住民の救出を始めている。

 WOLF PACKは市街地への入口を確保した。

 STYXは帰還水路を守るため、未知の水域脅威と向き合う。

 そして。

 後方で待機していた大規模合同防衛軍にも。

 ついに前進命令が下った。

 Operation HOMECOMINGは。

 最初の町を奪うための戦いから。

 そこに残された人々を生きて帰すための戦いへ。

 その姿を変え始めていた。

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