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黒猫年代記  作者: @12
第二部 ~Ⅰ~ FENRIR ― 時代に取り残された黒猫 ― Season 4 #038~Season 4 #066
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63/189

Season 4「NoX」 #063

一気に進めて、第一次異界大戦終結手前まで進めました。


その為、活字中毒寸前まで行く量の文字数ですので読み手様方のほうで調節しながらお読みください。

第63話「帰還者を増やせ」

 抵抗軍統合基地を出発してから四十分が経過した頃、輸送車両の小さな窓から見えていた夕焼けはほとんど消え、代わりに地平線の向こうで脈打つ青白い光が目立つようになっていた。

 レイブン・S・クロウは向かい側の壁に取り付けられた簡易時計から視線を外すと、膝の間に立てていたSG-44へ手を添えた。

 車両が荒れた道路を通過するたびに装備が小さく揺れる。

 隣にはエリシア・L・ヴォルハラムが座っていた。

 その向かいにはアレクシス・ハルトマン〔猟犬(ハウンド)〕、ニコラス・フェルナー〔梟(オウル)〕、ダリオ・クレイン〔破城槌(ラム)〕、マティアス・ベルク〔衛生兵(パッチ)〕がいる。

 誰も必要以上には話さなかった。

 出発直後まで聞こえていた軽口も、異界門へ近づくにつれて自然と消えている。

「あと十二キロ」

 通信装置を確認していたニコラスが告げた。

「先遣隊の信号は?」

 アレクシスが聞く。

「断続的です。最後の音声通信は七分前」

「内容」

「敵と接触。負傷者複数。移動不能者あり。その後は雑音だけです」

 レイブンが顔を上げた。

「位置は確定してる?」

「おおよそ」

 ニコラスが携行端末の地図を開く。

「旧農業研究地区。異界門から西へ約三・七キロ。先遣隊はここで接敵したあと、南西へ後退しています」

 エリシアが地図を覗き込んだ。

「遮蔽物は?」

「農業施設の廃墟がいくつかあります。ただし周囲の大半は平地です」

「敵の数は?」

「不明」

 レイブンは小さく息を吐いた。

「またそれか」

「偵察隊が敵の数を報告できる余裕すらなかったとも言える」

 アレクシスの言葉に、車内がさらに静かになった。

 レイブンは窓の外を見る。

 遠くにある青白い光は、明らかに以前見た異界門より大きい。

「……あれ?」

 エリシアも気づいた。

「多分」

 ダリオが窓へ顔を向ける。

「冗談だろ」

 地平線そのものが裂けているように見えた。

 夜へ変わろうとしている空の下で、巨大な光の壁が脈動している。

「あれが門か?」

「観測班の報告では」

 ニコラスが答える。

「推定幅一・八キロ」

 レイブンは思わず聞き返した。

「一・八?」

「現在も拡大中」

「……過去最大ってそういう意味か」

 エリシアの表情からも普段の柔らかさが消えていた。

「何が通れるの、あれ」

「考えたくないな」

 レイブンが答える。

 以前遭遇した大型異界軍兵器。

 あれでさえ脅威だった。

 この門なら、それ以上のものが通過できる。

 突然、車内の警告灯が点灯した。

『全部隊、降車準備。前方道路損壊。車両による接近限界』

 アレクシスが立ち上がった。

「聞いたな。ここから徒歩だ」

「了解」

 全員が同時に動いた。

 レイブンはSG-44を身体へ寄せ、背中のT-51《REAPER》を確認する。

 帝国軍制式自動拳銃。

 予備弾倉。

 医療用品。

 ナイフ。

 通信機。

 すべてある。

 最後に左腕を一度だけ動かした。

「痛む?」

 隣から声がした。

「大丈夫」

「違和感は?」

「なし」

 エリシアは数秒だけレイブンの顔を見る。

「信じる」

 その一言が、以前とは違った。

 何度も問い直さない。

 自分で判断できる兵士として任せる。

 レイブンも頷いた。

「ありがとう」

 後部扉が開いた。

 冷たい風が車内へ流れ込んだ。

 全員が降車する。

 道路は数百メートル先で大きく陥没しており、その周囲には魔力攻撃を受けたらしい焼損痕が残っていた。

 レイブンはSG-44を構えながら周囲を見る。

 遠くでは異界門が低く唸るような音を発している。

 音というより、大気そのものが振動していた。

「オウル」

「通信監視開始」

「ラム、前衛」

「了解」

「パッチは中央」

「了解」

「NoX、Valkyrie」

 二人がアレクシスを見る。

「遊撃。状況に応じて前後を動け」

「了解」

「了解しました」

「目的を確認する」

 アレクシスは全員を見た。

「敵の撃破じゃない。先遣隊を見つけて連れて帰る」

 レイブンの表情が僅かに変わる。

 父の言葉が蘇った。

 敵を倒すことそのものを目的にするな。

 帰還を邪魔する敵を倒せ。

「行くぞ」

 部隊が動き始めた。

 旧農業研究地区まで残り二キロ。

 レイブンは隊列から少し離れた。

「NoX?」

 エリシアの声がインカムへ入る。

『先行する』

『了解』

『五百メートル以内を維持する』

『私も少し前へ出る』

『無理に合わせなくていい』

『合わせるんじゃない』

 一拍置いて、エリシアが答えた。

『あなたが戻れる距離にいるだけ』

 レイブンは少し笑った。

『了解、Valkyrie』

 第二スキルを発動する。

 〔透明(ゴースト)〕。

 自分という存在の輪郭が薄れていく。

 足音。

 呼吸。

 体臭。

 軍服や装具が発する匂い。

 装備同士が触れる微かな音。

 そして視認そのもの。

 それらが周囲から消える。

 レイブンは速度を上げた。

 草原を抜け、壊れた農業施設へ近づく。

 異界門の光が強くなっていた。

 夜になりつつあるにもかかわらず、完全な暗闇にならない。

 青白い光が地面へ不自然な影を落としている。

