Season 4「NoX」 #072
第72話「境界に建つ家」
第一次異界大戦が正式に終結してから一週間ほど経った頃、レイブン・S・クロウとエリシア・L・ヴォルハラム=クロウは、これから夫婦として暮らす家をどこに構えるのかという、戦場とはまるで性質の異なる問題に向き合っていた。
帝国軍人であるレイブンにとって最も無難なのは帝国内に家を持つことであり、連邦共和国軍に籍を残すエリシアにとっては連邦側に住居を構えるほうが軍務上の手続きは少ない。
ところが二人は、どちらも選ばなかった。
「本当にここにするの?」
エリシアが地図から顔を上げた。
「駄目?」
「駄目じゃないけど……ここ、国境だよ?」
「うん」
「帝国と連邦共和国が最初に戦っていた頃なら、砲兵が睨み合っていた場所」
「うん」
「第一次異界大戦が始まる前は、民間人が近づくことすら難しかった場所」
「そうだね」
「それでも?」
レイブンは地図の中央へ指を置いた。
そこには、帝国と連邦共和国を分けてきた国境線が引かれている。
かつてなら、その一本の線を越えただけで敵国へ入ったことになった。
監視塔が並び、検問所が設けられ、双方の兵士が互いを警戒し、少しでも情勢が悪化すれば装甲車両と砲兵部隊が集められた土地でもある。
第一次異界大戦が始まる以前、帝国と連邦共和国が直接交戦状態へ入った時には、この一帯でも戦闘が起きていた。
その傷跡は今も残っている。
しかし地図上の国境から少し離れた場所には川があり、森があり、さらに進めば小高い丘もある。
戦争がなければ、決して悪い土地ではなかった。
「ここなら帝国にも行ける」
レイブンが言った。
「連邦にも行ける」
「確かに」
「エリシアのお母さんにも会いに行きやすいし、俺の家族にも会いに行ける」
「軍務に復帰しても?」
「どっちの基地にも行きやすい」
「それは便利」
「それに」
レイブンは少し笑った。
「俺たちらしいと思う」
「どういう意味?」
「帝国生まれの夫と、連邦生まれの妻」
「ああ」
「どっちか一方に住むより、真ん中でいいんじゃない?」
エリシアは地図を見る。
昨日まで敵国同士だった二つの国。
その境界。
普通なら新婚夫婦が新居を探す場所ではない。
「あなた、時々すごいことを普通みたいに言うよね」
「そう?」
「そう」
「嫌?」
「だから嫌じゃないって」
エリシアはレイブンの指が置かれている場所へ、自分の指を重ねた。
「ここにしよう」
「本当に?」
「うん」
「国境だよ?」
「今さら?」
「確認しただけ」
「それに」
今度はエリシアが笑った。
「あなたが帝国側へ逃げてもすぐ追いかけられる」
「逃げないよ」
「私が連邦側へ逃げても?」
「追いかける」
「じゃあ問題ないね」
「そういう決め方?」
「夫婦だから」
こうして、二人の新居は決まった。
後の歴史家から見れば、それはあまりにも象徴的な選択だった。
だが、この時の二人に国家間融和の象徴を作ろうという大それた意図などない。
帝国にも連邦共和国にも近く、互いの家族へ会いに行きやすいうえ、自然も多く、何より二人で静かに暮らせそうだった。
理由はそれだけだった。
数日後、二人は最低限の荷物を持って新居へ移った。
戦争で放棄されていた古い民家を修繕した建物で、豪華とは到底言えなかったが、二人で暮らすには十分な広さがある。
玄関を開けたレイブンは荷物を床へ置き、室内を見渡した。
「……ここが家か」
「そうだね」
「俺たちの?」
「私たちの」
エリシアも荷物を置いた。
「何か変な感じ」
「クロウ家とは違う?」
「違う」
「どう違う?」
「父さんも母さんもいない」
「ルナちゃんも」
「静かだ」
「寂しい?」
「少し」
エリシアがレイブンの腕へ寄り添う。
「二人いるよ」
「そうだね」
「それに、すぐ慣れる」
「うん」
レイブンは家の中を歩いた。
居間。
台所。
寝室。
小さな物置。
そして裏手には、装備を保管できるよう補強された部屋も用意されている。
「ここは?」
「あなたが欲しがったところ」
「武器庫?」
「正確には軍務用装備保管室」
「同じじゃない?」
「言い方の問題」
