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黒猫年代記  作者: @12
第二部 ~Ⅰ~ FENRIR ― 時代に取り残された黒猫 ― Season 4 #038~Season 4 #066
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65/189

Season 4「NoX」 #065

第65話「第四門杭」


 第四門杭まで、残り三・七キロ。

 数字だけなら大した距離ではなかった。

 訓練兵だった頃のレイブン・S・クロウなら、装備を背負ったまま走り切れる距離だと考えただろう。しかし今の彼は、戦場における三・七キロが平時の三・七キロとはまったく違うことを知っている。

 道はない。

 正確には、かつて道だったものは残っていた。

 砲撃で割れた舗装路、倒壊した建物、放棄された車両、泥水の溜まった弾痕、異界植物に覆われ始めた歩道が、ここにかつて人間の生活圏があったことだけを伝えている。

 雨も止まなかった。

 レイブンはSG-44を胸元へ引き寄せながら、十数メートル先を歩くエリシア・L・ヴォルハラムの背中を追った。

「Valkyrie」

「聞いてる」

「左の建物」

「二階?」

「うん」

 エリシアは顔を向けずに答えた。

「私も気になってた」

 レイブンは歩調を緩めた。

 〔殺気看破(アタック・シールド)〕は反応していない。

 それでも何かがおかしい。

 窓が一つだけ割れていなかった。

 周囲の建物は砲撃と風雨によってほとんど原形を失っているのに、そこだけが妙に整っている。

「ハウンド」

『聞いてる』

「前方左、三階建て。二階窓」

『敵か?』

「分からない」

『分からないなら確認しろ。ただし入るな』

「了解」

 レイブンは〔透明(ゴースト)〕を使わなかった。

 前の交戦で異界軍にも隠密技術が存在することが分かった以上、能力だけへ頼るのは危険だった。

 代わりに倒壊した車両の陰へ入り、T-51《REAPER》を前へ回す。

 雨に濡れた光学照準器を一度拭う。

 倍率を上げた。

 窓。

 暗い室内。

 何もいない。

 さらに見る。

「……糸?」

 窓枠から細い何かが伸びていた。

「オウル、見える?」

『待て』

 数秒後、ニコラス〔梟(オウル)〕から返答が来た。

『確認。窓から道路側へ細線。魔力反応あり』

「罠か」

『可能性高い』

 レイブンは照準器を下げた。

「工兵さん」

 後方からカール・ヴァイゼンが近づく。

「何だ?」

「あれ」

 レイブンが指した方向を見て、カールはすぐに止まった。

「触るなよ」

「触らないよ」

「お前じゃない。全員に言ってる」

 カールは携行していた魔導計測器を取り出し、表示を確認した。

「厄介だな」

「爆発?」

「たぶん警報だ」

「警報?」

「線を切れば敵に位置を知らせる。踏んでも同じだろう」

 エリシアが戻ってくる。

「避けられる?」

「道路を捨てればな」

「どっち?」

 カールは右手側に残る路地を見た。

「あっちだ。ただし遠回りになる」

 レイブンは時計を確認した。

「時間は?」

 アレクシス〔猟犬(ハウンド)〕が答える。

「予定より九分遅れている」

「九分なら?」

「許容範囲だ」

「なら迂回」

 レイブンが即答すると、カールが少し意外そうに見た。

「解除しないのか?」

「解除できる?」

「時間をくれれば」

「何分?」

「五分。下手すれば十分」

「だったら遠回りした方が早い」

「噂と違うな」

「また噂?」

「特殊部隊は何でも正面から突破するものだと思ってた」

 レイブンはSG-44を握り直した。

「それ、特殊部隊じゃなくて突撃隊じゃない?」

 エリシアが横から笑う。

「NoXはむしろ面倒な場所を避けるのが上手いわよ」

