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黒猫年代記  作者: @12
第二部 ~Ⅱ~ FENRIR ― 戦狼となった黒猫 ― Season 4 #067~
PR
73/189

Season 4「NoX」 #073

第73話「同じ弾を撃つ者たち」

 国境地帯に新居を構えてからしばらく経ち、レイブン・S・クロウとエリシア・L・ヴォルハラム=クロウの生活には、ようやく夫婦としての日常と呼べるものが根付き始めていた。

 朝になれば先に目を覚ましたほうがカーテンを開け、朝食の準備を始める。もっとも料理についてはエリシアのほうが上手だったため、レイブンが先に起きた日であっても、最後には彼女が台所へ入り、味を調整することが多かった。

「レイブン」

「何?」

「これ、味見した?」

「したよ」

「本当に?」

「した」

「そのうえで、この塩の量?」

「……戦場では濃い味に慣れてたから」

「ここは戦場じゃない」

「分かってる」

「それ、最近何回言われた?」

「数えてない」

「私は数えてる」

「何回?」

「教えない」

 鍋の前に立つエリシアから視線を逸らし、レイブンは何事もなかったかのように新聞を広げた。しかし紙面の向こうから向けられている妻の視線には、〔殺気看破(アタック・シールド)〕を使わなくても気づく。

「……ちゃんと食べるから」

「当たり前でしょう」

「残さない」

「自分で作ったんだから責任持って」

「エリシアも食べる?」

「どうして私まで巻き込まれるの?」

「夫婦だから?」

「そういう時だけ夫婦を使わないで」

 終戦してから、こんなやり取りが増えた。

 家を出るたびに弾薬残量を確認する必要はなく、玄関の扉を開ける前に外の気配を探る必要もない。遠くから大きな音が響いた時、反射的に身体が強張ることはまだあったが、それでも以前のように真っ先に遮蔽物を探すことは減っていた。

 戦場で身についた習慣は、終戦宣言一つで消えてくれるほど単純ではない。

 それでも二人は、少しずつ戦争ではない時間の中で生きる方法を覚え始めていた。

 そして変わっているのは、二人だけではなかった。

 窓の外を大型貨物車が走っていく。車体には帝国の商業輸送許可標章が描かれていたが、その数分後には反対方向から連邦共和国の企業標章を付けた輸送車が現れ、その後ろには旧抵抗軍参加国の復興支援車両まで続いていた。

 かつてなら、それだけで国境警備部隊が緊急展開していた光景だった。

「また増えたな」

「何が?」

「車。昨日より多い」

「国境交易が本格的に再開したからね」

「前なら、あの辺に検問所があった」

「私も覚えてる」

「連邦の車が帝国側を走ってたら大騒ぎだったのに」

「逆も同じだったよ」

「今じゃ商人まで普通に通ってる」

「いいことでしょう?」

「うん。まだ変な感じがするだけ」

「そのうち慣れるよ」

「エリシアは?」

「私もまだ慣れてない」

「じゃあ一緒だ」

「そうだね」

 エリシアが笑った、その時だった。

 玄関から来客を知らせる呼出音が響いた。

 二人は同時に顔を向ける。

「誰だろう」

「郵便?」

「朝から?」

「ちょっと見てくる」

 レイブンが席を立って玄関へ向かい、扉を開ける。

 そこに立っていた人物を見た瞬間、彼は僅かに目を見開いた。

「……エミリア?」

「久しぶり、レイブン」

「どうしたの?」

「仕事」

「俺、休暇中なんだけど」

「知ってる」

「じゃあ帰っていい?」

「駄目」

「即答?」

 エミリア・R・ヴァレンシュタイン〔猟鷹(ファルコン)〕は、まるで最初からレイブンの拒否権など存在しないとでも言うように答えた。

 灰銀色を帯びたアッシュブロンドは軍務の邪魔にならないよう後頭部で低く束ねられ、青灰色の瞳の前には薄型の保護眼鏡が掛けられている。帝国軍の戦闘技術士官として整えられた制服を身につけ、右手には厚みのある書類鞄を提げていた。