レイブンが扉を開ける。
まだ中にはほとんど何もない。
SG-44。
帝国軍制式自動拳銃。
整備器具。
軍から一時的な個人管理を認められている装備が整理されているだけで、T-51《REAPER》は軍施設側で保管されていた。
「ここだけ妙にしっかりしてる」
「誰かさんが『武器と弾薬だけはちゃんと管理しないと父さんに怒られる』って言ったから」
「実際怒られる」
「ヴォルターさん、ここまで来て確認しそう」
「来るよ」
「断言するんだ」
「父さんだから」
レイブンはSG-44を確認し、薬室が空であることを確かめてから所定の場所へ収めた。
家では戦闘態勢を取らない。
必要がなければ弾薬を装填したままにしない。
戦場で身体に染みついた習慣と、家庭へ武器を持ち込む者として守るべき規律は別物だった。
「レイブン」
「何?」
「終わった?」
「うん」
「じゃあ家具」
「……そっちのほうが大変そう」
「逃げない」
「はい」
二人が最初に苦戦したのは敵でも魔獣でもなく、大きな食器棚だった。
「右」
「俺から見て?」
「私から見て」
「それ逆!」
「待って、壁!」
「分かってる!」
「レイブン、下!」
「足?」
「違う、棚!」
「どっち!?」
何度も置き直した末に、ようやく壁際へ収まった。
二人はその場へ座り込んだ。
「……大型異界軍兵器より強かった」
「食器棚相手にT-51は使えないからね」
「SGなら?」
「家壊す気?」
「冗談」
エリシアは笑いながら夫の肩へ頭を預けた。
「でも」
「何?」
「楽しい」
「引っ越しが?」
「二人で家を作ってるのが」
レイブンは周囲を見る。
まだ荷物が積み上がっている。
家具の位置も決まっていない。
窓際には修繕跡があり、壁には戦争中についた傷さえ残っていた。
それでもここは二人の家だった。
「俺も」
「じゃあ次」
「まだやるの?」
「当たり前」
「休憩」
「五分」
「十分」
「七分」
「交渉成立」
そんな生活が始まって数日後だった。
朝食を終えた二人が居間で通信放送を聞いていると、通常番組が突然切り替わった。
画面に現れたのは帝国政府と連邦共和国政府、そして旧抵抗軍参加諸国の代表者たちだった。
レイブンがカップを置く。
「何だろう」
「緊急放送?」
「でも警報じゃない」
二人は画面を見る。
第一次異界大戦の終結後も、一つだけ大きな問題が残されていた。
帝国と連邦共和国の関係である。
異界軍という共通の敵を前にしたことで両国は戦闘を停止し、抵抗軍という同じ陣営で戦った。
しかし、それ以前に両国間で始まっていた戦争については、法的にも外交的にも完全な決着がついていなかった。
停戦状態。
言葉にすればそれだけだったが、停戦とは戦争が終わったことを意味しない。
撃っていないだけで、戦争そのものは残っている。
ところが、この日の発表は違った。
『帝国政府ならびに連邦共和国政府は、本日締結された帝国・連邦包括和平条約の発効をもって、両国間に存在していた戦争状態を正式に終結させる』
エリシアがゆっくりレイブンを見る。
「……終わった」
「うん」
「こっちも」
「終わった」
第一次異界大戦が終わった時とは少し違う感覚だった。
あの戦争では二人とも異界軍という明確な敵と戦っていた。
だが帝国と連邦共和国の戦争は、レイブンとエリシアが出会うより前から二人の人生を分断していた。
レイブンは帝国側。
エリシアは連邦側。
本来なら敵になる可能性さえあった。
「もし異界軍が来なかったら」
エリシアが言う。
「私たち、戦ってたのかな」
レイブンはすぐには答えなかった。
「分からない」
「うん」
「でも可能性はあったと思う」
「私も」
「嫌だな」
「今だから言えるけどね」
「Valkyrie相手に戦いたくない」
「NoX相手も嫌」
「狙撃されそう」
「あなたが先にT-51撃つでしょう?」
「じゃあ引き分け」
「何それ」
二人は笑った。
そしてもう一度画面を見る。
帝国代表と連邦共和国代表が握手していた。
昨日まで敵国だった二国が、今度は停戦相手ではなく、正式な平和条約を結んだ国家として向かい合っている。
「この家」
