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黒猫年代記  作者: @12
第二部 ~Ⅱ~ FENRIR ― 戦狼となった黒猫 ― Season 4 #067~
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78/189

Season 4「NoX」 #078

第78話「水に道を拓く者たち」

 旧ヴァルナ河口国際港湾区での教練が始まって三日目の朝、ルナ・クロウたち八名は、本来なら立ち入る予定のなかった港湾施設の奥にいた。

 きっかけは、タルク・フェルナーだった。

 前日の訓練で使用した旧式訓練艇の点検を終えた後、彼は整備施設の構造を調べていた。もちろん勝手に設備を分解したわけではない。レイブンから許可された範囲内で、旧港湾施設の設備配置を確認していただけだった。

 そこで、一つの不自然な建物を見つけた。

 港の外れ。

 河川側の岸壁に沿って建てられた、巨大な格納庫だった。

 扉には帝国軍と旧港湾警備隊の標章が並んで残されている。

「これ、民間施設じゃないよな」

 タルクが錆の浮いた扉を見上げた。

 カイ・ロッテンも隣へ立つ。

「軍用?」

「多分」

 セレス・アイレンが携帯していた旧港湾図面を開いた。

「地図だと、ここだけ空白になってる」

「空白?」

「倉庫番号もない。港湾管理局の図面なのに」

「だったら余計に怪しいね」

 フィオナ・リューンが面白そうに覗き込む。

「開けてみる?」

「勝手に開けたら怒られる」

 ルナが即座に止めた。

「兄様――じゃなくて、クロウ教官に?」

「ファルコン教官のほうが怖いと思う」

 リリア・メイヴが冷静に答える。

「技術設備だから」

「確かに」

 全員が納得した。

 結局、八人はエミリアを呼んだ。

 連絡を受けて現れたエミリア・R・ヴァレンシュタイン〔猟鷹(ファルコン)〕は、薄い保護眼鏡を掛けたまま格納庫の扉を見上げると、携帯端末で旧管理記録を確認した。

「……なるほど」

「何か分かりましたか?」

 ルナが尋ねる。

「旧帝国軍河川警備計画の施設」

「河川警備?」

「第一次異界大戦より前の話。帝国と連邦共和国の関係が悪化した時期、この河口一帯を防衛するために試験的な舟艇部隊を配置する構想があったみたい」

 エミリアは端末を操作する。

「ただし正式な部隊編制へ移る前に両国間の戦争が始まった。港そのものが閉鎖され、舟艇群は別の基地へ移送される予定だった」

「予定だった?」

 タルクが反応する。

「記録上はね」

 エミリアが格納庫を見る。

「でも、どうやら全部は運ばれなかったらしい」

 軍の管理部門へ連絡が入り、施設開放の許可が下りたのは昼過ぎだった。

 巨大な扉が、何年ぶりかも分からない時間を経てゆっくり開いていく。

 金属の軋む音が無人港へ響いた。

 暗い格納庫へ光が差し込む。

 最初に見えたのは、艇首だった。

「……艇?」

 カイが呟いた。

 一隻ではない。

 その奥にもある。

 さらに奥にも。

 大小の船体が、整然と並べられていた。

 長期間放置されていたため埃を被っている。塗装の劣化もあり、整備なしですぐ動かせる状態ではない。

 それでも、形は残っている。

 エミリアが記録を確認しながら歩く。

「河川指揮艇。高速攻撃艇。偵察艇。輸送艇。上陸支援艇……こっちは撤退・救難用。さらに潜水支援用の母艇まである」

「こんなに?」

 エリス・ヴァールが驚く。

「試験計画だったから、用途の違う艇をまとめて評価する予定だったみたいね」

 ルナは言葉を失っていた。

 昨日まで乗っていた訓練艇とは違う。

 目の前にある舟艇群には、それぞれ明確な目的がある。

 運ぶための艇。

 守るための艇。

 探すための艇。

 助けるための艇。

 戦うための艇。

 そして帰るための艇。

 ルナは格納庫の中央まで歩いた。

 埃を被った一隻の船体へ手を触れる。

「これ……使えませんか?」

 エミリアがルナを見る。

「何に?」

「訓練に」

「修復できればね」

「その後も」

「その後?」

「……部隊として」

 周囲が静かになった。

 カイがルナを見る。

 セレスも。

 レンも。

 リリアも。

 タルクも。

 フィオナも。

