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黒猫年代記  作者: @12
第二部 ~Ⅱ~ FENRIR ― 戦狼となった黒猫 ― Season 4 #067~
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Season 5「境界の兆候」  #090

第90話「帰るための道」

 日本国への災害派遣が始まってから、最初の夜が明けようとしていた。

 地平線の向こうがわずかに白み始めても、被災地から重機の音が消えることはなかった。道路の亀裂には仮設照明が並び、泥と海水に覆われた市街地では、自衛隊や消防、警察、医療関係者が交代しながら活動を続けている。

 そこへ加わった《FENRIR統合任務群》――FENRIR Joint Mission Group、FJMGも同じだった。

 ただし、誰もが眠らずに働き続けているわけではない。

 レイブン・S・クロウ〔無名(ノックス)〕が最初に徹底させたのは、休息だった。

「交代時間を過ぎた隊員は下げろ。まだ動けるって言ってもだ」

 FJMG前進調整所。

 中央卓には日本側から共有された被災地図と、HUGINNが統合したFENRIR側の情報が重ねられている。

 レイブンはその前に立ちながら、各部隊の稼働状況を確認していた。

「でもNoX」

 ガイル・ベッカー《Hound》が言う。

「お前がそれ言う?」

「言う」

「自分は?」

「二時間寝た」

「二時間を睡眠に数えるな」

「昨日Valkyrieにも言われた」

「じゃあ聞けよ」

「うるさい」

 その会話を聞いていたエリシア・L・ヴォルハラム=クロウ〔戦乙女(ヴァルキリー)〕が振り返った。

「Hound」

「はい」

「もっと言って」

「了解」

「何でそっちで連携するんだよ」

 疲労の濃い室内に、小さな笑いが生まれた。

 だがレイブンは、それを止めなかった。

 こういう時ほど必要だった。

 災害現場では、誰もが焦る。

 まだ助けを待っている人間がいると知れば、休むことに罪悪感を覚える。

 あと一人。

 あと一軒。

 あと一時間。

 そうやって身体を削り、最後には救助する側まで動けなくなる。

 第一次異界大戦で、それを嫌というほど見てきた。

「救助側が倒れたら、救助される側が増える」

 レイブンは言った。

「だから交代する。これは命令だ」

 ガイルが表情を戻す。

「了解、NoX」

 レイブンは地図へ視線を戻した。

 前日に救出した百三十七名は、全員が安全地域へ移送されている。

 だが被災地全体から見れば、それは最初の一歩にすぎなかった。

 孤立集落。

 浸水地域。

 道路寸断。

 橋梁損傷。

 医療施設の機能低下。

 避難所への物資不足。

 行方不明者。

 赤い表示はまだ多い。

 そして午前五時十三分。

 新たな救難要請が届いた。

「NoX」

 ノア・ヴェルナー〔暗号(サイファー)〕が顔を上げる。

「日本側から緊急」

「出して」

 中央画面が切り替わる。

 山間部。

 沿岸から離れている。

「津波じゃない?」

「地震被害」

 ノアが拡大する。

「大規模な斜面崩落で道路が二方向とも寸断。集落と小規模医療施設が孤立してる」

「人数」

「住民と患者、職員を合わせて二百人前後。正確な数字は確認中」

「航空救助は?」

「日本側が検討中。ただし……」

 気象情報が重なる。

 レイブンは眉を寄せた。

「天候?」

「悪化予報」

 そこへSKYFALLから通信が入る。

『NoX、こちらSKYFALL。日本側航空管制と確認した。現在は飛行可能だが、山間部は雲が下がっている。長時間の安定運用は保証できない』

「無理に飛ばすな」

『了解』

「地上は?」

 DVERGRから返答。

『崩落規模を確認中。大型車両が直接入るのは難しい』

「徒歩なら?」

『可能性はある。ただし二次崩落の評価が必要』

 レイブンは地図を見た。

 昨日は水だった。

 今日は山。

 STYXの舟艇は使えない。

 だからといって、STYXが不要という意味でもなかった。

 FJMGは十二部隊を毎回すべて最前線へ送り込む組織ではない。

 必要な能力を、必要な場所へ置く。

「RATATOSKRに偵察を頼む。DVERGRは地盤と崩落状況を日本側工兵部門と確認。SKYFALLは飛べる間に偵察と緊急搬送へ回して。ただし天候が悪化したら下げる」

