Season 4「NoX」 #054
第54話「帰還するための一発」
アルケインから最後の避難車両が南へ向かってから十分ほどが過ぎた頃、町に残っていた抵抗軍部隊も段階的な撤退を始めていた。
住民三百十二名の避難は完了している。それでも任務そのものが終わったわけではなく、彼らを逃がすために最後まで町へ残った兵士たち自身が帰還しなければ、レイブン・S・クロウにとってこの作戦を成功とは呼べなかった。
夕暮れの街路を走りながら、レイブンは前を進むエリシア・L・ヴォルハラムの背中と、そのさらに先を後退していく味方の姿を交互に見ていた。
『第一防衛群、南側街道へ到達。第二防衛群も後退を開始せよ』
無線からグレイヴの声が聞こえる。
「NoX、聞こえた?」
「聞こえてる。俺たちも下がろう」
レイブンは答えながらSG-44へ目を落とした。
先ほど交換した弾倉はほとんど使っていないため、今すぐ交換する必要はない。薬室にも一発が収まっており、引き金へ指を移せばすぐに撃てる状態にある。
それでも癖のように弾倉底部へ触れ、確実に固定されていることだけを確かめた。
「また確認してる」
エリシアが気づいた。
「父さんのせい」
「便利な言葉だね、それ」
「本当なんだから仕方ないだろ」
二人は話しながらも歩調を緩めず、建物の陰から陰へ移りながら南へ向かった。
後方では残っていた抵抗軍兵士たちが交互に射撃し、異界軍の進行を抑えている。
撃つ者と下がる者を入れ替えながら少しずつ距離を稼ぐ撤退だった。
レイブンも何度か後ろを振り返ってSG-44を撃ったが、敵を倒すことだけを目的にはしなかった。こちらを追えば撃たれると思わせ、避難車列と撤退部隊の間に距離を作ることの方が重要だった。
「NoX、次は私が援護する」
「分かった。先に下がる」
エリシアが建物の角へ残り、レイブンが道路を渡る。
向かい側へ到達すると、今度はレイブンがSG-44を構えた。
「Valkyrie、来て!」
「行く!」
エリシアが走り出す。
その背後に異界兵が現れた。
レイブンは照準を合わせて発射し、肩へ返ってきた反動を受け止めながら銃口を次の敵へ移した。機関部が作動して空薬莢を排出すると同時に次弾が薬室へ送り込まれ、もう一度引き金を絞ったところで、異界兵たちは建物の陰へ退いた。
エリシアがレイブンの隣へ滑り込む。
「ありがとう」
「まだ帰ってから」
「それ、気に入ったの?」
「父さんから散々言われたから」
「またお父さん」
「帰ったら紹介する?」
口にした直後、レイブン自身が黙った。
エリシアも一瞬だけ彼を見る。
「……紹介してくれるの?」
「いや、その……戦友としてなら」
「また付け足した」
「変な意味に取られたら困るから!」
「誰が?」
「エリシアが」
「私は何も言ってないけど」
エリシアが笑いながら走り出す。
「ほら、置いていくよ」
「待てって!」
レイブンも追った。
南側街道まで残り一キロを切ったところで、撤退部隊の動きが止まった。
前方から来た伝令が、グレイヴのもとへ走る。
「どうした?」
「街道東側の森林で敵影を確認! 先回りされています!」
グレイヴが地図を開く。
アルケインへ戻れば、追撃中の異界軍とぶつかる。
東には敵。
西側は険しい斜面になっており、負傷者を連れて迅速に移動することは難しい。
「数は?」
「確認できただけで二十以上!」
レイブンも周囲を見る。
こちらには負傷者がいる。
弾薬も減っている。
何より長時間の戦闘で全員が疲労していた。
「突破するしかないか」
グレイヴが呟いた時、レイブンの身体に違和感が走った。
〔殺気看破〕。
「後ろ!」
叫びながら振り返る。
異界兵が街道へ姿を現す。
「接敵!」
抵抗軍兵士たちが一斉に遮蔽物へ入った。
銃声が重なる。
レイブンもSG-44を構えて発射する。
一発撃ち、次の敵へ銃口を振る。
さらに発射。
撃つたびに弾倉の中身が減っていく。
その感覚を頭の中で数えていたレイブンは、まだ撃ち切る前に身体を木の陰へ入れた。
薬室には一発が残っている。
