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黒猫年代記  作者: @12
第二部 ~Ⅱ~ FENRIR ― 戦狼となった黒猫 ― Season 4 #067~
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Season 4「NoX」 #076

第76話「教官」

 ルナ・クロウが帝国軍志願兵として正式に採用されたという知らせが届いたのは、レイブンとエリシアが実家を訪れてから、それほど日を置かない頃だった。

 最終的にレイブンは反対しなかった。

 だからといって心配しなくなったわけでもない。

 むしろ正式採用が決まったと聞いた日の夜には、訓練中の負傷、配属先、教官との相性、同期との人間関係、食事、睡眠時間、将来の任務まで、まだ起きてもいない心配事を延々と口にし、とうとうエリシアから「入隊するのはルナちゃんであって、あなたじゃない」と呆れられた。

 それでも、妹が自分で決めた道である。

 ならば兄としてできることは、帰ってこられるよう願うことだけだった。

 少なくとも、その日の朝までは。

 国境地帯のクロウ夫妻宅へ、帝国軍の連絡将校が訪れた。

 届けられた書類は三通あった。

 一通目は、レイブンが所属していた第一即応班からの通知だった。

 封を切ったレイブンは食卓へ座ったまま文面を読み、途中で眉を寄せた。

「……一時解散?」

 向かいで朝食を取っていたエリシアが顔を上げる。

「第一即応班が?」

「正確には部隊再編に伴う一時的な編制解除。人員は軍籍を維持したまま待機、教育、技術評価、他部隊への期間派遣へ振り分けるって」

「戦争が終わった影響かな」

「多分。第一次異界大戦中の緊急編制を、そのまま平時編制へ残すわけにはいかないんだろうね」

「ハウンドたちも?」

「同じ通知が行ってると思う」

 レイブンは紙を置いた。

 不思議な感覚だった。

 第一即応班が消滅するわけではない。

 必要が生じれば再編される可能性も明記されている。

 それでも、自分がNoXとして戦場を駆け回った場所が、一度形を失う。

 終戦とは、敵がいなくなるだけではない。

 戦うために作られた組織もまた、役目を終えれば変わっていく。

「寂しい?」

 エリシアが尋ねた。

「少し」

「でも、みんな軍を辞めるわけじゃないでしょう?」

「うん」

「ならまた会える」

「そうだな」

 レイブンは二通目へ手を伸ばした。

 今度は帝国軍上層部からの正式命令書だった。

 開いた。

 読んだ。

 そして閉じた。

「……見なかったことにしよう」

「駄目でしょう」

「まだ間に合う」

「軍の命令書だよ」

「紛失したことに」

「レイブン」

「はい」

 仕方なくもう一度開く。

 数行読み進めたところで、レイブンは天井を仰いだ。

「父さん……」

「何て?」

 エリシアが隣へ移動する。

 命令書の内容は簡潔だった。

 第一次異界大戦終結後の帝国軍再編に伴い、これまで教官任務と技術開発の双方へ関与してきたヴォルター・クロウを、今後は兵器開発、共通規格化、戦訓分析を担当する技術顧問として正式に配置する。

