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黒猫年代記  作者: @12
第二部 ~Ⅰ~ FENRIR ― 時代に取り残された黒猫 ― Season 4 #038~Season 4 #066
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Season 4「NoX」 #051

第51話「背中を預ける者」


 ベルガント回廊で発見された七人の生存者を乗せた装甲救急車が動き出したのは、戦闘が終わってから二十分ほど後だった。


 負傷者の状態を考慮して車列の速度は抑えられており、その前後を帝国軍と連邦共和国軍の車両が挟むようにして護衛している。


 ほんの数年前まで互いに銃口を向け合っていた二つの国の軍用車両が、今では同じ負傷者を守りながら走っている。


 レイブン・S・クロウは最後尾の車両が木々の向こうへ消えるまで、その場から動かなかった。


「七人全員、後送完了」


 隣へ来たエミリア・ヴァイスが端末を確認しながら言った。


「うん」


「聞いてる?」


「聞いてるよ」


「だったら、もう少し安心した顔したら?」


 レイブンはようやく彼女を見る。


「全員帰せたんだから、安心してるよ」


「その顔で?」


「そんな顔してる?」


「してる」


 エミリアはそう言ってから、周囲を見た。


 レイブンもつられるように視線を戻す。


 森には少しずつ静けさが戻り始めていたが、それは安全を意味する静寂ではない。


 木の幹には魔力弾が抉った痕が残り、地面には帝国軍と連邦軍、そして異界軍が戦闘中に残した薬莢や装備品が散乱している。


 焦げた木と土の匂いも残っていた。


 戦闘は終わった。


 だが、戦場そのものが消えたわけではない。


 レイブンはSG-44の弾倉を抜き、残弾を確認してから新しい弾倉へ交換した。


 弾倉を固定し、薬室を確認する。


 安全装置。


 照準器。


 スリング。


 一通り確かめてから、ようやくSG-44を胸元へ戻した。


「またやってる」


 聞き覚えのある声がした。


 振り向く。


 エリシア・L・ヴォルハラムがこちらへ歩いてくる。


「何を?」


「銃の確認」


「必要だからね」


「さっきもやってなかった?」


「やった」


「その前も?」


「たぶん」


「壊れてるの?」


「俺の記憶力が?」


「銃が」


「そっちか」


 エリシアが思わず笑う。


 レイブンも少し遅れて笑った。


「父さんに散々言われたんだよ。暇があるなら装備を確認しろって」


「お父さんも軍人だったね」


「元軍人。今でも軍に顔を出してるから、本当に元なのか怪しいけど」


「T-51にも関わってる?」


「かなり」


「じゃあ昨日、あれを持って帰ろうとしてた理由も分かった」


「置いて帰ったら、俺が大型兵器より先に父さんに破壊される」


「そんなに?」


「たぶん」


「怖いお父さん」


「怖いよ」


 エリシアは少し考えてから尋ねた。


「でも、好きなんでしょう?」


 レイブンの手が止まった。


 父。


 ヴォルター・クロウ。


 幼い頃には大きな背中だった。