 エリスも。

 エミリアだけが表情を変えなかった。

「続けて」

 ルナは少し考えてから口を開いた。

「昨日、クロウ教官が言いました。水を見て、行けないと決めつけるなって」

「言ったね」

「だったら、水から行くことを最初から考える部隊があってもいいと思います」

 エミリアは何も言わない。

「陸の部隊が川で止まった時に渡す。孤立した人がいたら迎えに行く。怪我人がいたら運ぶ。物資が必要なら届ける。それだけじゃなくて、必要なら戦う」

 ルナは舟艇群を見る。

「この艇を、それぞれの役割に合わせて使えませんか?」

「今のままでは無理」

 エミリアは即答した。

 ルナの耳が僅かに下がる。

「そうですか……」

「今のままでは、と言ったでしょう?」

 ルナが顔を上げた。

「直せばいい」

 タルクが反応した。

「ファルコン教官」

「何?」

「機関部、見てもいいですか?」

「私が立ち会うなら」

「お願いします」

 カイが艇を見回す。

「操船系統は?」

「確認する」

「俺も見たいです」

「許可する」

 セレスが図面へ目を落とす。

「航法装置は旧式ですか?」

「相当古い」

「港湾図と河川図に合わせて使えるか確認したいです」

「いいでしょう」

 フィオナが手を上げる。

「通信装置は?」

「それも旧式」

「じゃあ港の通信塔と繋げられませんか?」

「面白い質問ね」

 エミリアの青灰色の瞳が細くなる。

「自分で確かめてみる?」

「はい!」

 その日から、教練予定が少しだけ変わった。

 正確には、変えさせられた。

 発端となった八名の志願兵が、あまりにも熱心だったからだ。

 一週間。

 わずか一週間だけ、エミリアの監督下で旧舟艇群を調査し、教育用として使用可能な範囲まで復旧・改修する許可が与えられた。

 ただし条件があった。

 軍の正式装備である以上、勝手な改造は禁止。

 安全性を損なう変更も認められない。

 実戦用兵装の追加や危険な試験は行わない。

 志願兵たちができるのは、既存装備の構造を理解し、整備し、どのような任務に使えるかを考え、必要な変更案を技術士官へ提出するところまでだった。

 それで十分だった。

 一日目。

 八人は舟艇を調べた。

 二日目。

 使えるものと使えないものを分けた。

 三日目。

 意見が割れた。

「全部速くする必要はない」

 セレスが言った。

「でも遅かったら救助に間に合わないだろ」

 カイが反論する。

「輸送艇まで高速艇と同じにする必要はないって意味」

「それは分かるけど」

「だったら役割を分ければいい」

 ルナが二人の間へ入った。

「速い艇は先に行く。輸送艇は後から来る」

「護衛は?」

 リリアが尋ねる。

「必要だと思う」

「だったら攻撃艇は救助艇より先行できる位置に置いたほうがいい」

「でも敵がいなかったら?」

「偵察艇が先に確認する」

 レンが静かに口を挟んだ。

「水中からも」

「そこまでやるの?」

「水上だけ見てたら見落とす」

 議論が続いた。

 四日目。

 エミリアの机には、志願兵たちから提出された質問票が山になった。

「ファルコン教官」

 フィオナがまた来た。

「今度は何?」

「指揮艇と偵察艇と上陸支援艇で通信方式が違います」

「古い計画だからね」

「統一できませんか?」

「できる」

「本当ですか?」

「技術的には。ただし共通規格に合わせるなら軍上層部への申請が必要」

「じゃあ申請します」

「誰が?」

「私が」

「志願兵が?」

「……駄目ですか?」

「駄目とは言ってない」

 エミリアは少し笑った。

「まず書式を覚えなさい」

「はい!」

 その隣ではタルクが整備記録を抱えていた。

「ファルコン教官」

「今度はあなた?」

「この艇、整備性が悪いです」

「設計者に言って」

「もう退役してるんじゃ」

「多分ね」

「じゃあ直していいですか?」

「何を?」

「整備しやすく」

「説明が雑」

「……図面持ってきます」

「そうして」

 五日目には、舟艇群の役割が見え始めた。

 指揮艇。

 攻撃艇。

 高速偵察艇。

 輸送艇。

 上陸支援艇。

 撤退・救助艇。

 潜水支援艇。

 工兵艇。

 それぞれを単独で使うのではない。

 組み合わせる。

 探す。

 繋ぐ。

 運ぶ。

