Season 4「NoX」 #055
第55話「二人分の休暇」
アルケイン撤退戦から一夜が明けても、レイブン・S・クロウの左腕には鈍い痛みが残っていた。
魔力弾そのものが直撃したわけではなく、骨にも異常はないと軍医から聞かされていたため、本人としては翌朝からでも部隊へ戻るつもりだったのだが、その考えが甘かったことを知ったのは、朝食を終えて医療区画へ向かった時だった。
「腕を上げてください」
「はい」
レイブンは椅子へ座ったまま左腕を持ち上げた。
肩の高さまでは問題ない。
そこからさらに上げようとすると、上腕の傷口周辺から肩にかけて痛みが走った。
「っ……」
「そこまで」
軍医が止める。
「でも動きますよ」
「動くことと戦えることは別です」
「SG-44なら右手でも――」
「駄目です」
「T-51なら伏射で――」
「もっと駄目です」
「拳銃なら」
「レイブン少尉」
階級と名前を揃えて呼ばれ、レイブンは口を閉じた。
「……はい」
「あなたは昨日、左腕を負傷した状態で戦闘を継続し、片腕で非常装填まで行っています。今日くらい休んでも帝国は滅びません」
「今日だけ?」
「誰が一日と言いました?」
嫌な予感がした。
「三日?」
「最低一週間」
「一週間!?」
思わず立ち上がりかけたところで左腕が痛み、レイブンは顔をしかめながら座り直した。
軍医はその様子を見ても表情を変えない。
「今ので五日追加してもいいですよ」
「座ってます」
「よろしい」
「……一週間も何すればいいんですか」
「休んでください」
「それが一番難しいんだけどな……」
思わず漏れた声に、入口の方から笑い声が聞こえた。
「やっぱり言った」
レイブンが振り向く。
抵抗軍の隊服を着たエリシア・L・ヴォルハラムが立っていた。
「何でいるの?」
「呼ばれたから」
「誰に?」
「グレイヴ中佐」
「何で?」
「私も知らない」
エリシアが隣の椅子へ座ったところで、ちょうどグレイヴが医療区画へ入ってきた。
「二人ともいるな」
「中佐」
レイブンが立とうとすると、グレイヴが手で制した。
「座ってろ。負傷者に敬礼させるほど俺は暇じゃない」
「軽傷です」
「軍医の前で言ってみろ」
「……負傷者です」
「学習が早くて助かる」
エリシアが横で笑っている。
グレイヴは書類を一枚取り出した。
「NoX。医療班から最低一週間の戦闘任務停止が出た」
「聞きました」
「そこで司令部と相談した結果、お前には七日間の療養休暇を与える」
「基地内休養ですか?」
「帰省していい」
レイブンの表情が止まった。
「……家に?」
「ああ」
その言葉を聞いた途端、頭の中に家族の顔が浮かんだ。
父ヴォルター。
母セレナ。
妹ルナ。
訓練兵を卒業した日に家族と再会してからも、特殊即応部隊への配属、抵抗軍への派遣、そして第一次異界大戦の激化によって、ゆっくり家へ帰る機会はほとんどなかった。
「本当に?」
「命令書もある」
「帰っていいんだ……」
レイブンが小さく呟く。
その横でエリシアが笑った。
「よかったね」
「うん」
「母親にちゃんと怪我のこと話せよ」
グレイヴが言った。
「それは……」
「話せ」
「心配するから嫌なんですけど」
「包帯巻いたまま帰って隠せると思ってるのか?」
レイブンは自分の左腕を見る。
「……無理ですね」
「それと、もう一人」
グレイヴの視線がエリシアへ移った。
「Valkyrie」
「はい」
「お前にも同期間の休暇が出た」
「……私も?」
今度はエリシアが驚く番だった。
「でも、私は負傷していません」
「知ってる」
「なら、どうして?」
「名目上はNoXの護衛および療養補助だ」
沈黙が落ちた。
レイブンがゆっくりエリシアを見る。
エリシアもゆっくりレイブンを見る。
「……護衛?」
二人の声が重なった。
「そうだ」
グレイヴだけは平然としている。
「待ってください。俺、護衛が必要なほど重傷じゃありません」
「昨日片腕で再装填してた奴が何を言ってる」
「でも歩けます」
「見れば分かる」
「一人で食事もできます」
「左手で?」
「右手で」
「着替えは?」
「できます」