「褒めてる?」

「かなり」

「なら受け取っとく」

 部隊は道路を外れた。

 路地へ入ると、雨音が少し弱くなった。左右に残った建物が風を遮っている代わりに視界は狭くなり、十人を超える人間が通るには窮屈だった。

 レイブンは先頭へ出た。

「Valkyrie、後ろお願い」

「了解」

 NoXが前を見る。

 Valkyrieが後ろを見る。

 いつの間にか、それが二人にとって自然な形になっていた。

 言葉で確認しなくても、レイブンが速度を落とせばエリシアも落とし、彼が止まれば彼女も後方を警戒したまま止まる。

 角へ到達する。

 レイブンは壁際で停止した。

 耳を澄ませる。

 雨。

 遠方の砲撃。

 さらに近くで何かを引きずる音。

「いる」

 後方へ拳を上げる。

 全員が止まった。

 レイブンはSG-44を構えたまま、角の先を確認する。

 異界兵が二体。

 その後ろに魔獣が一体いた。

 四足歩行。

 黒褐色の体毛。

 前脚が後脚より長く、肩の位置が人間の胸ほどまである。

 頭部には目らしい器官が四つ並び、地面へ鼻先を近づけていた。

 レイブンは眉を寄せる。

「まずい」

『何が?』

 エリシアの声。

『犬みたいなのがいる』

『魔獣?』

『多分』

『ゴーストは?』

 レイブンは少し考えた。

『使わない』

『匂いは消えるでしょう?』

『俺の匂いはね』

 足元を見る。

 泥。

『足跡までは消えない』

 エリシアも理解した。

『なるほど』

 レイブンは後退した。

「ハウンド、敵三。異界兵二、魔獣一。迂回できない」

「排除する」

「静かに?」

「可能なら」

 レイブンはSG-44から手を離した。

 腰の帝国軍制式自動拳銃へ手を伸ばす。

 エリシアが隣へ来た。

「私が右」

「俺が左」

「魔獣は?」

「先に俺」

「外したら?」

「任せる」

「了解」

 二人は呼吸を合わせた。

 レイブンが角から出る。

 自動拳銃を両手で保持する。

 魔獣が顔を上げた。

 発射。

 頭部。

 魔獣が崩れるより先に異界兵が振り返った。

 レイブンが左。

 エリシアが右。

 二つの発射音がほぼ同時に重なった。

 敵が倒れる。

「クリア」

 レイブンは前進しながら確認した。

 魔獣は動かない。

 異界兵も同様だった。

「早かったな」

 カールが呟く。

「見つかる前に終わらせたかったから」

「その拳銃、帝国製?」

「そう」

「SGだけじゃないんだな」

「これも父さんの国の銃だから」

「父さんの国って、お前も帝国人だろ」

「そうだった」

 エリシアが吹き出した。

「笑うところ?」

「あなた、たまに自分が何者か忘れるわよね」

「抵抗軍にいる時間が長くなったから」

 レイブンは拳銃を確認してから収めた。

「帝国人で、抵抗軍兵士で、特殊部隊員で、婚約者」

「最後だけ急に個人的」

「大事だから」

「……そう」

 エリシアが少しだけ顔を逸らした。

「照れた?」

「進むよ」

「はい」

 路地を抜けた頃、空が明るくなり始めていた。

 夜明けだった。

 雲に覆われているため太陽そのものは見えない。それでも闇の濃さが薄れ、破壊された街並みが少しずつ輪郭を取り戻していく。

 そして、その向こうに第四門杭が見えた。

「……あれ?」

 レイブンは思わず立ち止まった。

 門杭という名前から、彼はもっと単純な構造物を想像していた。

 実物は違った。

 地面から斜めに突き出した巨大な黒色構造体が、周囲の建物を押し潰すように存在している。高さは三十メートルを超え、その表面を青白い魔力光が血管のように走っていた。

 さらに根元からは何本もの構造物が地下へ伸びている。

 その一本一本が、遠方に見える巨大異界門と同じ周期で明滅していた。

「門杭というより……」

 エリシアが言葉を探す。