エリシアが窓の外を見る。
「選んだ時より意味が変わったね」
「国境だから?」
「うん」
「昨日までは敵国との境界」
「今日からは隣国との境界」
レイブンも窓を見る。
遠くには、かつて国境監視用として使われていた塔が見える。
「そのうち撤去されるかな」
「全部は残すんじゃない?」
「記念?」
「忘れないために」
「それもいいか」
和平条約の影響は、書類の上だけには留まらなかった。
数週間が過ぎる頃には、長く閉鎖されていた国境検問所の一部が民間向けに再開され、帝国から連邦共和国へ向かう商用車と、連邦共和国から帝国へ向かう輸送車両が少しずつ行き交うようになった。
最初は一日に数台だった。
やがて数十台になる。
さらに旧抵抗軍参加国との交易路も復旧し始め、戦時中は軍需物資しか運んでいなかった鉄道を、民間貨物列車が再び走るようになった。
ある日の朝、レイブンは家の前で郵便物を受け取った。
「エリシア」
「何?」
「これ見て」
「何?」
「連邦のお菓子」
「どうしたの?」
「母さんから」
「レイブンのお母様が?」
「国境交易再開したから買ってみたって」
「早いね」
「母さんこういう時だけ行動力すごいから」
「食べよう」
「今?」
「今」
「朝食食べたばっかり」
「別腹」
「ルナみたいなこと言い始めた」
反対に、エリシアの母から届いた荷物には帝国製の日用品が入っていた。
敵国の商品だったものが、日常生活の中へ戻ってくる。
二人はその変化を、新聞記事ではなく食卓で実感するようになった。
軍もまた変わり始めていた。
戦時中の抵抗軍は、異界軍に対抗するための緊急的な軍事同盟だった。
帝国軍。
連邦共和国軍。
その他の参加国軍。
それぞれが独自の指揮系統、装備、補給制度を維持しながら、共通の敵を相手に無理やり一つの戦線を作っていた。
そこで大きな問題になったのが補給だった。
ある国の銃に別の国の弾薬が使えない。
口径が似ていても薬莢寸法が違う。
弾倉も互換性がない。
同じ用途の兵器なのに整備工具まで違う。
第一次異界大戦中には、それが原因で前線への補給が遅れることも珍しくなかった。
終戦後、各国軍はその教訓を無視しなかった。
ある日、レイブンとエリシアのもとへ軍から通知が届いた。
「世界共通小火器規格?」
レイブンは文書を読みながら首を傾げた。
「とうとう始めるみたい」
エリシアが隣から覗く。
「第一次異界大戦の戦訓を受け、旧抵抗軍参加国は小火器用弾薬、弾倉、補給容器および一部装備接続規格について段階的な共通化を実施する……」
「全部一気に変えるわけじゃないんだ」
「当たり前だよ。今ある銃を全部捨てられない」
「SG-44も?」
「当面は現役」
「よかった」
「そんなに好き?」
「父さんからもらった銃だから」
レイブンは通知書を読み進めた。
帝国独自規格。
連邦独自規格。
各国の軍用規格。
それらを即座に廃止するのではなく、既存兵器については改修部品や変換部品を用意しながら運用を継続し、新規開発兵器から順番に共通規格へ適合させていく方針だった。
「父さん、絶対これに関わってる」
レイブンが言った。
「どうして分かるの?」
「こういう話になると必ずいる」
「AMR-51の時も?」
「いた」
「SG関係も?」
「いた」
「何でもいるね」
「本人は『少し意見を言っただけだ』って言う」
「実際は?」
「かなり言う」
その予想は正しかった。
数日後、クロウ家から届いた手紙にはヴォルターの字で、新しい共通規格について長々と改善案が書かれていた。
「ほら」
「本当だ」
「『各国が共通規格を採用する以上、机上の数値だけ合わせても意味がない。泥濘、砂漠、寒冷地、異界環境を想定した実射試験を統一しろ』」
「ヴォルターさんらしい」
「まだあるよ。『弾薬だけ統一して銃側の耐久基準を別々にするな』」
「正論」
「『弾倉規格を増やすな』」
「かなり怒ってない?」
「多分会議で何かあった」
エリシアが笑った。
「そのうちあなたも呼ばれるんじゃない?」
「何で?」
「NoXだから」
「関係ある?」
「T-51の試験射手だったでしょう?」
「……嫌な予感してきた」