「お邪魔します」

「まだ入っていいって言ってない」

「あなたの家でもあるけど、エリシアの家でもあるでしょう?」

「それはそうだけど」

「エリシア、いる?」

「いるよ」

「じゃあ問題なし」

「どういう理屈?」

 エミリアが玄関へ入ったところで、台所からエリシアが顔を出した。

「エミリア?」

「久しぶり、Valkyrie」

「もうエリシアでいいよ」

「なら私もエミリアで」

「Falconって呼んだら?」

「勤務中なら反応する」

「今は?」

「勤務中」

「じゃあFalcon?」

「やっぱりエミリアでいい」

「どっちなの?」

 レイブンが呆れながら二人を見る。

 エミリアはそこで台所から漂ってくる匂いに気づいたらしく、僅かに鼻を動かした。

「何か作ってた?」

「朝食」

「レイブンが?」

「どうして分かったの?」

「匂い」

「エミリアまで?」

「昔から料理苦手だったでしょう?」

「野外食なら作れる」

「それは料理じゃなくて生存技術」

「食べられれば料理だよ」

「エリシア、大変ね」

「最近よく分かってきた」

「二対一になった……」

 肩を落としたレイブンが居間へ戻る。

 三人が食卓を囲むと、エミリアは持参した書類鞄を開き、そこから一冊の分厚い資料を取り出した。

 表紙を見たレイブンの表情が変わる。

 帝国軍の紋章だけではなかった。

 連邦共和国軍。

 そして第一次異界大戦で抵抗軍へ参加した複数国家の軍章が、同じ表紙へ並んでいる。

「《世界共通兵器規格策定計画》……?」

「その第一段階」

「始まったんだ」

「正式にね」

 エミリアが資料を開いた。

「第一次異界大戦で兵站部門が一番苦労した問題の一つが、各国規格の不統一だった。帝国軍向けの弾薬が届いても連邦側の兵器には使えない。連邦軍用の弾倉を別の国の小銃には装着できない。口径が近くても薬莢や作動条件が違えば互換性はない。同じ用途の兵器なのに交換部品も整備工具も違う。前線は抵抗軍として一つになったのに、その後ろでは複数国家分の補給体系を同時に維持していた」

「兵站部隊は大変だっただろうね」

「大変なんてもんじゃないわよ。補給拠点によっては倉庫の半分が規格別の仕分けに使われていたらしいから」

「それで共通化?」

「そう。最初は弾薬規格から始める」

 エリシアも資料を覗き込んだ。

「連邦も?」

「積極的に参加してる。帝国と連邦共和国の戦争が正式に終結した以上、今度は戦時中に成立した協力関係を平時にも残す段階に入ってるから」

 ページをめくる。

 各国が使用してきた小銃弾、拳銃弾、機関銃用弾薬、狙撃用弾薬、対物用途の大型弾薬、散弾、特殊用途弾の概要が並んでいた。

 以前であれば、同じ机の上へ並ぶことさえ考えられなかった資料だった。

「全部統一するの?」

「一気には無理。既存兵器も既存在庫も多すぎるから、当面は旧規格と共通規格を併用する。既存兵器は必要に応じて適合改修、新規開発兵器については原則として共通規格への対応を求める方向で調整中」

「SG-44は?」

「すぐには変わらない」

「よかった」

「そこ最初に気にする?」

「父さんからもらった銃だから」

「知ってるけど」

 エミリアは小さく笑った。

 レイブンはさらに資料を読み進めたが、やがて眉を寄せる。

「でも、これ揉めてるでしょ」

「どうして分かるの?」

「各国が今まで独自規格を使ってきたんだから、簡単に『今日からこれにしましょう』とはならないだろ」

「正解。帝国側は耐久性を重視しろと言う。連邦側は量産性と兵站効率を優先している。寒冷地を重視する国もあれば、砂漠での信頼性を求める国もある。さらに第一次異界大戦を経験したせいで、魔力干渉下でも安定して使えることまで条件へ追加された」

