Season 5「境界の兆候」 #093
第93話「海を渡る翼」
連邦共和国が実効的に保持できる領土は、開戦前のおよそ四分の一にまで縮小していた。
東部海域に開いた第二異界門から流入する侵攻勢力は、時間が経過しても衰える気配を見せていない。連邦共和国軍は首都圏と西部の残存地域へ戦力を集約し、帝国軍も旧国境を越えて増援を送り込んでいた。さらに第一次異界大戦で共に戦った旧抵抗軍諸国も再び部隊を派遣し、崩壊寸前の連邦共和国を支えるための巨大な防衛線が形成されつつある。
それでも戦況は、決して楽観できるものではなかった。
第二異界門から現れる敵の規模は第一次異界大戦を思わせるほど大きく、しかも門そのものが閉じる兆候を見せていない。連邦共和国軍が一つの地域で侵攻を食い止めても、別の地域では新たな敵部隊が展開し、守備隊へ圧力を加えてくる。帝国と旧抵抗軍が増援を投入したことで、ようやく首都圏への急速な侵攻速度が鈍り始めたというのが実情だった。
その戦争の最中にも、日本国への災害派遣は続いていた。
自由都市旧ヴァルナのFJTF統合作戦室で、レイブン・S・クロウ〔無名〕は日本側と連邦共和国側、二つの状況を一枚の大型表示盤に並べて見ていた。
片方では、地震と巨大津波によって傷ついた町の復旧が続いている。
もう片方では、第二異界門から現れた侵攻勢力によって町そのものが失われ続けている。
まったく異なる二つの災害と戦争を、FENRIRは同時に抱えていた。
「日本派遣群から定時報告が来たよ」
通信卓に座っていたノア・ヴェルナー〔暗号〕が、受信した内容を整理しながら振り返った。
「現地に残したIDUNN第二医療班とBIFROST輸送分遣隊、それからDVERGR復旧支援班、HUGINN通信支援班は予定どおり任務を継続してる。STYXから残した救難要員も日本側の水上救難部隊と共同活動中。大規模な人命救助の段階から、避難生活支援と生活基盤の応急復旧へ少しずつ移行してるみたいだ」
「追加人員は必要だって?」
「今のところ要請なし。日本側の救援能力が回復してきたから、FJMG側の規模は段階的に縮小しても問題ないって」
「だったら急に引き揚げさせる必要はない。そのまま予定どおり任務を続けてもらおう」
レイブンがそう答えると、隣に立っていたエリシア・L・ヴォルハラム=クロウ〔戦乙女〕が、連邦共和国の戦況図から視線を外した。
「連邦側へ回さなくていいの?」
その問いに迷いが含まれていた。
エリシアにとって連邦共和国は故郷であり、母親が暮らし、亡き父と兄の記憶が残る国でもある。その国が滅亡寸前まで追い込まれている以上、日本で活動している一人でも多くを呼び戻したいという気持ちは、レイブンにも痛いほど理解できた。
「戻せば、その分だけこっちは楽になると思う」
レイブンは静かに答えた。
「でも、日本の災害は終わったわけじゃない。俺たちが大変になったからって、救援の途中で全部引き揚げたら、何のために十二の部隊を作ったのか分からなくなる」
「二つの任務を同時に続けるため?」
「ああ。必要なところへ、必要な能力だけを送る。それがFJMGだろ」
エリシアは少しだけ目を伏せたあと、頷いた。
「分かった。日本側は残留部隊へ任せる。こっちは、こっちで止めよう」
レイブンも頷いた。
今回の再配置では、日本での災害救援に必要な医療、輸送、工兵、通信、水上救難能力を維持する一方、第二異界門正面には戦闘能力を持つ部隊を優先して戻している。だからといって、FENRIRの全兵力を連邦共和国へ集中させたわけではない。自由都市や日本との門を守る戦力も必要であり、後方の輸送網や医療拠点を維持する要員も残さなければならなかった。
そしてもう一つ、今回の防衛戦には明確な線引きがあった。
日本国は、第二異界門正面に戦闘部隊を投入していない。
JIRMCAに基づく協力関係は継続しており、情報交換や人道支援、技術協力も途切れていなかったが、連邦共和国領内で直接侵攻勢力と戦っているのは、FENRIRと帝国軍、連邦共和国軍、そして再結集した旧抵抗軍だった。
