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黒猫年代記  作者: @12
第二部 ~Ⅱ~ FENRIR ― 戦狼となった黒猫 ― Season 4 #067~
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83/189

Season 5「境界の兆候」  #083

第83話「消えた岩肌」

 帝国北西部へ向かうにつれて、窓の外から人の営みが減っていった。

 国境地帯を出発した頃には、街道沿いに新しい家や倉庫が並び、復興工事の車両や交易用の貨物車と何度もすれ違った。だが数時間も走れば建物は疎らになり、舗装された道路の両側を針葉樹林が覆い始める。

 さらに北西へ進むと、遠くの稜線には雪が残っていた。

 第一次異界大戦では主要戦場にならなかった地域である。

 だからこそ、戦争の痕跡が少ない。

 砲撃で崩れた建物もなければ、異界軍が築いた陣地跡もない。避難のため放棄された集落こそ存在するが、帝国各地に残る戦災地域と比べれば、この山岳地帯は異様なほど昔の姿を保っていた。

 レイブン・S・クロウ〔無名(ノックス)〕は車窓から山々を眺めていた。

「……静かだな」

 隣に座っていたガイル・ベッカー《Hound》が答える。

「静かなほうがいいだろ」

「もちろん」

「じゃあ何だ、その顔は」

「どんな顔?」

「何か出てくると思ってる顔」

 レイブンは少し眉を寄せた。

「そんな顔してる?」

「してる」

 向かい側で端末を操作していたノア・ヴェルナー〔暗号(サイファー)〕が顔を上げる。

「正確には、何か起きた時に最初に飛び出そうとしてる顔」

「そこまで分かる?」

「付き合い長いから」

「お前ら最近、俺の扱い雑じゃない?」

「信用してるんだよ」

 ガイルが笑う。

「お前が危険を見つけたら、こっちが止めない限り近づくってな」

「それ信用って言わないだろ」

 少し離れた席から、ミレイア・フェルン《Lynx》が視線だけを向ける。

「NoX」

「何?」

「昨日、先行しすぎって反省会で言われたばかり」

「覚えてるよ」

「ならいい」

「……俺、隊長だよな?」

「だから言ってる」

 ディートリヒ・ハイゼン《Grizzly》は会話に加わらず、車内へ持ち込まれた装備一覧を確認していた。ヨハン・リヒター《Hawk》も窓の外へ視線を向けながら、山岳地形と地図を見比べている。