 レイブンは低い姿勢のまま建物へ近づいた。

 〔殺気看破(アタック・シールド)〕が反応する。

 止まった。

 右前方。

 何かいる。

 視線だけを動かす。

 倒壊した温室の向こうに、異界軍兵士が二体いた。

 さらに奥。

 三体。

 その向こうにもいる。

 レイブンは撃たなかった。

 救出任務だ。

 見つかっていないなら、戦う理由はない。

 通信を入れる。

『ハウンド、NoX』

『送れ』

『敵確認。最低五。先遣隊との間に展開している可能性あり』

『排除可能か?』

 レイブンは周囲を確認する。

『可能。でも今撃つ必要はない』

 短い沈黙。

『同意する。迂回路を探せ』

『了解』

 建物の外周を回る。

 百メートルほど進んだところで、レイブンの足が止まった。

 地面に何か落ちている。

 抵抗軍共通規格の弾倉だった。

 空になっている。

 その先には血痕。

「……いた」

 レイブンはしゃがみ込んだ。

 血はまだ完全に乾いていない。

 引きずった痕もある。

『Valkyrie』

『聞いてる』

『痕跡発見。負傷者が移動した形跡』

『位置共有して』

 レイブンが位置情報を送る。

『確認。三分以内にそっちへ行く』

『了解』

 レイブンは痕跡を追った。

 廃棄された倉庫へ辿り着く。

 扉は半分壊れていた。

 中は暗い。

 〔殺気看破(アタック・シールド)〕に敵意はない。

 それでもレイブンはSG-44を構えたまま入る。

「抵抗軍だ」

 小さく声をかける。

「救援に来た」

 返事はない。

 さらに進む。

 そこで聞こえた。

「……誰だ」

 弱い声。

「NoX」

 奥から息を呑む音がした。

「NoX……?」

「そうだ。撃たないでくれよ」

 レイブンは〔透明(ゴースト)〕を解除した。

 姿が戻る。

 壁際に五人の兵士がいた。

 一人は腹部を負傷。

 一人は右脚。

 もう一人は肩。

 残る二人も装備が損傷している。

「救援……本当に来たのか」

「来た」

 レイブンはすぐ通信を入れた。

『ハウンド、先遣隊発見。生存五名』

『状態』

『負傷三。うち一名は重そう』

『パッチを向かわせる』

『了解』

 腹部を押さえている兵士がレイブンを見る。

「他にもいる」

「何人?」

「四人」

 レイブンの表情が変わった。

「どこだ」

「北側の観測棟……俺たちを逃がすために残った」

「生存確認は?」

「できてない」

「最後の通信は?」

「十五分くらい前だ」

 レイブンは時計を見る。

 十五分。

 長い。

 だが死亡を意味する時間ではない。

「分かった」

「待て」

 負傷兵がレイブンの腕を掴んだ。

「あそこは敵だらけだ」

「分かってる」

「無理だ。俺たちだけ連れて帰れ」

 レイブンは彼を見る。

 以前なら即座に「全員助ける」と言ったかもしれない。

 だが今は違う。

「まず状況を見る」

「……え?」

「助けられるなら助ける。無理なら戻る」

 言葉にするのは苦しかった。

 しかしそれが今のレイブンだった。

「一人で決めない」

 そこへ足音が近づく。

 レイブンは振り返らなかった。

 誰なのか分かっていた。

「正解」

 エリシアが倉庫へ入ってきた。

「Valkyrie」

「状況は聞いた」

 彼女は負傷者を見る。

「パッチは?」

「すぐ来る」

 エリシアがレイブンを見る。

「四人?」

「北側の観測棟」

「敵多数」

「らしい」

「行きたい?」

 レイブンは答えた。

「行きたい」

「なら、まず見に行こう」

「いいの?」

「助けられるかどうかを確かめるために」

 レイブンは少し笑った。

「同じこと考えてた」

「Valkyrie & NoXだから」

「便利な名前だな」

「婚約者より便利かも」

「それはどうかな」

 負傷兵が二人を見ていた。

「……あんたら、夫婦なのか?」

 二人が同時に答えた。

「まだ」

 負傷兵は痛みに耐えながら少し笑った。

「息ぴったりじゃねえか」

「よく言われる」

「今日からだけどね」

 数分後、マティアスたちが到着した。

「腹部負傷から見る」

 〔衛生兵(パッチ)〕はすぐ負傷者の横へ膝をついた。

「意識は?」

「あります」

「よし。喋れるならまだ付き合ってもらうぞ」

 処置が始まる。

 アレクシスも到着した。

「NoX」

「北の観測棟に四名」

「生存は不明」

「はい」

「行くつもりか?」

「偵察だけ」

 アレクシスはレイブンを見る。

「一人で?」

「二人」

 エリシアが一歩前へ出る。

「私も行きます」

「理由」

「NoX単独より生存率を上げられる」

 アレクシスは数秒考えた。

「十五分」

「了解」

「時間を過ぎたら?」

「戻る」

 レイブンが答える。

「生存者を見つけても、救出不可能なら?」

 今度はエリシアが答えた。

「位置と敵情報を持ち帰り、増援を要請します」

「よし」

 アレクシスは二人を見る。

「行け」

「了解」

 二人は倉庫を出た。

 北側観測棟まで約八百メートル。

 今度はレイブンだけが先行しなかった。

 二人で動く。

 レイブンが前方。

 エリシアが後方と側面。

 互いに異なる方向を見る。

 異界門の光が強くなっていく。

「NoX」

「何?」

「右」

 レイブンは視線だけを動かした。

 異界軍兵士。

 三体。

「迂回」

「了解」

 撃たない。

 姿を隠す。

 エリシアは〔透明(ゴースト)〕を使えない。

 そのためレイブンは自分だけ消えて先へ進むのではなく、エリシアが隠れられる地形を選んだ。

 壊れた壁。

 農業機械。

 排水路。

 低い盛り土。

 二人は戦闘を避けながら進んだ。

 残り四百メートル。

 突然、銃声が聞こえた。

 二人が止まる。

 一発。

 間。

 さらに二発。

 抵抗軍の銃声だった。

「生きてる」

 エリシアが言う。

「うん」

