Season 4「NoX」 #052
第52話「同じ軍服」
ベルガント回廊西側防衛線で最初の爆発が起きてから、すでに一時間以上が経過していた。
それでも戦闘は終わっていない。
基地を囲む防壁の向こうでは、異界軍が放つ魔力弾が夜空を切り裂き、迎撃する機関銃の曳光が地表すれすれを走っていた。時折、重火器の発射音に混じって爆発が起こるたびに地面が震え、天幕や簡易施設の支柱が小さく軋んだ。
レイブン・S・クロウは西側防壁の一角でSG-44を構えていた。
「右、来る!」
エリシア・L・ヴォルハラムの声が飛ぶ。
「見えてる!」
レイブンが銃口を向ける。
〔殺気看破〕が捉えた敵意と、実際に視認した異界兵の位置が重なる。
照準。
発射。
SG-44が肩を押す。
異界兵が崩れたが、その後方から別の個体が現れる。
「もう一体!」
「任せて!」
エリシアの連邦制式小銃が短く火を噴いた。
数発。
敵が防壁へ辿り着く前に倒れる。
「弾倉交換!」
「了解!」
エリシアが遮蔽物へ身体を沈める。
レイブンが半歩前へ出た。
SG-44を構え、彼女が撃てない数秒を埋める。
左から異界兵。
銃口を振る。
発射。
次弾。
発射。
「復帰!」
エリシアが再び立ち上がる。
「下がる!」
今度はレイブンが遮蔽物へ入った。
弾倉を抜く。
胸元のポーチから新しい弾倉を取り出す。
挿入。
固定。
薬室確認。
「復帰!」
「了解!」
言葉は短い。
だが動作そのものは途切れない。
二人が初めて共同戦闘を行った時には、相手が何をしようとしているのか確認する瞬間があった。
今は違う。
レイブンが前へ出ればエリシアが下がり、エリシアが弾倉へ手を伸ばせばレイブンが射線を引き受ける。
会ってから、まだ数日しか経っていない。
それでも戦場で過ごした数日は、平穏な場所で過ごす数か月よりも相手の性格を露骨に見せる。
少なくともレイブンは、エリシアが自分を置いて逃げる人間ではないことを知っていた。
エリシアもまた、レイブンが背後にいる仲間を見捨てないことを知り始めていた。
「NoX!」
無線にグレイヴの声が入る。
「はい!」
『西側第二防衛線まで後退しろ! 第一防衛線を放棄する!』
「了解!」
レイブンは周囲を見る。
「Valkyrie!」
「聞こえてる!」
「下がるよ!」
「先に行って!」
「一緒に行く!」
「こういう時くらい素直に先に――」
その途中で、エリシアの表情が変わった。
「レイブン!」
レイブンも感じていた。
〔殺気看破〕。
真横。
「伏せろ!」
二人が同時に姿勢を落とした。
魔力弾が防壁を削り、破片が頭上を飛んでいく。
レイブンは地面へ片膝をついたままSG-44を向けた。
発射。
近距離。
異界兵が吹き飛ぶ。
「今!」
二人は同時に走り出した。
第一防衛線から第二防衛線へ。
帝国兵もいる。
連邦兵もいる。
そのほかの国家から派遣された兵士たちもいる。
以前なら互いの軍服を見れば警戒したかもしれない兵士たちが、今では同じ方向へ走り、同じ敵へ銃を向けていた。
夜明け前。
異界軍はようやく後退した。
完全な撃退ではない。
攻撃が止まっただけだった。
兵士たちはそれを理解していた。
だから歓声もほとんどなかった。
レイブンは第二防衛線の壁へ背中を預け、そのまま地面へ座り込んだ。
「……疲れた」
「私も」
隣にエリシアが座る。
レイブンはSG-44を膝の上へ置いた。
銃身からまだ熱が残っている。
「何時間?」
「四時間ちょっと」
「そんなに?」
「途中から時間見てなかったでしょ」
「全然」
レイブンは空を見る。
東の空が少し明るくなり始めていた。
「エリシア」
「何?」
「俺たち、何日一緒にいる?」
「急にどうしたの?」
「何となく」
「最初に会った日からなら……」
エリシアは指を折りながら数えようとして、途中でやめた。
「分からなくなった」
「俺も」
「戦場だと曜日の感覚もなくなるね」
「家にいた頃は母さんが曜日ごとに料理変えてたから分かったんだけどな」
「どんな料理?」
「帰ったら教える」
エリシアが少しだけ目を細めた。
「帰ったら?」
「うん」
「私も?」
レイブンはそこで、自分が自然にそう言っていたことへ気づいた。
「あ……」
「何?」
「いや」
「今、変なこと考えた?」
「考えてない」
「顔が考えてる」
「その言い方、俺のだろ」
「もらった」
「返して」
「嫌」
二人は小さく笑った。
夜通し戦った直後だからこそ、そんなくだらない会話が妙にありがたかった。
午前九時。
共同前線基地の中央広場に、帝国軍、連邦共和国軍、そして各国軍の兵士たちが集められた。
レイブンは第一即応班と並んでいた。
「何だろう」
隣のエミリアが小声で言う。
「表彰?」
「この状況で?」
「じゃあ説教?」