 守る。

 直す。

 救う。

 そして帰す。

 六日目。

 初めて複数艇を同時に動かした。

 失敗した。

 艇同士の連絡が遅れた。

 進路判断が重なった。

 先行艇が速すぎた。

 後続艇が離れた。

 救助役がどこへ向かうべきか分からなくなった。

 港へ戻った八人は、誰も満足していなかった。

「もう一回」

 ルナが言った。

「今日は終わり」

 エミリアが答えた。

「でも」

「疲労した状態で同じことを繰り返しても、悪い癖を覚えるだけ」

「……はい」

「失敗を忘れるな。明日直しなさい」

 七日目。

 彼らは再び水へ出た。

 完璧ではなかった。

 それでも前日とは違った。

 カイが全体の艇運動を意識する。

 セレスが位置と進路を整理する。

 レンが先行して水域を見る。

 リリアが周囲の変化を拾う。

 タルクが艇の状態を把握する。

 フィオナが通信を繋ぐ。

 エリスが救助対象を受け入れる準備を整える。

 ルナは、その全ての情報を聞いていた。

 そして必要な時だけ判断する。

 訓練艇が港へ戻った時、エミリアは岸壁から八人を見ていた。

「……なるほど」

 後ろにいたエリシアが聞く。

「どう?」

「面白い」

「それ、技術士官として?」

「両方」

「レイブンには?」

「まだ何も言ってない」

「どうして?」

「本人たちが言うべきでしょう」

 エリシアが笑った。

「意地悪」

「教育よ」

 その日の夕方。

 港湾訓練基地として使用されている旧管理事務所で、レイブンは一人、書類と向き合っていた。

 教官という仕事は、思っていた以上に紙が多い。

 訓練記録。

 個人評価。

 装備使用記録。

 負傷報告。

 施設利用報告。

 さらにISG-42A3《RAVEN》の評価資料まである。

「……戦場のほうが書類少なかった気がする」

 レイブンが呟いた。

「それは戦場で書類仕事を他人に任せてたからじゃない?」

 向かいの机でエリシアが答える。

「そんなことない」

「ファルコンが結構やってたよ」

「……今度謝ろう」

「そうして」

 その時だった。

 事務所の扉が叩かれた。

「どうぞ」

 レイブンが答える。

 扉が開く。

 最初に入ってきたのはルナだった。

 その後ろに七人いる。

 全員揃っていた。

 レイブンは嫌な予感を覚えた。

「何か壊した?」

「壊してません」

「本当に?」

「兄様」

「勤務中」

「……クロウ教官」

「何だ」

 ルナが一枚の書類を差し出した。

「提案があります」

 レイブンは受け取った。

 表紙を見る。

 正式な書式ではない。

 だが内容は整理されている。

 旧ヴァルナ港残置河川用特殊舟艇群を基礎とした、特殊水上任務部隊の試験編制案。

 レイブンの眉が上がった。

「……部隊?」

「はい」

 ページをめくる。

 河川。

 沿岸。

 港湾。

 孤立地域への輸送。

 偵察。

 救難。

 撤退支援。

 工兵支援。

 通信中継。

 必要時の火力支援。

 一週間で考えたとは思えないほど、役割が整理されている。

「誰が書いた?」

「全員です」

「ファルコンは?」

「質問には答えてくれました。でも部隊案そのものは私たちで考えました」

「エリシア」

「私は何もしてないよ」

「知ってた?」

「知ってた」

「俺だけ?」

「教官だから」

「便利な言葉だなあ……」

 レイブンは書類を閉じた。

「志願兵クロウ」

「はい」

「説明しろ」

 ルナが一歩前へ出た。

 兄を見ているのではない。

 一人の兵士として教官を見ている。

「この港に残っていた舟艇は、単独では古い装備です。でも役割を分けて一緒に使えば、今の軍にないことができます」

「例えば?」

「陸路が切れた場所への侵入と救助です」

 即答だった。

「続けろ」

「第一次異界大戦では橋が落ちたり、道路が塞がれたりして、帰れなくなった部隊があったと聞きました」

「あった」

「だったら、その人たちを水から迎えに行く部隊が必要です」

 レイブンは黙って聞く。

「偵察艇が先に道を探します。危険があれば攻撃艇や支援艇が守ります。輸送艇で人や物資を運びます。怪我人がいたら救助艇へ乗せます。壊れた場所なら工兵艇が支援します。水中に問題があるなら潜水支援も使います」