それは日本との関係が後退したという意味ではない。
むしろ互いが、何を引き受け、どこまで関与するのかを確認しながら協力を続けているからこそ、FENRIRは日本の救援と自分たちの世界の防衛を同時に維持できていた。
午前八時二十分。
FJTF統合作戦室の中央表示が更新され、連邦共和国首都圏から東へ延びる防衛線が映し出された。
連邦共和国軍の残存主力を中心として、その北側を帝国軍、南側を旧抵抗軍諸国から派遣された部隊が補強し、FJMGは特定の一方面を丸ごと担当するのではなく、危機が生じた場所へ各専門部隊を送り込む機動的な予備戦力として配置されている。
各国軍の指揮系統そのものは残っていた。
軍旗も所属も違う。
それでも第一次異界大戦と同じように、共通する敵を前にした軍隊が、再び同じ地図を囲んでいた。
「懐かしい光景だ」
ヴォルター・クロウが、表示盤の前で低く呟いた。
レイブンは父の横顔を見る。
「これが?」
「帝国軍と連邦共和国軍が同じ方向へ銃口を向けているところだ」
「第一次異界大戦の時か」
「あの頃は、その直前まで互いを殺す準備をしていた。それが異界軍の侵攻が始まった途端、昨日までの敵と補給路を共有することになった」
ヴォルターは地図へ手を伸ばし、帝国側から連邦共和国残存領域へ延びる補給経路を指した。
「今回は最初から和平が成立している。共同通信規格もある。RCAもある。何よりFENRIRがある。第一次より条件は遥かに良い」
「それなのに四分の一まで押された」
「戦争はこちらの準備に合わせて強さを調節してはくれん」
「……分かってるよ」
ヴォルターは息子を一瞥すると、もう一つの地図を見た。
そこには日本へ続く異界門と、連邦共和国東部海域に出現した第二異界門が同時に表示されている。
「ただ、昔とは決定的に違うものがもう一つある」
「日本?」
「ああ。お前たちは今、性質のまったく違う二つの異界門を同時に抱えている。一方は人と物資が行き来し、もう一方は軍勢を吐き出し続けている」
レイブンはその二つを見比べた。
「同じ門なのにな」
「だからこそ、門そのものを敵と決めつけるな。敵なのは、そこを通って攻撃してくる相手だ」
「分かってる」
第一次異界大戦を経験した父だからこそ、その言葉には重みがあった。
その直後、HUGINNから緊急報告が入った。
「第二異界門の魔力反応が上昇しています!」
作戦室の空気が一変する。
ノアが受信情報を中央表示へ回すと、第二異界門周辺に新たな反応が次々と追加された。
「新規部隊の出現を確認。大型反応も複数あります。門の向こう側にも後続反応が継続しています」
「連邦軍には?」
「共有済み。前線部隊が警戒態勢へ移行中」
「RATATOSKRの偵察情報を最優先で回してくれ。敵の数だけじゃなく、どこへ向かってるのかを知りたい」
「了解」
レイブンが指示を出す横で、エリシアもEINHERJARとの回線を開いた。
「こちらValkyrie。連邦軍東部防衛線への増援準備を始めて。今回は戦線を押し上げることより、突破された場合に後方の避難路を守ることを優先する」
ルナ・クロウ〔夜〕からも連絡が入った。
『こちらNyx。STYX主力、河口部の避難経路確保を継続します』
「敵艦を追いすぎるなよ」
『兄様も敵を追いすぎないでください』
「勤務中だぞ」
『ではNoX。自分だけ前へ行かないでください』
レイブンは一瞬黙った。
「……了解、Nyx」
隣でエリシアが笑いを堪えている。
「何?」
「成長したなと思って」
「そこ笑うところじゃないだろ」
「前なら返事する前に走ってたから」
否定できなかった。
ほどなくして、連邦共和国東部に構築された合同防衛線で大規模戦闘が始まった。