「何で全軍まとめて怒られるんだよ」
「NoXが何かしたとか」
「何でも俺のせいにしないで」
その前列にはエリシアたち連邦部隊もいる。
少し離れているが、エリシアはこちらに気づいた。
目が合う。
ほんの少し手を上げる。
レイブンも同じように返した。
「仲良いわね」
エミリアが言う。
「戦友だから」
「はいはい」
「本当だって」
やがて共同戦線司令部の士官が演壇へ上がった。
ざわめきが消える。
「各国将兵諸君」
基地に設置された拡声装置から声が響く。
「第一次異界大戦の開戦以降、我々は国家、軍種、指揮系統の違いを抱えたまま共同作戦を続けてきた」
レイブンは黙って聞く。
「帝国軍、連邦共和国軍をはじめ、現在では二十を超える国家および自治地域が共同戦線へ参加している」
士官は周囲を見渡した。
「しかし、戦域拡大に伴って新たな問題が発生している」
背後の大型表示板へ複数の軍服が映し出された。
帝国軍。
連邦共和国軍。
北方諸国。
南部連合。
その他の参加国。
それぞれ軍服の色も形も違う。
「夜間戦闘や混戦状態における友軍識別の困難化だ」
レイブンは昨夜の戦闘を思い出した。
確かに暗闇では分かりにくかった。
敵は異界軍だけではない。
人類側だけでも多くの軍服が入り乱れている。
「加えて現在の異界軍は、人類側の通信技術を利用し、偽命令まで発信し始めている」
兵士たちの表情が引き締まる。
「今後、国家単位で個別に戦闘を継続することは、共同戦線そのものの弱点になり得る」
そこで士官の後ろへ、一つの旗が掲げられた。
各国の国旗ではない。
帝国旗でもない。
連邦共和国旗でもない。
人類側共同戦線を示す、新しい旗だった。
「本日をもって、共同戦線の統合軍事組織としての呼称を正式に統一する」
兵士たちがその旗を見る。
「名称――《抵抗軍》」
レイブンはその言葉を静かに聞いた。
抵抗軍。
異界からの侵攻へ抵抗する者たち。
国家を守るためだけではない。
世界そのものを守るために集められた軍隊。
「ただし、各国軍の所属が消滅するわけではない。帝国軍兵士は帝国軍籍を、連邦共和国軍兵士は連邦軍籍を維持する」
レイブンは少し安心した。
自分が帝国軍人でなくなるわけではない。
父と同じ軍。
自分が志願した軍。
その所属まで捨てる必要はない。
「抵抗軍とは、各国軍の上位に置かれる共同戦線上の統合識別および統合作戦体系である」
続いて、基地の後方から複数の輸送車が入ってきた。
「何だ?」
ユリウスが呟く。
荷台には大量の箱が積まれている。
補給兵たちが箱を降ろす。
その一つが開けられた。
中に入っていたのは銃ではなかった。
「……服?」
レイブンが呟く。
「本日より順次、抵抗軍参加部隊へ統合軍服および統合隊服を配布する」
ざわめきが起こった。
最初に公開されたのは、一般兵向けの抵抗軍標準戦闘服だった。
特定国家の軍服をそのまま流用したものではなく、各国の装備規格を可能な限り受け入れられるよう設計された戦闘服で、既存の防弾装備や弾薬ポーチ、通信装置を装着できるよう複数の固定部が設けられている。
最も目立つ特徴は肩だった。
右肩。
原所属国を示す国籍章。
左肩。
新たに制定された抵抗軍章。
胸部には所属部隊。
そして個人識別情報。
「帝国章も残るんだ」
レイブンが呟く。
エミリアが頷く。
「それなら悪くないわね」
帝国軍人であることを捨てるわけではない。
その上で抵抗軍でもある。
二つを同時に示す軍服だった。
次に特殊作戦部隊用の隊服が公開された。
レイブンの目が少しだけ輝く。
「……あれ、いいな」
「絶対言うと思った」
エミリアが呆れた。
一般戦闘服よりも装備の自由度が高く、偵察、索敵、狙撃、突入といった任務に応じて装具を変更できる。
帝国軍特殊即応部隊も対象だった。
つまり。
「俺たちも着る?」
「着るでしょうね」
「今の隊服、結構好きなんだけど」
「帝国仕様を完全に捨てるわけじゃないみたいよ」
「そうなの?」
「よく見て」
エミリアが指す。
抵抗軍章。
その下に帝国軍特殊即応部隊章を取り付けられる。
反対側には帝国国籍章。
胸には個人名。
さらに特殊部隊員にはコールサイン用の識別帯が追加されていた。
レイブンは目を細める。
「コールサインも?」
「あなたの場合、目立つわね」
「嫌な予感する」
「絶対NoXって付くわよ」
「外したら駄目かな」
「駄目でしょうね」
「……父さんに見られたら笑われそう」
「むしろ喜ぶんじゃない?」
「それも嫌だな」
配布は昼過ぎから始まった。
第一即応班にも箱が届く。
レイブンは自分の箱を受け取った。
名前。
Raven S. Crow。
所属。
Imperial Special Rapid Response Unit.