 いつものWOLF PACKだった。

 それだけでレイブンの緊張が少し和らぐ。

 今回の任務は戦闘ではない。

 観測施設と帝国軍技術調査班の護衛。

 敵の存在は確認されていない。

 異界門も存在しない。

 昨夜の十二秒間に記録された魔力変動と空間歪曲について、現地で原因を調べる。

 それだけだ。

 それでも、レイブンはISG-42A3《RAVEN》から手を離せなかった。

 弾薬は規定通り携行している。

 戦闘を求めているわけではない。

 何も起こらず帰れるなら、それが一番いい。

 だが第一次異界大戦を経験した身体は、頭で理解するほど簡単には警戒を解いてくれなかった。

「NoX」

 通信機からエリシアの声が聞こえる。

「こちらNoX」

『前方車両から連絡。観測施設まで十五分』

「了解」

『体調は?』

「問題なし」

 一瞬、通信の向こうが静かになった。

『もう一回聞くよ』

「何で?」

『あなたの問題なしは信用度が低いから』

 車内でガイルが吹き出した。

「笑うな」

『Houndいるの?』

「いる」

『なら見張ってて』

「了解、Valkyrie」

「何で即答するんだよ」

『左肩は?』

 レイブンは昨夜の感覚を思い出す。

「今は何ともない」

『本当に?』

「本当に」

『分かった。何かあったらすぐ言って』

「そっちもな」

『もちろん』

 通信が切れる。

 ガイルがニヤニヤしている。

「何」

「愛されてんな」

「窓から降ろすぞ」

「勤務中だろ?」

「……覚えてろ」

 車内に小さな笑いが広がった。

 だが、その空気が変わったのは十五分後だった。

 帝国北西部山岳観測施設。

 灰色の低い建物が山腹に張り付くように建っていた。

 巨大な基地ではない。

 観測棟。

 通信塔。

 小規模な宿舎。

 非常用発電設備。

 車両庫。

 第一次異界大戦後、異界由来の魔力変動を常時監視するため帝国各地に設けられた施設の一つだった。

 車列が正門を通過する。

 レイブンが車両から降りた。

 冷たい。

 旧ヴァルナより明らかに気温が低い。

 山から吹き下ろす風が黒髪を揺らし、猫耳が自然に伏せ気味になる。

「寒っ」

 ガイルが肩をすくめる。

「山だからな」

「隊長、その耳便利そうだな」

「寒いんだよ、普通に」

 別の車両からエリシアが降りる。

 EINHERJARの即応要員が続いた。

 今回は旅団全体ではない。

 調査班護衛と緊急救出に対応できる規模へ絞っている。

「NoX」

「Valkyrie」

 人前では自然にコールサインへ切り替わる。

「観測施設責任者が待ってる」

「行こう」

 観測棟へ入る。

 昨夜の主任技術員が迎えた。

「FENRIRの方ですね」

「WOLF PACK指揮官、NoXです」

「EINHERJAR、Valkyrie」

 主任は二人と握手する。

「こんな山奥まで申し訳ありません」

「何もないことを確認できれば、それでいいです」

 レイブンが答えた。

 主任が少し笑う。

「こちらも同じ気持ちです」

 中央観測室へ案内される。

 壁一面に並ぶ計器。

 魔力濃度。

 空間歪曲。

 地殻変動。

 気象情報。

 複数地点から送られてくる観測値。

 現在は全て正常だった。

「これが昨夜の記録です」

 主任が中央画面へ波形を表示する。

 レイブンは第82話で見たものと同じ記録を改めて現地で見る。

 十二秒。

 前半は小さい。

 途中から急激に強まり。

 七秒付近で二つに分かれる。

 十二秒で消失。

「現地で見ても意味分からないな」

 レイブンが呟く。

「安心してください。我々にも分かりません」

 主任が苦笑する。

「それ安心していいんですか?」

 エリシアが聞く。

「よくありませんね」

 別の技術士官が地図を表示した。

「推定発生地点はこちらです」

 観測施設から数キロ。

 谷。

「かなり狭いな」

 レイブンが地図へ近づく。

「人は?」

「定住者はいません」

「道路は?」

「途中まで。そこから徒歩です」

「昨夜以降、追加反応は?」

「ありません」

「動物の異常は?」

 エリシアが尋ねる。

「現在のところ報告なしです」

「魔力濃度は?」

「正常」