 軍服を着て家を出ていく父を見送り、異界門の向こうへ消えた父を待ち続け、右腕を失って帰ってきた姿を見た。


 戦争が町まで迫った時には、その失った右腕を魔力で再構築して再び銃を持った。


 そして今では、自分が使う銃の開発にまで関わっている。


「……尊敬してる」


 レイブンは答えた。


「昔から?」


「昔はただ怖かった」


「今は?」


「怖いし、尊敬してる」


「結局怖いんだ」


「そこは変わらない」


 エリシアの笑い声が森に小さく響いた。


「NoX、Valkyrie」


 グレイヴの声が飛んできた。


 二人は同時に振り返る。


「来い」


「はい」


「了解」


 森の外れには簡易戦術卓が設置され、帝国軍と連邦共和国軍の士官たちが集まっていた。


 卓上へ投影された地図にはベルガント回廊だけではなく、その周囲数百キロにわたる戦況まで表示されている。


 帝国。


 連邦共和国。


 そして、かつて二国の対立とはほとんど無関係だった周辺諸国。


 そこにも異界軍を示す赤い印が増えていた。


 レイブンは地図を見るなり、眉を寄せる。


「……増えてる」


「ああ」


 グレイヴが答えた。


「昨日までの報告を統合した結果だ」


 レイブンは地図へ近づく。


「帝国と連邦だけじゃない」


「もうとっくに二国間だけの問題じゃない」


 連邦共和国軍のマルクス・レイナー少佐が答えた。


 地図の南。


 異界門。


 西部にもある。


 北部にもある。


 海を隔てた別の大陸にも確認されている。


 そして、そのほぼすべてで異界軍との戦闘が発生していた。


「世界中で……」


 エリシアが呟く。


「ああ」


 マルクス少佐は頷いた。


「帝国と連邦共和国が共同戦線を組んだ理由もそれだ。我々だけで対処できる規模を超えている」


 レイブンは黙って地図を見つめた。


 以前なら、戦争と言えば帝国と連邦共和国だった。


 父たちが戦った戦争もそうだった。


 国境を巡り、互いの軍隊が進み、町が戦場になった。


 だが今は違う。


 国境そのものに意味がなくなり始めている。


 敵は国境を越えてくるのではない。


 世界中に開いた異界門から現れる。


「だから呼び方も変わった」


 グレイヴが言った。


「呼び方?」


「昨日、共同戦線最高司令部と各国政府の間で統一された」


 グレイヴは地図を見た。


「これまで各国で異界侵攻、門戦争、異界戦争など複数の名称が使われていたが、今回の戦争は世界規模へ拡大した」


 一度言葉を切る。


「正式戦争名称は――第一次異界大戦」


 レイブンはその言葉を心の中で繰り返した。


 第一次。


 その響きだけが妙に引っ掛かった。


「第一次って……」


「どうした?」


「二回目がありそうで嫌な名前ですね」


 誰も笑わなかった。


 グレイヴも否定しなかった。


「二度目を起こさないためにも、生き残るしかない」


「……はい」


 第一次異界大戦。


 後の歴史書では、世界各地に出現した異界門を起点として始まり、それまで敵対していた国家すら共同戦線へ追いやった史上初の世界規模対異界戦争として記録されることになる。


