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黒猫年代記  作者: @12
第二部 ~Ⅱ~ FENRIR ― 戦狼となった黒猫 ― Season 4 #067~
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92/189

Season 5「境界の兆候」  #092

第92話「第二の門」

 日本国への災害派遣が続く中でも、日本と異界抵抗勢力の世界を結ぶ門は閉じなかった。

 十二秒の微弱な空間変動は再び観測されたものの、門そのものの安定性に重大な変化はなく、人員と救援物資の通行も制限付きながら継続されていた。日本側では自衛隊、消防、警察、医療機関、自治体とFJMGが共同して被災地の救援を続け、異界側では自由都市と帝国、連邦共和国が追加物資の準備を進めている。

 それまでの数日間で、レイブン・S・クロウ〔無名(ノックス)〕はようやく一つの感覚を掴み始めていた。

 異界門は、必ずしも戦争を運んでくるものではない。

 第一次異界大戦で彼らが知った門は侵略の入口だった。

 だが日本へ繋がった門は違った。

 外交官が来た。

 研究者が来た。

 救援要請が届いた。

 そして今では、二つの世界の人間が同じ被災地で泥にまみれながら、見知らぬ誰かを助けている。

 門は道にもなれる。

 レイブンはそう思い始めていた。

 だからこそ。

 その日、もう一つの門が開いた時。

 誰より早く、彼は理解した。

 すべての門が、日本へ続いているわけではない。

 午前四時十二分。

 連邦共和国東部海域。

 最初に異常を捉えたのは沿岸監視施設だった。

 水平線上。

 海上。

 陸地から数十キロ離れた場所で、複数の観測装置が同時に異常値を示した。

 魔力濃度上昇。

 空間位相偏差。

 局所的な気象変化。

 そして。

 海面から空へ向かって、一本の亀裂が走った。

 十二秒ではなかった。

 消えない。

 細い線だったものが拡大し、周囲の空間を歪めながら巨大な楕円へ変化していく。

 沿岸監視所から連邦共和国軍司令部へ第一報が届いた。

 その数十秒後。

 緊急警報。

 さらに一分後。

 魔導観測班が判定を更新した。

 異界門形成。

 だが。

 そこから先は、日本との門とはまるで違った。

 門の向こうから。

 最初に出てきたものは外交官ではなかった。

 武装した部隊だった。

 その数は、数十人ではない。

 後続がいる。

 さらに後続。

 海上へ展開する異界由来の大型構造物。

 飛行能力を持つ存在。

 魔導反応。

 複数の大型目標。

 そして門の向こう側には、まだ無数の反応が続いていた。

 警告通信への応答はない。

 停止要求にも応じない。

 連邦共和国側が警戒態勢へ移行するより早く、最初の攻撃が始まった。

 午前四時二十九分。

 連邦共和国東部沿岸防衛線から緊急通信。

『攻撃を受けている!』

 それが。

 第二の門から始まった最初の戦闘記録となった。

 日本国。

 午前四時三十四分。

 FJMG前進調整所。

「NoX!」

 レイブンは仮眠用の椅子から立ち上がった。

 ノア・ヴェルナー〔暗号(サイファー)〕が通信卓を振り返っている。

「どうした?」

「異界側から最優先通信!」

「門?」

「違う」

 ノアの顔が青ざめていた。

「……いや、門だ」

 レイブンの表情が変わる。

「日本との門?」

「そっちは安定してる」

「じゃあ何だよ」

 中央画面が切り替わった。

 地図。

 見慣れた世界。

 帝国。

 連邦共和国。

 自由都市。

 その東。

 海。

 赤い印が一つ。

「連邦共和国東部海域」

 ノアが言った。

「新規異界門」

 レイブンの呼吸が止まった。

「いつ?」

「二十二分前」

「状況」

「異界門から大規模武装勢力が出現。連邦共和国軍と交戦開始」

 エリシアが入ってきた。

「何が起きたの?」

 レイブンは彼女を見る。

 言葉が一瞬出なかった。

「エリシア」

「何?」

「連邦東部に門が開いた」

 彼女の顔から表情が消える。

「……日本とは別?」

「別だ」

 ノアが続ける。

「日本との門は正常。こっちは完全な新規開門」

「相手は?」

「不明」

「会話は?」

「確認できてない」

「攻撃は?」

 ノアが画面を見る。

「もう始まってる」

 エリシアの手が僅かに震えた。

 連邦共和国。

 彼女の故郷。

「第一次と……同じなの?」

 レイブンは即答しない。

「まだ分からない」

 だが。

 送られてきた映像を見た瞬間。

 彼の金と黒の瞳が細くなった。