侵攻勢力は第二異界門から展開した後、複数の進撃軸を形成して連邦共和国残存領域へ圧力を加えてきた。それに対して連邦共和国軍が正面を支え、帝国軍と旧抵抗軍の増援部隊が危険な区域を補強する。FJMGはその間を縫うように動き、RATATOSKRが得た情報をHUGINNが共有し、DVERGRが維持した経路をBIFROSTが走り、そこから運ばれた人員と物資が各部隊を支えた。
GUNGNIRは重火力支援を必要とする区域へ配置され、TYRは通常部隊では対処の難しい大型脅威に備えた。SKYFALLは残存する連邦航空戦力との識別と空域調整を重ねながら活動し、IDUNNは戦線後方に設けられた医療拠点で連邦共和国軍や旧抵抗軍の衛生部隊と患者を受け入れた。
WOLF PACKに与えられた仕事も、単純な攻撃ではなかった。
「右側の連邦部隊が下がる!」
ガイル・ベッカー《Hound》の声が通信に飛び込んだ。
レイブンは崩れかけた防衛線を見る。
以前なら、敵側へ向かっただろう。
突破してくる敵を自分たちで止めればいいと考えた。
しかし今、彼が最初に見たのは後退する連邦共和国軍の背後だった。
「敵を追うな。連邦部隊の退路を確保する!」
「了解!」
「Valkyrie、後退してくる部隊を受け取れる?」
『EINHERJARを回す。負傷者もいるからIDUNNへ連絡して』
「もう送る。BIFROSTには第二経路へ輸送車を回してもらう」
『橋の状態は?』
「DVERGRに確認する」
通信を繋ぐと、すぐに返答が来た。
『軽車両なら通せる。ただし損傷が進んでいる。重車両は別経路へ回してくれ』
「聞こえた、GUNGNIR?」
『了解した。重装備は北側経路へ変更する』
一つの判断が、次の部隊へ繋がる。
誰かが一人で戦況を変えるのではなく、異なる役割を持つ部隊が互いの不足を補うことで、崩れかけた線を辛うじて繋ぎ止めていく。
日が傾き始める頃。
連邦共和国軍の後退は止まった。
失地を奪還したわけではない。
第二異界門も健在で、敵の増援も続いている。
それでも、開戦以来ほとんど一方的に後退を強いられていた連邦共和国の地図から、その日初めて大きな後退を示す更新が消えた。
「……止まったね」
泥と煤で頬を汚したエリシアが、携帯端末の戦況図を見つめた。
「今日だけかもしれない」
レイブンは慎重に答えた。
「明日にはまた押されるかもしれないし、別の場所が崩れるかもしれない」
「それでも今日は止めた」
エリシアの声には、わずかな安堵があった。
レイブンは彼女の横顔を見てから、同じ地図へ視線を戻した。
「ああ。今日は止めた」
その日の夜。
自由都市へ戻ったレイブンたちを待っていたのは、第二異界門の戦況報告だけではなかった。
日本国から、JIR-DELIに基づく緊急技術・装備支援について新たな提案が届いていた。
エミリア・R・ヴァレンシュタイン〔猟鷹〕は資料を開いてから、しばらく何も言わなかった。
「Falcon?」
「日本側が、想像していたより踏み込んだ支援案を持ってきた」
レイブンの表情が変わる。
「日本が戦闘に参加するって?」
「そこは違う。今回提示されたのは、装備供与と技術協力を組み合わせた支援案」
中央画面へ航空機の資料が表示される。
レイブンには見慣れない形だった。
「これが日本の戦闘機?」
「F-4EJ改と呼ばれている機体。日本側の説明では既に運用を終えた機種で、保管されている機体や部品、整備資料のうち移転可能なものを使って、こちら側で再生運用できるか検討するらしい」
レイブンは画面を眺めた。
「日本では古い機体なんだよな?」
「そういう扱い。でも異界側の航空技術体系とは発展の仕方そのものが違う。機体を何機か受け取ることより、整備思想や電子装備、運用体系まで含めて研究できることの方が大きい」
次に表示されたのは、より大型の双発戦闘機だった。
「こっちは?」
「F-15J。これは日本側でも現在の航空戦力に属する系列だから、今すぐ現役機を大量に渡すという話ではないよ。将来的に移転可能となる機体や関連技術、教育体系を含め、どこまで協力できるかを検討するという提案」