「根っこ?」

 レイブンが答えた。

「私もそう思った」

 カールが計測器を見る。

「地下魔力路と繋がってる。間違いない」

「壊せる?」

「近づければ」

「どれくらい?」

「爆薬設置に最低八分」

「八分……」

 レイブンは周囲を見る。

 開けている。

 第四門杭の周辺だけ、建物が意図的に破壊されていた。

 隠れる場所が少ない。

「敵が守りやすいようにしてる」

 アレクシスも同じことを考えていた。

「オウル」

「観測する」

 ニコラスが光学機器を覗く。

 しばらく無言だった。

「……多い」

「何人」

「確認できるだけで四十以上」

 レイブンが息を吐いた。

「隠密個体は?」

「分からない」

「魔獣」

「六。大型二」

「重装?」

「いる。門杭正面に三」

 エリシアが第四門杭を見る。

「正面突破は?」

「工兵が死ぬ」

 レイブンは即答した。

「じゃあどうする?」

 T-51《REAPER》へ手を伸ばした。

「俺たちが正面にいると思わせる」

 アレクシスがレイブンを見る。

「説明しろ」

「敵はNoXを知ってる」

「可能性はある」

「狙撃も警戒してる」

「ああ」

「だったら俺が見える場所から撃つ」

 エリシアの表情が険しくなる。

「待って」

「敵の視線を西側へ向ける。その間に工兵は東から入る」

「あなたが囮になるってこと?」

「俺だけじゃない」

 レイブンはアレクシスを見る。

「火力班を借りたい」

「何人」

「ラムと二人。Valkyrieは工兵側」

「嫌」

 即答だった。

「エリシア」

「嫌」

「工兵を守ってほしい」

「あなたを守る人は?」

「ラムがいる」

 後ろからダリオ〔破城槌(ラム)〕が顔を出した。

「俺、一人で夫婦喧嘩に巻き込まれるの?」

「まだ夫婦じゃない」

 レイブンとエリシアの声が重なった。

 ダリオは黙った。

「……そこだけ息ぴったりだな」

 アレクシスが地図を広げる。

「案としては悪くない」

「ハウンド」

 エリシアが睨む。

「ただしNoXを完全な囮にはしない。西側から火力班を展開。NoXが長距離射撃、ラムが近接警戒。敵が西へ移動した時点で後退する」

「Valkyrieは?」

「俺と工兵、パッチ、オウルと東側へ回る」

 エリシアはレイブンを見る。

「三百五十」

「今回はもっと離れる」

「だから嫌なの」

「でも」

 レイブンは第四門杭を見た。

「ここを壊さないと帰れない」

 その言葉に、エリシアは何も返せなかった。

 数秒後。

「必ず下がって」

「うん」

「敵を全部倒そうとしない」

「うん」

「怪我しない」

「それは約束できない」

「レイブン」

「努力する」

「……絶対?」

「できる限り」

 エリシアは呆れたように息を吐いた。

「その言葉、便利に使いすぎ」

「父さん仕込み」

「ヴォルターさんに文句言う」

「帰ったら一緒に言おう」

「約束」

「約束」

 作戦は決まった。

 レイブンとダリオは西へ。

 エリシアたちは東へ。

 第四門杭を挟み、二人の距離が開いていく。

 レイブンは何度か振り返った。

 そのたびにエリシアもこちらを見ていた。

 三百五十メートルを越える。

 四百。

 五百。

 建物に遮られ、彼女の姿が見えなくなった。

「NoX」

 ダリオに呼ばれる。

「何?」

「心配か?」

「うん」

「即答だな」

「婚約者だから」

「戦場で別行動は初めてじゃないだろ」

「初めてじゃないから心配しなくなるわけでもないよ」

 ダリオは少し笑った。

「それもそうだ」

 二人は西側の高所へ到達した。

 かつて商業施設だった建物の三階。

 外壁の半分が失われているため、第四門杭を一望できる。

 レイブンはT-51を下ろした。

 二脚(バイポッド)を展開。

 伏射姿勢。

 肩へ銃床を当てる。