「空間歪曲?」

「正常」

 レイブンが腕を組む。

「本当に十二秒だけか」

「はい」

 そこへノアが入ってきた。

「NoX」

「何かあった?」

「第二観測所と第三観測所の生データ受け取った」

「どう?」

「第三は同時刻に反応。第二はなし。ただ……」

 ノアが地図を見る。

「地形を考えると、発生地点はこの谷周辺でほぼ合ってると思う」

 レイブンは頷く。

「現地へ行こう」

 エリシアが横を見る。

「先行しない」

「分かってる」

「一人で行かない」

「分かってるって」

「何か見つけても触らない」

「子供じゃないぞ」

「念のため」

「俺への信用どこ行った?」

「別のところにはある」

 調査班の技術士官が笑いを堪えている。

「……聞かなかったことにしてください」

 レイブンが言った。

「努力します」

 午前十一時三十二分。

 現地調査班が観測施設を出発した。

 途中までは車両。

 そこから徒歩。

 WOLF PACKが調査班の周囲を警戒する。

 EINHERJARは後方を支え、緊急時の救出経路を確保する。

 敵はいない。

 少なくとも、今のところは。

 雪解け水が地面を濡らしている。

 木々の間から差し込む光。

 風が枝を揺らす。

 遠くで鳥が鳴いている。

 レイブンは歩きながら、何度も周囲を見る。

 〔殺気看破(アタック・シールド)〕。

 反応なし。

 敵意はない。

 危険を示す感覚もない。

「NoX?」

 ミレイアが気づく。

「何でもない」

「スキル?」

「うん」

「反応は?」

「ない」

「ならいい」

 それでも警戒は続ける。

 しばらく進むと、谷へ入った。

 両側に岩壁。

 中央を細い雪解け水が流れている。

 技術士官が携帯観測装置を確認する。

「魔力値、正常」

 別の調査員。

「空間歪曲、検出なし」

 レイブンは周囲を見る。

 何もない。

「外れか?」

 ガイルが言う。

「そうなら帰れる」

「それが一番だな」

 さらに進む。

 五十メートル。

 百メートル。

 何もない。

 調査班が複数地点で測定する。

 正常。

 正常。

 正常。

「推定中心点まであと二十メートル」

 ノアが言った。

 レイブンは前を見る。

 その時。

「止まって」

 ミレイアだった。

 全員が足を止める。

「Lynx?」

「あそこ」

 彼女が指す。

 岩壁。

 レイブンには最初、何がおかしいのか分からなかった。

 自然な岩肌。

 苔。

 亀裂。

 雪解け水。

 だが近づいて見ると、違和感がある。

「……何だ、これ」

 岩の一部だけが妙に滑らかだった。

 破砕されていない。

 焦げてもいない。

 切断された形跡もない。

 直径数十センチほど。

 そこだけが、まるで薄い層を綺麗に取り除いたように消えている。

「全員、その場で止まれ」

 レイブンの声が変わった。

 調査班も止まる。

「技術班」

「はい」

「近づく前に遠隔測定できる?」

「できます」

「やってください」

 エリシアがレイブンを見る。

「触らなかったね」

「俺だって学ぶよ」

「偉い」

「子供扱いするな」

 技術士官が携帯装置を向ける。

 数値が表示される。

「魔力反応……なし」

「なし?」

「はい」

「放射熱?」

「なし」

「残留魔力?」

「検出限界以下」

 レイブンは眉を寄せる。

「じゃあ何で岩が消えてる?」

 誰も答えられなかった。

 別の技術員が拡大光学装置で表面を見る。

「破砕痕がありません」

「溶けた?」

「熱変性も見えません」

「削った?」

「工具痕なし」

 エリシアが静かに尋ねる。

「自然現象の可能性は?」

「現時点では否定できません。ただ……」

 技術員が言葉を止める。

「この形状は、少し不自然です」

 レイブンは岩肌を見る。

 そこにあったはずのものだけが、抜け落ちている。

 破壊されたのではない。

 失われた。

 そんな印象だった。

「NoX」

 ノアが呼ぶ。

「ここ、推定中心点とほぼ一致してる」

 空気が変わった。

「誤差は?」

「十数メートル以内」

 レイブンは消えた岩肌を見る。

「昨夜の十二秒……」

 エリシアが続ける。