 レイブンは通信を入れた。

『ハウンド、銃声確認。生存者あり』

『残り時間九分』

『了解』

 二人は速度を上げた。

 観測棟が見えた。

 二階建ての小さな施設。

 窓は割れ、壁の一部が崩れている。

 その周囲を異界軍兵士が包囲していた。

 レイブンは伏せる。

 エリシアも隣へ入った。

「数える」

「うん」

「一、二、三……」

 レイブンが左側を見る。

「八」

 エリシアが右を見る。

「こっちは六。奥にもいる」

「最低十四」

「正面からは無理」

「同意」

 その時、観測棟二階から発砲。

 異界軍兵士一体が倒れる。

 直後、異界側から魔力弾が返され、建物の壁が吹き飛んだ。

「時間がない」

 レイブンがSG-44を握る。

 エリシアが彼の腕へ触れた。

「待って」

「分かってる」

「突っ込む顔してる」

「そんな顔ある?」

「ある」

「じゃあどうする?」

 エリシアは周囲を見る。

 そして背中のT-51へ視線を向けた。

「REAPER」

 レイブンも気づいた。

「距離は?」

「ここから三百二十くらい」

「十分」

 SG-44をスリングへ預ける。

 T-51《REAPER》を降ろす。

 伏射姿勢。

 二脚(バイポッド)を展開する。

 照準器を覗く。

 〔兵装接続(アームズ・リンク)〕が反応した。

 T-51を認識。

 装填弾を認識。

 情報が感覚へ馴染む。

「NoX」

「見えてる」

「優先目標?」

 レイブンは敵を観察する。

 ただ近い敵から撃つのではない。

 生存者の退路を塞いでいる個体。

 魔力攻撃を準備している個体。

 指揮を取っているように見える個体。

「三体」

「私が接近して残りを引きつける」

「危ない」

「さっき決めたでしょう」

 エリシアがレイブンを見る。

「私ができることは私に任せる」

 レイブンは一瞬黙った。

 そして頷いた。

「分かった」

「私を守ろうとして狙撃を外さないで」

「外さない」

「なら信じる」

「俺も」

 エリシアが立ち上がる。

「Valkyrie、移動開始」

「NoX、援護開始」

 彼女が走り出す。

 レイブンは照準器の向こうだけを見る。

 エリシアを追わない。

 彼女を信じる。

 照準線を最初の敵へ合わせる。

 呼吸。

 引き金。

 発射。

 T-51《REAPER》が吠えた。

 一体目が倒れる。

 すぐ次。

 レイブンは照準を移す。

 次弾が装填される。

 発射。

 二体目。

 異界軍が混乱する。

 その間にエリシアが観測棟へ接近する。

『Valkyrie、左に二!』

『見えてる!』

 エリシアが射撃。

 一体。

 遮蔽物へ移動。

 もう一体。

 レイブンは三体目へ照準を合わせる。

 発射。

 敵の魔力攻撃が途切れた。

『NoX、三階じゃない、屋上!』

 レイブンが照準を上げる。

 観測棟の屋上。

 大型の異界兵。

 手に持った魔導器らしきものへ光が集まっている。

 狙いはエリシア。

 〔殺気看破(アタック・シールド)〕が強く反応した。

「エリシア!」

『信じてる!』

 避けろではなかった。

 助けてでもない。

 信じてる。

 レイブンは照準を合わせた。

 T-51。

 装填弾。

 〔兵装接続(アームズ・リンク)〕。

 呼吸を吐く。

 照準点が止まる。

 発射。

 大型兵の魔導器が砕けた。

 魔力が暴発し、敵自身が後方へ吹き飛ぶ。

 エリシアは振り返らない。

 そのまま観測棟へ入った。

「……本当に任せるんだな」

 レイブンは小さく笑った。

 すぐ次の敵を探す。

 数十秒後。

『NoX!』

「Valkyrie」

『四名確認! 三名歩行可能、一名負傷!』

「了解!」

『撤退させる!』

「援護する!」

 観測棟の扉が開いた。

 最初にエリシア。

 その後ろから四名。

 一人は仲間へ肩を借りている。

 異界軍が気づく。

 レイブンはT-51で近づく敵を牽制した。

「走れ……!」

 発射。

 敵が倒れる。

 次。

 発射。

 退路が開く。

『NoX、残弾!』

 確認する。

「三!」

『十分!』

「十分って言うな!」

『あなたなら十分!』

「信用重いな!」

 それでも少し笑っていた。

 エリシアたちが距離を詰める。

 残り二百。

 百五十。

 その時、レイブンの〔殺気看破(アタック・シールド)〕がこれまでにないほど強く反応した。

「……何だ?」

 エリシアたちではない。

 自分でもない。

 もっと遠い。

 異界門の方向。

 レイブンは反射的に照準器を向けた。

 青白い光。

 巨大な門。

 その向こうで何かが動いていた。

「嘘だろ……」

 大きい。

 以前遭遇した大型異界軍兵器とは比較にならない。

 輪郭だけでも建物より高い。

 何かが門の向こうから、こちら側へ足を踏み出そうとしている。

『NoX!』

 エリシアの声で意識が戻る。

「聞いてる!」

『撤退するよ!』

「了解!」

 レイブンはT-51を畳み、立ち上がった。

 エリシアたちと合流する。

「見た?」

 彼女が聞く。

「見た」

「何?」

「分からない」

「大型兵器?」

 レイブンは異界門を見る。

「多分」

 一度言葉を切った。

「今までの大型とは違う」

 エリシアの表情が変わる。

「ハウンドに報告」

「うん」

 通信を入れる。

『ハウンド、NoX。生存者四名確保。これより帰還する』

『了解。急げ』

「それと」

 レイブンは巨大な門を見る。

『異界門内部に超大型反応を視認』

 通信の向こうが静かになる。

『規模』

 レイブンは答えた。

「……推定不能」

『繰り返せ』

『大きすぎて推定できない』

 アレクシスの声が低くなる。

『交戦するな』

「了解」

『情報を持って帰れ。生存者も全員だ』

「了解」

 レイブンはエリシアを見る。