弾倉にも数発。
しかし前方にも敵がいる以上、次に遮蔽物から出た時には可能な限り多くの弾を持っていたかった。
「Valkyrie、数秒お願い!」
「任せて!」
エリシアがレイブンの射線を引き受ける。
レイブンは残弾のある弾倉を抜きながら新しい弾倉へ手を伸ばした。
撃ち切ってはいない。
薬室に一発を残したまま、次の接触へ備えて弾倉だけを交換する。
訓練中から何度も繰り返してきた戦術装填だった。
抜いた弾倉は捨てず、空いているポーチへ収める。
新しい弾倉を差し込み、底を押して固定を確かめたところで、レイブンはすぐにSG-44を構え直した。
「復帰!」
「前お願い!」
「任せて!」
エリシアが遮蔽物へ戻る。
レイブンが射撃を引き継いだ。
用語を頭の中で唱える必要はなかった。
訓練兵だった頃、教官から何度も叩き込まれた動作が身体に残っている。
まだ撃てるうちに、次の戦闘へ備える。
それだけだった。
抵抗軍は街道脇の森林へ入り、東側の敵を避けながら南を目指した。
完全な迂回はできない。
途中で数度、小規模な異界軍部隊と接触した。
レイブンはSG-44を中心に戦い、距離が開いた時だけT-51《REAPER》を使った。
戦闘が始まってから三十分ほど経った頃には、隊員たちの呼吸も荒くなっていた。
「あとどれくらい?」
エリシアが尋ねる。
「合流地点まで?」
「うん」
レイブンは端末を見る。
「一・七キロ」
「近いようで遠いね」
「走ればすぐ」
「敵がいなければね」
「それを言わないで」
レイブンが苦笑した直後、前方を進んでいた帝国兵が手を上げた。
「止まれ!」
全員が足を止める。
倒木。
その向こうに動く影。
異界兵。
「正面!」
銃撃が始まった。
レイブンはエリシアと左右へ分かれた。
SG-44を構える。
発射。
異界兵が倒れる。
次。
発射。
さらに次。
発射。
引き金を絞った。
何も起きない。
レイブンは即座に理解した。
弾倉が空。
薬室も空。
今度は残しておける一発すらない。
「Normal!」
声に出したのは、近くにいるエリシアへ自分が数秒間撃てなくなることを伝える意味もあった。
「了解、援護する!」
エリシアが射撃を増やす。
レイブンは空弾倉を抜いた。
今回は残しておく理由がない。
そのまま落とす。
新しい弾倉を取り出し、差し込んで固定すると、初弾を薬室へ送り込む。
通常装填。
レイブンにとって最も基本的な再装填であり、銃が空になった時に戦闘へ戻るための動作だった。
「復帰!」
「待ってた!」
二人が再び並ぶ。
レイブンが左を受け持ち、エリシアが右を抑える。
抵抗軍部隊も射撃を集中させ、数分後には正面の異界兵を押し返した。
「負傷者!」
後方から声が上がった。
レイブンが振り返る。
連邦兵が一人、地面へ倒れている。
その近くにも異界兵が迫っていた。
「エリシア!」
「分かってる!」
二人は同時に走った。
レイブンが先に到達する。
負傷兵の装備を掴み、木の陰へ引きずろうとした瞬間、横から異界兵が現れた。
近い。
レイブンはSG-44を向ける。
発射。
敵が倒れる。
だが、もう一体。
「っ!」
魔力弾。
レイブンは身体を捻った。
完全には避けられなかった。
左上腕に衝撃が走る。
「レイブン!」
熱い。
少し遅れて痛みが来る。
腕が痺れた。
「大丈夫!」
反射的に答えたものの、左手に力が入らない。
SG-44を右手だけで保持しながら木の陰へ入る。
エリシアが負傷兵を引きずってくる。
「腕見せて!」
「先にこの人!」
「両方見る!」
「器用だな!」
「喋れるならまだ大丈夫!」
レイブンは左腕を動かそうとした。
動く。
だが力が弱い。
「貫通はしてないと思う」
「思うじゃなくて!」
その時、再び敵が現れた。
「来る!」
レイブンは右手でSG-44を構えた。
発射。
反動を片腕だけで受ける。
「くっ……!」
痛みが左肩まで響く。
それでも撃つ。
もう一発。
そして引き金が空を切った。
「最悪……」
弾切れ。
普段なら数秒で済む。
だが左腕が使えない。