 沿岸部。

 炎。

 撤退する連邦軍。

 海上から押し寄せる敵。

 上空を横切る異界由来の飛行目標。

 そして。

 巨大な門。

 第一次異界大戦。

 あの時と同じ。

 外交官はいない。

 警告もない。

 交渉のための時間すら与えず。

 軍隊が先に来た。

「……くそ」

 レイブンが低く呟く。

 その瞬間。

 FJTF最優先警報が発令された。

 自由都市。

 旧ヴァルナ港。

 帝国。

 連邦共和国。

 各地に展開するFJMG部隊。

 そして日本へ災害派遣されている部隊。

 すべてに同じ警報が流れる。

 異界門由来大規模武力侵入事態。

 レイブンは通信機を取った。

「自由都市へ繋いで」

「もう繋がってる」

 画面にエミリアが映る。

『NoX』

「状況は?」

『悪い』

「父さんは?」

『ここにいる』

 ヴォルター・クロウが画面へ入る。

 表情を見た瞬間。

 レイブンには分かった。

「父さん」

『第一次の記録と照合した』

「似てる?」

 ヴォルターは短く答えた。

『似ている』

 その言葉だけで十分だった。

『だが同一とは断定するな』

「分かってる」

『相手が誰なのか、何を目的としているのか、第一次と同じ勢力なのか、まだ分からん』

「でも攻撃してる」

『それは確認済みだ』

 ヴォルターの声が低くなる。

『だから、そこについては迷うな』

 レイブンは頷いた。

 午前五時。

 連邦共和国政府は東部沿岸地域へ非常事態を宣言。

 同時に、帝国及びFJTFへ正式な軍事支援要請を送った。

 JIRMCA締結後の日本国にも、事態発生が通知された。

 ただし。

 レイブンはすぐに日本側へ兵力を求めなかった。

「NoX」

 日本側連絡担当者が尋ねる。

「こちらの災害派遣部隊はどうしますか」

 レイブンは被災地図を見る。

 まだ日本には救助を待つ人々がいる。

 その一方で。

 自分たちの世界では戦争が始まりつつある。

「全部は戻さない」

 エリシアが彼を見る。

「レイブン?」

「日本の災害は終わってない」

「でも連邦が」

「分かってる」

 レイブンは苦しそうに答える。

「だから必要な部隊だけ先に戻す」

 FJMGは一つの場所へ全戦力を投げ込むための組織ではない。

 十二の部隊がある。

 指揮官もいる。

 任務も分けられる。

「日本側の救助活動を途中で放り出したら、俺たちは何のために協定を結んだんだ」

 エリシアは数秒黙る。

 そして頷いた。

「分かった」

 だが彼女の声は震えていた。

 故郷が攻撃されている。

 母親もいる。

 友人も。

 かつての仲間も。

 レイブンはその手を握った。

「エリシア」

「……大丈夫」

「大丈夫じゃなくていい」

 彼女がレイブンを見る。

「一緒に帰る」

「うん」

「連邦へ」

「うん」

「絶対に」

「ああ」

 午前五時十八分。

 FJMG再配置命令。

 WOLF PACK。

 EINHERJAR主力。

 HUGINN戦闘情報部門。

 RATATOSKR主力。

 TYR。

 GUNGNIR。

 戦闘任務へ移行。

 HEIMDALLは日本門及び自由都市側の警戒を最大級へ引き上げる。

 BIFROSTは戦略輸送へ。

 DVERGRは日本災害救援部隊と異界側戦闘支援部隊へ分割。

 IDUNNも同様。

 SKYFALLは一部を日本での救難待機に残し、主力を異界側へ戻す。

 STYX。

 レイブンは一瞬迷った。

「Nyx」

『こちらNyx』

「聞いてたな」

『全部』

 ルナの声は静かだった。

「日本側救難任務は?」

『沿岸部の緊急救助は縮小段階。日本側だけでも継続可能な地域が増えています』

「分かった」

『兄様』

 勤務中という言葉を。

 レイブンは今回は言わなかった。

「何?」

『私も戻ります』

「……ああ」

『連邦東部なら水上戦力が必要になります』

「分かってる」

『STYXを使ってください』

 妹ではない。

 Nyx。

 部隊指揮官がそう言っている。

「帰還準備」

『了解』

 午前六時。

 最初のFJMG部隊が日本側から異界門を通過し始めた。

 数日前。

 彼らは飲料水や医薬品、救難装備を積んで日本へ来た。

 今。

 逆方向へ戻る。

 目的が違う。

 救助ではなく。

 防衛。

 日本側の隊員たちが、その光景を見ていた。

 WOLF PACKの隊員が装備を確認する。

 EINHERJARが車両へ乗る。

 TYRの部隊が初めて本格的な戦闘準備へ入る。

 GUNGNIRの火力部隊が輸送待機。

 BIFROSTが門通過順序を整理する。