 だが、この時代を生きるレイブンたちにとって、それは歴史ではない。


 今日の出来事だった。


 グレイヴが地図を拡大する。


「そして第一次異界大戦の戦況そのものが悪化している中で、さらに厄介な問題が出た」


 三日前。


 燃料輸送隊。


 二日前。


 弾薬輸送隊。


 昨日。


 通信機材輸送隊。


 そして今日。


 食料と医薬品を運搬していた輸送隊。


「全部、異界軍に襲われた」


 エリシアが言う。


「ああ」


「偶然じゃない?」


「その可能性を調べている」


 レイブンは地図を見続ける。


 襲撃地点。


 時刻。


 輸送物資。


 護衛部隊。


 それぞれ条件が違う。


 だが、共通点が一つある。


「重要物資ばかりだ」


 レイブンが言った。


 マルクス少佐が彼を見る。


「続けろ」


「燃料、弾薬、通信機材、食料、医薬品。どれも前線を維持するのに必要なものです」


「そうだ」


「輸送隊を無差別に襲ってるなら、もっと関係ない物資も狙われるはずじゃないですか?」


 エリシアも気づいた。


「選んで襲ってる?」


「我々もそう考え始めている」


 グレイヴが答える。


「問題は、どうやって輸送内容を知ったかだ」


「偵察?」


「可能性はある」


「でも外から積荷まで分かる?」


「難しい」


 マルクス少佐が腕を組む。


「輸送車両の外観を統一した部隊まで正確に襲撃されている」


 レイブンは黙った。


 そして、考えたくなかった答えが浮かぶ。


「……情報が漏れてる?」


 エリシアも同じ結論へ辿り着いたらしい。


「人間側から?」


 グレイヴはすぐには答えなかった。


「断定はできない」


 それだけだった。


「だから調べる」


「俺たちが?」


「そうだ」


 地図の北側が拡大される。


「今日襲撃された輸送隊には、軍用通信機材が一台積まれていた」


 レイブンが眉を寄せる。


「医薬品と食料じゃ?」


「公表されている積荷はな」


「機密物資?」


「最新型広域通信中継器だ」


「回収は?」


「されていない」


 周囲の空気が変わる。


 エミリアが尋ねた。


「輸送車両にもなかった?」


「ない」


「破壊された形跡は?」


「それも確認できない」


 レイブンは森を見る。


「持っていかれた……」


「可能性が高い」


 グレイヴが頷いた。


「任務を変更する。生存者捜索から、奪取された通信中継器の追跡および回収へ移行する」


「敵位置は?」


「不明」


「痕跡から追うしかない?」


「そうなる」


 エリシアがマルクス少佐を見る。


「連邦部隊も同行しますか?」


「同行する。ただし全員ではない」


 マルクス少佐とグレイヴが視線を交わす。


 レイブンは嫌な予感がした。


「NoX」


「はい」


「Valkyrie」


「はい」


「二人で先行しろ」


 二人は顔を見合わせた。


「二人?」


 レイブンが聞き返す。


「大人数で動けば発見される可能性が上がる。まず二人で敵の痕跡を追え」


「昨日会ったばかりなんですけど」


「昨日から今日までで二度共同戦闘を経験している」


「そうですけど……」


 エリシアが肩をすくめた。


「私は構いません」


「早いな」


「NoXは嫌?」


「嫌とは言ってない」


「じゃあ決まり」


「俺の意見は?」


「今聞いた」


「……はい」


 グレイヴが二人を見ながらため息をつく。


「遊びに行かせるわけじゃないぞ」


 二人の表情がすぐに引き締まった。


「敵部隊との接触は可能な限り避けろ。通信中継器を発見しても敵戦力が多ければ位置だけ報告する」


「了解」


「了解しました」


「特にNoX」


「何で俺だけ」


「昨日のことをもう忘れたのか?」


「……覚えてます」


「ならいい」


 三十分後。


 二人は森のさらに奥へ入っていた。


 レイブンが先頭を歩き、その数メートル後ろをエリシアが進んでいる。


 まだ〔透明(ゴースト)〕は使用していない。


 敵位置が不明な状態で長時間使い続けるより、必要な場面まで温存する。


「止まって」


 レイブンが片手を上げた。


 エリシアも足を止める。


