Season 4「NoX」 #047
第47話「見えない守護者」
巨大兵器まで、残り八百メートル。
レイブン・S・クロウは走っていた。
〔透明〕によって姿も足音も匂いも消えているとはいえ、彼自身がこの世界から消失したわけではない。踏み込めば土は沈み、草を踏めば葉は折れ、泥へ足を入れれば足跡が残る。
だから最短距離では進まなかった。
大型異界軍兵器が通過した後には、踏み砕かれた木々や抉れた大地、砲撃によって生じた穴がいくつも残っている。レイブンはそこを選び、自分の痕跡が戦場そのものへ紛れるように進んでいた。
『NoX、聞こえるか』
耳元でユリウスの声がした。
レイブンは速度を落とさない。
「聞こえてる」
『こちらからお前は見えない。現在位置を送れ』
「送る」
胸元の端末へ触れる。
第一即応班の戦術共有網に座標が表示された。
『確認。敵本体まで七百六十』
「思ったより近いな」
『お前が近づいてるんだ』
「そうだった」
『冗談を言えるなら余裕はあるな』
「少しだけ」
レイブンはそう答えながら、視線だけを巨大兵器へ向けた。
遠くから見た時とはまるで違う。
四十メートルを超える巨体は、一つの兵器というより移動する建造物に近かった。
複数の脚部。
分厚い装甲。
その外側を覆う魔力障壁。
胴体上部には砲撃用と思われる大型構造物があり、さらにその下には小型の砲塔らしきものまで配置されている。
何より異様だったのは、音だった。
脚が動くたびに金属とも岩とも違う低い軋みが響き、その直後に大地が沈む。
あれに踏まれれば、人間など形も残らない。
レイブンは無意識に歩幅を小さくした。
怖い。
そう感じている自分を否定しなかった。
怖いから見る。
怖いから考える。
怖いから帰る方法を先に探す。
父から何度も叩き込まれた考え方だった。
『NoX』
今度はグレイヴの声だった。
『五百メートルを切ったら一度止まれ』
「了解」
『新型弾を撃つ前に観測を優先しろ。使って効きませんでした、では話にならん』
「分かってます」
『帰還経路も確保しろ』
「それも」
レイブンは一度だけ後ろを見た。
自分が走ってきた方向。
崩れた農業施設。
砲撃跡。
小さな林。
そのさらに向こうに第一即応班がいる。
帰れる。
今なら。
だから、もう少し進める。
レイブンは再び前を向いた。
四百九十メートル。
そこで止まった。
大型兵器の脚が目の前で持ち上がる。
巨大な影が地面を横切った。
レイブンは思わず見上げる。
「……冗談だろ」
脚だけで建物ほどある。
次の瞬間、それが地面へ降りた。
大地が揺れる。
膝を僅かに曲げ、重心を落として耐える。
舞い上がった土が身体へ当たる。
ゴーストによって姿は見えなくても、土埃まで消えてくれるわけではない。
レイブンはすぐに移動した。
「アトラス、四百九十まで接近」
『状況』
「障壁を肉眼確認。遠距離で見た時より薄く見える」
『薄い?』
「たぶん距離の問題じゃない。一定じゃないんだ」
レイブンはSG-44を構えないまま、巨大兵器の表面を観察した。
青白い光は全身を均一に覆っているわけではなかった。
脚部が動く。
その瞬間、関節周辺の光が強くなる。
脚が接地する。
今度は胴体下部へ光が移る。
「魔力を必要な場所へ回してる」
『根拠は?』
「脚を動かす瞬間、関節付近の障壁が強くなる。接地したら弱くなる」
ユリウスが通信へ入った。
『こちらの観測結果とも一致する。左前脚は十二秒周期じゃない。動作に合わせて周期が変わってる』
「じゃあ、さっき俺が撃った時は――」
『たまたま防御が薄くなる直前を叩いていた可能性がある』
レイブンは息を吐いた。
「なるほど」
八発。
ただ連続で撃ち込めばいいわけではない。
撃つ瞬間を間違えれば、新型弾を無駄にする。