「理想通りにはいかないぞ」

「分かっています」

「天候で出られないこともある」

「その時は出ません」

「任務は?」

「別の方法を探します」

「敵に水路を読まれたら?」

「同じ道を使い続けません」

「艇が一隻故障したら?」

「残りで任務を組み直します」

 レイブンは次々と質問した。

 ルナだけが答えたわけではなかった。

 操船について問えばカイが答える。

 航法ならセレス。

 水中活動ならレン。

 観測ならリリア。

 整備ならタルク。

 通信ならフィオナ。

 救護ならエリス。

 答えられないこともあった。

 その時は、分からないと認めた。

 それがレイブンには好ましかった。

 知ったふりをするより、ずっといい。

「最後に一つ」

 レイブンはルナを見る。

「なぜお前がこれをやりたい?」

 ルナは少しだけ黙った。

 ここまでの質問とは違う。

 装備の話ではない。

 部隊編制の話でもない。

 自分自身の話だった。

「兄様を帰すためです」

 レイブンの目が僅かに動いた。

「志願兵クロウ」

「今だけ、そう呼ばせてください」

 ルナは退かなかった。

「私は兄様が戦争から帰ってくるのを待っていました。何度も、もう帰ってこないんじゃないかと思いました」

 レイブンは何も言わない。

「兄様は帰りたい人を帰す兵士になった。でも、その兄様を帰す人は誰なんだろうって、ずっと思ってた」

 エリシアが静かにルナを見る。

「エリシア姉様がいた。仲間もいた。だから兄様は帰ってこられた。でも次の戦争でも、必ず同じとは限らない」

「ルナ」

「だから私は、兄様みたいな人を帰せる兵士になりたい」

 声は震えていなかった。

「前へ進む人を止めたいんじゃない。戦う人に戦うなって言いたいんでもない。その人たちが帰る道を失った時に、別の道を作りたい」

 ルナは窓の向こうを見る。

 その先には夕暮れの河川がある。

「陸が駄目なら、水から行く」

 レイブンは妹を見ていた。

「川があるなら川を使う。海があるなら海を越える。橋がなくても、道路がなくても、迎えに行く」

 ルナは再び兄を見る。

「私はNoXにはなれません」

「……うん」

「なりたいとも思いません」

「それでいい」

「でも、NoXが帰れなくなった時に迎えに行ける兵士にはなれます」

 レイブンの表情が止まった。

 ルナは一歩も退かなかった。

「そのための部隊を作りたいです」

 静かな事務所だった。

 外では河口の波が岸壁へ当たっている。

 レイブンは提出された書類を見る。

 妹だから許可するわけにはいかない。

 妹だから拒否するわけにもいかない。

 目の前にいるのは、一人の志願兵だ。

 なら教官として判断しなければならない。

「カイ・ロッテン」

「はい」

「お前も同じ意見か?」

「はい。俺は艇を動かします。誰かを迎えに行くなら、必ず戻せる操船を覚えたいです」

「セレス・アイレン」

「はい」

「お前は?」

「帰る方向を失わせません」

「レン・シュナイダー」

「水面だけでは見えないものを見つけます」

「リリア・メイヴ」

「先に危険を見つけます。知らなかったから帰れなかった、を減らしたいです」

「タルク・フェルナー」

「艇が壊れたなら直します。動かないなら動かせる方法を考えます」

「フィオナ・リューン」

「どれだけ離れても、仲間同士を繋ぎます」

「エリス・ヴァール」

「負傷者を受け取ります。どんな状態でも、帰すことを諦めません」

 最後にルナ。

「志願兵クロウ」

「はい」

「もし部隊を作るなら、お前は何をする?」

 ルナは仲間たちを一度見た。

 それから答えた。

「全員を帰します」

 レイブンはしばらく黙っていた。

 やがて椅子から立ち上がる。

「……甘い」

 八人の表情が引き締まった。

「計画も粗い。舟艇は古い。整備体系も未完成。人員も足りない。そもそもお前たちは、まだ志願兵だ」

「はい」

「正式部隊として認められるには、帝国軍だけじゃなく、港湾管理、技術部、場合によっては連邦共和国側との調整も必要になる」

「はい」

「一週間で考えた部隊案が、そのまま通ると思うな」