「諦めて」
戦後の軍事協力も、二人が想像していた以上の速度で進んだ。
帝国軍部隊が連邦領内へ入る。
かつてなら侵攻だった。
今では災害復興支援だった。
連邦共和国軍の工兵隊が帝国内へ入る。
かつてなら重大な国境侵犯だった。
今では崩落した橋梁の復旧作業を帝国工兵隊と共同で行うためだった。
旧抵抗軍参加国の輸送機が国境を越える。
それも爆撃のためではない。
復興物資を運ぶためだった。
さらに戦時中に培った共同指揮能力を失わないため、多国籍軍による大規模合同演習の計画まで始まった。
その最初の演習計画書を見たレイブンは、思わず笑った。
「どうしたの?」
「演習地域」
「どこ?」
「この近く」
「……本当に?」
「国境地帯」
「新居の場所、間違えた?」
「今さら?」
二人が暮らし始めた土地にも変化が起きていた。
最初にできたのは小さな商店だった。
国境を往来する人間が増えたため、飲食物や日用品を扱う店が必要になったからだ。
次に簡易宿泊施設ができた。
その次に車両整備所。
さらに交易業者の倉庫。
国境管理所で働く人々の住宅も建ち始めた。
ある夕方、レイブンとエリシアは新居の前に並んで座り、遠くで建設作業を続ける人々を眺めていた。
「また建物増えた」
レイブンが言う。
「昨日まで骨組みだけだったのに」
「早いね」
「静かなところだと思ってここにしたんだけど」
「そのうち賑やかになりそう」
「引っ越す?」
「嫌」
エリシアは即答した。
「私もここ好きになった」
「俺も」
「じゃあここにいよう」
「うん」
国境道路を一台の大型輸送車が通っていく。
車体には帝国軍の標識があった。
その後ろを走る車両には連邦共和国軍の標識がある。
二台は同じ方向へ走っていた。
「不思議」
エリシアが呟く。
「少し前なら撃ち合ってた」
「今は?」
「一緒に橋を直しに行くんだって」
「世界って変わるんだな」
「変わるよ」
「人間も?」
「変わる」
「俺も?」
「少しは」
「少し?」
「まず無茶を減らすところから」
「まだ言う?」
「一生言う」
レイブンは笑った。
「じゃあ長生きしないとな」
「そうだね」
エリシアも笑う。
「二人とも」
二人はまだ知らない。
その言葉が冗談では済まなくなることを。
彼らが家を建てた国境地帯は、交易と軍事協力が進むにつれて人を集め続けた。
帝国人が店を開き、連邦人が隣に家を建て、別の国から来た商人が倉庫を構える。
かつて砲撃陣地が置かれていた土地には学校が建ち、監視所だった場所の近くには市場ができ、戦車が通った道路を民間の車が走るようになる。
やがて国境線を挟んだ小さな集落は一つの町として扱われるようになり、さらに長い年月を経た後には、帝国と連邦共和国の和平を象徴する都市へ成長していくことになる。
その都市の最も古い住居記録を調べれば、奇妙な一軒の家へ辿り着く。
第一次異界大戦終結直後、まだ周囲にほとんど何もなかった時代に建てられた家。
帝国軍特殊即応部隊所属、レイブン・S・クロウ。
連邦共和国軍所属、エリシア・L・ヴォルハラム=クロウ。
後に〔無名〕と〔戦乙女〕として幾度もの異界大戦を生きることになる二人が、新婚生活を始めた場所だった。
だが当時の二人に、そんな未来が見えているはずもなかった。
「レイブン」
「何?」
「夕飯どうする?」
「昨日の残り」
「また?」
「駄目?」
「新しい商店できたよ」
「行ってみる?」
「うん」
二人は立ち上がった。
エリシアが家の鍵を閉める。
レイブンは自然に彼女の手を取った。
「帝国側の店?」
「連邦側の人がやってるみたい」
「国境なのに?」
「もう国境だからって関係ないんじゃない?」
「そっか」
二人は歩き始める。
その横を、帝国と連邦共和国の復興支援車両が並んで走っていった。
空には旧抵抗軍参加国の輸送機が飛び、荷室には武器ではなく復興資材が積まれている。
遠くの鉄道では貨物列車が国境を越え、その積荷には食料、建築資材、医薬品、機械部品が混在していた。
世界はまだ傷だらけだった。
第一次異界大戦で失われたものは戻らない。
帝国と連邦共和国が戦った事実も消えない。