「つまり、日本の空軍をそのままFENRIRへ持ってくるわけじゃないんだな」
「当たり前。FENRIRは日本の軍隊じゃないし、私たちにも既存の航空体系がある。必要なのは置き換えることじゃなく、繋げること」
それはJIR-DELIが最初から目指していた考え方だった。
日本規格と異界側の規格を無理に統一するのではなく、双方の装備を安全に共同運用できる接点を作る。
航空分野でも同じだった。
さらに大型の機体が表示される。
「C-2という大型輸送機については、戦闘機とは少し意味が違う」
エミリアが説明を続ける。
「FENRIRにとって重要なのは、前線で何機撃ち落とせるかだけじゃない。BIFROSTが戦略輸送を担当している以上、大量の人員や物資を短時間で遠距離へ運ぶ航空輸送能力は、そのままFJMG全体の行動範囲に関わる」
レイブンは納得したように頷いた。
「日本で災害救援をやった時も、結局一番足りなかったのは運ぶ力だった」
「そういうこと」
続いて提示されたUS-1系列の資料では、水上での救難や海上運用に関する技術協力が検討されていた。
レイブンはそれを見た瞬間、嫌な予感がした。
「これ、Nyxに見せた?」
「送った」
「寝なくなるぞ」
「必要な資料だから仕方ない」
その直後、通信端末が鳴った。
『兄様!』
「ほら」
レイブンは額を押さえた。
「勤務中」
『NoX、この大型機、水上から運用できるんですよね?』
「俺に聞かれても分からない」
『STYXとの共同救難運用は?』
「Falconに聞いて」
『Falconにはもう聞きました』
「じゃあ何で俺にも聞くんだよ」
『欲しいからです』
「俺に航空機の供与権限はない!」
エリシアが声を抑えて笑っている。
レイブンは彼女を睨んだが、やがて自分も笑った。
支援案は航空機だけではなかった。
日本側で長く使用されてきた64式小銃と89式小銃についても、異界側への技術提供が提案されている。
ただし、完成品を大量に渡してFENRIRの小銃をすべて置き換える計画ではない。
エミリアが興味を示したのは、むしろ製造技術や品質管理、整備体系、弾薬と銃本体の関係、量産時の設計思想といった部分だった。
「RCAへそのまま組み込むのは?」
レイブンが尋ねる。
「やらない」
エミリアは即答した。
「日本側の規格とRCAでは前提が違う。資料を受け取ったからって、明日から同じ弾薬を使えるわけじゃない。安全評価と試験を重ねて、使える考え方だけ取り込む」
「Falconならそう言うと思った」
「当然でしょう」
「でも価値はある?」
「大きいよ」
エミリアは画面に映る二種類の小銃を見ながら答えた。
「私たちが一から失敗して学ぶはずだったことの一部を、先に経験した国から教えてもらえる。装備そのもの以上に、その時間が大きい」
「時間を供与してもらう、か」
「そう考えてもいい」
レイブンはその言葉を気に入った。
戦争が始まった今。
最も足りないものは、時間だった。
だが、日本側から届いた資料はそこで終わらなかった。
最後に付属していた項目には、これまでとは違う表記があった。
日本国ではなく、日本と同じ世界に存在する別の国家からの協力提案だった。
「アメリカ合衆国?」
エリシアが名前を読み上げる。
「日本とは別の国なんだよね」
「日本側から最初に説明されてた。向こうの世界には日本以外にも多数の国家がある。その中でもかなり大きな軍事力と工業力を持つ国らしい」
ノアが資料を確認する。
「その国が、こっちに何を送るの?」
「兵員派遣じゃない」
エミリアはそう答えると、添付されていた一枚の概念図を中央表示へ映した。
作戦室が静かになった。
レイブンは最初、それが何なのか理解できなかった。
海面の上に、巨大な二つの船体が並んでいる。
左右それぞれの上には広大な飛行甲板が設けられ、その間を巨大な中央構造が結んでいた。甲板には多数の航空機が並び、艦内断面図には格納庫だけでなく、整備区画や医療設備、物資倉庫、車両区画、居住施設、研究設備まで描かれている。