「荷物は?」
「……少しなら」
グレイヴは答えを聞き終えると、エリシアを見た。
「護衛が必要だな」
「どこを聞いたらそうなるんですか!」
エリシアが口元を押さえている。
「笑ってるだろ」
「笑ってない」
「絶対笑ってる」
「少しだけ」
「ほら!」
グレイヴは二人のやり取りを無視して続けた。
「冗談はともかく、理由はある。NoXは現在、連邦側でも名前が知られ始めている。療養中とはいえ完全な単独行動は避けたい。それにValkyrie、お前もアルケインから戻って以来、まともに休んでいないだろ」
エリシアの笑みが少し消えた。
「私は大丈夫です」
「NoXも昨日同じことを言った」
「……」
「二人とも同類だ。だからまとめて休め」
レイブンとエリシアは顔を見合わせた。
「俺たち、同類らしいよ」
「レイブンと一緒にしないで」
「酷くない?」
「冗談」
グレイヴはため息をついた。
「とにかく命令だ。七日間、戦闘任務から外れる。NoXは療養、Valkyrieは護衛兼介助。その間は基地へ戻ってくるな」
「そこまで?」
「お前は放っておいたら訓練場へ来るだろ」
否定しようとして、レイブンは口を閉じた。
「……来るかもしれません」
「だからだ」
「了解しました」
「Valkyrie」
「了解です」
グレイヴは二人へ休暇命令書を渡した。
「明朝出発しろ」
レイブンが書類を受け取る。
七日間。
家へ帰れる。
そして。
横を見る。
「……エリシアも来るの?」
「命令だから」
「俺の家に?」
「そうなるね」
「父さんと母さんに?」
「会うね」
「ルナにも?」
「妹さんでしょう? 会ってみたい」
レイブンの顔から少しずつ血の気が引いていった。
「どうしたの?」
「まずい」
「何が?」
「父さんはともかく……母さんだ」
「優しい人なんでしょう?」
「すごく優しい」
「ならいいじゃない」
「優しいからまずいんだよ」
「意味が分からない」
「絶対勘違いする」
「何を?」
「それは……」
レイブンは言えなかった。
エリシアは首を傾げている。
グレイヴだけが何かを察したように口元を僅かに緩め、そのまま医療区画を出ていった。
翌朝。
レイブンは軍用輸送列車の座席に座り、窓の外を眺めていた。
戦場から離れるにつれて、景色が変わっていく。
砲撃で抉られた土地が減り、焼けた建物も少なくなり、やがて畑や牧草地が見えるようになった。
戦争そのものが終わったわけではない。
遠くでは今も誰かが戦っている。
それでも窓の外で農作業をする人々を見ていると、同じ世界に戦場と日常が同時に存在していることが不思議に思えた。
「静かだね」
隣に座るエリシアが言った。
「うん」
「落ち着かない?」
「分かる?」
「ずっと窓の外見てるから」
「銃声がないと逆に変な感じする」
エリシアは少し考えたあと、頷いた。
「私も」
二人の足元には荷物が置かれている。
SG-44とT-51《REAPER》は部隊の武器庫へ預けてきた。
レイブンが携行している武器は、規定上持ち出しを認められた帝国軍制式自動拳銃P-38A《ADLER》だけだった。
「SGがないと落ち着かない」
「休暇なのに持って帰ろうとしてたでしょう」
「父さんからもらった銃だし」
「怪我してるでしょう」
「右腕は使える」
「そういうところを休ませるための休暇なんじゃない?」
「エリシアまで軍医みたいになってきた」
「護衛兼介助ですから」
「その肩書きを楽しんでない?」
「ちょっとだけ」
エリシアが笑う。
レイブンは窓へ顔を戻した。
「家に帰ったらさ」
「うん」
「母さん、多分すごく質問してくる」
「何を?」
「連邦ではどうだったとか、食事はちゃんと食べてるのかとか、怪我は何回したとか」
「最後の質問、正直に答える?」
「絶対答えない」
「私が答えようか?」
「お願いだからやめて」
「護衛には報告義務があります」
「家族への報告義務なんてないだろ!」
エリシアが声を抑えて笑った。
数時間後。
列車を降りてから軍用車両を乗り継ぎ、見慣れた町並みが見えてきた頃には、午後の日差しが傾き始めていた。
レイブンは窓の外を見たまま黙っていた。