「帰ろう」

「うん」

 エリシアは負傷兵の片腕を自分の肩へ回した。

 レイブンも反対側を支える。

「すまない……」

 負傷兵が言った。

「謝るのは基地に帰ってからにして」

 エリシアが答える。

 レイブンも笑う。

「その通り。今は歩いて」

 二人で負傷兵を支える。

 先ほどまで銃を握っていた手が、今は仲間の身体を支えていた。

 十五分という制限時間は、とうに迫っている。

 敵はまだいる。

 異界門では、これまで見たこともない何かがこちら側へ出ようとしている。

 それでも今、二人が見るべきものは門ではなかった。

 助け出した四人。

 最初の倉庫にいる五人。

 そして共に来た仲間たち。

 倒すべき敵の数ではない。

 帰還させるべき味方の数だった。

 レイブンは父からSG-44を渡された日の言葉を思い出す。

 命を奪うためではなく、帰還を邪魔する敵を倒せ。

 あの時は、その意味を理解したつもりだった。

 今になって、ようやく少し分かった気がした。

 守護者という言葉は、敵を多く倒した者へ与えられるものではない。

 帰る人間を一人でも増やした者にこそ似合う。

「NoX」

 隣でエリシアが呼ぶ。

「何?」

「顔」

「え?」

「笑ってる」

「そう?」

「少し」

 レイブンは負傷兵を支えながら歩く。

「父さんに言われたこと、思い出してた」

「何て?」

「帰還するのに邪魔な敵を倒せって」

「今なら?」

「分かる」

 エリシアが微笑んだ。

「なら帰ろう」

「うん」

「全員で」

 レイブンは頷いた。

「できる限り全員で」

 以前なら、その違いに気づかなかっただろう。

 絶対に全員助けるという願いと、全員を助けるために自分まで失う無謀は同じではない。

 救える命を見極める。

 必要なら戦う。

 必要がなければ撃たない。

 仲間へ任せる。

 そして自分も帰る。

 それが今のNoXだった。

 その隣にはValkyrieがいる。

 一人では背負わない。

 一人では決めない。

 二人で考え、二人で戦い、二人で帰る。

 さらに帰還者を増やしていく。

 それが、Valkyrie & NoXという小さな分隊の最初の実戦だった。

 だが二人の背後では、過去最大の異界門がさらに拡大していた。

 青白い光の中。

 巨大な何かの片脚が、ついにこちら側の大地へ触れる。

 地面が揺れた。

 遠く離れたレイブンたちにも分かるほどの震動だった。

 負傷兵が振り返ろうとする。

「見るな」

 レイブンが言った。

「前だけ見て」

「でも……」

「今は帰る」

 エリシアも同じ方向を向いたまま続ける。

「基地へ戻って、情報を渡して、それから次を考える」

 レイブンはSG-44を身体へ引き寄せた。

「俺たちの仕事はまだ終わってない」

 異界門の向こうから現れようとしている存在が、第一次異界大戦そのものを次の段階へ進めることになるとは、この時の二人にはまだ分からなかった。

 ただ一つだけ確かなことがある。

 その夜、Valkyrie & NoXは敵を倒した数ではなく、生きて連れ帰る仲間の数を数えながら戦場を後にした。

 九人。

 そして自分たちを含めれば十一人。

 十一人で出発したわけではない。

 それでも十一人で帰ることができる。

 レイブンはその数字を胸の中で何度も確認した。

 今日の勝利があるとすれば、それで十分だった。

 十一人で帰る。

 レイブン・S・クロウが胸の内でその数字を確認した直後、背後から届いた地響きは、それまで聞いてきたどの砲撃とも違っていた。

 足元の小石が跳ね、負傷兵を支えていたエリシア・L・ヴォルハラムが反射的に姿勢を低くする。

「レイブン」

「止まらないで」

 レイブンは振り返らなかった。

 何が出てきたのかは気になる。

 T-51《REAPER》の照準器を向ければ、正体を確認できるかもしれない。

 しかし、ここで立ち止まって観察することは偵察ではない。

 救出した九人を危険に晒す行為だった。

『ハウンド、NoX。震動確認。異界門方向からです』

『こちらでも観測した。戦うな。繰り返す、交戦するな』

『了解』

『帰還経路を変更する。オウルから誘導を受けろ』

 すぐにニコラス〔梟(オウル)〕の声へ切り替わった。

『NoX、Valkyrie。南西二百八十。旧用水路へ入れ。道路側で敵反応が増えてる』

『了解』

 レイブンはエリシアを見る。

「進路変更」

「聞いてた」

 二人の間にいる負傷兵が苦しそうに息を吐く。

「俺は……置いていっても」

「却下」

 エリシアが即答した。

「でも、あれが追ってきたら――」

「その時に考える」

 レイブンも反対側から身体を支え直した。

「今のあなたは歩ける。俺たちは支えられる。だったら置いていく理由がない」

「……NoX」

「喋れるなら足を動かして」

 厳しい言葉だったが、声は穏やかだった。

 負傷兵は小さく笑った。

「噂より厳しい守護者だな」

「噂は勝手に広がっただけだから」

「最高の守護者だって聞いたぞ」

「それ、本人の前で言わないでくれ」

「照れてる?」

 エリシアが横から尋ねる。

「Valkyrieまで乗らないで」

 ほんの短いやり取りだった。

 それでも負傷兵の呼吸が少しだけ落ち着いた。

 レイブンはそれでよかった。

 恐怖を完全になくすことなどできない。

 だが、次の一歩を踏み出せる程度に薄めることはできる。

 旧用水路へ入った直後、背後の空が白く染まった。

 数秒遅れて轟音が届く。

 レイブンは負傷兵をエリシアへ預け、振り返った。

「何……」

 言葉が止まった。

 遠方。

 巨大異界門の前に、黒い輪郭が立っている。

 二本の脚らしきものが大地を踏み、その上に巨大な胴体がある。さらに左右へ張り出した構造物から、魔力光が幾筋も走っていた。

 生物なのか。

 兵器なのか。

 その区別さえつかない。