「……これ、船なのか?」
「アメリカ側が異界環境での運用実証を目的に提案してきた実験艦構想」
エミリアの声にも、いつもの落ち着きの奥に興奮が混じっていた。
「普通の航空母艦をそのままこちらへ持ってくるという発想じゃない。異界側では港湾も飛行場も補給基地も十分に確保できる保証がないから、海上基地そのものを移動させることを考えたらしい」
ヴォルターが画面を睨む。
「馬鹿みたいに大きいな」
「そこは否定しない」
「こんなものを一隻作る資材で、もっと小さい艦を何隻作れる?」
「通常世界の海戦だけを考えるなら、そっちの方が合理的な場面は多いと思う」
「だったら、なぜこれなんだ」
「異界だから」
エミリアは表示を拡大した。
この艦が求められているのは、既存の海軍基地が整った海域を巡回するためではない。門の向こうに何があるか分からず、現地で港を確保できる保証もなく、航空基地や病院、整備工場さえ存在しない環境へ送り込むことを前提としている。
ならば基地を先に建設するのではなく、基地として機能する艦を持ち込む。
それがこの異様なほど巨大な双胴艦の発想だった。
「左右の船体を独立した巨大モジュールとして建造して、異界門の通過条件を確認した上でこちら側へ運び、最終的に統合する案が検討されてる」
ノアが断面図を見る。
「中央部分には統合司令部まであるんだ」
「航空管制だけじゃない。FJTFの前進司令機能を置けるようにする構想らしい。艦内には医療設備も長期居住区もあって、航空機だけじゃなく舟艇や車両の運用まで考えられてる」
エリシアが目を細めた。
「つまり、空母というより移動基地?」
「その表現の方が近い」
レイブンは画像を見続けていた。
第一次異界大戦の頃。
異界へ向かうということは、補給線が切れることを覚悟することでもあった。
食料も。
弾薬も。
医療も。
帰還経路も。
すべてを門に依存した。
だが、この艦なら。
門を越えた先に海さえあれば、一つの巨大な拠点を丸ごと移動させられる。
「これ、STYXも載せられる?」
レイブンが尋ねる。
「設計案を見る限り、小型舟艇だけじゃなく複数種類の上陸支援艇まで収容対象になってる」
再び通信端末が鳴った。
『聞こえました』
「Nyx、ずっと聞いてたの?」
『聞いていました』
「寝ろよ」
『こんな艦を見せられて寝られるわけないでしょう』
ルナの声は明らかに弾んでいた。
『左右に独立した飛行甲板があって、舟艇運用区画まであるなら、STYXの母艦にもできますよね。負傷者を艦内医療施設へ直接運べるなら、水上救難との相性もいいです』
「まだ計画段階だぞ」
『分かっています』
「浮くかどうかも確認してないって父さんが言ってる」
『浮かせます』
ヴォルターが眉を上げた。
「お前が設計するのか?」
『必要なら手伝います』
「完全に欲しくなってるな」
エリシアが笑った。
少しの間。
戦争が始まって以来、張り詰め続けていた作戦室に穏やかな空気が戻った。
やがてルナが画面を見ながら、小さく言った。
『名前、まだないんですよね』
「計画名称はあるけど、FENRIRで使う場合の正式艦名は決まってない」
『だったら……《ヴァルハラ》はどうですか』
レイブンが振り返る。
「ヴァルハラ?」
『はい。この艦なら、戦闘機を飛ばすだけじゃない。兵士を運んで、舟艇を運んで、怪我人を治療して、遠い場所にいる人たちを帰還させる基地にもなる。だったら、ただの空母みたいな名前より似合うと思います』
エリシアが巨大双胴艦を見上げる。
「《VALHALLA》……悪くないね」
ヴォルターだけは腕を組んだままだった。
「名前を決める前に、本当に建造できるか確認しろ」
「父さんは夢がないな」
「全長が一キロを超える船を見せられて、最初に心配するのが浮力なのは技術屋として正常だ」
「それはそう」
再び小さな笑いが生まれる。
だが、その時。