エリシアの父と兄も帰ってこない。
レイブンとエリシアが救えなかった人々も戻らない。
だから平和とは、何もなかった頃へ戻ることではなかった。
傷を残したまま、それでも昨日とは違う方向へ歩くことだった。
「エリシア」
「何?」
「俺たちの家ってさ」
「うん」
「帝国側なのかな。それとも連邦側?」
エリシアは足を止めずに答えた。
「クロウ家側」
「何それ」
「私たちの家なんだから」
「国としては?」
「面倒くさい」
「大事だよ」
「じゃあ国境側」
「もっと曖昧になった」
「いいでしょう、それで」
「まあいいか」
「うん」
レイブンは握っている手へ少し力を込めた。
エリシアも握り返す。
かつて帝国兵と連邦兵が互いへ銃口を向けた道を、一組の夫婦が夕食を買うために歩いていく。
それだけの光景だった。
だが、戦争を知る者にとっては、それだけのことができる世界こそが平和だった。
この頃から各国軍の兵器庫では、古い弾薬箱の隣へ新たな世界共通規格を示す刻印の入った箱が置かれ始める。
帝国製の銃が連邦製の補給弾を使用し、連邦兵が帝国側の補給拠点から弾薬を受け取り、別の国の兵士が同じ規格の弾倉を携行する光景も、やがて珍しいものではなくなっていく。
その変化は、次世代の兵器設計にも影響を及ぼした。
SG-44。
T-51《REAPER》。
各国の自動小銃。
拳銃。
機関銃。
狙撃銃。
旧世代兵器の中には独自規格のまま運用を終えるものもあれば、共通規格へ適応するための改修を受けるものも現れ、新規兵器については最初から多国籍運用を前提とした設計思想が採用され始めた。
その中心にある考えは単純だった。
次に異界門が開いた時、隣にいる兵士がどこの国の人間であっても、同じ補給を受け、同じ戦場で戦えるようにする。
第一次異界大戦で敵国同士を一つにした抵抗軍は、戦争が終わったことで消えるのではなく、その経験を次の時代へ残そうとしていた。
レイブンはまだ知らなかった。
やがて自分自身も、その新しい兵器体系と訓練思想を次世代へ伝える側へ回ることを。
父ヴォルターと同じ教官という立場に立ち、古い訓練方式を捨て、第一次・第二次異界大戦で得られた実戦経験と新時代の軍事教本を組み合わせ、新しい兵士たちを育てる日が来ることを。
そして、その頃になっても自分の顔がほとんど変わっていないことに、周囲が疑問を持ち始めることを。
今のレイブンにとって重要なのは、世界共通規格でも将来の軍事教範でもなかった。
「レイブン」
「何?」
「財布持ってる?」
二人は新しくできた商店の前で止まった。
「……エリシアが持ってると思ってた」
「私もあなたが持ってると思ってた」
二人は黙った。
「家まで何分?」
「歩いて十分」
「戻る?」
「戻ろう」
「買い物は?」
「そのあと」
二人は来た道を引き返した。
「新婚ってこんな感じなのかな」
レイブンが聞く。
「私たちが慣れてないだけ」
「戦場なら弾薬確認忘れないのに」
「財布は装備品じゃないから」
「出発前確認項目に入れる?」
「鍵、財布、身分証?」
「いいね」
「軍人みたい」
「軍人だから」
「家では夫」
「はい」
エリシアが笑う。
レイブンも笑った。
二人の後ろでは、帝国から来た車と連邦共和国から来た車が同じ道路を走っている。
その道路沿いには、新しい建物の基礎がまた一つ造られていた。
やがて町となる場所。
さらに遠い未来には、帝国と連邦共和国が争っていた時代を知らない子供たちが生まれ、国境を越えることを特別なことだと思わない世代が暮らす場所。
その始まりに、自分たちの小さな家があることを二人は知らない。
レイブンとエリシアは、ただ自分たちが帰る場所を選んだだけだった。
帝国でもなく。
連邦共和国でもなく。
二つの国の間に。
かつて戦場だった土地に。
そして二人が生き続ける限り、その家の玄関では同じ言葉が繰り返されることになる。
「ただいま」
「おかえり」
戦争が終わり、国境が壁ではなく道へ変わり始めた時代。
後に平和の街と呼ばれる土地の最初の灯りは、まだ名前すら持たない一軒の家から静かに灯り始めていた。