「EINHERJARは?」

 エリシアが尋ねる。

「先発救助班」

「了解」

「WOLF PACKも行く」

 エリシアがじっと見る。

「レイブン」

「分かってる」

「まだ何も言ってない」

「先頭に一人で行かない」

「もう一つ」

「何?」

「自分で全部やろうとしない」

 レイブンが黙る。

「……分かった」

「本当に?」

「昨日から信用なさすぎだろ」

「昨日までの実績があるから」

 反論できなかった。

 午前六時二十一分。

 RATATOSKRから最初の映像が届いた。

 山肌が大きく崩れている。

 道路は途中で消え、土砂と倒木が谷へ向かって流れ込んでいた。

 さらに悪いことに、別の斜面にも亀裂が確認された。

「ここは通せない」

 DVERGRの技術担当が即座に判断する。

 レイブンは聞く。

「迂回は?」

「尾根側に旧道があります」

「使える?」

「車両は無理です。人員なら調査する価値があります」

「日本側は?」

「同じルートを検討しています」

 レイブンは頷いた。

「じゃあ勝手に入らない。一緒に確認する」

 第一次異界大戦の頃なら。

 彼はもう歩き始めていたかもしれない。

 自分が見に行けば早い。

 自分なら突破できる。

 そう考えて。

 だが今は違う。

 自分の後ろにはWOLF PACKだけではない。

 FJMGがある。

 日本側の救援組織もいる。

 指揮官が勝手に危険へ飛び込むことは、勇敢なのではなく、全体の選択肢を一つ減らす行為になり得る。

「NoX」

 エリシアが小さく呼ぶ。

「何?」

「今、行こうと思った?」

「……ちょっとだけ」

「顔で分かる」

「最近みんな俺の顔読みすぎじゃない?」

「長い付き合いだから」

 午前七時。

 混成先発隊が出発した。

 WOLF PACK。

 EINHERJAR。

 DVERGR。

 IDUNN。

 RATATOSKR。

 そして日本側の救助・工兵要員。

 レイブンは歩きながら、周囲を見る。

 見慣れない日本の山。

 舗装された道路。

 ガードレール。

 標識。

 住宅。

 電線。

 自動販売機。

 第一次異界大戦の異界遠征とは何もかも違う。

 なのに。

 災害が通り過ぎた場所には、奇妙な共通点があった。

 人間が作ったものが壊れている。

 誰かの家がある。

 生活用品が散らばっている。

 そして。

 そこに住んでいた人間が帰れなくなっている。

 レイブンは前を見る。

「行こう」

 旧道へ入る。

 歩き始めて三十分ほど経った頃だった。

「止まって」

 ミレイア《Lynx》が手を上げた。

 全員が止まる。

「どうした?」

「音」

 レイブンの猫耳も動く。

 遠い。

 低い。

 地面の奥から響いてくるような音。

「余震!」

 日本側要員が叫んだ。

 次の瞬間。

 山が揺れた。

「斜面から離れろ!」

 土が落ちる。

 小石。

 枝。

 斜面上部から砂埃が上がる。

 レイブンは反射的に前へ出ようとして。

 止まった。

「全員、確認!」

 自分が行くのではない。

 見る。

 指示する。

 部隊を動かす。

「WOLF PACK!」

『異常なし!』

「EINHERJAR!」

『全員確認!』

「DVERGR!」

『一名転倒、負傷なし!』

「日本側!」

「全員います!」

 揺れが収まる。

 レイブンは大きく息を吐いた。

 エリシアが彼を見る。

「行かなかったね」

「……行きそうにはなった」

「止まれたなら進歩」

「子供扱いしてない?」

「少し」

「妻が厳しい」

「生きて帰ってほしいから」

 その言葉には何も返せなかった。

 調査を続ける。

 DVERGRと日本側技術者が慎重に経路を確認し、危険箇所を避けて進路を選ぶ。

 午前九時過ぎ。

 孤立集落が見えた。

 道路の向こう。

 人影。

 こちらに気づく。

「救助隊です!」

 日本側隊員が声を上げる。

 何人かが手を振った。

 その後ろに。

 見慣れないFENRIRの制服。

 猫系亜人。

 犬系亜人。

 人間種。

 帝国と連邦共和国から来た混成部隊。

 昨日と同じように、住民たちは驚いていた。

 だが昨日とは少し違った。

「FENRIRだ」

 誰かが言った。

 レイブンの耳が動く。

「知ってる?」

 ガイルが小声で聞く。

「俺に聞くなよ」

「昨日のニュースじゃないか?」

 日本側の担当者が答える。

「皆さんの救援活動、報道されています」

「……もう?」

「異世界から災害派遣部隊が来たとなれば」

 レイブンは困った顔をする。

「目立ちたくないんだけど」

「その耳で?」

 エリシアが言う。