 〔兵装接続(アームズ・リンク)〕。

 意識が銃へ繋がる。

 T-51《REAPER》。

 銃身状態。

 正常。

 IBRS。

 正常。

 装填弾認識。

 対物弾。

 呼吸を整える。

『NoX、こちらValkyrie』

「聞いてる」

『東側配置完了』

「工兵は?」

『準備できてる』

「ハウンド」

『いつでもいい』

「了解」

 レイブンは照準器を覗いた。

 門杭正面。

 重装異界兵。

 頭部ではない。

 胸部でもない。

 右肩。

 そこに魔導防御装置らしきものがある。

「始める」

 引き金を絞った。

 T-51が吼えた。

 銃身と可動部が後退し、IBRSが強烈な反動を吸収する。それでも残った衝撃が肩から全身へ抜けた。

 数百メートル先。

 重装異界兵の右肩が砕けた。

「一」

 敵が動く。

 照準を隣へ移す。

 発射。

「二」

 異界軍が混乱する。

 西を見る。

 狙撃位置を探す。

「食いついた」

 ダリオが言う。

「まだ」

 三発目。

 発射。

 魔獣が倒れる。

 第四門杭周辺の異界軍が西へ移動を始めた。

『NoX、敵移動確認』

 エリシアの声。

「今」

『工兵前進!』

 レイブンは照準器越しに敵を見る。

 こちらへ向かってくる。

「ラム」

「おう」

「そろそろ怒られそう」

「誰に?」

「敵に」

「婚約者にもだろ」

「それはいつものこと」

 四発目。

 発射。

 異界軍の魔導射撃が飛んできた。

 建物外壁が吹き飛ぶ。

「うわっ!」

「位置割れたぞ!」

「予定通り!」

「予定より早い!」

「それはごめん!」

 レイブンはT-51を抱えて移動した。

 同じ場所から撃ち続けない。

 隣の窓へ。

 再び伏せる。

 照準。

 発射。

『NoX!』

 エリシアの声が飛ぶ。

「聞こえてる!」

『撃たれすぎ!』

「見えてるの?」

『音で分かる!』

「工兵は!」

『門杭まで百二十!』

「なら続ける!」

『無茶しないで!』

「してない!」

 直後、頭上を魔導弾が通過した。

「今のは無茶だろ」

 ダリオが言う。

「向こうが撃ったんだから俺のせいじゃない!」

「そういう問題か?」

 レイブンは次の弾を送った。

 敵が近い。

 T-51では扱いにくい距離へ入り始めている。

「ラム」

「来るぞ」

「REAPER終わり」

 レイブンはT-51を背へ回し、SG-44を前へ出した。

 薬室一発。

 弾倉残量十分。

 敵が階下へ入った。

 足音。

 今度は隠れていない。

「階段」

「任せろ」

 ダリオが構える。

 一体目が上がってきた。

 レイブンが発射する。

 倒れる。

 次。

 ダリオが撃つ。

 三体目。

 レイブン。

 発射。

 次弾を送り込む。

 発射。

 弾倉残量が減る。

 まだ薬室には弾がある。

 一瞬だけ敵の足が止まった。

 その隙を使う。

 弾倉を抜く。

 新しいものを入れる。

 戦術装填《タクティカル・リロード》。

 薬室内の一発を残したまま、次の交戦へ備える。

「来る!」

 ダリオ。

「了解!」

 再び発射。

 階段が敵の死角になる。

 しかし敵も学習している。

 正面から上がってこなくなった。

「止まった?」

「いや」

 レイブンの〔殺気看破(アタック・シールド)〕が反応した。

「外!」

 二人が離れる。

 直後、壁が破壊された。

 大型魔獣が外壁を突き破って三階へ入ってくる。

「それあり!?」

「異界軍に建築物を大事にしろって言ってこい!」

「戦争終わったら!」

 SG-44を向ける。

 発射。

 一発では止まらない。

 もう一発。

 魔獣が突進する。

 レイブンは横へ転がる。

 爪が防具を掠めた。

「NoX!」

「大丈夫!」

 立ち上がる。

