Season 4「NoX」 #074
第74話「RAVEN」
世界共通兵器規格の実用評価試験が始まってから数日が経った頃、国境地帯に建つクロウ夫妻の家へ、一つの大きな軍用輸送箱が届けられた。
荷物を受け取ったのはエリシアだった。
玄関先に置かれた細長い箱には帝国軍技術部の封印が施され、側面には試験兵器を示す管理番号が記されている。一般の郵便物とは明らかに違うそれを見下ろしながら、エリシアは受領書へ署名すると、ちょうど奥の部屋から出てきたレイブンへ視線を向けた。
「レイブン」
「何?」
「あなた宛て」
「俺?」
「帝国軍技術部から」
「……嫌な予感がする」
「この前も同じこと言ってたね」
「技術部から俺に来る荷物で、平和なものだったことがあった?」
「少なくとも爆発物じゃないと思う」
「思う、なんだ」
「開ければ分かるよ」
「怖いこと言わないで」
レイブンは玄関まで来ると、輸送箱を見下ろした。
帝国軍技術部。
その文字だけなら珍しくない。
しかし管理票に記された担当部署を見た瞬間、レイブンは小さく息を吐いた。
「……父さんが関わってる」
「分かるの?」
「管理番号の末尾。父さんの部署だ」
「じゃあ安全じゃない?」
「エリシアは父さんを何だと思ってるの?」
「優秀な技術顧問」
「俺は?」
「優秀な技術顧問の息子」
「嫌な言い方だなあ」
箱はそのまま、家の奥に設けられた軍用装備保管室へ運び込まれた。
新居を選ぶ段階から、二人が軍人として現役を続ける可能性を考えて設けられた部屋だった。壁と扉は補強され、装備を生活空間から隔離して管理できるようになっている。
その一角には、レイブンが長く使い続けてきたSG-44が収められていた。
弾薬は別管理。
薬室は空。
第一次異界大戦を戦い抜いた銃には、幾度もの整備を経ても消し切れない傷が残っている。
銃床には、筆記体で刻まれた文字があった。
――Crow Raven。
正式な名前の表記が今の形へ整えられる以前から、父が息子のために刻んだものだった。
レイブンは輸送箱を作業台へ置いた後、無意識にSG-44へ目を向けていた。
「どうしたの?」
「いや」
エリシアが隣へ立つ。
「何となく、この箱の中身が分かった?」
「多分」
レイブンは輸送箱の留め具を確認した。
封印を解き、蓋を持ち上げる。
最初に見えたのは、黒色の緩衝材だった。
その中央に、一挺の散弾銃が収められている。
レイブンの手が止まった。
「……新型」
エリシアも覗き込む。
「SG-44じゃないね」
「うん」
箱の内側に固定された仕様票へ、正式名称が記されていた。
ISG-42A3《RAVEN》
レイブンはしばらく、その文字を見つめた。
「……RAVEN?」
「あなたと同じ」
「何で?」
「私に聞かれても」
「絶対父さんだ」
「決めつけるの早くない?」
「この名前で父さんが関係なかったら逆に怖いよ」
エリシアは口元を緩めた。
「持ってみたら?」
レイブンは頷き、輸送状態であることを確認してから新型散弾銃を持ち上げた。
最初に感じたのは軽さだった。
単純に重量だけが削られたという感覚ではない。
手にした際の重心が身体へ近づけられている。
構えた時に銃身側へ引っ張られる感覚が少なく、狭い場所でも取り回しやすい。
「……軽い」
「かなり?」
「数字以上に軽く感じる」
外観そのものは奇抜ではなかった。
むしろ、従来型の散弾銃を知る者なら、一目で散弾銃と理解できる形をしている。
帝国技術部が一時期研究していた極端な小型化や特殊配置ではなく、銃床、機関部、銃身が素直に前後へ並ぶ従来型レイアウト。
だが細部を見るほど、SG-44とは設計思想が異なっていた。
「マガジン式……」
レイブンが呟く。