「まとまる?」

「まとめるのが私たちの仕事」

「私たち?」

 レイブンは嫌な予感を覚えた。

 エミリアが微笑む。

 その笑顔を、レイブンは訓練兵時代から知っていた。

 大抵の場合、碌なことにならない。

「エミリア」

「何?」

「どうしてわざわざ俺の家まで来たの?」

「だから仕事」

「書類を届けるだけじゃないよね?」

「もちろん」

「……聞きたくない」

「世界共通規格弾薬の実用評価試験に、帝国側実戦経験者としてレイブン・S・クロウ〔無名(ノックス)〕を推薦した」

「誰が?」

「ヴォルター技術顧問」

「父さん!」

 レイブンが思わず立ち上がった。

「絶対そうだと思った!」

「ヴォルターさん曰く、『実戦で使う兵器なら実戦を知る人間に撃たせろ。開発者だけで完成させるな』だそうよ」

「言いそう……」

「さらに、『レイブンなら問題があれば遠慮なく言う』とも」

「息子の休暇は?」

「聞いた」

「何て?」

「『新居から試験場まで近い』」

「それ理由になってないよ……」

 レイブンが椅子へ座り直し、額へ手を当てる。

 隣ではエリシアが笑いを堪えていた。

「笑わないで」

「ごめん。でもヴォルターさんらしい」

「エリシアにも来てもらうけど」

「え?」

 今度はエリシアの表情が止まった。

「連邦側実戦経験者として、エリシア・L・ヴォルハラム=クロウ〔戦乙女(ヴァルキリー)〕にも参加要請が出てる」

「私も?」

「夫婦仲良く」

「レイブン」

「何?」

「今ちょっと嬉しそうでしょう」

「一人じゃなくなった」

「夫でしょう?」

「夫婦は苦労を分かち合うものだから」

「そういう意味じゃないと思う」

「明日の朝、迎えに来るから」

 エミリアは二人の反論を待つことなく資料を閉じた。

 翌朝。

 二人を乗せた軍用車両は、かつて帝国軍と連邦共和国軍が互いを監視していた国境地帯を走っていた。

 道路脇にはまだ戦争の名残がある。

 使われなくなった監視壕。

 撤去作業中の鉄条網。

 砲撃によって欠けた道路。

 しかし、その向こうでは新しい建物が建設され、商業用輸送車両が行き交っていた。

 そして丘を越えた先に、新しい共同試験施設が姿を現した。

「……本当にここなんだ」

 車から降りたレイブンが呟く。

「知ってる場所?」

 エリシアが隣へ立つ。

「子供の頃、父さんに連れられて近くまで来たことがある。あの丘より先は連邦領だから絶対に近づくなって言われた」

「今は?」

「帝国旗の隣に連邦旗がある」

 二人の視線の先では、複数の旗が同じ風を受けていた。

 帝国。

 連邦共和国。

 そして旧抵抗軍参加国。

 基地へ入れば、さらに奇妙な光景が待っていた。

 帝国軍服を着た兵士と連邦共和国軍服を着た兵士が同じ机を囲んでいる。

 別国家の技術者同士が一つの図面を広げ、その横では整備兵が互いの工具を見比べながら何かを話している。

 以前なら国家機密として扱われた兵器部品が、今では共同研究のため同じ作業台へ置かれていた。

「NoX」

 聞き覚えのある声にレイブンが振り返る。

「ハウンド?」

 アレクシス・ハルトマン〔猟犬(ハウンド)〕が立っていた。

 その後ろにはニコラス〔梟(オウル)〕、ダリオ〔破城槌(ラム)〕、マティアス〔衛生兵(パッチ)〕もいる。

「何でみんないるの?」

「旧特殊即応部隊から実戦評価要員を出せと言われた」

「休暇は?」

「消えた」

「仲間だ」

「喜ぶな」

「俺だけじゃなかった」

「そのうち殴るぞ」

「ラムなら本当にやりそう」

「何で俺を見るんだよ」

 ダリオが笑いながらレイブンの肩を叩こうとしたところで、エリシアがその手を止めた。

「左肩はまだ駄目」

「まだ治ってないのか?」

「治りすぎてるから逆に検査中」

「何だそれ」

「俺も知りたい」

 レイブンは左肩を軽く動かした。

 痛みはほとんどない。

 医師から見れば、むしろそれが問題だった。

 第一次異界大戦末期に受けた傷は、本来ならまだ完全に塞がっている時期ではない。それにもかかわらず、筋力も可動域も急速に戻っている。

 原因は分からない。

 そして同じ頃、エリシアの古傷にも不可解な変化が起きていた。

 二人とも、まだそれを単なる戦後の身体変化以上のものとは考えていなかった。

 しばらくして、各国の兵士と技術者が射撃試験区画へ集められた。

 前に立ったのはエミリアだった。

 保護眼鏡の奥にある青灰色の瞳から、先ほどまでの友人としての柔らかさが消えている。

 そこにいるのは戦闘技術士官、〔猟鷹(ファルコン)〕だった。

「今回の試験目的は、各国が保有する独自規格を即時廃止することではありません。第一次異界大戦において、我々は共通の敵を相手にしながら、最後まで異なる補給体系を使用しました。その結果、前線では使用可能な銃があるにもかかわらず対応弾薬がなく、別部隊には弾薬が余っているにもかかわらず規格が違うため融通できないという事態が発生しています」

 誰も笑わなかった。

 そこにいる兵士の多くが、その問題を実際に経験している。

「我々は次の戦争を望んでいません。しかし、戦争を望まないことと備えを放棄することは同じではありません。異界門が再び開く可能性が残されている以上、次に何かが起きた時、隣にいる兵士の国籍を確認してから補給物資を選ぶような状態を繰り返すべきではありません」