「何か見つけた?」


「……」


 レイブンは足元を見る。


「石踏んだ」


「……」


「痛い」


「真面目にやって」


「真面目だよ」


「足跡でも見つけたのかと思った」


「俺、追跡専門じゃないから」


 エリシアが呆れたように息を吐く。


 その瞬間だった。


 〔殺気看破(アタック・シールド)〕。


 身体の奥へ微かな違和感が走る。


 レイブンの表情が変わった。


 それを見ただけでエリシアも銃へ手を添えた。


「いる?」


 小声だった。


 レイブンが頷く。


「右前方」


「距離は?」


「分からない」


「数は?」


「それも分からない」


「便利だけど万能じゃないんだね」


「だから言っただろ」


 二人は木の陰へ入る。


 レイブンが僅かに顔を出した。


 見えない。


 それでも殺気は消えない。


「ゴーストを使う」


「私は?」


「ここで待ってて」


「一人で行くの?」


「見るだけ」


「昨日も似たようなこと聞いた気がする」


「今日は本当に見るだけ」


 エリシアは少し考えた。


「三分」


「五分」


「三分」


「四分」


「三分半」


「細かいな」


「決まり」


 レイブンは息を整えた。


「〔透明(ゴースト)〕」


 輪郭が消える。


 姿が見えなくなる。


 足音も消える。


 体臭も装備から生じる匂いも周囲から認識できなくなる。


「行ってくる」


「三分半だからね」


「分かってる」


 声が遠ざかった。


 レイブンは森を慎重に進んだ。


 ゴーストによって自分自身を視覚、聴覚、嗅覚から隠すことはできる。


 しかし世界そのものへ干渉できるわけではない。


 枝へ触れれば枝は揺れる。


 泥を踏めば足跡は残る。


 草を押し退ければ形が変わる。


 だから姿が見えないことに頼り切らず、一歩ずつ進む。


 百メートルほど進んだところで人影を見つけた。


 異界兵。


 三人。


 さらに奥にもいる。


 レイブンは戦わない。


 木々を使って迂回する。


 そこで人工物が見えた。


「……あった」


 広域通信中継器。


 外装には損傷がある。


 しかし原形は残っている。


 異界兵がその周囲に集まっていた。


 レイブンは観察する。


 壊しているわけではない。


 部品を調べている。


 操作部を見る。


 内部構造を見る。


 そして一体の異界兵が、人間側の携帯通信端末を持っていた。


「……何してる?」


 画面を見ている。


 ただ触っているようには見えない。


 操作している。


 理解しようとしている。


 レイブンの背中に嫌な汗が流れた。


「まさか……」


 記録装置を作動させる。


 映像を残す。


 戦う必要はない。


 情報を持ち帰る方が重要だ。


 レイブンは静かに後退した。


 三分十一秒。


「戻った」


「うわっ!」


 エリシアが肩を跳ねさせる。


「だから突然喋らないで!」


「ごめん」


 ゴースト解除。


 何もなかった場所にレイブンが現れる。


「三分半以内」


「そこだけは偉い」


「褒められた」


「状況は?」


 冗談が消える。


「中継器を確認した」


「敵は?」


「見える範囲で七。もっといると思う」


「回収できる?」


「今の二人じゃ厳しい」


「じゃあ位置を報告する」


「待って」


 エリシアが見る。


「何?」


「奴ら、中継器を壊してない」


「じゃあ何してるの?」


「調べてる」


「何のために?」


「分からない」


 レイブンは一度息を吐いた。


「人間側の通信端末を操作してる奴もいた」


 エリシアの表情が消えた。


「操作?」


「画面を見ながら触ってた。偶然とは思えない」


「つまり……」


「俺たちの技術を理解しようとしてる」


 エリシアは無線へ手を伸ばす。


「報告しよう」


「うん」


 その瞬間。


 〔殺気看破(アタック・シールド)〕。


 先ほどとは比較にならないほど強い感覚。


「伏せろ!」


 レイブンはエリシアの肩を掴んだ。


 二人が地面へ倒れ込む。


 直後、魔力弾が頭上を通過し、背後の木を貫いた。


「見つかった!?」