 ただ一つ分かるのは、人間一人が携行する武器でどうにかできる大きさではないということだった。

「REAPERで……」

 エリシアが呟く。

「無理」

 レイブンは即答した。

「撃ってみないと――」

「違う」

 レイブンは首を振る。

「撃てるかどうかじゃない。今撃つ意味がない」

 自分でも驚くほど迷いがなかった。

 少し前の自分なら、T-51ならどこまで通用するか試したいという考えが頭をよぎったかもしれない。

 今は違う。

「情報だけ持って帰る」

「……うん」

「俺たちが死んで、あれがいるって情報まで消えたら最悪だ」

 エリシアは一度だけ巨大な影を見たあと、前を向いた。

「帰ろう」

「うん」

 二人は再び負傷兵を支えた。

          *

 先遣隊九名を伴った特殊即応部隊が抵抗軍統合基地へ帰還したのは、それから二時間以上が経過した頃だった。

 正門を越えた瞬間、医療班が駆け寄ってくる。

「重傷者一!」

「腹部!」

「意識あり!」

「こっちは脚部負傷!」

 次々と救助者が引き継がれていく。

 最後の一人が担架へ乗せられたところで、レイブンはようやくSG-44の銃口を地面へ向けた。

「……九人」

 エリシアが隣で言った。

「うん」

「全員帰ってきた」

「うん」

 そこで初めて、レイブンの肩から力が抜けた。

 自分たちを含めて十一人。

 途中で誰も欠けなかった。

「NoX」

 アレクシスが近づいてくる。

「はい」

「Valkyrieも来い。司令部が直接報告を求めている」

「今から?」

「今からだ」

 レイブンはT-51を見る。

「装備を置いてからでも?」

「そのまま来い」

「……相当まずい?」

「相当まずい」

 それだけで理解した。

 作戦司令室へ入ると、帝国軍、連邦軍、抵抗軍参加各国の士官がすでに集まっていた。

 巨大な戦域図の横には、偵察機が撮影したばかりの写真が並べられている。

 その中央。

 レイブンたちが見たものが写っていた。

「これだ」

 司令官が写真を示す。

「君たちが目視した個体で間違いないか」

 レイブンは写真へ近づいた。

 巨大異界門。

 その前に立つ黒い巨体。

「間違いありません」

「Valkyrie」

「私も確認しました」

「距離は?」

「正確ではありませんが、最接近時でも数キロ以上」

「それでも肉眼でこれだけ見えた?」

「はい」

 室内が静かになる。

 レイブンは写真の横に記載された推定値を見た。

 高さ。

 まだ空欄だった。

「大きさは?」

「現在解析中だ」

 帝国側の技術士官が答えた。

「ただし百メートル級である可能性を排除できない」

 レイブンは思わず写真を見直した。

「……百」

「最低推定だ」

「最低?」

「門の向こうにまだ隠れている部分がある」

 エリシアが小さく息を吐く。

「大型兵器なんですか?」

「それすら分からない」

 別の士官が答える。

「生物である可能性もある。魔導兵器である可能性もある。その両方かもしれない」

 レイブンはT-51のスリングを握った。

 この銃を初めて撃った時、「軽くて、自分に合いそうだ」と思った。

 巨大異界兵器を相手にした時も、弱点を撃ち抜けば役に立った。

 だが今回は違う。

 自分一人がどれほど射撃に優れていても、どうにもならない敵が現れ始めている。

「NoX」

「はい」

「何を考えている?」

 司令官に問われ、レイブンは少し迷った。

「個人で戦う相手じゃないと思います」

「続けろ」

「T-51で弱点を狙える可能性はあります。でも、それは撃破できるって意味じゃない」

 写真を見る。

「砲兵、航空戦力、魔導部隊、地上部隊。それに偵察情報。全部合わせないと無理だと思います」

 帝国側士官の一人が僅かに笑った。

「特殊部隊員が正面戦力との共同を提案するか」

「特殊部隊だからだと思います」

「ほう」

「できないことをできるふりして突っ込むのは、即応じゃなくて自殺です」

 エリシアが横で少しだけ笑った。

「何?」

「成長したなと思って」

「またそれ?」

「だって本当に」

 司令官が咳払いしたため、二人は同時に正面を向いた。

「話を戻すぞ」

「すみません」

「ともかく、今夜から戦争の段階が変わる」

 戦域図へ新しい線が引かれた。

「異界門周辺を第一級戦略危険区域へ指定する。周辺民間人の全面避難を開始。抵抗軍主力を順次集結させる」

 その瞬間、第一次異界大戦は新しい局面へ入った。

          *

 それからの日々は、レイブンがこれまで経験した戦争とは比較にならない密度で進んでいった。

 巨大異界門から出現した超大型個体は、抵抗軍によって暫定的に《巨神兵級》と分類された。

 最初の一体を止めるためだけに、帝国軍砲兵隊、連邦航空部隊、複数国家の魔導戦闘部隊、機甲戦力、そして特殊部隊が同時投入された。

 Valkyrie & NoXに与えられた役割は、巨大な敵へ正面から挑むことではなかった。

 目を潰す。

 脚を止める。

 魔力を制御している構造を探す。

 砲撃が通る場所を見つける。

 そして、取り残された味方を連れて帰る。

 レイブンはT-51《REAPER》を撃った。

 一発で倒せないなら、倒す必要はない。

 魔力障壁を生成している器官を撃ち抜けばいい。

 そこへ砲撃が入る。

 エリシアが周囲から迫る異界軍歩兵を抑える。

 レイブンが戦術装填《タクティカル・リロード》へ移る間は、彼女が射線を引き受ける。

 エリシアの弾薬が減れば、今度はレイブンがSG-44を握って前へ出る。

 片方が戦う。

 片方が休むのではない。

 一方ができない数秒間を、もう一方が埋める。

 それが繰り返された。

 戦場で二人の名前は、やがて別々に呼ばれることの方が少なくなっていった。

『Valkyrie & NoX、東側へ!』

『Valkyrie & NoX、救出班を援護!』

『Valkyrie & NoX、生存者確認!』