ISG-42A3は着脱式弾倉を基本としていた。
従来のSG-44で蓄積された実戦記録だけでなく、第一次異界大戦における補給、整備、継戦能力の記録を反映した結果だった。
さらに、世界共通兵器規格へ移行していくことを前提として、将来的な弾薬体系の変更にも対応しやすい余地が残されている。
「触った感じは?」
エリシアが尋ねる。
「SG-44より素直かもしれない」
「素直?」
「変な癖が少ない」
レイブンは各部を観察した。
整備のために触れる部分が分かりやすい。
泥や砂塵、異界由来の粉塵環境でも、現場での保守を容易にすることが優先されている。
極端な性能を追い求めるより、撃てること。
動くこと。
壊れにくいこと。
壊れても整備しやすいこと。
兵士が必要とする時に確実に機能すること。
そこには父ヴォルターらしい思想が見えた。
「これ……父さんだ」
レイブンが言った。
「銃を見ただけで?」
「分かるよ」
「親子だね」
「またそれ言う?」
「だって本当に似てるんだもの」
レイブンは苦笑しながら新型銃を見た。
ISG-42A3には、もう一つSG-44から受け継がれた特徴がある。
ポンプアクションとセミオート。
二つの作動方式を状況に応じて使い分けられる構成だった。
SG-44で培われたその考え方は捨てられなかった。
むしろ新型では機構そのものが整理され、整備性と信頼性を損なわない範囲で洗練されている。
「そこは残したんだ」
レイブンが僅かに嬉しそうな声を出した。
「好きだったの?」
「好きっていうか、助けられたことが何度もあるから」
彼はSG-44を見る。
第一次異界大戦。
市街地。
森林。
塹壕。
異界軍との近距離戦。
通常の射撃だけではない。
装備の状態。
弾薬。
汚れ。
負傷。
あらゆる条件が理想通りになることなどなかった。
それでもSG-44は、レイブンと共に帰ってきた。
「だから完全に捨てなかったんだろうな」
レイブンは新型を作業台へ置いた。
するとエリシアが輸送箱の中へ手を伸ばした。
「レイブン」
「何?」
「まだ入ってる」
「説明書?」
「封筒」
取り出されたのは、一通の手紙だった。
表面には短く名前だけが書かれている。
――レイブンへ。
筆跡を見ただけで分かった。
「父さんだ」
レイブンは封を開けた。
中には数枚の便箋が入っている。
最初の一枚は、予想通り新型散弾銃についてだった。
『レイブンへ。
先に言っておく。
SG-44を捨てろという意味で送ったわけではない。』
最初の数行を読んだレイブンが笑った。
「何?」
「父さん、俺が考えそうなこと分かってる」
「何て?」
「SG-44を捨てろって意味じゃないって」
「やっぱり親子」
「もう何も言わない」
続きを読む。
『SG-44は優秀な銃だ。
お前が生きて帰った回数を考えれば、それを否定するつもりはない。
だが兵器は、思い出だけで更新を止めていいものでもない。
戦争が変わった。
兵士の戦い方も変わった。
世界共通規格への移行も始まっている。
なら銃も変わる必要がある。』
レイブンの表情から笑みが少し消えた。
父らしい文章だった。
感情を否定しない。
しかし感情だけで兵器を残すこともしない。
『送ったものはISG-42A3。
制式候補名《RAVEN》。
名称については私一人で決めたわけではない。
勘違いするな。』
「絶対嘘」
「まだ読んでる途中でしょう?」
「父さんが先回りして言い訳してる」
「続きは?」
レイブンは読み進める。
『第一次異界大戦におけるSG-44系列の実戦記録を基礎としている。
従来型レイアウトを維持した理由は、奇抜さより習熟性を優先したためだ。
着脱式マガジンを基本装填方式とし、従来系列で評価されたポンプアクションとセミオートの切替思想は継承した。