「緊張してる?」
エリシアが聞く。
「してない」
「嘘」
「自分の家に帰るだけだよ」
「じゃあ何でさっきから左腕気にしてるの?」
図星だった。
「……母さんに見つかる」
「見れば分かるよ」
「軍服で隠せないかな」
「駄目」
「何で?」
「傷を隠そうとする患者を監視するのも介助役の仕事です」
「そんな仕事ないだろ」
「今作った」
「横暴だ」
「諦めて」
レイブンはため息をついた。
そして。
クロウ家の前へ立った。
久しぶりに見る家だった。
レイブンはしばらく扉を見つめた。
戦場では敵のいる建物へ入ることさえできるのに、自分の家の扉を叩くことに妙な緊張を感じている。
「入らないの?」
「入るよ」
「さっきから一分くらい立ってる」
「心の準備」
「自分の家でしょう?」
「隣に連邦軍人の女の人連れてるんだぞ」
「今は抵抗軍」
「そういう問題じゃない」
「じゃあ何?」
「母さんが絶対――」
扉が開いた。
二人とも固まった。
そこに立っていたのはセレナだった。
「……レイブン?」
「ただいま、母さん」
セレナの表情が一気に明るくなる。
「レイブン!」
そのまま抱きしめようとして、途中で左腕の包帯に気づいた。
笑顔が止まった。
「……その腕は?」
「これは、その」
レイブンは視線を逸らした。
「ちょっとした擦り傷」
背後からエリシアが口を開いた。
「魔力弾を受けています」
「エリシア!」
「骨に異常はありませんが、一週間の療養命令が出ています」
「全部言った!」
セレナの目が細くなった。
「レイブン」
「はい」
「中に入りなさい」
「はい……」
レイブンは肩を落とした。
エリシアが小声で言う。
「軍医より怖い?」
「順位変わった。母さん一位」
「おかえり」
さらに奥から低い声がした。
ヴォルターだった。
以前より少し年を重ねている。
それでも息子を見る目だけは変わらない。
「父さん」
「帰ったか」
「うん」
レイブンは自然に笑った。
「ただいま」
「よく帰った」
ヴォルターはそれだけ言った。
それだけで十分だった。
やがて彼の視線がレイブンの後ろへ移る。
「それで」
エリシアが姿勢を正した。
「初めまして。連邦共和国軍所属、現在は抵抗軍共同作戦部隊に派遣されています、エリシア・L・ヴォルハラムです。コールサインは〔戦乙女〕。今回はレイブン・S・クロウ少尉の護衛および療養補助を命じられ――」
「父さん」
「何だ」
「変な顔するなよ」
「まだ何も言ってない」
「顔が言ってる」
ヴォルターの口元が僅かに上がった。
「お前が以前話していたValkyrieか」
「何でそれを言うんだよ!」
エリシアがレイブンを見る。
「私のこと話してたの?」
「手紙で少し!」
「どれくらい?」
「父さん!」
「かなり」
「裏切ったな!」
家の奥から足音が聞こえた。
「兄様?」
その声を聞いた瞬間、レイブンは動きを止めた。
廊下から少女が顔を出す。
九歳になったルナ・クロウだった。
白い髪。
母セレナと同じ白猫の特徴。
訓練兵を卒業した時より少し背が伸びている。
「……ルナ」
少女はしばらく兄の顔を見ていた。
そして。
「兄様!」
走ってくる。
「おっと!」
レイブンは反射的に両腕を広げようとして、左腕の痛みに顔をしかめた。
「っ……」
「兄様!?」
「大丈夫、大丈夫!」
ルナは直前で止まり、包帯を見る。
「怪我したの?」
「ちょっとだけ」
エリシアが後ろから言う。
「魔力弾です」
「エリシア!」
「正確な情報」
「誰の味方なんだよ!」
「患者の味方」
ルナは心配そうに兄を見上げた。
「痛い?」
「もうそんなに痛くないよ」
「本当?」
「本当」
今度は右腕だけで妹を抱き寄せる。
「ただいま、ルナ」
「おかえりなさい、兄様」
その言葉を聞いた瞬間、レイブンの身体から力が抜けた。
戦場で何度も聞きたかった言葉だった。
帰ってきた。
自分の家へ。
家族のところへ。
夕食の時間になると、クロウ家の食卓には久しぶりに家族全員が揃い、その中に一人だけ新しい人物が加わった。
「エリシアさん、遠慮しないで食べてね」