 近すぎる。

 SG-44を構え直す余裕がない。

 レイブンは魔獣の次の動きを見た。

 前脚。

 頭。

 牙。

 訓練兵だった頃に叩き込まれた近接戦闘が身体を動かす。

 真正面で力を受けない。

 横へ外す。

 魔獣の首筋へ銃身を押し当てる。

 発射。

 轟音が耳を打った。

 魔獣が倒れる。

「……近い」

「耳、大丈夫か?」

「鳴ってる」

「あとでパッチに見せろ」

「了解」

 通信。

『NoX! こちらValkyrie!』

「生きてる!」

『まだ何も聞いてない!』

「先に言っとこうと思って!」

『こっちは門杭到達!』

 レイブンの表情が変わった。

「カールは?」

『設置開始! 八分!』

 八分。

 今度は自分たちが守る番だった。

「ラム」

「聞いた」

「八分持たせる」

「帰りは?」

「その後考える」

「Valkyrieに怒られるぞ」

「じゃあ訂正」

 レイブンはSG-44の残弾を確認した。

「八分持たせて、そのあと生きて帰る」

「それでいい」

 第四門杭の根元では、カールたちが爆薬を設置していた。

 青白い魔力が巨大な構造物の内部を脈打つたび、足元から低い振動が伝わってくる。

「第一設置!」

「第二へ!」

 エリシアは工兵の前へ立っていた。

 レイブンのいる西側から絶えず銃声が聞こえる。

 T-51の重い発射音。

 SG-44の発射音。

 異界軍の魔導射撃。

 そのたびに振り返りたくなる。

 だが振り返らない。

 レイブンが自分へ託したのは工兵だ。

 なら守る。

「Valkyrie!」

 アレクシスの声。

 正面から異界兵。

「確認!」

 エリシアが武器を構える。

 発射。

 前へ出させない。

「残り時間!」

「六分!」

 長い。

 六分があまりにも長い。

 敵が左右から来る。

 ニコラスが位置を伝える。

 アレクシスが指示を飛ばす。

 マティアス〔衛生兵(パッチ)〕まで射撃へ加わった。

「四分!」

 エリシアの弾薬が減る。

 薬室を維持したまま弾倉を交換する。

 戦術装填《タクティカル・リロード》。

 レイブンが何度も使っているのを見てきた。

 今では二人とも、言葉にしなくても同じ判断で同じ操作をすることが増えた。

「三分!」

 西側で爆発。

 エリシアの心臓が跳ねる。

「NoX!」

 返事がない。

「NoX!」

 数秒。

『……聞こえてる』

 レイブンの声。

 少し荒い。

「怪我?」

『軽い』

「どこ」

『あとで』

「今言って」

『左肩。動く』

 エリシアは歯を食いしばった。

「帰ったら説教」

『予約しとく』

「絶対だから」

『了解』

「二分!」

 カールの声。

 門杭の明滅が速くなる。

 異界軍も何かを察したのか、攻撃が激しくなった。

 そして抵抗軍全体へ通信が入った。

『第一門杭、破壊準備完了』

 別の声。

『第二門杭、準備完了』

 さらに。

『第三門杭、準備完了』

 残るのは第四。

「一分!」

 エリシアは門杭を見上げた。

 巨大な構造物。

 この一本が、世界と異界を繋ぐ門を支えている。

 これを壊せば、帰れるかもしれない。

 戦争が終わるかもしれない。

 レイブンと結婚できる。

 母へ報告できる。

 クロウ家へ帰れる。

 普通の朝を迎えられるかもしれない。

 その未来を想像した瞬間、怖くなった。

 ここまで来て失いたくない。

「三十秒!」

 エリシアは通信機を押した。

「レイブン」

『何?』

 コールサインでは呼ばなかった。

「帰ってきて」

 少しだけ間があった。

『うん』

「絶対」

『うん』

「約束したから」

『覚えてる』

 西側でSG-44の発射音。

『エリシア』

「何?」

『そっちも帰ってきて』

「当然」

『なら』