「フォージ」
『聞いてる』
「新型弾、まだ撃たない」
『賛成』
「もっと近づく」
一瞬、無線が静かになった。
やがてグレイヴが言った。
『三百までだ』
「了解」
『それ以上は許可しない』
「三百で十分」
レイブンは再び動き始めた。
二百八十メートル。
ここまで近づくと、別のものが見えてきた。
護衛兵だった。
大型兵器の足元を歩く異界兵たち。
歩兵だけではない。
四足で移動する魔導生物らしきものまでいる。
レイブンは崩れた岩壁の裏へ身体を寄せた。
「護衛を確認。歩兵……十四。四足型が三」
『お前を認識しているか』
「今のところは――」
四足型の一体が止まった。
レイブンも止まる。
獣のような頭部が持ち上がる。
左右を見る。
鼻先が動いた。
匂いを探している。
だが〔透明〕によって匂いも消えている。
四足型はしばらく周囲を探した後、再び歩き出した。
「……認識されてない」
『心臓止まったか?』
エミリアだった。
「半分くらい」
『半分なら動けるわね』
「酷いな」
小さく笑った、その時だった。
〔殺気看破〕。
身体の奥を針で刺されたような感覚が走る。
レイブンの表情が変わった。
「待て」
『どうした』
「何かいる」
護衛兵ではない。
目の前の敵から向けられている殺気ではなかった。
もっと上。
レイブンは巨大兵器を見る。
胴体下部。
そこに小さな球状構造物が並んでいる。
一つが動いた。
こちらを向く。
「まずい」
レイブンは走った。
直後、先ほどまでいた場所へ光線が突き刺さった。
爆発。
土が吹き飛ぶ。
「ゴーストを見てる!?」
『NoX!』
「無事!」
走る。
もう一発。
レイブンは左へ飛ぶ。
着弾。
爆風。
「姿じゃない!」
『何だ!』
「地面だ!」
自分が走る。
土が沈む。
草が動く。
大型兵器はNoXそのものを認識しているのではない。
周囲の変化を見ている。
「ゴーストを破られたわけじゃない! 俺が動かしたものを撃ってる!」
『なら止まれ!』
グレイヴの声。
レイブンは砲撃跡へ飛び込んだ。
伏せる。
完全に動きを止める。
球状構造物が左右へ動いた。
探している。
レイブンは呼吸すら小さくした。
一秒。
二秒。
三秒。
砲口が別方向へ向いた。
「……見失った」
『やはり周辺変化を検知してるな』
「面倒な奴だ」
『帰るか?』
グレイヴの問い。
レイブンは巨大兵器を見た。
今なら撤退できる。
だが、分かったこともある。
止まれば見失う。
動けば捕捉される。
ならば。
「もう少しだけやります」
『理由』
「撃つ場所が見えた」
巨大兵器が左前脚を持ち上げる。
その瞬間。
関節部分の魔力障壁が強くなる。
逆に。
胴体下部。
先ほどまで強く光っていた一部分が薄くなる。
「障壁を全身同時に最大出力にはできない」
『続けろ』
「脚を守る時、胴体下部が薄くなる。たぶん魔力供給に限界がある」
エミリアが息を呑んだ。
『だったら新型弾を――』
「そこへ入れる」
レイブンはSG-44をゆっくり前へ出した。
弾倉には八発。
薬室に一発。
〔兵装接続〕。
接続。
SG-44。
新型弾。
通常とは違う感覚が腕を通して伝わってくる。
「アトラス」
『聞いてる』
「射撃許可を」
数秒。
『許可する。ただし全弾撃つな。効果を見ながら使え』
「了解」
『フォージ』
『聞いてます』
『記録しろ』
『もう始めてます』
レイブンはSG-44を肩へ入れた。
巨大兵器の脚を見る。
待つ。
今ではない。
もう一歩。
脚が持ち上がる。
魔力光が関節へ集中する。
胴体下部の障壁が薄くなる。
「今」
引き金を絞った。
SG-44が吠えた。
新型弾が銃口から飛び出す。
命中。
その瞬間だった。
青白い障壁が、命中地点を中心に大きく歪んだ。
「……!」
『反応確認!』