そしてその下。
Resistance Forces.
レイブンは少しの間、その文字を見つめた。
「抵抗軍……」
箱を開ける。
折り畳まれた新しい隊服。
まだ誰も着ていない布特有の匂い。
手に取る。
軽い。
現在使用している帝国軍特殊部隊用戦闘服より、少しだけ柔軟性が高い。
肩を見る。
帝国軍章。
抵抗軍章。
胸部には、
R. S. CROW
そして、その下に。
NoX
「……本当に付いてる」
後ろからエミリアが覗き込む。
「よかったじゃない」
「何が?」
「有名人」
「嬉しくない」
「連邦でも知られてるんでしょう?」
「もっと嬉しくない」
「Valkyrieに見せてきたら?」
「何で?」
「似合うって言ってくれるかも」
「子供じゃないんだから」
「じゃあ見せない?」
「……別に見せてもいいけど」
「行ってらっしゃい」
「今じゃない!」
エミリアの笑い声が響いた。
その頃。
連邦側区画でも同じものが配布されていた。
エリシアは自分の新しい戦闘服を広げる。
右肩には連邦共和国章。
左肩には抵抗軍章。
胸には、
ELYSIA L. VOLHALAM
その下。
Valkyrie
「……何か変な感じ」
ダニエル・ローヴァンが隣から言う。
「何が?」
「帝国兵と同じ軍服着ることになるなんて」
エリシアも新しい隊服を見る。
「完全に同じじゃないよ」
「国籍章が違うだけだろ?」
「それが大事なんじゃない?」
「そうかな」
「私はそう思う」
エリシアは右肩の連邦共和国章へ触れた。
父。
兄。
二人とも連邦共和国のために戦った。
その記憶まで消す必要はない。
しかし左肩には抵抗軍章がある。
「連邦を捨てるんじゃない」
「じゃあ?」
「連邦軍人のまま、他の国も守るんだと思う」
自分で言ってから、少しだけ不思議な気持ちになった。
数年前。
帝国は敵だった。
父も兄も帝国との戦争へ向かった。
家族の中では、連戦連勝する連邦共和国軍を見て帝国を軽く見る言葉さえ出ていた。
それでも幼い自分だけは、何度も思った。
帝国に住んでいる普通の人たちは、かわいそうだ。
彼らまで戦争を望んでいるのだろうか。
そして今。
その帝国を守るためにも戦う軍服を、自分が着ようとしている。
「……不思議」
「何が?」
「昔の自分が見たら、驚くだろうなって」
ダニエルはそれ以上聞かなかった。
夕方。
第一即応班は新しい抵抗軍隊服で整列していた。
レイブンは首元を少し動かす。
「何か違和感ある」
「新品だからよ」
エミリアが答える。
「首が」
「サイズ合ってない?」
「いや、合ってる」
「じゃあ慣れなさい」
「はい」
グレイヴが前へ出る。
彼自身も新しい隊服を着ていた。
「全員、聞け」
第一即応班が姿勢を正す。
「今日から我々は帝国軍特殊即応部隊であると同時に、抵抗軍特殊作戦戦力として扱われる」
レイブンはグレイヴを見る。
「帝国軍人であることを忘れる必要はない。むしろ忘れるな。自分がどこから来たのか、自分が何を背負っているのか、それを捨てた兵士に守れるものは少ない」
グレイヴは自分の左肩を示した。
抵抗軍章。
「だが、これを付けている間は覚えておけ」
今度は周囲を見る。
連邦兵。
他国兵。
異なる国籍章を付けた兵士たち。
「右肩が違っていても、左肩が同じなら味方だ」
レイブンは自分の左肩を見る。
抵抗軍章。
単純な印だった。
だが意味は重い。
「了解!」
隊員たちが答えた。
その後。
レイブンは補給所へ向かう途中でエリシアと出会った。
二人とも足を止める。
「……」
「……」
先に笑ったのはエリシアだった。
「似合ってる」
「そっちも」
昨日までは違う軍服だった。
帝国軍。
連邦共和国軍。
一目見れば敵国の兵士だったことが分かった。
今は基本となる隊服が同じだった。
違うのは右肩。
レイブンには帝国章。
エリシアには連邦共和国章。
そして左肩。
二人とも同じ抵抗軍章を付けている。