ただし内部構造は見直している。
携帯性。
信頼性。
整備性。
長期運用性。
これらはSG-44より向上させた。
机上では、だ。』
レイブンが眉を上げる。
「机上では?」
「その続き、何となく分かった」
『だからお前が使え。
技術部の人間が百回撃つより、実戦を知る兵士が一度首を傾げたほうが重要な場合がある。
壊せとは言わん。
ただし壊れたなら、どこが壊れたか必ず報告しろ。
隠すな。』
「……父さんらしい」
エリシアが笑う。
「前にも似たようなこと言ってなかった?」
「T-51の時もこんな感じだった」
さらに読み進める。
『それと、SG-44について。
保管しておけ。
お前にとってあれが単なる旧式銃ではないことくらい、父親として理解している。
新型を使うことは、古い相棒を捨てることではない。
兵士が次へ進むだけだ。』
レイブンの目が自然とSG-44へ向いた。
銃床に残る文字。
Crow Raven。
訓練を終えたあの日。
父から手渡された。
あれから何発撃ったのか、正確には覚えていない。
何度命を救われたのかも数え切れない。
仲間を守った。
負傷した。
逃げた。
戻った。
異界軍と戦った。
エリシアと出会った。
第一次異界大戦を生き抜いた。
SG-44は、その全てを知っている。
レイブンはISG-42A3《RAVEN》を見た。
まだ傷一つない。
新品だった。
「新しい相棒、か」
そう呟いてから、手紙の次のページをめくる。
そこで文章の雰囲気が変わった。
『ここからは銃の話ではない。』
「……何だろう」
レイブンは続きを読んだ。
そして止まった。
エリシアが横から顔を見る。
「どうしたの?」
「……ルナ」
「ルナちゃん?」
レイブンはもう一度文章を確認した。
『ルナが学校を卒業した。
卒業そのものは問題ない。
成績も悪くない。
むしろお前より教師受けはいい。
そこまではいい。』
レイブンの眉が動く。
「何か嫌な書き方だな……」
「続きは?」
「待って」
『問題はその後だ。
軍へ入りたいと言い出した。』
「…………」
レイブンが完全に黙った。
「レイブン?」
「軍?」
「そう書いてあるの?」
「……うん」
もう一度読む。
文字は変わらない。
ルナが軍へ入りたいと言い出した。
あのルナが。
自分が戦争から帰ってきた時、空港で「兄様」と叫びながら走ってきた妹。
食卓でエリシアと一緒になって自分の無茶を責めた妹。
戦場へ戻るなら絶対に帰ってこいと約束させた妹。
そのルナが、今度は自分から軍へ入ろうとしている。
「駄目」
レイブンの口から反射的に言葉が出た。
エリシアは何も言わなかった。
「駄目だろ」
「続きを読んだら?」
「でも軍だよ?」
「知ってる」
「俺がどれだけ――」
そこまで言って、レイブンは止まった。
自分自身も志願して軍へ入った。
父ヴォルターが軍人だった。
そして今、自分は帝国軍人として生きている。
「……続きを読む」
便箋へ視線を戻した。
『お前が今、「駄目だ」と言ったなら、私も昔は同じ気持ちだった。』
「……父さん」
『自分の子供が軍へ行きたいと言うのを、喜ぶ親がどれだけいるかは知らん。
私は嬉しくなかった。
お前の時もそうだった。
ルナの時も同じだ。
戦場を知っているからこそ、行ってほしくない。』
レイブンは黙って読み続けた。
『だが、お前を止めなかった以上、ルナだけを理由なく止めることもできない。
女だからでもない。
妹だからでもない。
クロウ家だからでもない。
本人がなぜ軍へ入りたいのか、それを聞く必要がある。』
エリシアが静かに隣へ座った。
『ルナは、お前になりたいと言ったわけではない。
NoXになりたいとも言っていない。
兄のように敵を倒したいとも言っていない。