 日本側連絡担当者がレイブンへ近づいた。

「NoX指揮官」

「はい」

「日本での救援活動については、我々が引き継ぎます」

 レイブンは相手を見る。

「まだFENRIRの部隊も残します」

「承知しています」

「途中で帰ってすみません」

「謝ることではありません」

 相手は異界側から届く戦況表示を見る。

「あなた方の家が攻撃されているのでしょう」

 レイブンは答えなかった。

「帰ってください」

 その言葉。

 レイブンの耳が動いた。

「……ありがとうございます」

「こちらは任せてください」

 JIRMCA。

 相互協力。

 相互救難。

 今度は。

 日本側がFENRIRの背中を押した。

 レイブンは門を越える。

 左肩が熱くなる。

 エリシアも一瞬胸元を押さえる。

 だが二人とも止まらない。

 自由都市。

 FJTF統合作戦室。

 そこへ戻った時。

 戦況はすでに悪化していた。

「NoX!」

 エミリアが地図を表示する。

「東部第一防衛線突破!」

「早すぎる!」

「敵の展開速度が予測以上!」

「連邦軍は?」

「後退中!」

 地図上。

 赤い表示が広がる。

 沿岸部だけではない。

 敵は上陸後。

 止まらなかった。

 連邦共和国軍は第一次異界大戦後に再建されている。

 弱い軍隊ではない。

 だが敵の規模が違った。

 門から出現する部隊が途切れない。

 複数方向へ展開。

 沿岸防衛線を突破。

 都市部へ。

 交通拠点へ。

 補給線へ。

 押し込んでくる。

 第一次異界大戦の悪夢が。

 別の海で再現されていた。

 第一日。

 東部沿岸防衛線崩壊。

 第二日。

 連邦共和国東部の複数都市が放棄される。

 第三日。

 住民の大規模避難開始。

 FJMGは到着した部隊から戦線へ投入された。

 だが。

 敵の圧力は止まらない。

 WOLF PACKが退路を開く。

 EINHERJARが住民を守る。

 STYXが河川と沿岸から避難者を運ぶ。

 BIFROSTが昼夜を問わず人員と物資を移送する。

 DVERGRが壊れた橋の代わりとなる経路を作る。

 IDUNNの医療拠点には負傷者が絶えない。

 HUGINNは敵の通信と魔導反応を解析。

 RATATOSKRは前線を監視。

 SKYFALLは空から救難と支援。

 GUNGNIRが後退する部隊を支える。

 TYRは大型目標への対処へ投入される。

 HEIMDALLは門と自由都市を守る。

 十二部隊が。

 初めて戦争として動いた。

 それでも。

 押される。

 十日。

 二週間。

 三週間。

 地図の色が変わっていった。

 連邦共和国の東部。

 失陥。

 南東部。

 失陥。

 北東方面。

 戦線後退。

 中央部へ避難民が集中。

 レイブンは毎日。

 地図を見た。

 赤い地域が増える。

 味方の領域が減る。

「また後退?」

「……はい」

 ノアが答える。

「第七防衛線を放棄」

「住民は?」

「大部分を退避。ただし確認できていない地域が残ってる」

「WOLF PACKを――」

 言いかけて。

 レイブンは止まった。

 自分たちも限界に近い。

「RATATOSKRの情報は?」

「迂回路候補二つ」

「STYX」

「河川側から一つ使える」

「なら三つ」

 レイブンは指示を出す。

「全部使う」

 誰か一人でも。

 帰す。

 だが。

 戦況そのものは。

 悪化し続けた。

 開戦から約一か月。

 FJTF統合作戦室。

 誰も喋らなかった。

 中央画面には。

 連邦共和国の地図。

 かつて広大だった国土。

 その大半が、敵の侵攻圏あるいは交戦地域として表示されている。

 連邦共和国政府が確実に行政・軍事統制を維持できている領域。

 およそ。

 従来領土の四分の一。

 エリシアは地図を見ていた。

 動かない。

 レイブンが隣へ立つ。

「エリシア」

「……私の国」

 声が震えた。

「うん」

「こんなに小さかったっけ」

 レイブンは答えられない。

「ここも」

 彼女が指す。

「昔、母と行った」

 別の場所。

「ここは兄がいた部隊の駐屯地」

 もう一つ。

「ここ……」

 指が止まる。

 赤い。

 敵占領圏。

 エリシアは手を下ろした。

「なくなるの?」

「……」

「連邦共和国」

 レイブンは彼女を見る。

 簡単に「なくならない」とは言えなかった。

 戦況を見れば。

 誰にでも分かる。

 このままなら。

 滅亡する。

 国土を失う。

 政府が機能を失う。

 軍も補給できなくなる。

 そして最後には。