 レイブンの声に、少しだけ笑いが混じった。

『家で続きを話そう』

 エリシアも笑った。

「うん」

「設置完了!」

 カールが叫んだ。

「全員離脱!」

 アレクシスの命令が飛ぶ。

 工兵が門杭から離れる。

「NoX、離脱!」

『了解!』

 レイブンとダリオも建物から飛び出した。

 敵の射撃が背後を追う。

 レイブンの左肩は痛んだが、腕は動く。

 走れる。

 なら問題ない。

『全門杭攻撃隊へ』

 統合司令部。

『同期確認』

 レイブンは走りながら巨大異界門を見た。

 光が激しく揺れている。

『第一門杭、準備』

 遠方。

『第二門杭、準備』

 別方向。

『第三門杭、準備』

 そして。

『第四門杭、準備』

 エリシアたちは退避している。

 レイブンも走る。

「ラム!」

「走ってる!」

「もっと!」

「お前が速すぎる!」

『起爆まで十』

 十。

 九。

 八。

 レイブンは泥を蹴った。

 七。

 六。

 左肩が痛む。

 五。

 それでも走る。

 四。

 前方にエリシアが見えた。

 三。

「レイブン!」

 二。

 彼女が手を伸ばす。

 一。

 レイブンも手を伸ばした。

『起爆』

 世界が白く染まった。

 四つの門杭が、ほぼ同時に爆発した。

 第四門杭の表面を走っていた青白い光が一瞬で乱れ、巨大な構造体へ亀裂が走る。

 地下から地鳴りが響いた。

「伏せて!」

 エリシアがレイブンの腕を掴む。

 二人は泥の中へ倒れ込んだ。

 その直後。

 巨大異界門が震えた。

 今まで空間へ固定されていた巨大な光の輪が歪む。

 中心部が波打つ。

 異界側の景色が崩れる。

「始まった……」

 レイブンは顔を上げた。

 門が閉じようとしている。

 抵抗軍全体から歓声が上がりかけた。

 だが。

『全軍警戒!』

 統合司令部の声がそれを止めた。

『異界門魔力値、低下していない!』

 レイブンの笑みが消える。

「何?」

『むしろ上昇!』

 エリシアも門を見る。

 閉じかけたはずの光が、再び膨張し始めていた。

『解析班より全軍! 門杭破壊は成功! しかし異界側から強制的に魔力が供給されている!』

「異界側……?」

 レイブンは立ち上がった。

 巨大異界門の向こう。

 崩れかけた景色のさらに奥で、何かが動いた。

 これまで見たどの異界軍兵器よりも巨大な影。

 それが門そのものを、向こう側から押し開こうとしている。

「レイブン」

 エリシアが彼の腕を掴んだ。

「見えてる」

「……あれ」

「うん」

 第一次異界大戦を終わらせるはずだった《Operation HOMECOMING》。

 四つの門杭は破壊された。

 人間側の作戦は成功した。

 それでも戦争は終わらなかった。

 異界側にもまた、この門を閉じさせまいとする存在がいた。

 レイブンは泥に汚れたSG-44を握り直した。

 左肩から痛みが走る。

 エリシアがそれに気づく。

「無理しない」

「うん」

「本当に」

「分かってる」

 レイブンは門から目を離さなかった。

「でも、あれをどうにかしないと帰れない」

 エリシアも同じ方向を見る。

「なら」

 彼女はレイブンの隣へ立った。

「二人で考えよう」

「二人だけじゃない」

 レイブンは周囲を見る。

 アレクシス。

 ニコラス。

 ダリオ。

 マティアス。

 カールたち工兵。

 さらに遠くには帝国軍、連邦軍、抵抗軍各国の兵士たちがいる。

 レイブンは小さく笑った。

「みんなで、だった」

「そう」

 巨大異界門が再び開き始める。

 その向こうから響いた咆哮は、数キロ離れた大地まで震わせた。

 第一次異界大戦最後の敵が、門の向こうから姿を現そうとしていた。

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