あの子が言ったのは、
「帰りたい人を帰せる人になりたい」
だった。』
レイブンの指が止まった。
声が出なかった。
エリシアも手紙を覗き込み、その一文を読む。
「……レイブン」
「俺、そんなこと……」
「言ってたよ」
「いつ?」
「戦争が終わって帰ってきた時。ヴォルターさんにも言ってたでしょう?」
「……覚えてたのか」
ルナは聞いていた。
兄が何のために戦っていたのか。
敵を何人倒したかではない。
どんな勲章を得たかでもない。
NoXという名前がどれほど知られたかでもない。
帰りたい者を帰す。
妹が覚えていたのは、それだった。
手紙は続く。
『まだ志願書は出させていない。
私も母さんも、まず考えろと言っている。
軍という場所が何なのか、お前以上に私が知っている。
格好いい場所ではない。
英雄になるための場所でもない。
命令を受け、責任を背負い、時には帰ってこられない者を見送る場所だ。
そのことをルナには理解させる必要がある。
だから一度、兄として話してやれ。』
レイブンは深く息を吐いた。
「父さん……ずるいな」
「どうして?」
「兄として話せって」
「教官じゃなくて?」
「うん」
「NoXでもなく?」
「兄として」
エリシアは少しだけ微笑んだ。
「なら、兄様の出番だね」
「その呼び方やめて」
「ルナちゃんはそう呼んでる」
「エリシアまで言うと変な感じする」
「兄様」
「やめてって」
「少し元気出た?」
「……ちょっとだけ」
レイブンは最後の部分を読んだ。
『追伸。
RAVENの名称についてルナは気に入っている。
「兄様より銃のほうが格好いい」と言っていた。
私は否定しなかった。
母さんも否定しなかった。』
「…………」
レイブンは手紙を机へ置いた。
「帰ろう」
「どこへ?」
「実家」
「今から?」
「ルナに文句言う」
「軍へ入りたいこと?」
「違う」
「じゃあ何?」
「銃のほうが格好いいってところ」
「そこなの?」
「大事だよ」
「お兄ちゃんだね」
「それ褒めてる?」
「かなり」
エリシアが笑った。
レイブンも、やがて笑った。
だが、すぐに実家へ向かうことはしなかった。
その日の午後、帝国軍から正式な試験許可が届いた。
ISG-42A3《RAVEN》。
SG-44系列で得られた膨大な実戦記録を受け継ぎながら、次の時代のために設計された新型散弾銃。
翌日、レイブンとエリシアは再び共同試験施設へ向かった。
射撃区画にはエミリアが待っていた。
彼女はレイブンが携えてきたケースを見るなり、青灰色の瞳を細める。
「届いたんだ」
「知ってた?」
「当然」
「また俺だけ知らなかった?」
「試験射手には余計な先入観を持たせない方針」
「便利な言葉だね」
「ヴォルター技術顧問の方針」
「やっぱり父さんじゃないか」
「それと名称については私も一票入れた」
「エミリア?」
「RAVEN、いい名前でしょう?」
「本人にRAVENって名前の銃を持たせるの?」
「分かりやすい」
「何が?」
「なくしても戻ってきそう」
「軍用銃をなくす前提で話さないで」
エミリアがケースを開く。
ISG-42A3《RAVEN》が姿を現した。
訓練施設の照明を受けた黒い外装には、まだ戦場の傷はない。
レイブンはそれを手にした。
その瞬間。
〔兵装接続〕が反応した。
昨日、自宅で触れた時より明確だった。
武器を認識する。
ISG-42A3。
散弾銃。
着脱式弾倉。
従来型レイアウト。
ポンプアクション。
セミオート。
そこからさらに、装填される試験弾薬へ認識が移っていく。
レイブンはゆっくり息を吐いた。
「どう?」
エミリアが尋ねる。
「面白い」
「それ技術評価?」
「まだ感想」
「じゃあ撃ってから評価して」
「了解」
射撃位置へ立つ。