 エミリアは試作弾薬が収められた箱へ手を置いた。

「帝国兵でも、連邦兵でも、他国兵でも、必要なら同じ補給拠点から同じ弾薬を受け取れる。そのための第一歩が、今回の試験です」

 試験が始まった。

 レイブンは割り当てられた試験用小銃を受け取った。

 握った瞬間、身体の奥で馴染みのある感覚が広がる。

 〔兵装接続(アームズ・リンク)〕。

 まず武器そのものを認識する。

 重量。

 重心。

 機構。

 作動方式。

 そこから意識が装填されている試作弾へ移る。

 これまでより鮮明だった。

 武器を認識した後、その内部に収められた弾薬の性質へ意識が自然に接続されていく。

「レイブン?」

 エリシアが異変に気づいた。

「アームズ・リンクが反応してる」

「何か分かる?」

「前より細かい。銃だけじゃない。装填されてる弾そのものまで、かなりはっきり分かる」

 エミリアがすぐ近くへ来た。

「撃てる?」

「撃ってみないと分からないところもある」

「なら予定通り試験して。異常を感じたら中止」

「了解」

 レイブンは射撃位置へ入った。

 戦場ではない。

 目の前に敵はいない。

 狙うのは測定用標的だけだった。

 銃を肩へ据え、照準を合わせ、呼吸を整えてから引き金を操作する。

 乾いた発射音が試験場へ響いた。

 反動が肩から身体へ抜けていく。

 次弾。

 さらに次弾。

 レイブンは単に標的へ当てることよりも、銃と弾薬が発射のたびにどう反応しているのかへ意識を集中させた。

 数発目で、小さな違和感が生じる。

 命中精度にはまだ影響しない。

 射手が普通に撃っているだけなら、見過ごす程度のものだった。

「止めて」

 レイブンが銃口を安全な方向へ維持したまま声を上げた。

 エミリアが試験を止める。

「不具合?」

「今すぐ壊れるようなものじゃない。でも、このまま長期間使うのは良くないと思う」

「どこ?」

「弾そのものより、銃との組み合わせ。発射するたびに作動部の一部へ負担が偏ってる感じがする」

「感じ?」

「アームズ・リンクから来る情報だから、今はそれ以上説明できない」

 レイブンが違和感を覚えた部分を示すと、エミリアはすぐ技術者を呼んだ。

 測定記録と高速度撮影の映像が確認される。

 しばらくして、一人の技術者が顔を上げた。

「出ています」

「どの程度?」

「許容範囲内です。ただし連続使用を想定すると、特定部品への負荷が設計値より偏っています。NoXの指摘箇所と一致します」

「修正候補へ」

「了解」

 ダリオが横からレイブンを見る。

「お前、本当に人間か?」

「人間だよ」

「撃っただけだろ?」

「撃っただけ」

「何で分かるんだよ」

「スキル」

「便利すぎないか?」

「最近俺もそう思ってる」

「そのうち銃のほうから話しかけてくるんじゃないか?」

「それは怖いから嫌だ」

 周囲から小さな笑いが起こった。

 午後には、帝国軍、連邦共和国軍、他国軍の兵士を混成させた共同運用試験が始まった。

 同じ補給地点から試験用装備を受け取り、国家ごとの手順差や装備差が実際の共同運用でどの程度問題になるかを確認していく。

 休憩時間になると、レイブンは弾薬箱の脇へ腰を下ろした。

 少しして、一人の連邦兵が隣へ来る。

「座っていいか?」

「どうぞ」

「NoXだよな?」

「多分、そのNoX」

「第一次異界大戦の?」

「それなら多分合ってる」

「噂聞いてるよ」

「いい噂?」

「NoXがいる部隊は味方を生きて帰すって」

「……噂って勝手に大きくなるな」

「嫌か?」