 二つのコールサインが、一つの呼称のように扱われ始める。

 それでも二人は、一人になったわけではない。

 互いの判断を尊重し、互いの失敗を補い、必要なら意見をぶつけた。

「退くよ!」

「あと一人いる!」

「見えてる! でも今行けば三人死ぬ!」

「……!」

「レイブン!」

 名前で呼ばれた時、NoXではなくレイブンとして考え直す。

「……撤退する」

「位置を記録!」

「記録した!」

「増援と戻る!」

「了解!」

 救えない瞬間もあった。

 その現実だけは、どれほど強くなっても消えなかった。

          *

 巨大異界門出現から四か月。

 抵抗軍は初めて、大規模な反攻作戦へ移った。

 帝国と連邦共和国が停戦して手を結んだ当初、両軍の間には不信が残っていた。

 命令系統。

 装備規格。

 通信方式。

 軍事思想。

 何もかも違った。

 しかし四か月の戦闘が、その違いを強制的に埋めていった。

 帝国兵が連邦兵を担いで帰る。

 連邦の航空隊が帝国地上部隊を援護する。

 昨日まで国境を挟んで睨み合っていた砲兵同士が、同じ座標へ砲撃を集中させる。

 抵抗軍という名前は、もはや便宜上の同盟名称だけではなくなっていた。

 作戦開始前夜。

 レイブンは基地外縁の防壁に腰を下ろし、SG-44を整備していた。

「またここにいた」

 声を聞いて顔を上げる。

「エリシア」

「隣いい?」

「どうぞ」

 彼女が座る。

「何してたの?」

「点検」

「それは見れば分かる」

「じゃあ何で聞いたの?」

「何か考えてそうだったから」

 レイブンは手を止めた。

「明日で、門まで押し返すんだろ」

「予定では」

「終わるかな」

「戦争?」

「うん」

 エリシアはすぐには答えなかった。

「終わってほしい?」

「もちろん」

「じゃあ終わらせよう」

「簡単に言うなあ」

「難しく言っても結果は同じでしょう?」

 レイブンは笑った。

「確かに」

 エリシアは胸元のドッグタグを取り出した。

 四か月の戦闘で表面には細かな傷が増えている。

 裏面の文字も新品だった頃ほど綺麗ではない。

 それでも読める。

 RAVEN S. CROW

「まだ残ってる」

「俺のも」

 レイブンも自分のものを見せた。

 ELICIA L. VOLHALAM

「父さんに言われたな」

「遺品にするな、って?」

「うん」

「今のところ守れてる」

「これからも守る」

 エリシアはタグを軍服の内側へ戻した。

「それと」

「何?」

「戦争が終わったら」

「指輪」

「覚えてた」

「何回確認するの?」

「忘れてないか心配だから」

「忘れないって」

「じゃあ、結婚式は?」

「……」

「考えてなかったでしょう」

「指輪までしか」

「レイブン」

「戦争中に結婚式の段取り考える余裕なかったんだよ」

「私だってないけど」

「じゃあお互い様」

「でもお母様には報告したい」

「エリシアのお母さん?」

「うん」

 エリシアの表情が少し柔らかくなる。

「父も兄もいなくなったけど、お母様はいるから」

「一緒に行こう」

「いいの?」

「婚約者なんだから当然だろ」

 エリシアはしばらく黙っていた。

「……ありがとう」

「何で泣きそうなの?」

「泣いてない」

「目、赤いよ」

「風」

「今日は無風だけど」

「レイブン」

「はい」

「黙って」

「はい」

 エリシアが肩を寄せた。

 レイブンは何も言わず、そのまま隣にいた。

          *

 翌朝。

 抵抗軍史上最大規模となる反攻作戦が開始された。

 砲声が大地を揺らし、航空部隊が頭上を越えていく。

 巨大異界門周辺に構築された異界軍陣地へ、複数国家の地上部隊が同時進撃する。

 Valkyrie & NoXは最前線ではなく、その一歩後ろを進んでいた。

 敵陣へ突入するためではない。

 突入した味方が戻る道を確保するためだった。

『NoX、前方装甲個体!』

「確認!」

 レイブンはSG-44からT-51へ持ち替える。

 伏せる。

 二脚(バイポッド)を展開。

 〔兵装接続(アームズ・リンク)〕。

 武器認識。

 弾種認識。

 照準。

「Valkyrie、七秒!」

『任せて!』

 エリシアが前へ出る。

 敵歩兵の注意を引きつける。

 レイブンは彼女を見ない。

 信じる。

 照準器の中だけを見る。

 装甲個体の胸部。

 魔力が一点へ集まっている。

「そこか」

 発射。

 T-51の反動が身体へ抜ける。

 命中。

 装甲が割れる。

『まだ!』

「分かってる!」

 次弾。

 発射。

 亀裂が広がる。

 三発目。

 魔力核が露出する。

『砲撃班! NoXより座標送信! 弱点露出!』

『座標受領!』

「Valkyrie、離れて!」

『了解!』

 エリシアが走る。

 数秒後、砲弾が着弾した。

 巨大な爆発。

 レイブンは伏せたまま衝撃を受ける。

 土砂が降り注ぐ。

「エリシア!」

『生きてる!』

「怪我!」

『なし! そっちは!』

「問題なし!」

『なら動く!』

 レイブンは立ち上がった。

 その日の戦闘で抵抗軍は異界門まで約十八キロの地点へ進出した。

 翌日は十一キロ。

 三日目には七キロ。

 だが前進するほど犠牲は増えた。

 異界軍もまた、自分たちの門を守るために戦力を集中させたからだった。

 レイブンは何度もSG-44を撃った。

 撃ち切れば通常装填(ノーマル・リロード)へ移り、交戦の切れ目があれば薬室の一発を保持したまま戦術装填《タクティカル・リロード》で次へ備えた。

 左腕へ被弾した兵士を引きずりながら撃つ場面もあった。

 その時、以前の負傷を思い出した。

 自分の腕が満足に動かず、再装填さえ遅れた時。

 非常装填《エマージェンシー・リロード》とは格好いい技術ではない。

 本来の動作ができない状況でも、生きて帰るために武器を戦闘可能へ戻す最後の手段だった。