レイブンは一瞬だけ、隣のラックに置かれているSG-44を見た。
今日は比較試験のため、古い相棒も持ってきていた。
傷だらけのSG-44。
傷一つないISG-42A3。
古い銃と、新しい銃。
どちらか一方を否定するための試験ではない。
父の手紙にあった言葉が浮かぶ。
新型を使うことは、古い相棒を捨てることではない。
兵士が次へ進むだけだ。
「NoX、準備は?」
エミリアが声を掛ける。
「できてる」
レイブンはRAVENを構えた。
標的を捉える。
引き金を操作した。
重い発射音が試験場へ響く。
反動が身体へ伝わった。
だが、レイブンの口元には僅かな笑みが浮かんでいた。
「どう?」
エリシアが尋ねる。
レイブンは銃を見た。
「軽い」
「それは昨日も言ってた」
「違う。動かした時に分かる。SG-44より身体へ近い」
「扱いやすい?」
「かなり」
次の試験へ移る。
ポンプアクション。
そしてセミオート。
異なる作動条件を確認しながら、レイブンは一発ごとに銃の挙動を確かめていった。
撃つほどに分かる。
この銃は派手さを求めていない。
SG-44より何倍も強力な散弾銃を作ろうとしたわけではない。
第一次異界大戦を生き延びた兵士たちの記録から、余計なものを削り、必要なものを残した銃だった。
持ち運びやすく。
整備しやすく。
信頼できる。
必要な時に撃てる。
そして、生きて帰るための道具として作られている。
「……父さんらしい」
レイブンが呟いた。
「また?」
エリシアが笑う。
「だって本当にそうなんだよ」
「あなたも好きそうだけど」
「悔しいけど好き」
「じゃあ成功?」
「まだ」
「厳しいね」
「父さんならそう言う」
「やっぱり似てる」
「もう認めるよ」
レイブンは笑った。
その日の試験終了後。
SG-44とISG-42A3《RAVEN》が、同じ作業台の上へ並べられた。
片方には長い戦歴がある。
もう片方には、まだ何もない。
レイブンはSG-44の銃床に刻まれた《Crow Raven》へ指を触れた。
「引退させるの?」
隣にいたエリシアが尋ねる。
「まだ分からない」
「新型は?」
「使う」
「両方?」
「SG-44にはSG-44の良さがある。でも、父さんの言う通りだと思う」
「何が?」
「思い出だけで更新を止めたら駄目なんだろうな」
レイブンは新型を見る。
「こいつが本当に次の主力になるなら、ちゃんと試さないと」
「名前もRAVENだしね」
「それだけはまだ納得してない」
「似合ってるよ」
「俺が自分の名前の銃を持って歩くんだよ?」
「有名人らしくていいんじゃない?」
「恥ずかしい」
「NoXは平気なのに?」
「それとこれとは違う」
帰宅した夜。
レイブンは父の手紙をもう一度読んでいた。
今度は兵器について書かれた前半ではなく、後半を。
ルナが学校を卒業した。
軍へ入りたいと言っている。
理由は――帰りたい人を帰せる人になりたいから。
隣へエリシアが座った。
「まだ考えてる?」
「うん」
「反対?」
「……分からない」
レイブンは正直に答えた。
「兄としては反対したい」
「軍人としては?」
「覚悟も理由も知らないまま入るなら反対する。でも、本当にルナが自分で考えて決めたなら……俺が止めていいのかなって」
「ヴォルターさんも同じことを考えたんじゃない?」
「多分」
「あなたが軍へ入りたいって言った時に」
「うん」
レイブンは自分の左手を見る。
結婚指輪。
その先には、急速に治癒した左肩がある。
自分は帰ってきた。
だが全員が帰れたわけではない。
だからこそ、妹へ簡単に軍を勧めることなどできない。
「怖いんだ」
レイブンが静かに言った。
「ルナが?」
「軍に入ることが。俺は戦場がどういう場所か知ってるから」