「嫌じゃない。ただ責任が重い」

「なるほど」

 連邦兵は笑いながら腰を下ろした。

 しばらく二人で試験場を眺める。

「俺たち、少し前なら敵だったんだよな」

「そうだね」

「変な感じだ」

「俺も」

「もし異界軍が来なかったら、どこかで撃ち合ってたかもしれない」

「可能性はあったと思う」

「それが今はこれだ」

 連邦兵が隣に置かれた弾薬箱を軽く叩いた。

「同じ弾を使おうとしてる」

「そう考えると、本当に変わったな」

「ああ」

 レイブンも箱へ視線を落とした。

 まだ正式名称すら決まっていない共通規格候補弾。

 兵器である以上、人を傷つける力を持つことに変わりはない。

 けれど、そこへ込められようとしている意味は、以前とは少し違った。

 帝国だけの弾ではない。

 連邦だけの弾でもない。

 次に世界規模の危機が起きた時、国籍の違う兵士たちが互いを孤立させないための共通規格だった。

「NoX!」

 離れた場所からエミリアの声が響いた。

「休憩終了!」

「はいはい」

「返事は一回!」

「はい!」

 隣の連邦兵が吹き出した。

「本当に有名な特殊部隊員なのか?」

「訓練兵の頃からあんな感じなんだよ」

「Falconと?」

「同期」

「苦労してるな」

「分かってくれる?」

「何話してるの!」

 二人は顔を見合わせた。

「何でもない!」

「何でもないです!」

 今度は二人とも笑った。

 夕方まで続いた試験を終え、レイブンとエリシアは新居へ戻る車の中にいた。

 助手席のエリシアが窓の外を眺めながら口を開く。

「ねえ」

「何?」

「今日、楽しかったでしょう?」

「……分かる?」

「分かる」

「まあ、少し」

「少し?」

「かなり」

「やっぱり」

「新しい兵器触るのは嫌いじゃないから」

「ヴォルターさんと同じ顔してた」

「それは嘘」

「本当」

「嫌だ」

「親子だね」

「エリシア」

「何?」

「それ父さんには絶対言わないで」

「次に会ったら言う」

「やめて」

 エリシアが笑い、レイブンも諦めたように笑った。

 しばらく走ると、対向車線から軍用車列が現れた。

 先頭は帝国軍の工兵車両だった。

 その後ろには連邦共和国軍。

 さらに旧抵抗軍参加国の車両が続いている。

 荷台には兵器ではなく、大量の建築資材と復旧用機材が積まれていた。

「どこへ行くんだろう」

「昨日の報道で、南部地域に洪水被害が出たって言ってた」

「じゃあ災害派遣?」

「多分」

「帝国軍も連邦軍も一緒に?」

「そうみたい」

 レイブンは車列が通り過ぎるのを見送った。

「少し前なら、連邦軍が帝国内へ入っただけで侵攻だった」

「帝国軍が連邦へ入っても同じ」

「今は橋を直しに行く」

「軍隊にはそういう仕事もあるから」

「こういう共同作戦なら増えてもいいな」

「災害は増えないほうがいいけどね」

「それはそうだ」

「でも、必要になった時に国籍を気にせず助け合えるなら、そのほうがいい」

「うん」

 やがて二人の新居が見えてくる。

 ところが、レイブンは家の近くまで来たところで車の速度を落とした。

「……あれ?」

「どうしたの?」

「昨日、あそこに建物あった?」

「なかったと思う」

 道路沿いに新しい建物が建っていた。

 まだ完全には完成していないものの、看板には交易業者向けの宿泊施設になることが記されている。

 さらにその隣でも基礎工事が始まっていた。

「また増えた」

「国境を通る人が増えてるからね」

「静かな場所だと思ってここにしたのに」

「そのうち賑やかになりそう」