レイブンは右手だけで弾倉を外そうとした。
銃を身体へ押しつける。
空弾倉を抜く。
新しい弾倉へ手を伸ばす。
うまく取れない。
「レイブン!」
「援護お願い!」
「やってる!」
エリシアの銃声が続く。
レイブンは歯を食いしばった。
普段の通常装填とは違う。
訓練通りの速度が出ない。
身体的な問題によって再装填そのものが遅れている。
帝国軍では、こうした状態を非常装填と呼んでいた。
弾倉を掴む。
SG-44を膝と胴体の間へ固定する。
右手だけで弾倉を挿入する。
「入れ……!」
うまく固定されない。
一度抜く。
角度を変える。
もう一度押し込む。
固定された。
だが薬室は空だ。
次は初弾を送り込まなければならない。
普段なら左手も使って容易に済ませられる動作が、今は異様に長く感じられる。
エリシアが撃ち続けている。
その数秒を彼女が作ってくれている。
レイブンはSG-44を身体と装備へ押しつけて固定し、右手で機関部を操作した。
初弾が薬室へ送られる。
「……できた!」
右手で握り直す。
「復帰!」
「遅い!」
「怪我してるんだから許して!」
「帰ったら説教!」
「何で!?」
「怪我したから!」
「理不尽!」
それでもレイブンは笑った。
撃てる。
まだ戦える。
何より、帰れる。
「Valkyrie!」
「何!」
「ありがとう!」
「それも帰ってから!」
「了解!」
レイブンが撃つ。
エリシアも撃つ。
負傷した連邦兵の前に二人で立つ。
やがて後方から味方の銃声が増えた。
『NoX、Valkyrie、伏せろ!』
グレイヴ。
二人が姿勢を落とす。
第一即応班と抵抗軍増援部隊が射撃を開始した。
異界兵たちが後退する。
「アトラス!」
レイブンが叫ぶ。
「お前、また怪我したのか!」
「好きでしてません!」
「左腕は?」
「動きます!」
「なら後退しろ!」
「負傷者が!」
「そいつも連れてこい!」
「了解!」
レイブンは負傷兵へ右肩を貸そうとする。
エリシアが止めた。
「左腕怪我してる人が無理しない」
「でも」
「私が反対側持つから」
「……分かった」
二人で負傷兵を支える。
「立てますか?」
「すまない……」
「謝らなくていいです」
レイブンは痛む左腕を庇いながら歩き始めた。
「一緒に帰りましょう」
負傷兵が僅かに頷いた。
日が沈みきる前に、アルケインから撤退した抵抗軍部隊は南方の合流地点へ到達した。
先に避難していた住民たちもいる。
医療班が負傷兵を受け取る。
レイブンもその場で捕まった。
「座ってください」
「いや、俺は――」
「座ってください」
軍医の声が強くなる。
「はい」
素直に座る。
エリシアが隣で笑っていた。
「弱いね」
「軍医と母さんには逆らうなって父さんに言われてる」
「それは正しい」
「今日何回目だよ、母さん側につくの」
軍医が左腕の隊服を開く。
幸い、魔力弾は直撃ではなく掠めるように当たっていた。
「骨に異常はありません。しばらく左腕を休ませてください」
「どれくらい?」
「最低でも数日」
「そんなに?」
「無理をすれば延びます」
「休みます」
「即答だね」
エリシアが言う。
「延びる方が嫌だから」
処置を受けながら、レイブンは近くに置かれたSG-44を見る。
今日だけでも何度弾倉を交換したか分からない。
撃ち切ってから銃を戦闘状態へ戻した通常装填。
まだ薬室に一発を残し、次の戦闘へ備えて弾倉を交換した戦術装填。
そして負傷した左腕が使えず、普段なら数秒で終わる再装填に苦戦した非常装填。
どれも目的は違って見える。
それでもレイブンには、結局同じことのように思えた。
銃へ弾を入れるためだけではない。
次に撃たなければならない瞬間へ間に合わせるための動作だった。
「何見てるの?」
エリシアが尋ねる。
「SG」
「それは見れば分かる」
「今日、エマージェンシーになった時さ」
「うん」
「全然手が動かなかった」
「左腕怪我してたからね」
「訓練ではもっとできたんだけどな」
「訓練では本当に腕が痛いわけじゃないでしょう?」
レイブンは少し考えた。
「確かに」