 帰る場所そのものが消える。

「NoX」

 ノアが声を上げる。

 レイブンが振り返る。

「何?」

「連邦共和国軍統合司令部から」

「内容」

 ノアは読み上げる。

「首都圏防衛線への後退を開始」

 エリシアが目を閉じた。

 その場にいた全員が意味を理解した。

 首都防衛。

 そこまで押された。

「避難民は?」

「推定で数百万規模。正確な集計不能」

「補給」

「逼迫」

「軍の損耗」

「大きい」

「敵は?」

「増えてる」

 レイブンは両手を机についた。

 第一次異界大戦。

 あの時。

 帝国と連邦共和国は互いに戦っていた。

 異界軍が来た。

 だから停戦した。

 抵抗軍を作った。

 そして生き残った。

 今度は。

 最初から協力している。

 FENRIRもある。

 十二の部隊も。

 共同規格も。

 経験も。

 それでも。

 敵の規模が、それを上回っている。

「NoX」

 エミリアが言う。

「帝国側でも全面動員準備に入った」

「……分かった」

「各国も増援を出す」

「うん」

「日本側にも状況は共有済み」

 レイブンが顔を上げる。

「日本は?」

「JIRMCAに基づく緊急協議を要請してる」

 まだ。

 何が決まるかは分からない。

 日本国がどこまで関与するのか。

 自衛隊が異世界の戦闘へ参加するのか。

 物資だけなのか。

 医療だけなのか。

 輸送なのか。

 それとも。

 さらに踏み込むのか。

 それをレイブンが決めることではない。

「分かった」

 それだけ答えた。

 その夜。

 レイブンは自由都市の岸壁にいた。

 海を見る。

 隣にエリシア。

 少し遅れてルナも来た。

 三人とも。

 疲れていた。

「兄様」

「うん」

「連邦共和国……」

 ルナは続けられない。

 エリシアが代わりに言う。

「まだある」

 ルナが彼女を見る。

「四分の一でも」

 エリシアは海を見る。

「まだある」

 その声には。

 泣きそうな震えと。

 戦場で何度も聞いた強さが同居していた。

「だったら」

 レイブンが言う。

 二人が彼を見る。

「そこから押し返す」

 威勢のいい言葉ではない。

 勝てると断言したわけでもない。

「一気にじゃなくていい」

 レイブンは続ける。

「一つずつだ」

 道。

 橋。

 町。

 避難所。

 港。

 河川。

「取られた場所を全部一度に見たら、遠すぎる」

 レイブンはエリシアを見る。

「だから一つずつ帰る」

「帰る?」

「うん」

「連邦共和国へ?」

「違う」

 レイブンは首を振った。

「連邦共和国を、帰れる場所に戻す」

 エリシアの目から。

 一滴だけ涙が落ちた。

 レイブンは何も言わず、その手を握った。

 反対側からルナも握る。

 三人で海を見る。

 第一次異界大戦では。

 異界門が二つの敵国を、一つの抵抗軍へ変えた。

 日本へ繋がった門は。

 二つの世界に、協力する方法を教えた。

 そして今。

 三つ目の門が。

 再び戦争を連れてきた。

 日本との門は、まだ開いている。

 東部海域の門も、開いている。

 一つは人と物資を救う道。

 一つは軍勢を吐き出し続ける道。

 同じ異界門でありながら。

 意味は正反対だった。

 その夜。

 連邦共和国首都圏。

 最後の大規模防衛線で。

 兵士たちは塹壕を掘っていた。

 その背後には避難民。

 さらにその向こうには。

 もう後退できる土地がほとんど残っていない。

 そして自由都市のFJTF司令部では。

 一通の緊急文書が受理された。

 差出元。

 日本国。

 件名。

 《日・異界抵抗勢力相互協力協定に基づく緊急共同対処協議》

 レイブンはその文書を開く。

 長い戦争になる。

 そう感じた。

 だが。

 今度のFENRIRは。

 第一次異界大戦の頃の抵抗軍ではない。

 十二の実働部隊がいる。

 二つの旧敵国がいる。

 共に戦った諸国がいる。

 そして門の向こうには。

 数週間前まで存在すら知らなかった、新しい隣人がいた。

 レイブンは立ち上がる。

「全員集めて」

 ノアが振り返る。

「十二部隊?」

「ああ」

「作戦会議?」

 レイブンは地図を見る。

 四分の一まで追い込まれた連邦共和国。

 その東。

 軍勢を吐き出し続ける異界門。

「作戦会議だ」

 金と黒の瞳が、赤く染まった地図を見据える。

「これ以上、帰る場所を減らさせない」

 第二の大戦は。

 宣言を待たず。

 すでに始まっていた。

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