「引っ越す?」

「嫌」

「即答?」

「この家、気に入ったから」

「俺も」

 車を停める。

 二人が外へ出ると、夕方の風の中に建設作業の音が混じっていた。

 戦争中にも似たような音を聞いたことはある。

 だが、あの頃は陣地を作るためだった。

 今は人が住む場所を作るための音だった。

「そのうち町になったりして」

 レイブンが何気なく言った。

「ここが?」

「うん」

「今は家と宿と倉庫くらいしかないよ」

「だから、そのうち」

「じゃあ町の名前は?」

「そこまで考えてない」

「名前もないのに?」

「町になってから誰かが決めるでしょ」

「他人任せ」

「俺たち別に町を作ってるわけじゃないし」

 エリシアは笑いながら玄関へ向かった。

 二人は知らない。

 この土地に集まり始めた人々が、やがて国境の両側へ住宅を建てることを。

 交易商人のための宿が増え、食堂ができ、整備工場が生まれ、倉庫が並び、そこで働く者たちが家族を呼び寄せることを。

 子供が増えれば学校が必要になる。

 病院が建つ。

 市場ができる。

 鉄道駅が設けられる。

 そして、かつて帝国兵と連邦兵が互いへ銃を向けていた土地に、国境線そのものを内包する一つの街が生まれる。

 後世、その街は帝国と連邦共和国の和平を象徴する場所として知られるようになる。

 そして最初期の住宅記録を辿れば、一軒の家へ行き着くことになる。

 レイブン・S・クロウ。

 エリシア・L・ヴォルハラム=クロウ。

 帝国と連邦、二つの国に生まれた二人が、新婚生活を始めるために選んだ家だった。

 だが今の二人にとって、そこは歴史的建造物でも平和の象徴でもない。

 ただの我が家だった。

 玄関を開ける。

「ただいま」

「ただいま」

 二人の声が重なった。

 少し間が空く。

 レイブンがエリシアを見る。

「これ、前から思ってたんだけど」

「何?」

「二人とも『ただいま』って言ったら、誰も『おかえり』って言わない」

「確かに」

「どうする?」

「おかえり、レイブン」

「……おかえり、エリシア」

「これでいい?」

「いいと思う」

「じゃあこれからそうしよう」

「決まり」

 二人は笑いながら家へ入った。

 夕食を終えた後、レイブンは居間でエミリアから渡された資料を再び開いていた。

 世界共通規格化計画は弾薬だけで終わるものではなかった。

 将来的には弾倉や補給容器、装備接続規格、通信方式、医療物資の識別表示なども、共同作戦を妨げない範囲で統一していく構想が記されている。

 第一次異界大戦で緊急的に生まれた抵抗軍は、戦争が終わったことで完全に役目を失うのではなく、その経験を平時の国際協力へ受け継ごうとしていた。

「まだ仕事してる」

 風呂を終えたエリシアが戻ってきた。

「仕事じゃないよ」

「資料読んでる」

「気になるだけ」

「ヴォルターさんと同じ」

「今日何回目?」

「何が?」

「父さんに似てるって言われるの」

「事実だから仕方ない」

「認めたくない」

「どうして?」

「将来、父さんみたいに休暇中の息子を試験へ呼び出しそうだから」

「子供ができる前提なんだ」

「……そういう意味じゃなくて」

「顔赤いよ」

「風呂上がりのエリシアに言われたくない」

 エリシアは笑いながらレイブンの隣へ座った。

 しばらく二人で資料を見る。

「ねえ、レイブン」

「何?」

「いつか教官になったりして」

「俺が?」

「うん」

「無理だよ」

「どうして?」

「教えるより現場にいるほうが向いてる」