 それによって空いた実戦教育枠を補うため、第一次異界大戦経験者を特別教官として採用する。

 そこまでは理解できた。

 問題は、その下だった。

 レイブン・S・クロウ。

 エリシア・L・ヴォルハラム=クロウ。

 さらに第一次異界大戦における共同戦線で実戦経験を積んだ複数名。

 志願兵教育課程における特別教官として、指定期間中の教練任務へ就くこと。

 最後には、ご丁寧にも命令であることを示す文言まで添えられていた。

「……異論を認めず、か」

 エリシアが呟いた。

「俺たち結婚してから、まともな休暇あった?」

「あるよ」

「いつ?」

「引っ越した直後」

「何日?」

「……数えないほうが幸せじゃない?」

「エリシアまで目を逸らさないで」

 三通目。

 レイブンは嫌な予感しかしなかった。

 父ヴォルターからだった。

『レイブンへ。

 軍上層部からの命令書を先に読め。

 読まずにこの手紙を開いたなら、先に戻れ。』

「何で分かるんだよ……」

 エリシアが肩越しに覗き込む。

『私は正式に技術顧問へ移る。

 教官職を完全に離れるわけではないが、今後は新兵教育の常任担当から外れることになった。

 そこで後任候補としてお前たちを推薦した。』

「やっぱり父さんだった!」

 レイブンの声が家中へ響いた。

「近所に聞こえるよ」

「聞かせたいくらいだよ!」

「続きを読んで」

「絶対ろくなこと書いてない」

「いいから」

「……はい」

『理由は単純だ。

 お前たちは生きて帰った。

 そして、自分だけではなく仲間を帰そうとした。

 射撃が上手いだけの兵士なら他にもいる。

 敵を倒した数だけなら、もっと適任者がいるかもしれん。

 だが志願兵に最初に教えるべきなのは、敵を何人倒せるかではない。

 任務を果たし、生きて帰るために何を考えるべきかだ。

 その点については、少なくともお前には教える資格がある。』

 レイブンはそこで少し黙った。

『エリシアにも同じことを伝えてある。

 それと、教練開始日に驚くな。

 以上。』

「……最後の一文、何?」

「嫌な予感するね」

「エリシアも?」

「する」

「行きたくなくなってきた」

「命令だから」

「分かってるよ……」

 その予感が何を意味するのかを、二人が理解したのは教練当日の朝だった。

 帝国軍志願兵教育施設。

 レイブンにとっては、懐かしさと嫌な思い出の双方が詰まった場所だった。

 かつて自分自身が志願兵として立っていた練兵場。

 あの頃は向こう側にヴォルターがいた。

 今は立つ場所が逆だった。

「……帰りたい」

 教官用制服を着たレイブンが呟く。

「始まってもいないよ」

「だから今なら帰れる」

「軍法上の問題になるけど」

「やっぱり駄目?」

「駄目」

「エリシアは平気なの?」

「ちょっと緊張してる」

「見えない」

「あなたが緊張しすぎてるから」

 その後ろから聞き覚えのある声が飛んだ。

「NoXが新兵相手に緊張してどうする」

 振り返れば、アレクシス・ハルトマン〔猟犬(ハウンド)〕がいる。

 さらにニコラス〔梟(オウル)〕、ダリオ〔破城槌(ラム)〕、マティアス〔衛生兵(パッチ)〕もいた。

「やっぱりみんなも?」

「命令書を読んだだろ」

「共同戦線経験者って、みんなのことだったんだ」

「俺は休暇だと思ってたんだけどな」

 ダリオが肩を回す。

「新兵を泣かせるなよ、NoX」

「何で俺?」

「教官の息子だから」

「関係ないだろ」

「親子二代で新兵を震え上がらせるわけだ」

「俺、父さんみたいな教官にはならないから」

「その台詞、本人に聞かせたいな」

「絶対言うなよ」

「残念。もう聞いた」

 背後から声がした。

 レイブンの身体が固まった。

 振り返る。

 ヴォルターが立っていた。

「父さん」

「勤務中だ」

「……ヴォルター技術顧問」

「よろしい」

「いつからいたの?」

「『父さんみたいな教官にはならない』辺りからだ」

「最悪だ……」

 エリシアが口元を押さえている。

「笑ってる?」

「笑ってない」

「目が笑ってる」

「教官、私語は慎んだほうがいいのでは?」

「もう教官側に染まってる……」

 そこへ、灰銀色の髪を低くまとめたエミリア・R・ヴァレンシュタイン〔猟鷹(ファルコン)〕まで姿を現した。

「全員揃ってる?」

「エミリアも教官?」

「私は装備・射撃技術課程担当」

「適任すぎる」

「あなたには後でRAVENの試験記録も書いてもらうから」

「教官任務の日くらい解放して」

「却下」

「俺の周り、却下する人多くない?」

 ヴォルターが時計を見る。