HUGINNの警報が作戦室に響いた。
全員の表情が同時に変わった。
「第二異界門から新規増援を確認! これまでで最大規模です!」
レイブンは中央表示へ向き直る。
未来の巨大艦を映していた画面が消え、現在の戦場へ切り替わった。
「連邦防衛線へ全部送って。RATATOSKRは進撃方向を追跡、HUGINNは各国軍との通信を維持してくれ」
「了解!」
「GUNGNIRとTYRは?」
「既に出撃準備完了!」
エリシアも通信機を取る。
「EINHERJAR、全隊出動。今回は連邦軍の第二防衛区を支える」
ルナの声も続いた。
『STYX、河口方面へ出ます』
「Nyx」
『分かっています。追いすぎません』
「俺も気をつける」
『約束ですよ』
「ああ」
レイブンはISG-42A3《RAVEN》を手に取った。
その時、中央画面の隅には、先ほどまで見ていた日本製航空機と小銃、そしてアメリカから提案された巨大双胴実験艦の資料が縮小表示されたまま残っていた。
どれほど優れた装備が届いても、それだけで戦争が終わるわけではない。
航空機を受け取れば操縦する者が必要になり、整備する者と燃料を運ぶ者も必要になる。新しい小銃の技術を学べば、それを安全に製造し、補給し、使い続ける仕組みを作らなければならない。そして巨大な艦を得たとしても、その中で働く何千という人間がいなければ、ただ海に浮かぶ巨大な鋼鉄の塊にしかならない。
FENRIRが必要としているのは、奇跡の兵器ではなかった。
戦場へ向かう者を支え、負傷した者を救い、孤立した者へ手を伸ばし、最後には帰るべき場所まで連れて帰れる仕組みだった。
レイブンは巨大双胴艦の資料を一度だけ振り返った。
今はまだアメリカ側から示された異界環境実証艦の構想にすぎない。
だが、もし本当に建造され、門を越え、FENRIRの艦として海へ出る日が来るのなら。
その艦は、ただ敵を攻撃するための航空母艦にはならないだろう。
航空部隊を運び、舟艇を抱え、傷病者を受け入れ、物資を蓄え、遠征部隊の生活を支えながら、異界の海そのものを帰還路へ変える巨大な移動拠点になる。
やがて正式にFENRIR海軍へ編入されるその艦は、艦番号FV-01を与えられ、超大型双胴航空母艦――VALHALLAと呼ばれることになる。
そして、その巨大な艦体には後に一つの理念が刻まれる。
戦うためだけに海を越えるのではなく、仲間を運び、守り、そして帰還させるために世界と世界を繋ぐという、FENRIRそのものを表す理念だった。
「NoX」
エリシアが出口から呼んだ。
レイブンは未来の艦から視線を外す。
「今行く」
未来を考える時間は、ここまでだった。
今の連邦共和国には、まだ四分の一しか残っていない。
第二異界門は開いたままであり、そこから新たな侵攻部隊が出現している。
日本ではFENRIRの残留部隊が災害救援を続け、自由都市では次の輸送部隊が出発準備を進め、連邦共和国の防衛線では旧抵抗軍の兵士たちが再び同じ敵を迎え撃とうとしている。
レイブンはエリシアと並んで歩き始めた。
日本から届く翼も、アメリカから提案された巨大艦も、今すぐ目の前の戦線を救ってくれるものではない。
それでも、第一次異界大戦の頃とは違う。
あの頃の彼らは、門の向こうから来るものを恐れながら、自分たちだけで生き残る方法を探していた。
今は門の向こうにも、手を差し伸べようとする国がある。
ならば、その手が届くまで。
そして、その先にある新しい力を自分たちのものとして使える日が来るまで。
FENRIRがやるべきことは変わらない。
これ以上、連邦共和国から帰る場所を奪わせない。
レイブンは仲間たちとともに再び戦場へ向かった。
その背後では、まだ名だけを与えられた巨大な双胴艦の設計図が静かに表示され続けていた。
いつの日か、その艦が本当に海を渡る時。
FENRIRの戦場は、陸や河川だけではなく、海と空を越え、その先にある新たな世界へまで広がっていくことになる。