「ありがとうございます、セレナさん」
「母さん、エリシアにそんなに盛ったら食べきれないって」
「あなたは黙って食べなさい」
「はい」
レイブンは素直に食事へ戻る。
向かい側ではヴォルターがエリシアへ質問していた。
「連邦での所属は?」
「第七機動戦闘群です」
「得意な距離は?」
「中距離が中心ですが、市街戦も経験しています」
「NoXと組んだ感想は?」
「父さん」
「黙って食え」
「俺の話だろ!」
エリシアが少し考える。
「無茶をします」
「だろうな」
「父さんまで!」
「でも」
エリシアは続けた。
「自分が危険でも、誰かを置いて逃げることはありません」
ヴォルターの手が止まった。
「……そうか」
「はい」
「なら、あいつなりに志願した理由を守ってるらしいな」
レイブンは何も言わなかった。
父へ志望動機を告げた日を覚えている。
家族だけではなく、この世界のためならどこへでも駆けつけられる即応の守護者になりたい。
まだ訓練兵だった自分が、ようやく見つけた答えだった。
「父さん」
「何だ」
「俺、少しは近づけてるかな」
ヴォルターはすぐには答えなかった。
息子の左腕。
抵抗軍章。
胸元のNoXという文字。
そして隣に座っている連邦共和国出身の戦友。
「自分で決めることだ」
「やっぱりそう言うと思った」
「ただし」
ヴォルターは少し笑った。
「帰ってきたことだけは合格だ」
レイブンも笑った。
「ありがとう、父さん」
夕食後、レイブンが自室へ戻ろうとすると、ルナが後ろからついてきた。
「兄様」
「ん?」
「その人も泊まるの?」
ルナがエリシアを見る。
「そうだよ。しばらく」
「兄様の部屋?」
「違う!」
声が裏返った。
後ろでエリシアが吹き出す。
「何で笑うんだよ!」
「だって」
「客室! エリシアは客室!」
「分かってるよ」
「絶対面白がってるだろ」
ルナは二人を交互に見た。
「兄様」
「何?」
「この人、兄様のお嫁さん?」
今度こそレイブンは完全に固まった。
エリシアも言葉を失う。
「違う!」
数秒遅れて二人の声が重なった。
廊下の向こうからヴォルターの笑い声が聞こえた。
「父さん!」
「俺は何も言ってないぞ!」
セレナまで笑っている。
レイブンは右手で顔を覆った。
「だから帰る前に嫌な予感したんだよ……」
その横でエリシアも頬を僅かに赤くしながら、困ったように笑っていた。
その夜。
レイブンは久しぶりに自分の寝台へ横になった。
左腕を庇いながら天井を見る。
子供の頃から何度も見てきた天井だった。
砲撃音は聞こえない。
無線もない。
異界兵の足音もない。
代わりに廊下の向こうから家族の声が微かに聞こえる。
隣の客室にはエリシアがいる。
不思議な気分だった。
数日前まで二人で泥だらけになって戦っていた。
互いの再装填を援護し、背中を預け、負傷者を連れて撤退した。
それが今では同じ家の屋根の下で休んでいる。
レイブンは目を閉じた。
父から何度も言われた言葉を思い出す。
必ず帰れ。
子供の頃には、それを単純に死ぬなという意味だと思っていた。
今なら少し違って聞こえる。
帰る場所を失うな。
帰りたいと思える人間を失うな。
そして、自分を待っている者のところへ戻れ。
「……帰ってきたよ、父さん」
誰にも聞こえない声で呟いた。
やがて眠気が訪れる。
明日は戦わなくていい。
SG-44へ通常装填を行う必要もなければ、次の接敵を予測して戦術装填を選ぶ必要もなく、傷ついた腕で非常装填を試みる必要もない。
明日しなければならないことは一つだけだった。
休むこと。
それは戦うことに慣れ始めたレイブンにとって、銃を撃つより難しい命令なのかもしれなかった。
それでも今夜だけは、幼い頃から眠ってきた自分の寝台で、家族の気配を感じながら目を閉じることができる。
そして廊下を一本挟んだ客室には、戦場で背中を預けられるようになった女性がいる。
七日間。
たった七日間の休暇だった。
けれど第一次異界大戦の只中にいる二人にとって、その七日間は戦場では知ることのできなかった互いの姿を見るには、十分すぎるほど長い時間になろうとしていた。