「NoX」
エリシアが胸元を見る。
「やっぱり付いてる」
「笑うなよ」
「笑ってない」
「顔が笑ってる」
「だって本当にNoXって書いてある」
「そっちもValkyrieって書いてあるじゃん」
「私は気に入ってるから」
「俺だって嫌いじゃないけど」
「じゃあいいでしょう」
「そうだけど……」
エリシアがレイブンの左肩を見る。
「同じになったね」
レイブンも彼女の左肩を見る。
「軍服?」
「それも」
「それ以外?」
「味方だって、見ただけで分かる」
レイブンは少し黙った。
昨日までなら、エリシアの連邦軍服を見るたびに、自分の中のどこかで過去の戦争を思い出していた。
町へ迫った連邦共和国軍。
避難。
父の戦闘。
失われた日常。
エリシアにも同じものがあるのだろう。
帝国との戦争へ向かった父と兄。
そして失われた家族。
同じ軍服になったからといって、それが消えるわけではない。
消してはいけない。
それでも。
「右肩は違うけどね」
レイブンが言う。
「うん」
エリシアは自分の連邦共和国章へ触れる。
「違ってていいと思う」
「俺も」
「でも」
彼女は左肩を軽く叩いた。
「こっちは同じ」
レイブンも抵抗軍章へ触れた。
「じゃあ、今までより分かりやすいな」
「何が?」
「背中を預ける相手」
エリシアが少し笑う。
「それ、軍服で決めるの?」
「エリシアの場合は違う」
「じゃあ何で?」
「もう預けてるから」
言ってから。
レイブンは固まった。
エリシアも一瞬黙った。
「あ……」
「……」
「軍人的な意味で」
「またそれ言うんだ」
「大事だから!」
「分かってるって」
エリシアが笑い出す。
レイブンは少し顔を逸らした。
「行く」
「どこに?」
「補給所」
「私も行く」
「じゃあ一緒に行けば?」
「最初からそのつもり」
二人は並んで歩き始めた。
夜。
抵抗軍司令部には新しい報告が届いていた。
ベルガント回廊だけではない。
世界各地で異界軍による通信施設への攻撃が確認され始めている。
さらに複数の戦域で、人類側の言語を模倣した偽通信が観測されていた。
第一次異界大戦は、確実に姿を変えていた。
力と力をぶつけるだけの戦争ではなくなりつつある。
情報。
通信。
補給。
技術。
敵は人類が戦争を続けるために必要なものを、一つずつ理解し始めていた。
だから人類側も変わらなければならない。
帝国だけではない。
連邦共和国だけでもない。
昨日まで敵だった国々が、それぞれの旗を捨てるのではなく、その旗を背負ったまま一つの戦線へ集まる。
右肩には、それぞれの祖国。
左肩には、共通の抵抗軍章。
レイブン・S・クロウも、その一人だった。
帝国軍特殊即応部隊所属。
抵抗軍特殊作戦戦力。
コールサイン――〔無名〕。
NoX。
そして、その少し前を歩く白い髪の女性兵士の左肩にも、同じ章がある。
エリシア・L・ヴォルハラム。
連邦共和国軍所属。
抵抗軍。
コールサイン――〔戦乙女〕。
Valkyrie。
二人の右肩にあるものは違う。
生まれた国も違う。
育った環境も違う。
戦争によって失ったものも違う。
それでも左肩には、同じものが縫い付けられていた。
第一次異界大戦に抗う者であることを示す、抵抗軍の徽章。
それは帝国と連邦共和国の過去を消すための印ではない。
違う過去を持ったまま、それでも同じ未来へ帰るための印だった。
そしてこの新しい軍服が戦場に広がっていくにつれ、《抵抗軍》という名前もまた、単なる共同戦線の呼称ではなくなっていく。
異界軍に追われる避難民にとっては、見つければ助けを求められる軍服となり。
孤立した兵士にとっては、右肩の国籍章を確認するより先に安堵できる徽章となり。
やがて第一次異界大戦を生きる人々にとって、その姿そのものが一つの意味を持つようになる。
――あの軍服が来たなら、まだ帰れる。
その言葉が世界中へ広がり始めるまで、そう長い時間は必要なかった。