「それはどうしようもないだろ」

 集落へ入る。

 医療施設は建物そのものに大きな損傷はなかった。

 しかし電力が不安定。

 水も制限されている。

 そして搬送が必要な患者がいた。

 IDUNNと日本側医療班が動き始める。

「重症患者三名、優先搬送」

「SKYFALLに繋いで」

「天候悪化まで時間がありません」

「飛ばせる?」

『こちらSKYFALL。日本側管制から進入許可。搬送可能』

「無理はするな」

『了解』

 数十分後。

 山間に航空機の音が響いた。

 FENRIR側の航空救難能力と、日本側の管制・受け入れ体制。

 JIR-DELIで紙の上に定められていた相互運用が、初めて実災害の中で動いている。

 エリシアが患者搬送を見ながら呟く。

「協定、ちゃんと意味があったね」

「うん」

「まだ締結してそんなに経ってないのに」

「紙だけじゃなかった」

 レイブンは答えた。

 昼前。

 さらに問題が起きた。

「NoX!」

 DVERGRの担当者が駆けてくる。

「何?」

「旧道の一部が余震で崩れました」

「戻れない?」

「徒歩なら別経路があります。ただし患者搬送には向きません」

 レイブンの表情が固まる。

 入ってきた道が切れた。

 第一次異界大戦なら、嫌な言葉が頭をよぎる状況だった。

 孤立。

 だが。

 今回は違う。

「BIFROST」

『こちらBIFROST』

「聞こえてた?」

『聞いている』

「別経路から補給できる?」

『DVERGRと確認する』

「STYX」

『こちらNyx』

「そっちは?」

『沿岸救助継続中です』

「そのまま続けて。こっちは山だから来なくていい」

『了解。でも兄様――』

「勤務中」

『NoX』

「何?」

『帰ってきてくださいね』

 レイブンは一瞬だけ黙る。

「もちろん」

 通信を切る。

 エリシアが横を見る。

「今のは即答するんだ」

「妹との約束だから」

「私は?」

「エリシアとも約束してるだろ」

「確認しただけ」

 午後。

 DVERGRと日本側工兵部門が、新たな徒歩経路を確保した。

 同時にBIFROSTが反対側から物資を運ぶ。

 SKYFALLは天候が許す間に緊急患者を搬送し、飛行条件が悪化する前に撤収。

 航空機が使えなくなってからは、地上搬送へ切り替える。

 一つの手段が閉じれば。

 別の手段へ。

 無理に続けない。

 それが今回のFJMGだった。

 午後四時。

 医療施設に残っていた最後の搬送対象者が、安全地域へ向けて出発した。

 残る住民については、避難か現地待機かを日本側自治体が判断する。

 FENRIRが決めることではない。

 レイブンはそこも越えなかった。

 彼らは占領軍ではない。

 日本の行政を代わりに行うために来たのでもない。

 求められた場所へ。

 必要な能力を出す。

 それだけだった。

「NoX」

 日本側の現地責任者が近づく。

「ありがとうございました」

「まだ終わってません」

「ええ」

 相手も地図を見る。

「まだ救助要請があります」

「なら行きます」

「休息を取ってからお願いします」

 レイブンが少し驚く。

「日本側からも言われた」

「こちらでも、救助隊員の疲労は問題になりますから」

 エリシアが笑う。

「聞きました?」

「聞きました」

「これで三方向から言われたね」

「父さんに知られたら四方向になる」

「Sageにも言われるよ」

「五方向……」

 日本側担当者が思わず笑った。

 その笑いを見て。

 レイブンも笑った。

 夕刻。

 FJMG前進調整所へ戻ったレイブンを待っていたのは、山のような報告書だった。

「……救助より辛いかもしれない」

 ノアが即答する。

「書いて」

「Cipher、代わって」

「指揮官でしょ」

「こういう時だけ立場を尊重するなよ」

 エミリアからも通信が入る。

『NoX』

「今度は何?」

『日本側との装備運用記録、全部残して』

「全部?」

『JIR-DELIの初実働だから』

「明日じゃ駄目?」

『忘れる前に』

「鬼」

『聞こえてる』

「聞かせた」

『追加するよ』

「ごめんなさい」

 夜。

 ようやく休憩に入ったレイブンは、仮設宿営区の外へ出た。

 空を見る。

 日本の夜空。

 星は見える。

 異界だからといって。

 空の色まで違うわけではなかった。

「ここにいた」

 エリシアが来る。

「探した?」

「少し」

「ごめん」

「何考えてたの?」

 レイブンはしばらく空を見る。

「FENRIRのこと」

「うん」

「俺、最初はWOLF PACKみたいな部隊があればいいと思ってた」

「突破する部隊?」

「うん」