「たぶん!」


「どうやって!」


「分からない!」


 二発目。


 地面が弾ける。


 二人は左右へ分かれる。


 レイブンがSG-44を構えた。


「正面三!」


 エリシアが木の陰から射撃する。


 一体が後退。


 さらに奥。


 大柄な異界兵。


 重装甲。


 魔力障壁。


 レイブンはSG-44から手を離し、背中へ回した。


「まさか」


「いる」


 T-51《REAPER》を前へ回す。


「何で少し嬉しそうなの!」


「使う理由ができた!」


「本当に銃好きね!」


「父さんの影響!」


 二脚(バイポッド)を展開。


 地面へ固定。


 頬を銃床へ当てる。


「〔兵装接続(アームズ・リンク)〕」


 T-51を認識。


 装填弾を認識。


 照準器の中へ大柄な異界兵を捉える。


 敵も魔導火器を向ける。


 殺気。


「ヴァルキリー、右!」


 エリシアが即座に動く。


 レイブンも射線から身体をずらす。


 魔力弾が着弾。


 爆発。


 土煙が舞う。


 レイブンは照準を戻した。


 呼吸を止める。


 引き金。


 轟音。


 IBRSが作動する。


 銃身と周辺可動ユニットが射手側へ後退し、強烈な反動を受け止める。それでも肩へ届く衝撃は大きく、レイブンの上体が僅かに押された。


 大型弾が魔力障壁へ命中する。


 青白い光が激しく揺れた。


「効いてる!」


「まだ!」


 機関部が作動。


 排莢。


 次弾装填。


 再照準。


 発射。


 二発目。


 障壁が砕けた。


「ヴァルキリー!」


「分かってる!」


 エリシアが走る。


 レイブンが開いた防御の穴へ連邦制式小銃の射撃を集中させる。


 大柄な異界兵が後退する。


「もう一発!」


 T-51。


 照準。


 発射。


 大型弾が装甲を貫通した。


 巨体が倒れる。


「よし!」


「喜んでる場合じゃない!」


「何!?」


「増えてる!」


 森の奥から複数の影が現れる。


「……本当だ」


「どうする?」


 レイブンは一瞬だけ考えた。


 戦えばいい。


 少し前の自分なら、そう判断していたかもしれない。


 だが任務は敵を倒すことではない。


 中継器の位置を確認した。


 異界軍が人間の通信機材を解析している可能性も確認した。


 その情報を持ち帰らなければならない。


「撤退」


 エリシアが少し驚いた。


「戦わないの?」


「戦わない」


「昨日なら?」


「たぶん戦ってた」


「成長した?」


「昨日めちゃくちゃ怒られたから」


「理由が情けない!」


「生きて帰ればいいんだよ!」


「それは正しい!」


 二人は走り出した。


 異界兵が追ってくる。


 レイブンはT-51を背負い、SG-44へ持ち替える。


 敵との距離が縮まる。


 発射。


 敵を倒すことだけが目的ではない。


 追撃経路を狭める。


「右!」


 レイブンが叫ぶ。


 エリシアが右へ射撃する。


「左!」


 今度はエリシア。


 レイブンが左へSG-44を向ける。


 発射。


「弾倉交換!」


「任せて!」


 レイブンが前へ出る。


 SG-44。


 発射。


 次弾。


 発射。


 その数秒でエリシアが弾倉を抜く。


 新しい弾倉。


 挿入。


 初弾装填。


「復帰!」


「下がる!」


 今度はエリシアが前へ出る。


 射撃。


 レイブンが後退する。


「こっちも交換!」


「任せて!」


 役割が逆になる。


 エリシアが撃つ間にレイブンがSG-44の弾倉を交換する。


 固定。


 薬室確認。


「復帰!」


「走って!」


 二人は同時に駆ける。


 言葉は少ない。


 それでも互いが何をしようとしているのか分かり始めていた。


 レイブンが撃てない時間をエリシアが埋める。


 エリシアが撃てない時間をレイブンが埋める。


 互いの死角を補う。


 それだけで生存率が変わる。


 前方から銃声が響いた。


「伏せろ!」


 グレイヴ。


 二人が地面へ飛び込む。


 第一即応班の射撃が頭上を通過した。


 追撃していた異界兵が散開する。