「はい」

「それでもやるか?」

 ルナは迷わなかった。

「やります」

 後ろの七人からも声が重なる。

「やります!」

 レイブンは息を吐いた。

 少しだけ笑った。

「なら、教官として許可する」

 ルナの耳が跳ねる。

「……本当ですか?」

「勘違いするな。正式な部隊創設を俺一人で決められるわけじゃない」

「はい!」

「まず試験班だ。この八人を基幹として、旧河川特殊舟艇群を使った実証教練を行う。結果をまとめて上へ出す」

「はい!」

「ファルコンに改修案の技術審査を頼め。勝手な改造は禁止。ヴァルキリーには共同運用の評価を頼む。ハウンドたちにも意見を聞け」

「はい、教官!」

「それと」

 レイブンは書類を持ち上げた。

「部隊を作りたいなら、名前くらい考えておけ」

「名前……」

「いつまでも『特殊水上任務部隊試験編制案』じゃ呼びにくい」

「確かに」

 フィオナが小声で呟いた。

「長すぎるね」

「そこは後で考えよう」

 ルナが答える。

 レイブンは彼女を見る。

 もう幼い妹には見えなかった。

 いや。

 家へ帰れば、きっと今まで通りの妹なのだろう。

 兄様と呼ぶ。

 エリシアと一緒になって自分の無茶を叱る。

 食卓で笑う。

 それでいい。

 だが軍服を着てここへ立つ彼女は、それだけではない。

 一人の兵士になろうとしている。

「志願兵クロウ」

「はい」

「許可条件をもう一つ追加する」

「何でしょうか」

「お前自身も帰れ」

「……はい」

「人を帰すことばかり考えて、自分が帰らない奴を俺は信用しない」

 ルナの表情が少しだけ柔らかくなる。

「兄様と同じですね」

「勤務中」

「……教官と同じですね」

「そういうことだ」

「必ず帰ります」

 レイブンは頷いた。

「なら行け。計画書を作り直してこい」

「はい!」

 八人が敬礼する。

 そして事務所を出ていった。

 扉が閉まった。

 数秒。

 レイブンは立ったままだった。

 エリシアが口を開く。

「嬉しそう」

「……怖い」

「そっち?」

「だって本当に部隊作ろうとしてる」

「許可したのはあなたでしょう?」

「そうだけど」

「ルナちゃん、あなたより行動力あるかもね」

「それが怖いんだよ」

 レイブンは椅子へ座った。

「河川特殊部隊だよ? 水上だけじゃなく潜水まで考えてる。救助艇も攻撃艇も輸送艇も使いたいって。あの子、最初は『自分に何ができるか探したい』って言ってたんだよ?」

「見つけたんでしょうね」

「早すぎない?」

「きっかけを見つける時なんて、そんなものじゃない?」

 レイブンは書類を見る。

「……NoXを迎えに行く部隊、か」

 エリシアは少し笑った。

「いいじゃない」

「何が?」

「あなた、ずっと人を帰す側だったでしょう?」

「うん」

「今度は帰してもらえるかもしれない」

「妹に?」

「妹だけじゃないよ」

 エリシアは窓の外を見る。

 旧格納庫では、八人の志願兵が再び舟艇群の周囲へ集まり始めていた。

「仲間に」

 その言葉を聞いて、レイブンも窓を見る。

 遠くにルナがいる。

 何かを説明している。

 カイが聞く。

 セレスが資料を見る。

 レンが船体を確認する。

 リリアが記録する。

 タルクは早くも整備箇所を指している。

 フィオナが通信機器を抱え、エリスが救難区画を確認している。

 そして、その少し後。

 エミリアが格納庫へ戻った瞬間、八人が一斉に彼女を取り囲んだ。

「ファルコン教官!」

「今度は何?」

「許可が出ました!」

「そう」

「驚かないんですか?」

「出ると思ってたから」

「知ってたんですか?」

「クロウ教官の性格を知ってるだけ」

「改修案を正式に見てもらえますか?」

「いいでしょう」

「あと通信系も」

「順番に」

「機関部も」

「タルク、あなたは待ちなさい」

「救難設備も確認したいです」

「エリスも後」

「航法装置は――」

「全員、一度黙りなさい」

 遠くからでも騒がしいのが分かった。

 レイブンが笑う。

「エミリア、大変そう」

「あなたが許可したからね」

「後で何か奢ろう」