「ヴォルターさんも昔そう言ってたかもしれないよ」

「聞いてないから分からない」

「でも、今日の試験で技術者に説明してた時、結構教官っぽかった」

「やめて」

「NoX教官」

「やめてって」

「クロウ教官」

「父さんと区別つかなくなる」

「じゃあノックス教官」

「絶対嫌だ」

 エリシアが声を上げて笑った。

 レイブンも苦笑しながら資料を閉じる。

「俺はまだ前線でいい」

「その言葉、覚えておく」

「何で?」

「いつか教官になった時に言うため」

「ならないから」

「はいはい」

「本当に」

 レイブンはそう言い切った。

 だが、未来は彼の言葉通りにはならない。

 いつの日かレイブンは、自分より遥かに若い兵士たちの前へ立つことになる。

 父ヴォルターから教わった「必ず帰還する」という思想に、自らが幾つもの戦場で学んだ経験を重ね、次世代の兵士へ伝える立場になる。

 その時代には、今日試験していた世界共通規格弾薬も当たり前の存在になっているだろう。

 帝国軍と連邦共和国軍が同じ補給拠点を使うことも、別国家の兵士が同じ演習場で肩を並べることも、特別な出来事ではなくなっている。

 そして、その頃になって初めて周囲の人間は別の違和感に気づき始める。

 十年が過ぎても。

 二十年が過ぎても。

 レイブン・S・クロウとエリシア・L・ヴォルハラム=クロウの姿が、ほとんど変わっていないことに。

 だが今はまだ、二人自身でさえそれを知らない。

 窓の外には国境地帯の新しい灯りが見えていた。

 数日前よりも多い。

 一つ、また一つと増えている。

 戦争の頃、この土地の夜を照らしていたのは監視塔の探照灯と、砲撃によって燃え上がる炎だった。

 今は違う。

 家の灯り。

 宿の灯り。

 工事現場の灯り。

 誰かが生活するための光だった。

「レイブン」

「何?」

「寝るよ」

「もう少しだけ」

「明日も試験」

「あと五分」

「昨日もそう言って十分起きてた」

「じゃあ三分」

「今すぐ」

「……はい」

 レイブンが資料を閉じて立ち上がる。

 照明を消す直前、もう一度窓の外を見た。

「また灯り増えたな」

「うん」

「本当に町になるかも」

「なったらどうする?」

「どうもしないよ」

「最初の住民として偉そうにする?」

「しない」

「NoX記念館とかできたりして」

「絶対嫌だ」

「銅像は?」

「もっと嫌」

「SG-44持って立ってるの」

「やめて」

「隣に私も?」

「それなら少し考える」

「考えるんだ」

「一人は恥ずかしいから」

「二人ならいいの?」

「まだまし」

「変なの」

 エリシアが笑い、部屋の灯りを消した。

 後に平和の象徴となる街は、まだ名前すら持っていない。

 世界共通規格弾薬も、まだ試作品に過ぎない。

 多国籍軍による恒久的な協力体制も、ようやく構想が始まったばかりだった。

 すべてが途中にある。

 そして〔無名(ノックス)〕もまた、自分が次の時代で何になるのかを知らなかった。

 兵士として戦い続けるのか。

 守護者として人々を帰すのか。

 父と同じように教官となり、次の世代へ経験を渡すのか。

 あるいは、そのすべてを経験するのか。

 普通の人間であれば、一生を費やしても答えへ辿り着けないかもしれない。

 けれどレイブンとエリシアには、これからその答えを探すための途方もない時間が与えられようとしていた。

 まだ二人自身さえ知らないほど、長い時間が。

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