「そろそろだ。行け」

「父さんは?」

「今日は見学だ」

「ずるい」

「私はもう技術顧問だ」

「自分で俺を推薦しておいて?」

「だから見に来た」

「帰っていい?」

「駄目だ」

「知ってた」

 やがて教官たちは練兵場へ向かった。

 そこには、すでに志願兵たちが整列していた。

 レイブンは列の前へ歩きながら、一人ひとりを見る。

 若い。

 当然だった。

 かつての自分も、この中に混ざれば同じように見えたのだろう。

 緊張している者。

 周囲を観察している者。

 自信を隠そうとしない者。

 不安を表情へ出すまいとしている者。

 そして。

「……いた」

 エリシアが小さく呟いた。

「うん」

 志願兵の列の中に、見慣れた白銀の髪があった。

 ルナ・クロウ。

 制服を着ている。

 まだ階級章らしい階級章もない。

 家で「兄様」と呼んでいた妹が、帝国軍志願兵として他の候補生たちと同じ列に立っていた。

 ルナもレイブンを見つけた。

 一瞬だけ、その青い瞳が大きくなる。

 驚いたのだろう。

 兄が教官になるとは聞かされていなかった。

 だが次の瞬間。

 ルナの表情から妹としての笑顔が消えた。

 背筋を伸ばす。

 顎を引く。

 視線を前へ固定する。

 兄様ではない。

 教官。

 そう判断したことが、離れていても分かった。

「切り替え早いな……」

「誰かさんよりね」

「聞こえてるよ、エリシア」

 レイブンは志願兵たちの前へ立った。

 この期にはルナ以外にも、後に彼女の人生を大きく変える者たちがいた。

 長身で、黒髪と猫の耳を持つ青年――カイ・ロッテン。周囲へ鋭い視線を向けているが、その実、自分より先に仲間の状況を確認する性格をしていた。身体能力に優れ、将来は艇上での操舵と近距離戦を担うことになる男だった。

 白に近い銀髪と青い瞳を持つ小柄な女性――セレス・アイレン。静かで穏やかだが、地図や流れを読む時だけ別人のような集中力を見せる。彼女は後に航法と艇運用の中核へ進む。

 黒髪と赤みを帯びた瞳の青年――レン・シュナイダー。口数は少なく、集団の中でも壁際や出口、水場など周囲の構造を無意識に確認している。水中活動や偵察への適性を示すことになる。

 薄い桃銀色の髪を持つ女性――リリア・メイヴ。一見すると柔らかな印象だが、人の動きや僅かな変化を見落とさない。誰かが嘘をつけば表情より先に手元を見るような、観察と情報収集に秀でた性格だった。

 体格のいい青年――タルク・フェルナー。無口で、一度決めたことを簡単には曲げない。機械を前にすると人間相手より饒舌になり、壊れたものを見ると放っておけない性分を持つ。

 小柄な女性――フィオナ・リューン。明るく人懐こい反面、通信機器へ触れた時だけ驚くほど冷静になる。複数の会話を同時に聞き分けることが得意で、電子通信分野への高い適性を持っていた。

 そして最後に、白銀の髪を持つ女性――エリス・ヴァール。穏やかな性格で、緊張する同期へさりげなく声を掛ける。志願理由も「戦う人間を帰すため」であり、衛生・救難分野を希望していた。

 今はまだ、誰も知らない。

 彼らが後にルナ・クロウを中心として集まり、水上、水中、河川、沿岸、そして異界の水域にまで活動領域を広げる特殊舟艇部隊の中核となることを。

 STYX《河川特別舟艇隊》。

 その名も。

 その徽章も。

 そこに並ぶ艇の名前も。

 まだ、この世界には存在していなかった。

 今ここにいるのは、軍服にさえ完全には馴染んでいない八人の志願兵に過ぎない。

 レイブンは彼らの前をゆっくり歩いた。

 ルナの前も通る。

 視線が一瞬だけ交わった。

 ルナは何も言わない。

 レイブンも何も言わない。

 兄妹であることを、この場へ持ち込むつもりはなかった。

 列の中央まで戻る。

 レイブンは全員を見渡した。

「レイブン・S・クロウだ」

 静かな声だった。

「この教育期間中、諸君の特別教官を担当する」

 何人かの志願兵が僅かに反応した。

 名前を知っている。

 その気配が分かる。

「コールサインは〔無名(ノックス)〕。第一次異界大戦では帝国軍特殊即応部隊に所属し、後に抵抗軍共同戦線で活動した」

 そこでレイブンは一度言葉を切った。

「だが、ここでは戦歴を自慢するつもりはない」

 志願兵たちを見る。

「最初に一つだけ覚えてほしい」

 ルナも兄を見ていた。

「俺は、諸君を英雄にするためにここへ来たわけじゃない」

 風が練兵場を抜ける。

「敵を何人倒せる兵士になるか。それだけを教えるつもりもない。銃の撃ち方だけなら射撃教官がいる。身体を鍛えるだけなら体力教官がいる。軍規を覚えるなら教本を読めばいい」