「アトラス!」


「遅い!」


「こっちの台詞です!」


 エミリア。


 ユリウス。


 さらに後方から連邦軍増援部隊も現れる。


 異界軍は追撃を断念し、森の奥へ消えていった。


 レイブンとエリシアが持ち帰った映像は、その日のうちに共同戦線司令部へ送られた。


 異界軍が人間の通信機材を調査している。


 それだけなら、まだ未知の道具へ興味を示しているだけとも考えられた。


 しかし。


 夜。


 共同前線基地。


 レイブンは簡易整備台でSG-44を分解していた。


 今日もかなり撃った。


 機関部を清掃する。


 T-51は隣。


 P-38A《ADLER》はすでに整備を終えている。


「まだやってる」


 声。


「エリシア」


「隣いい?」


「どうぞ」


 彼女が座る。


 しばらく銃を整備する音だけが続いた。


「今日」


 エリシアが口を開く。


「うん?」


「私が弾倉を交換してる時、前へ出てくれたでしょう」


「うん」


「怖くなかった?」


「怖かったよ」


「やっぱり普通に言うんだ」


「怖いものは怖いからね」


「でも前へ出た」


「エリシアが撃てない時間だったから」


 レイブンは機関部を確認する。


「逆ならエリシアもやっただろ?」


「……たぶん」


「じゃあ同じ」


 エリシアは少し考える。


「背中を預けるって、ああいうことなのかな」


 レイブンの手が止まった。


「まだ会って二日だけど」


「その二日で大型兵器を倒して、七人助けて、今日は敵から一緒に逃げた」


「濃すぎる二日だな」


「普通なら何か月分だろうね」


「俺、普通の友達ってあんまり詳しくない」


「私も」


 二人が笑う。


 レイブンは再び整備を始める。


「でも」


 エリシアが続ける。


「今日、右を任せてって言われた時、何も考えずに動けた」


「俺も」


「それって結構すごいこと?」


 レイブンは少し考えた。


 訓練兵だった頃を思い出す。


 山岳。


 砂漠。


 旧市街。


 ミレイヤと二人で動いた日々。


 仲間が弾倉を交換している数秒。


 自分が前へ出る。


 自分が撃てない数秒。


 相手に任せる。


 戦場では、信頼という言葉よりも分かりやすかった。


「たぶん」


 レイブンは答える。


「俺、エリシアなら背中を預けても大丈夫だと思ってる」


 言ってから少し恥ずかしくなる。


「あ……軍人的な意味で」


「分かってる」


「ならいいけど」


 エリシアが微笑む。


「私も」


「え?」


「レイブンになら背中を預けられる」


「……ありがとう」


「急に固くなった」


「こういうの慣れてないんだよ」


「戦闘以外だと本当に不器用だね」


「放っといて」


 その時だった。


 基地全体に警報が響いた。


 二人の表情が同時に変わる。


 レイブンはSG-44へ手を伸ばしかける。


「待って、まだ分解したまま!」


「そうだった!」


「P-38A!」


「ある!」


 レイブンはP-38A《ADLER》を掴む。


 弾倉。


 装填。


 エリシアも立ち上がった。


『全部隊、警戒態勢!』


 グレイヴの声。


『ベルガント回廊西部監視所との通信が途絶した!』


 二人が顔を見合わせる。


『繰り返す! 西部監視所との通信が途絶!』


 別の通信が割り込む。


『東部中継所、応答ありません!』


 さらに。


『第三観測所も沈黙!』


「三か所同時?」


 レイブンが呟く。


「偶然じゃない」


 エリシアもすぐに答えた。


『共同戦線通信網に異常を確認! 複数部隊で正規命令ではない指令文を受信している!』


「……まさか」


 レイブンの脳裏に、昼間の異界兵が浮かぶ。


 人間側の通信端末。


 奪われた中継器。


 操作する手。


「もう使ったのか?」


 エリシアも気づく。


「私たちの通信機材を……」


 基地内を兵士たちが走り始める。


 帝国兵。


 連邦兵。


 整備兵。


 通信兵。


 レイブンは急いでSG-44を組み上げる。


「手伝う」


「部品分かる?」


「見れば何となく」


「これ押さえて」


「これ?」


「そう」