「ここで起きた?」

「可能性はある」

 調査班が慎重に測定範囲を広げる。

 レイブンたちは周囲を警戒する。

 十五分。

 三十分。

 一時間。

 異常なし。

 追加反応なし。

 やがて技術班が岩の一部から試料を採取した。

 周囲の正常な部分と、消失面付近。

 観測施設へ持ち帰って比較する。

「結局、何なんだ?」

 ガイルが尋ねる。

「まだ分からない」

 レイブンが答えた。

「敵じゃない?」

「分からない」

「門?」

「分からない」

「事故?」

「それも分からない」

「分からないだらけだな」

「そういう時に勝手に答えを作るのが一番危ない」

 ガイルは少し意外そうにレイブンを見る。

「何?」

「いや」

「何だよ」

「隊長らしくなったなと思って」

「前から隊長だよ」

「そういう意味じゃねえよ」

 ガイルは笑う。

 その時だった。

 レイブンの左肩が熱を持った。

「――っ」

 息が止まる。

「NoX?」

 エリシアが即座に気づく。

「肩?」

「待って」

 熱い。

 昨夜と同じ。

 いや。

 近い。

 もっと近い。

 身体の奥を何かが撫でていく。

 レイブンの猫耳が立つ。

 〔殺気看破(アタック・シールド)〕は反応していない。

 敵意ではない。

 攻撃でもない。

 なのに。

「全員、下がれ」

 レイブンが言った。

「何か感じるの?」

「分からない。でも下がって」

 エリシアは質問しなかった。

「全員後退。調査班も!」

 人員が岩壁から距離を取る。

「Cipher」

「観測値は正常!」

「技術班?」

「異常ありません!」

 レイブンは岩壁を見る。

 何もない。

 五秒。

 十秒。

 十五秒。

「NoX?」

 ガイルが呼ぶ。

「……消えた」

「何が?」

「感覚」

 レイブンが肩を押さえる。

 エリシアが近づく。

「昨日と同じ?」

「似てる」

「痛みは?」

「ない」

 その瞬間。

 エリシアの表情も変わった。

「……っ」

「エリシア?」

 彼女が胸元へ手を置く。

「私も」

 レイブンの表情が固まる。

「同じ?」

「一瞬だけ」

 二人を見る調査班。

 ノアが端末を確認する。

「観測機器は何も拾ってない」

「本当に?」

「全部正常」

 レイブンとエリシアだけ。

 昨夜も。

 今も。

 何かを感じている。

 レイブンが岩壁を見る。

 消えた部分。

 異界由来かもしれない現象。

 そして、自分たちの身体。

「この件も記録して」

 レイブンが言った。

「NoX?」

「俺とValkyrieが同時に異常感覚を覚えた。昨夜の観測時間帯にも同じことがあった」

 エリシアが頷く。

「隠さないほうがいい」

「うん」

 レイブンは少し嫌そうな顔をした。

「父さんに知られるな」

「絶対知られるね」

「病院送りかな」

「間違いなく」

「帰ったら怒られる」

「それで済めばいいけど」

 ガイルが肩をすくめる。

「隊長、帰還後のほうが危険じゃねえか」

「うるさい」

 だが冗談を言えたのは、そこまでだった。

「NoX」

 ミレイアの声が低くなる。

 レイブンが振り返る。

「どうした?」

「さっきと違う」

「何が?」

 ミレイアが岩壁を指す。

「消えてるところ」

 全員の視線が向く。

 レイブンは目を細めた。

 最初に見つけた時。

 消失面は一つだった。

 今は。

「……二つ?」

 そのすぐ隣。

 ほんの指先ほどの大きさ。

 新しい欠損がある。

「さっきあった?」

 エリシアが尋ねる。

「ない」

 ミレイアは即答した。

「確認した」

 技術班が記録画像を呼び出す。

 発見直後の岩壁。

 そこにはない。

「いつ増えた?」

「分かりません」

「観測装置は?」

「反応なしです!」

 レイブンは岩壁から目を離さない。

 自分とエリシアが異常を感じた時間。

 十数秒。

「時間を確認して」

 ノアが端末を見る。

「NoXが後退を指示してから、感覚が消えたと言うまで……」

 一度、表示を確認する。

 ノアの顔から表情が消えた。

「十二秒」

 誰も言葉を発しなかった。

 山を抜ける風だけが聞こえる。