 レイブンの声は、少しずつ自分でも驚くほど落ち着いていった。

「俺たちが教えるのは、その全部を使って任務を果たし、隣にいる仲間と一緒に帰ってくる方法だ」

 ルナの瞳が僅かに揺れた。

「戦場では予定通りにならない。銃が壊れる。通信が切れる。命令を受けた時には使えた道が、到着した頃にはなくなっている。負傷する。怖くなる。仲間を助けるために予定を変えなければならない時もある」

 レイブン自身が経験してきたことだった。

「だから考えろ」

 声が練兵場へ響く。

「何のためにここへ来たのか。何を守るのか。どうすれば隣の人間を帰せるのか。そして、自分自身がどうやって帰るのか」

 志願兵の誰も動かなかった。

「死ぬ覚悟を自慢するな」

 レイブンは続ける。

「生きて帰る努力をしろ」

 後方でヴォルターが黙って聞いていた。

 その表情がほんの少しだけ変わる。

 かつて自分が息子へ教えたものが、まったく同じ言葉ではない形で次の世代へ渡っている。

「ただし」

 レイブンの口元が僅かに上がった。

「だからといって訓練が楽になるとは思わないこと」

 何人かの顔が固まった。

「俺は父親から、ずいぶん厳しい訓練を受けた」

 後方のヴォルターを見る。

「誰のことだ?」

「勤務中なので名前は控えます、技術顧問」

「よろしい」

 志願兵の間に僅かな笑いが生まれた。

「そして、俺が受けた訓練をそのまま諸君へやらせるつもりもない」

 ヴォルターの眉が僅かに上がる。

「戦争は変わった。装備も変わった。帝国軍も変わり始めている。第一次異界大戦で俺たちが失敗したことまで、次の世代が同じように失敗する必要はない」

 エリシアが隣へ進み出た。

「エリシア・L・ヴォルハラム=クロウ。連邦共和国軍所属。コールサインは〔戦乙女(ヴァルキリー)〕」

 帝国軍の志願兵たちの前に、連邦共和国軍人が教官として立つ。

 戦前ならあり得なかった光景だった。

「私は連邦側の戦い方と、抵抗軍で得た共同戦線の経験を担当します。帝国式だけが正解だとは教えません。連邦式だけが正解だとも教えません。必要なのは、状況に応じて使えるものを選ぶことです」

 続いてアレクシスが前へ出る。

「アレクシス・ハルトマン〔猟犬(ハウンド)〕。部隊指揮と状況判断を担当する」

 ニコラス。

「ニコラス。〔梟(オウル)〕。偵察、観測、情報整理を担当する。見えているものだけが情報だと思うな」

 ダリオ。

「ダリオ。〔破城槌(ラム)〕。突破、重量装備、近接状況での部隊行動を担当する。あと先に言っておく。俺より体力あると思ってる奴は歓迎する」

 何人かの志願兵が僅かに笑う。

 マティアスが前へ出た。

「マティアス。〔衛生兵(パッチ)〕。戦場救護担当。お前たちが無茶をすれば俺の仕事が増える。だから無茶をする前に考えろ」

 最後にエミリア。

「エミリア・R・ヴァレンシュタイン。〔猟鷹(ファルコン)〕。装備、射撃技術、兵器運用、装備評価を担当します。武器を乱暴に扱った者は覚えておくように。私が見つけます」