 エリシアが機関部を固定する。


 レイブンが部品を戻す。


「次」


「これ?」


「それ最後!」


「知らないって言ったでしょう!」


「ごめん!」


 二人で組み上げる。


 作動確認。


 弾倉装填。


 SG-44が戦闘状態へ戻る。


「できた!」


「行こう!」


 二人が走り出した。


 その瞬間。


 基地の照明が一斉に消えた。


 暗闇。


 兵士たちの動きが一瞬止まる。


「停電!?」


 誰かが叫んだ。


 直後。


 非常灯が点灯する。


 薄暗い赤色の光が基地内部を照らした。


 レイブンはSG-44を構える。


 エリシアも自然に背中合わせになった。


 相談などしていない。


 互いに反対方向を警戒する。


「レイブン」


「うん」


「後ろ、任せる」


「任された」


 レイブンも前を見る。


「俺の後ろも」


「任せて」


 無線から激しい雑音。


 その中へ。


 異質な声が混じった。


『――帝国軍全部隊へ』


 レイブンの眉が動く。


 帝国語。


 しかし発音がおかしい。


『――即時、ベルガント回廊より撤退せよ』


「……違う」


『――これは共同戦線司令部の命令である』


 エリシアが息を呑む。


「偽命令」


 今度は連邦側の周波数。


『――連邦共和国軍全部隊、帝国軍との共同作戦を中止せよ』


「そんな命令、出てない」


「分かってる」


 レイブンは周囲を見た。


 赤い非常灯。


 途絶する通信。


 偽命令。


 そして人間の言葉を使い始めた敵。


 これまでとは違う。


 異界軍はただ攻撃しているのではない。


 観察している。


 学習している。


 そして人類が持つ技術そのものを、自分たちの戦争へ利用し始めている。


「Valkyrie」


「何?」


「昼間の奴ら」


「うん」


「俺たちの通信端末を見てたんじゃない」


 SG-44を握る手に力が入る。


「使い方を覚えてたんだ」


 その瞬間。


 基地西側で爆発が起きた。


 地面が揺れる。


 続いて銃声。


『敵襲!』


『西側防衛線、異界軍と接触!』


 レイブンとエリシアは同時に走り出した。


「NoX!」


「Valkyrie!」


 互いをコールサインで呼ぶ。


 ここから先は戦闘だった。


 レイブンは走りながらSG-44の安全装置を解除する。


 エリシアも主武装を構えた。


 西側防衛線。


 爆発。


 銃声。


 夜空を照らす魔力光。


 二人はそこへ向かって走り続ける。


 昼間に交わした言葉を、もう一度確認する必要はなかった。


 背中を預ける。


 ただそれだけで十分だった。


 そしてこの夜を境として、第一次異界大戦は新たな段階へ突入する。


 世界各国へ同時侵攻するだけだった異界軍は、人類の兵器を観察し、通信を学び、言語を模倣し、ついには情報そのものを武器として利用し始めた。


 一方、それまで帝国と連邦共和国という二大国の都合を中心として動いていた世界も変わらざるを得なくなる。


 昨日まで敵だった国家。


 国境を争った軍隊。


 互いの家族を奪ったかもしれない兵士。


 そのすべてが、生き残るために同じ戦線へ立つ。


 後世、この戦争が第一次異界大戦と呼ばれる理由は、戦場が世界全土へ広がったからだけではない。


 人類が初めて国家同士の戦争を一時的に止め、世界そのものを守るために異界という共通の敵へ立ち向かった戦争だったからだ。


 そして、その歴史の片隅。


 帝国軍特殊即応部隊の〔無名(ノックス)〕――NoX。


 連邦共和国軍の〔戦乙女(ヴァルキリー)〕――Valkyrie。


 後に長い人生を共にする二人は、この時まだ互いを戦友と呼ぶことさえ少し早かった。


 それでも。


 レイブン・S・クロウはエリシア・L・ヴォルハラムに背中を預けることができた。


 エリシアもまた、レイブンなら自分の死角を守ってくれると信じ始めていた。


 それは恋よりも先に生まれたものだった。


 戦場でしか作れない、不器用な信頼だった。


 第一次異界大戦の長い夜は、まだ始まったばかりだった。

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