 戦争が長引くほど、その意味をレイブンは身体で理解するようになっていた。

          *

 第一次異界大戦は、それからさらに一年以上続いた。

 レイブンは十九歳になった。

 そして二十歳になった。

 エリシアもまた、一人の若い連邦兵から、抵抗軍の兵士たちが名を知る歴戦の戦闘員へ変わっていった。

 Valkyrie & NoXという呼称は、一部隊の中だけで使われるものではなくなった。

 帝国軍でも知られていた。

 連邦軍でも知られていた。

 他の抵抗軍参加国でも、二人が同じ戦場に現れれば、誰かが冗談交じりに言った。

「今日は帰れそうだな」

 その言葉を聞くたび、レイブンは複雑な気持ちになった。

 嬉しくないわけではない。

 だが、自分たちは不死身ではない。

 少なくともこの時の二人は、そう信じていた。

 撃たれれば血が出る。

 骨も折れる。

 痛みもある。

 仲間を救えないこともある。

 何度も負傷した。

 何度も互いを担いだ。

 エリシアが脚を負傷した時にはレイブンが背負った。

「重い?」

「答えたら怒る?」

「内容による」

「じゃあ答えない」

「レイブン」

「軽いです」

「嘘」

「どっちだよ!」

 逆にレイブンが肋骨を傷めた時には、エリシアに肩を貸された。

「自分で歩ける」

「知ってる」

「じゃあ離して」

「嫌」

「何で?」

「婚約者権限」

「まだ使ってるの、それ?」

「一生使う予定」

「結婚したら?」

「妻権限に昇格」

「もっと強くなるの?」

「当然」

「父さんが母さんに勝てない理由が分かってきた……」

 そんな会話をしながら戦場から戻った。

 笑える時は笑った。

 泣く時は泣いた。

 仲間を失った夜には、無理に慰めなかった。

 ただ隣にいた。

          *

 開戦から長い時間が過ぎたある日。

 抵抗軍司令部へ一つの報告が入った。

 異界軍の増援速度が低下している。

 最初は偶然だと思われた。

 しかし一週間。

 二週間。

 一か月。

 複数の異界門で同じ現象が確認された。

 門を越えてくる敵兵の数が減っている。

 巨大兵器の出現頻度も低下した。

 そして決定的だったのは、異界軍が初めて大規模な後退を開始したことだった。

 作戦司令室。

 レイブンとエリシアは並んで地図を見ていた。

「撤退?」

 レイブンが聞き返す。

「ああ」

 アレクシスは地図上の複数の矢印を示した。

「敵は三日前から異界門方面へ部隊を後退させている」

「罠の可能性は?」

 エリシアが尋ねる。

「当然疑っている。だから追撃は限定的だ」

「でも本当に撤退なら……」

 レイブンは地図を見る。

 異界軍占領地域が、明らかに縮小している。

「終わる?」

 その言葉を口にした瞬間、室内の何人かがレイブンを見た。

 戦争が始まってから、誰も簡単には言わなくなった言葉だった。

 終わる。

 何度期待して、裏切られてきたか分からない。

 アレクシスはしばらく黙った。

「まだ分からん」

「ですよね」

「だが」

 指揮官は地図を見る。

「終わらせられる可能性は、初めて見えてきた」

 その日の夜。

 レイブンは基地の外で父へ無線を入れた。

『父さん』

『どうした』

「ちょっと声聞きたくなって」

『気持ち悪いな』

「息子に言う?」

『お前が突然そんなことを言うからだ』

「元気?」

『お前よりはな』

「それはないだろ」

『エリシアは?』

「隣にいる」

 エリシアが通信機へ近づく。

「こんばんは、ヴォルターさん」

『エリシアか。息子は迷惑かけてないか』

「かなり」

「おい」

『そうか』

「父さん納得するなよ」

 通信の向こうでヴォルターが笑った。

 その声を聞くだけで、レイブンは少し安心した。

「父さん」

『何だ』

「もしかしたら」

 言葉が止まる。

『どうした』

「……戦争、終わるかもしれない」

 通信の向こうが静かになった。

 数秒。

 ヴォルターはすぐに喜ばなかった。

『そうか』

「うん」

『なら最後まで気を抜くな』

「分かってる」

『戦争で一番危険なのは、終わりが見えた時だ』

「……うん」

『帰ってこい』

「帰る」

『エリシアもだ』

「はい」

『二人で来い』

 レイブンはエリシアを見る。

 彼女もこちらを見ていた。

「父さん」

『何だ』

「帰ったら」

 一瞬だけ笑う。

「結婚するよ」

『知ってる』

「そうだった」

『何年前に聞いたと思ってる』

「まだそんな経ってないだろ」

『俺には長かった』

 ヴォルターの声が少しだけ柔らかくなる。

『母さんもルナも待ってる』

「ルナ、何歳になった?」

『お前は兄だろ』

「分かってるよ」

『なら自分で数えろ』

「父さん」

『冗談だ』

 エリシアが隣で笑っている。

『レイブン』

「うん」

『最後だからと英雄になるな』

 レイブンの笑みが消えた。

『英雄になる必要はない。勝つ必要さえない時がある』

「じゃあ何をすればいい?」

『帰れ』

 父の答えは昔から変わらなかった。

『お前が守った人間と一緒に帰ってこい。それで十分だ』

 レイブンは胸元のドッグタグへ触れた。

 傷だらけになった金属板。

 裏には、今でも読める名前がある。

「了解」

 父へではなく、教官へ返すように答えた。

『よろしい』

 通信が切れた。

 エリシアが隣で夜空を見上げる。

「終わったら何したい?」

「戦争?」

「うん」

「まず家に帰る」

「その次」

「エリシアのお母さんに挨拶」

「その次」

「指輪」

「その次」

「結婚」

「その次」

 レイブンは困った。

「そこから考えてなかった」

「また?」

「だって結婚が目標だったし」

「結婚は始まりでしょう?」

「……確かに」

「家は?」

「探す」

「軍は?」

「分からない」

「子供は?」

「エリシア」

「何?」