 ダリオが小声で呟く。

「一番怖い教官じゃないか?」

「聞こえてる」

「ほら怖い」

 今度は志願兵たちから明確な笑いが起きた。

 張り詰めていた空気が、ほんの少し緩んだ。

 レイブンはそれを待っていた。

 そして再び一歩前へ出る。

「では始める」

 その瞬間だった。

 ルナの姿勢がさらに正された。

 家にいた時の妹ではない。

 兄の言葉を待つ少女でもない。

 一人の志願兵として、教官から最初の命令が下されるのを待っている。

 レイブンは一瞬だけ迷った。

 呼び方。

 家なら「ルナ」でいい。

 だがここは軍だ。

 だから。

「志願兵クロウ」

「はい、教官!」

 即答だった。

 その声にレイブンのほうが僅かに戸惑った。

「前へ」

「はい!」

 ルナが列から出る。

 兄の前へ立つ。

「志願理由を答えろ」

 ルナはまっすぐ前を見る。

「帰りたい人を、帰せる人になるためです!」

 レイブンは妹の目を見た。

 第75話で聞いた言葉と同じだった。

 だが今度は、家族としてではない。

 志願兵として口にしている。

「よし」

 レイブンは頷いた。

「その理由を、訓練が終わる日まで忘れるな」

「はい、教官!」

「戻れ」

「はい!」

 ルナが列へ戻る。

 エリシアは何も言わなかった。

 ただ、ほんの少しだけ微笑んでいた。

 ヴォルターも黙っている。

 レイブンは次の志願兵を見る。

「志願兵ロッテン」

「はい!」

「志願理由」

「どんな状況でも仲間を運べる兵士になるためです!」

「志願兵アイレン」

「はい!」

「志願理由」

「迷った者へ帰る道を示せる人間になるためです!」

「志願兵シュナイダー」

「はい!」

「志願理由」

「誰も行けない場所へ行き、必要な情報を持ち帰るためです!」

「志願兵メイヴ」

「はい!」

「志願理由」

「仲間が知らないまま死ぬ状況を減らすためです!」

「志願兵フェルナー」

「はい!」

「志願理由」

「壊れたものを直し、動かないものを動かすためです!」

「志願兵リューン」

「はい!」

「志願理由」

「どこにいても、仲間同士を繋げられる兵士になるためです!」

「志願兵ヴァール」

「はい!」

「志願理由」

「負傷した人を、一人でも多く家へ帰すためです!」

 レイブンは最後まで聞いた。

 奇妙だった。

 まだ何者でもない志願兵たちなのに、それぞれの言葉にはすでに方向があった。

 操る者。

 導く者。

 潜る者。

 見る者。

 直す者。

 繋ぐ者。

 救う者。

 そして、それらをいつの日か一つへ束ねる者。

 ルナ・クロウ。

 彼らが水辺へ集まるのは、まだずっと先になる。

 河川。

 沿岸。

 海。

 異界の水域。

 戦場によって道が断たれたなら、水を道へ変える。

 橋が落ちたなら艇で越える。

 陸路が封鎖されたなら川を進む。

 海の向こうで仲間が孤立したなら、波を越えて迎えに行く。

 後にSTYX《河川特別舟艇隊》と呼ばれる者たちの思想は、最初から舟艇の上で生まれたわけではなかった。

 始まりは、この日の練兵場だった。

 八人の志願兵が、それぞれ異なる言葉で同じものを求めた。

 仲間を帰すこと。

「全員、聞いたな」

 レイブンが言った。

「今言った志願理由は、今日だけの綺麗事にするな。訓練で苦しくなった時、必ず思い出せ」

 そして一度だけ、ルナを見る。

 妹はもう兄を見ていなかった。

 教官を見ていた。

「訓練開始!」

「はい!」

 志願兵たちの声が重なる。

 その日、レイブン・S・クロウは初めて本格的に教官として練兵場へ立った。

 本人があれほど嫌がっていた、父と同じ側へ。

 数時間後。

 基礎教練が一段落し、短い休憩時間に入った。

 レイブンは記録板へ評価を書き込みながら、遠くにいるルナたちを見ていた。

 カイが何かを言い、フィオナが笑う。

 セレスが水筒をリリアへ渡す。

 タルクは訓練用装備の留め具が気になるらしく、休憩中にもかかわらず眺めている。

 レンは少し離れた場所から周囲を観察し、エリスは疲れている同期へ声を掛けていた。

 そして中央にルナがいる。

「見すぎ」

 隣からエリシアの声がした。

「見てない」

「ずっと見てる」

「教官だから」

「妹だからでしょう?」

「……半分」

「残り半分は?」

「本当に教官として見てる」

 エリシアも志願兵たちを見る。

「いい同期に恵まれたかもしれないね」

「まだ初日だよ」

「だからこれから分かる」

「喧嘩するかもしれない」

「するでしょうね」

「危ないことする奴がいたら?」

「その時は教官として叱る」