「そうしたほうがいい」

 そこからさらに数日。

 試験班としての実証教練が正式に始まった。

 古い舟艇群は、ただ復旧されるだけではなかった。

 用途ごとに見直された。

 指揮・通信を担う艇。

 高速で先行する艇。

 偵察と情報収集を担う艇。

 人員と物資を運ぶ艇。

 孤立地点への接近を支援する艇。

 撤退と救難を優先する艇。

 水中活動を支える艇。

 障害除去や復旧を担う艇。

 その改修は派手なものではない。

 むしろ第一次異界大戦の教訓を反映し、整備しやすく、情報を共有しやすく、役割の違う艇同士が一つの部隊として動けることが優先された。

 エミリアは徹底していた。

 志願兵が「これを付けたい」と言えば、まず理由を聞く。

 理由が曖昧なら却下。

 目的が明確でも、安全性や整備性を損なうなら再検討。

 他の装備で代用できるなら、わざわざ新しいものを増やさない。

 それは兵器を格好よくする作業ではなかった。

 帰ってくるための道具へ変える作業だった。

 レイブンはその様子を、教官として見続けた。

 そして少しずつ理解した。

 ルナは自分とは違う。

 レイブンは道がなければ、自分が先頭に立って突破する。

 ルナは違う。

 道がなければ、仲間と一緒に別の道を探す。

 川を使う。

 艇を使う。

 情報を使う。

 通信を使う。

 仲間それぞれの得意分野を使う。

 それでも駄目なら、今まで存在しなかった道を作ろうとする。

 兄と妹。

 同じ「帰す」という目的を持ちながら、その方法は違っていた。

 だからこそ、レイブンは思い始めていた。

 この部隊は、自分の模倣ではない。

 ルナ自身の部隊になる。

 ある夕暮れ。

 試験を終えた舟艇群が、一隻ずつ港へ戻ってきた。

 河口から入ってくる艇を、レイブンとエリシアは岸壁から見ていた。

 先頭艇。

 指揮艇。

 輸送艇。

 救難艇。

 工兵支援艇。

 まだ正式名称はない。

 艇番号も暫定。

 塗装も統一されていない。

 それでも、一週間前まで格納庫で眠っていた舟艇が水を切って進んでいる。

 先頭艇の甲板に、ルナが立っていた。

 レイブンはその姿を見る。

「エリシア」

「何?」

「俺、少し分かったかもしれない」

「何を?」

「父さんが俺にSG-44を渡した時の気持ち」

「どんな?」

「行ってほしくない。でも、行くなら帰ってこられるものを持たせたい」

 エリシアは静かに微笑んだ。

「今度ヴォルターさんに言ったら?」

「絶対『今さら分かったか』って言われる」

「多分ね」

「だから言わない」

「意地っ張り」

「親子だから」

「自分で認めた」

「今のは忘れて」

 舟艇が岸壁へ近づく。

 ルナが教官を見つけた。

 家なら手を振っただろう。

 だが今は違う。

 姿勢を正す。

 敬礼する。

 レイブンも敬礼を返した。

 まだ彼女にコールサインはない。

 部隊名もない。

 正式な部隊創設命令も出ていない。

 しかし、その日。

 後に帝国、連邦共和国、そしてかつて抵抗軍を構成した国々から知られることになる一つの部隊が、初めて形を持った。

 水を障害ではなく道として捉え、河川から海へ、海から異界へと活動範囲を広げ、孤立した兵士のもとへ最短ではなく「帰れる道」を作る者たち。

 ルナ・クロウを中心とした八人の志願兵。

 彼らの思想は、すでに完成しつつあった。

 あとは、それに名前を与えるだけだった。

 やがて彼らが掲げる名は――

 STYX《河川特別舟艇隊》。

 そして、その先頭に立つ白猫系亜人の少女には、夜と水路を象徴する一つのコールサインが与えられる。

 〔夜(ニュクス)〕――Nyx。

 しかし今はまだ、レイブンにとって彼女は志願兵クロウだった。

 そして家へ帰れば。

 何歳になっても。

 どれほど多くの河川を越えても。

 どれほど遠い異界の海へ進んでも。

 彼女はきっと、変わらずこう呼ぶのだろう。

「兄様」

 今度は、レイブンもその呼び方を嫌がらなかった。

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