 レイブンの金と黒の瞳が、二つの欠損を見つめる。

 昨夜。

 十二秒。

 今日。

 十二秒。

 そして今度は。

 観測装置に何も残さず、岩の一部だけが消えた。

「全員、これ以上近づかない」

 レイブンが静かに言った。

「調査を一旦中止する」

 技術士官が振り返る。

「しかし試料が――」

「試料はもうある。人間を追加で危険に晒す理由はない」

 レイブンは迷わなかった。

「撤収します」

 エリシアも頷く。

「EINHERJAR、帰還準備。技術班を優先して下げる」

「WOLF PACKは最後尾」

 ガイルがレイブンを見る。

「了解」

「全員いるか?」

「いる」

「負傷者?」

「なし」

「装備遺失?」

「なし」

 レイブンは最後に岩壁を見る。

 答えは何一つ得られていない。

 むしろ疑問が増えた。

 十二秒の異常。

 二つに分かれる波形。

 消失した岩。

 観測装置に映らない二度目の現象。

 そして。

 それを感じ取った自分とエリシア。

「帰るぞ」

 WOLF PACKが動く。

 山を下り始める。

 帰路。

 レイブンは何度か振り返った。

 谷は静かだった。

 追ってくるものはない。

 〔殺気看破(アタック・シールド)〕も反応しない。

 それでも。

 何かがそこに触れた。

 その事実だけは、もう否定できなかった。

 午後五時四十八分。

 調査班は全員、観測施設へ帰還した。

 負傷者なし。

 行方不明者なし。

 装備損失なし。

 レイブンは人数を確認してから、ようやく息を吐いた。

「全員帰った」

 エリシアが隣へ来る。

「うん」

「それで十分?」

「今日はね」

 エリシアはレイブンの左肩を見る。

「次は病院」

「やっぱり?」

「当然」

「父さんには?」

「もう報告行ってると思う」

「……逃げたい」

「WOLF PACK指揮官でしょう?」

「父親は指揮系統の外だから怖いんだよ」

 エリシアが笑った。

 その頃。

 旧ヴァルナ港。

 ルナはFENRIR共通回線に表示された帰還報告を見ていた。

 調査隊、全員帰還。

 その一文を確認して、ようやく肩から力を抜く。

「帰ってきた……」

 フィオナが隣で笑う。

「言ったでしょう?」

「うん」

「NoXから通信来るんじゃない?」

 直後。

 端末が鳴った。

「……兄様」

 ルナが回線を開く。

『こちらNoX』

「こちらNyx」

『調査班、全員帰還』

「確認しました」

『STYX、異常なし?』

「ありません。河川も沿岸も正常です」

『了解』

 一瞬、沈黙。

 ルナが尋ねる。

「兄様」

『勤務中』

「今だけ」

 レイブンが向こうで息を吐く気配がした。

『何?』

「おかえり」

 少し間があった。

『……ただいま』

 通信が切れる。

 ルナは微笑んだ。

 だが。

 帝国北西部の谷では。

 誰もいなくなった岩壁の前を、夕暮れの風が通り抜けていた。

 二つの消失痕。

 大きなもの。

 小さなもの。

 そこに三つ目はなかった。

 まだ。

 太陽が山の向こうへ沈む。

 谷が暗くなる。

 そして完全な夜が訪れた頃。

 岩壁の前。

 何もない空間が、僅かに歪んだ。

 一秒。

 二秒。

 音はない。

 光もない。

 警報も鳴らない。

 ただ景色だけが、薄い水面を通して見るように揺れる。

 五秒。

 六秒。

 七秒。

 揺らぎの中央に、細い線が現れる。

 昨日より長い。

 今日の昼より明確だった。

 十秒。

 十一秒。

 十二秒。

 本来なら、そこで消えるはずだった。

 だが。

 十三秒。

 線は残った。

 十四秒。

 僅かに広がる。

 十五秒。

 そしてようやく、消えた。

 静寂が戻る。

 岩壁には新しい傷が残っていた。

 今度は、岩だけではない。

 その前に生えていた一本の細い草が、茎の途中から消えていた。

 切断面はない。

 焼けてもいない。

 千切れてもいない。

 そこにあった部分だけが、存在しなくなっていた。

 十二秒。

 その時間は、もう絶対ではなくなっていた。

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