「ルナが危ないことしたら?」

「同じ」

「俺、できるかな」

「できなかったら私が叱る」

「ルナを?」

「あなたを」

「俺?」

 エリシアは笑った。

「家では兄様。でもここでは教官。ちゃんと分けないとね」

「分かってる」

「本当に?」

「多分」

「不安だなあ」

 そこへヴォルターが歩いてきた。

「初日としては悪くない」

「父さん」

「勤務中だ」

「……技術顧問」

「何だ」

「教官って疲れるね」

「今さら分かったか」

 予想していた言葉が、そのまま返ってきた。

 レイブンは顔をしかめる。

「絶対それ言うと思った」

「なら覚悟しておけ」

「何を?」

「教える側は、戦う側とは別の意味で責任が重い」

 ヴォルターは志願兵たちを見る。

「お前が教えたことを、あいつらは戦場へ持っていく」

「……うん」

「間違ったことを教えれば、その間違いも持っていく」

「うん」

「だから考えろ。自分がどう戦ったかだけではない。なぜ生き残れたか。なぜ失敗したか。何を次の世代には繰り返させないか。それを教えろ」

 レイブンは父を見る。

 昔なら、ただ厳しい教官だと思っていた。

 今は少し違って見える。

「父さん」

「何だ」

「俺が志願兵だった頃、こんなこと考えてた?」

「毎日な」

「……そっか」

「特にお前は問題児だった」

「そこは言わなくていい」

「事実だ」

「どこが?」

「長くなるぞ」

「やっぱりいい」

 ヴォルターは僅かに笑った。

「それと」

「何?」

「志願兵クロウだけ扱いを変えるな」

「分かってる」

「厳しくしすぎるのも特別扱いだ」

「……分かってる」

「今、一瞬詰まったな」

「気のせい」

「NoX」

「何?」

「妹を守りたいなら、兄がいつも隣にいなくても帰ってこられる兵士にしろ」

 レイブンは何も答えなかった。

 その言葉だけは、深く残った。

 やがて休憩終了を知らせる時刻が近づく。

 レイブンは記録板を閉じた。

 練兵場へ向かう。

 ルナたちが立ち上がり始める。

 カイ・ロッテン。

 セレス・アイレン。

 レン・シュナイダー。

 リリア・メイヴ。

 タルク・フェルナー。

 フィオナ・リューン。

 エリス・ヴァール。

 そしてルナ・クロウ。

 後の時代、彼らの名は一枚の部隊資料へ並ぶことになる。

 隊長・指揮、ルナ・クロウ〔Nyx〕。

 副隊長・操舵指揮、カイ・ロッテン〔Drake〕。

 舟艇操舵・航法、セレス・アイレン〔Marlin〕。

 偵察・水中工作、レン・シュナイダー〔Otter〕。

 観測・情報収集、リリア・メイヴ〔Heron〕。

 舟艇整備・工兵、タルク・フェルナー〔Mast〕。

 通信・電子戦、フィオナ・リューン〔Siren〕。

 戦闘救護・潜水支援、エリス・ヴァール〔Nereis〕。

 しかし、それは未来の呼び名だった。

 今の彼らにコールサインはない。

 専用舟艇もない。

 STYXという名もない。

 あるのは、支給されたばかりの制服と、まだぎこちない敬礼と、自分が軍へ入った理由だけだった。

 レイブンが彼らの前へ戻る。

 八人が整列した。

 ルナも他の七人とまったく同じ姿勢を取る。

 レイブンは妹を見ても、もう迷わなかった。

「休憩終了」

「はい!」

「ここからは、個人ではなく班として動く訓練へ移る」

 志願兵たちの表情が変わる。

「一人だけ速くても意味はない。一人だけ強くても意味はない。一人だけ正解を知っていても、仲間へ伝わらなければ部隊としては失敗だ」

 レイブンは全員を見渡した。

「覚えておけ。戦場で最後まで必要になるのは、完璧な兵士じゃない」

 一拍置く。

「隣の人間を見捨てない兵士だ」

 ルナが真っ直ぐ兄を見る。

 レイブンは静かに命じた。

「全員、準備しろ」

「はい、教官!」

 八人の声が重なった。

 その声を聞きながら、ヴォルターは練兵場の後方で腕を組んでいた。

 父から息子へ。

 息子から妹へ。

 そして一人の兵士から、次の世代の兵士たちへ。

 受け継がれているのは銃の扱い方だけではない。

 生きて帰るという意志だった。

 この日、後に世界中の水域を駆けるSTYX《河川特別舟艇隊》の八人は、まだ一度も同じ舟に乗ったことすらなかった。

 彼らが初めて共に立った場所は、水上ではない。

 帝国軍の、乾いた練兵場だった。

 そして彼らへ最初の教えを与えたのは、後に世界中の戦場で《WOLF PACK》を率いることになる男――レイブン・S・クロウ〔無名(ノックス)〕だった。

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