 危険な場所へ先に入る。

 道を開く。

 敵を排除する。

「でも今日、WOLF PACKだけだったら何もできなかった」

 エリシアは黙って聞く。

「山はDVERGRが見た。患者はIDUNNが診た。空はSKYFALL。情報はRATATOSKRとHUGINN。物資はBIFROST。そっちはEINHERJAR」

「STYXは沿岸部」

「うん」

 十二部隊。

 それぞれ違う。

「強い部隊を一個作るより、できることが違う部隊を繋ぐほうが大事だったのかもしれない」

「それに気づいた?」

「今さら」

「遅くないよ」

 エリシアは彼の隣に立つ。

「NoXは道を開く」

「うん」

「でも道って、自分一人で最後まで作るものじゃないでしょう?」

 レイブンは彼女を見る。

「最初の一歩を作る人がいて、そこを広げる人がいて、物を運ぶ人がいて、怪我した人を助ける人がいて、最後に誰かが家まで繋ぐ」

「……そうだな」

 レイブンは少し笑った。

「十二部隊にしてよかった」

「でしょう?」

「でも指揮するの大変」

「そこは頑張って」

「助けてよ」

「もちろん」

 その時。

 レイブンの通信端末が鳴った。

「NoX」

『こちら前進調整所』

「どうした?」

『日本側から新規救難要請』

 レイブンとエリシアの表情が同時に変わる。

「場所は?」

『沿岸北部。小規模な町です』

「被害は?」

 僅かな沈黙。

『津波で地区の大半が浸水。現在、夜間捜索が続いています』

「行方不明者?」

『多数』

 レイブンは目を閉じる。

 まだ終わらない。

「分かった」

 立ち上がろうとする。

 エリシアが肩を掴んだ。

「何?」

「交代要員」

「でも」

「あなたが言ったでしょう」

 救助側が倒れたら、救助される側が増える。

 自分の言葉だった。

 レイブンは黙る。

「……誰が出られる?」

 通信へ尋ねる。

『WOLF PACK第二班、EINHERJAR救難班、IDUNN第二医療班が即応可能。RATATOSKR夜間偵察班も待機しています』

「指揮官は?」

『現地指揮資格者を確保済み』

 レイブンは少し迷った。

 以前なら。

 自分が行った。

 NoXが行く。

 自分が見なければ。

 自分が助けなければ。

 だが今。

 FENRIRには十二の部隊がいる。

 自分が眠っていても動ける人間がいる。

 それこそが組織だった。

「……任せる」

『了解』

「情報は全部こっちにも送って」

『了解』

 通信が切れる。

 エリシアが笑った。

「成長したね」

「すごく不安」

「それでいいんじゃない?」

「行きたい」

「駄目」

「少しだけ」

「駄目」

「見るだけ」

「寝る」

「はい」

 二人は宿営区へ戻る。

 その頃。

 別のFJMG救難班が夜の日本へ出発していた。

 NoXはいない。

 Valkyrieもいない。

 Nyxも別地域にいる。

 それでも部隊は動く。

 RATATOSKRが見る。

 HUGINNが繋ぐ。

 EINHERJARが守る。

 IDUNNが救う。

 BIFROSTが運ぶ。

 DVERGRが道を作る。

 必要ならSTYXが水から入り、SKYFALLが空へ上がる。

 そしてWOLF PACKが、まだ誰も入っていない場所へ最初の一歩を踏み出す。

 FENRIRはもう。

 レイブン一人の速さに依存する部隊ではなかった。

 午前零時を過ぎた頃。

 レイブンは仮設寝台へ横になった。

 隣ではエリシアが装備を外している。

「エリシア」

「何?」

「起きたら、みんな帰ってきてるかな」

「帰ってくるよ」

「絶対とは言えないだろ」

「うん」

 エリシアは否定しなかった。

「だから帰ってこられるように、みんなで繋いでるんでしょう?」

 レイブンは天井を見る。

「……そうだな」

 目を閉じる。

 遠くで車両のエンジン音が聞こえる。

 別の班が出発する音。

 自分がいなくても。

 救助は続いている。

 それを信じて休むことも。

 今のNoXに必要な仕事だった。

 その夜。

 日本国の被災地では、二つの世界の人々が同じ地図を囲んでいた。

 国籍も違う。

 種族も違う。

 技術も違う。

 制服も違う。

 それでも地図に書き込まれている言葉は同じだった。

 孤立。

 要救助。

 医療。

 輸送。

 通行可能。

 そして。

 帰還。

 《FENRIR統合任務群》にとって初めての異世界災害派遣。

 その二日目。

 FENRIRは初めて、NoX自身が先頭に立たなくても誰かを助けに行ける組織になり始めていた。

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