「なら今日できたことを覚えて、次はもっと上手くやればいいんじゃない?」
「次も怪我する前提?」
「怪我しないのが一番」
「だよな」
エリシアがレイブンの包帯を見た。
「でも、戦場では何が起こるか分からないから」
「……うん」
「だから覚えるんでしょう?」
レイブンは一瞬、父のことを思い出した。
右腕を失って帰ってきたヴォルター。
それでも戦場へ戻った父が、幼いレイブンへ何度も言っていた。
身体がいつも思い通りに動くと思うな。
銃がいつも正常に動くと思うな。
仲間がいつも隣にいると思うな。
だから、どれか一つが失われても帰れる方法を考えろ。
「父さんと似たようなこと言うなあ」
「また?」
「うん」
「じゃあ私、お父さんと話合うかも」
「……本当に紹介しようかな」
今度は言ってから慌てなかった。
エリシアが少し驚いた顔をする。
「いいの?」
「戦争が終わって、ちゃんと帰れたら」
「じゃあ約束ね」
「約束?」
「生きて帰って、お父さんに紹介してもらう」
「何か意味変わってない?」
「変わってないよ」
「本当かな……」
エリシアは答えずに笑った。
少し離れた場所から声がした。
「軍人さん!」
レイブンが振り向く。
アルケインで会った少年だった。
母親と一緒にこちらへ走ってくる。
「お兄ちゃん!」
「俺?」
「うん!」
少年はレイブンの前まで来ると、その左肩を見た。
戦闘で汚れた抵抗軍章。
「帰ってきた!」
レイブンは一瞬だけ言葉を失った。
「……うん」
「みんな帰ってきた?」
その質問には、すぐ答えられなかった。
負傷者はいる。
軽傷では済まなかった兵士もいる。
それでも、アルケインから撤退した部隊はここへ到達している。
「帰ってきたよ」
少年が笑った。
「よかった」
その言葉を聞いて、レイブンも笑った。
「俺もそう思う」
左腕は痛む。
軍服は泥だらけで、SG-44には今日一日の戦闘でついた細かな傷が増えている。
それでもここにいる。
住民もいる。
エリシアもいる。
仲間たちもいる。
レイブンは左肩の抵抗軍章を見たあと、包帯を巻かれた腕へ目を落とした。
父から教えられた「帰還」という言葉が、以前より少しだけ重くなった気がした。
撃ち切ったなら通常装填で戻る。
まだ余裕があるなら戦術装填で次に備える。
腕が動かず、いつもの方法が使えないなら非常装填でも構わない。
方法が変わっても、レイブンが求めている結果は変わらなかった。
銃を再び撃てる状態へ戻し、仲間を守りながら自分自身も帰る。
それができなくなる瞬間まで戦うのではなく、帰るために必要なだけ戦う。
その考え方は、ヴォルターから渡されたSG-44とともに、少しずつレイブン自身の戦い方になり始めていた。
「レイブン」
エリシアが呼ぶ。
「何?」
「今日はもう銃触っちゃ駄目だって」
「え」
振り返ると、軍医がSG-44を持っていこうとしている。
「待って、それ父さんから――」
「整備班へ渡すだけです」
「自分でやります」
「左腕を休ませてください」
「右手だけでできます」
「休ませてください」
「……はい」
エリシアが吹き出した。
「何で笑うんだよ」
「NoXにも勝てない相手がいるんだなって」
「いるよ」
「誰?」
レイブンは少し考えた。
「母さん、軍医、父さん」
「お父さん三番目なんだ」
「場合によって順位が変わる」
エリシアはとうとう声を上げて笑った。
レイブンもつられて笑う。
その声の向こうでは、抵抗軍の兵士たちが負傷者を運び、避難してきた住民たちが互いの無事を確かめていた。
第一次異界大戦はまだ終わらない。
明日になれば、また銃を持つ日が来る。
だからこそレイブンは、今日生きて帰れたことを当たり前だとは思わなかった。
包帯を巻かれた左腕を胸元へ寄せながら、隣にいるエリシアと、無事に避難できた少年を見て笑った。
次にSG-44へ弾倉を入れる時も、その次も、自分が何のために銃を撃つのかだけは忘れない。
敵を倒すためだけではない。
帰還を邪魔するものから仲間を守り、自分も一緒に帰るためだった。