「うん」
「撃たれることもある。怪我することもある。目の前で仲間が死ぬこともある。帰れないかもしれない」
「うん」
「それを知ってて、行っていいなんて簡単に言えない」
「なら、全部話してあげればいい」
「全部?」
「格好いい話だけじゃなくて。NoXの話じゃなくて、レイブンの話を」
レイブンが妻を見る。
「怖かったことも、逃げたかったことも、痛かったことも、それでも帰ろうとしたことも。兄として全部話した後で、それでもルナちゃんが軍へ入りたいと言うなら、その時にもう一度考えればいいんじゃない?」
「……そうだな」
「ヴォルターさんが『兄として話せ』って書いたのも、そういう意味だと思う」
「エリシア」
「何?」
「一緒に来てくれる?」
「もちろん」
「ありがとう」
「でも、最初は兄妹二人で話して」
「どうして?」
「ルナちゃんが入りたいのは帝国軍でしょう?」
「うん」
「なら最初に聞きたいのはValkyrieの意見じゃなくて、兄様の意見だと思う」
「その呼び方……」
「兄様」
「エリシア」
「何?」
「楽しんでるでしょ」
「少し」
レイブンは呆れながらも笑った。
テーブルには二つのものが置かれている。
父から届いた手紙。
そしてISG-42A3《RAVEN》の正式試験書類。
一方は、兵器の世代交代を告げていた。
もう一方は、クロウ家にも新しい世代が歩き出そうとしていることを告げていた。
SG-44からRAVENへ。
ヴォルターからレイブンへ。
そして今度は、レイブンからルナへ。
それは同じ道を歩くという意味ではない。
同じ兵士になるという意味でもない。
次の世代には、次の世代自身が選ぶ道がある。
翌朝。
レイブンは軍用装備保管室へ入った。
SG-44を見る。
その隣には、新しく加わったISG-42A3《RAVEN》が置かれている。
「おはよう」
後ろからエリシアの声がした。
「おはよう」
「何してるの?」
「見てただけ」
「二挺を?」
「うん」
エリシアも隣へ来る。
「どっちが好き?」
「選ばないと駄目?」
「別に」
「なら両方」
「欲張り」
「SG-44は俺が兵士になった時の銃だから」
「RAVENは?」
「これからの銃」
レイブンは少し考えた。
「多分、そういう違いなんだと思う」
エリシアはそれ以上何も言わなかった。
その日の午後、二人は帝国側へ向かうことになった。
目的地はクロウ家。
ルナと話すためだった。
出発前、レイブンはもう一度父の手紙を折り畳み、胸ポケットへ入れる。
「準備できた?」
玄関からエリシアが尋ねる。
「うん」
「銃は?」
「置いていく」
「珍しい」
「今日はNoXとして行くんじゃないから」
「じゃあ?」
「兄として行く」
エリシアが微笑んだ。
「行こう、レイブン」
「うん」
二人は家を出た。
国境を越えて帝国へ向かう道路は、以前よりさらに多くの車が行き交っていた。
その道の先に、クロウ家がある。
そしてそこには、一つの決断を胸に抱いた少女が待っている。
レイブン・S・クロウはまだ知らなかった。
妹ルナが軍を志すという出来事が、単なる兄への憧れだけでは終わらないことを。
彼女自身の名を持ち、彼女自身の戦い方を持ち、やがて兄とは異なる場所から戦争を支える存在になっていくことを。
そして後に、レイブン・S・クロウ〔無名〕、エリシア・L・クロウ〔戦乙女〕と並び、戦争を支える第三の柱となる名が生まれることを。
その名を、今はまだ誰も知らない。
〔夜〕――Nyx。
その始まりは、英雄譚でも戦場でもなかった。
学校を卒業した一人の少女が、父と母へ告げた、たった一つの願いだった。
「私も、帰りたい人を帰せる人になりたい」
そしてその言葉を聞くために今、兄が帰ってくる。