「最近ルナみたいな質問するな」

「答えて」

 レイブンはしばらく黙った。

「欲しい?」

 今度はエリシアが黙った。

「……いつかは」

「俺も」

「本当?」

「うん」

「じゃあ」

 エリシアは彼の肩へ頭を預けた。

「まず生きて帰らないとね」

「結局そこだな」

「全部そこから」

「うん」

 二人は夜空を見た。

 遠くではまだ砲声が聞こえている。

 戦争は終わっていない。

 敵も残っている。

 明日、自分たちが生きている保証もない。

 それでも以前とは違った。

 未来を想像できるようになっていた。

          *

 さらに数週間後。

 抵抗軍全軍へ、暗号化された作戦命令が送られた。

 各地の異界軍は主要異界門周辺へ後退。

 抵抗軍は包囲線を形成。

 敵増援は過去最低水準。

 そして解析班は、異界門そのものを閉鎖できる可能性のある方法を発見していた。

 成功すれば、敵の増援経路を断てる。

 失敗すれば、門が暴走する危険性がある。

 作戦名が決定された。

 《Operation HOMECOMING》――帰郷作戦。

 その名称を聞いた瞬間、レイブンは何とも言えない顔をした。

「どうしたの?」

 エリシアが聞く。

「帰郷、か」

「私たちにぴったり?」

「出来すぎてるくらい」

 作戦司令室前。

 周囲では兵士たちが次々に装備を受領している。

 第一次異界大戦を終わらせる可能性を持つ、初めての大規模作戦。

 Valkyrie & NoXにも招集がかかった。

「怖い?」

 エリシアが聞いた。

「怖い」

「私も」

「何回目だろうな、この会話」

「数えてない」

「俺も」

 レイブンは自分のドッグタグを取り出した。

 エリシアも同じようにする。

 二つとも傷だらけだった。

「まだ読める?」

「読める」

「こっちも」

 二人はタグを戻した。

「NoX」

「何?」

「今回の任務が終わったら」

「うん」

「帰ろう」

「もちろん」

「基地じゃなくて」

 レイブンは彼女を見る。

 エリシアは微笑んでいた。

「家に」

 その意味を理解する。

 クロウ家。

 そしてヴォルハラム家。

 さらにその先に作る、二人自身の家。

 レイブンも笑った。

「了解、Valkyrie」

「それから」

「まだある?」

「戦争を終わらせる」

「それは俺たちだけじゃ無理だよ」

「知ってる」

 エリシアは作戦室の扉を見る。

「だから、みんなで終わらせる」

 レイブンは頷いた。

「そうだな」

 扉が開いた。

 帝国軍人が入る。

 連邦軍人が入る。

 かつて敵だった国々の兵士たちが、同じ部屋へ入っていく。

 レイブンとエリシアもその列へ加わった。

 帝国軍のNoXとしてではない。

 連邦軍のValkyrieとしてだけでもない。

 抵抗軍に所属する二人の兵士として。

 そして、長い戦争の向こうで夫婦になると約束した二人として。

 第一次異界大戦最後の大規模作戦になるかもしれない《Operation HOMECOMING》の作戦説明が、まもなく始まる。

 レイブンは席へ着く直前、胸元へ触れた。

 その下には二つの意味を持つ金属板がある。

 自分が誰なのか。

 そして、自分が誰のもとへ帰るのか。

 父から何度も言われた言葉も、今なら完全に理解できる。

 敵を倒すことが目的ではない。

 英雄になることでもない。

 生きて帰る。

 仲間を帰す。

 そのために必要な敵だけを倒す。

 そして戦争そのものを、帰るための最後の障害として終わらせる。

「レイブン」

 隣から、本名で呼ばれた。

「何?」

「手」

 机の下でエリシアが小指を差し出していた。

「何これ」

「約束」

「子供みたい」

「嫌ならいい」

「嫌とは言ってない」

 レイブンも小指を絡める。

「二人で帰る」

 エリシアが言う。

「二人だけじゃない」

 レイブンは少し笑った。

「できる限り、みんなで帰る」

「うん」

 前方へ司令官が立った。

 室内が静かになる。

 巨大な戦域図へ、最後の作戦線が描かれていく。

 長く続いた第一次異界大戦。

 数え切れないほどの戦死者を出し、帝国と連邦共和国を一時的とはいえ同じ旗の下へ立たせ、レイブン・S・クロウとエリシア・L・ヴォルハラムを出会わせた戦争。

 その終わりが、初めて手の届く距離まで近づいていた。

 まだ勝ってはいない。

 まだ帰れない。

 まだ結婚式も挙げられない。

 それでも二人の目の前には、これまで存在しなかったものがある。

 戦争の向こう側。

 帰るべき家。

 そして、その先に続く人生。

 もっとも二人は、この時まだ知らなかった。

 この戦争を生き延びた先にも第二次異界大戦があり、その後には異界そのものへ渡る戦いが待ち、やがて帰還後の第三次異界大戦、さらに第四次異界大戦まで経験することになることを。

 まして、自分たちの身体に起こり始めている小さな変化が、単なる戦場適応ではなく、二人を人間の寿命という枠組みから外していく最初の兆候であることなど知るはずもなかった。

 何十年。

 何百年。

 軍服が変わる。

 国家が変わる。

 武器が変わる。

 レイブン自身もいつか父ヴォルターと同じ教官となり、新しい兵士たちへ「必ず帰れ」と教える日が来る。

 それでも始まりはここだった。

 若い二人が、傷だらけのドッグタグへ互いの名前を刻み、帰ると約束した第一次異界大戦。

 レイブンは絡めていた小指を離すと、机上の作戦図へ視線を戻した。

「帰ろう、エリシア」

 小さな声だった。

 エリシアだけに届いた。

「うん」

 彼女も同じ声量で答えた。

「帰ろう、レイブン」

 司令官が《Operation HOMECOMING》の説明を開始する。

 第一次異界大戦終結まで――

 あと一作戦。

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