エミリアの声。
『通常弾と違う! 障壁出力が局所的に落ちてる!』
レイブンは次弾を送る。
照準。
同じ場所。
発射。
二発目。
障壁が激しく明滅する。
『もう一発!』
次弾。
発射。
三発目。
音が変わった。
ガラスが割れるような音ではない。
もっと低い。
空気そのものが引き裂かれたような響きとともに、青白い光へ黒い亀裂のようなものが走った。
「開いた!」
『NoX、離れろ!』
レイブンはすぐには動かなかった。
障壁の穴は小さい。
数秒で塞がり始めている。
「スコープ!」
『見えてる!』
「座標送る!」
レイブンが照準位置を共有する。
『受信! ただしT-51を撃つ射手がいない!』
当然だった。
T-51はレイブンの背中にある。
「……そうだった」
『お前が持って行ったんだろ!』
「分かってる!」
障壁が閉じる。
だが構造は分かった。
三発。
三発を同一点へ入れれば、一時的に穴を作れる。
残り五発。
「一度戻る!」
『それが正解だ!』
レイブンはSG-44を胸元へ寄せた。
その瞬間。
四足型の異界生物がこちらを向いた。
地面にはSG-44の発射によって舞い上がった土煙がある。
今度は誤魔化せない。
咆哮。
護衛兵たちが一斉に振り向いた。
「見つかった!」
『退避!』
レイブンは走った。
〔透明〕は維持したまま。
だが土煙が追う。
足跡が残る。
魔力弾が飛んでくる。
右。
左。
〔殺気看破〕が警告するたび進路を変える。
一発が肩の横を通った。
熱い。
さらに前。
異界兵が進路を塞ぐ。
レイブンはSG-44を向けた。
撃とうとして、止める。
弾倉に入っているのは新型弾。
「こいつには使えない!」
SG-44をスリングへ落とす。
右手が腿へ。
ホルスター解除。
P-38A。
抜く。
前方。
敵。
発射。
スライド後退。
排莢。
復座。
次弾装填。
照準を僅かに右へ。
発射。
二体目。
左。
発射。
走りながら腕を身体へ寄せる。
異界兵が横から飛び込んできた。
近い。
レイブンは身体を捻って攻撃線から外れ、P-38Aを胸元近くまで引き寄せた状態で銃口を向ける。
発射。
そのまま前へ抜ける。
『NoX、右から四!』
ユリウスの声。
「見えてる!」
正確には見えていない。
だが〔殺気看破〕が分かる。
右から来る。
レイブンは崩れた壁へ飛び込んだ。
着地と同時に膝をつく。
P-38Aを両手で保持。
敵が角から出る。
発射。
一発。
次。
発射。
二発。
三体目。
発射。
四体目が遅れて出てくる。
引き金を絞る。
発射。
スライドが後退したまま止まった。
「空!」
レイブンは壁の内側へ身体を戻す。
弾倉解放。
空弾倉が落ちる。
左手がポーチへ。
予備弾倉を掴む。
挿入。
掌で底を押す。
固定。
スライドを解放。
前進。
初弾装填。
その間にも足は止めない。
「装填!」
『そのまま南西へ!』
グレイヴの声。
『俺たちが迎えに行く!』
「来なくていい!」
『命令だ!』
「了解!」
思わず笑いそうになった。
こういうところは父と似ている。
帰れと言っておきながら、帰るためなら自分たちも前へ出てくる。
レイブンはP-38Aを構えたまま走った。
前方。
敵影。
発射。
次。
発射。
倒れたかどうかは見ない。
進む。
帰る。
それだけを考える。
だが、巨大兵器の護衛は追ってくる。
「多いな……!」
『あと二百!』
エミリアの声。
レイブンはSG-44を見た。
新型弾は残り五発。
使えない。
T-51は近距離では取り回しにくい。
P-38Aの弾薬にも限界がある。
だったら戦わない。
〔透明〕を維持したまま、進路を変える。
砲撃跡へ飛び込む。
止まる。
敵が通り過ぎる。
再び走る。
見つかる。
止まる。
隠れる。
走る。
それを繰り返しながら距離を稼ぐ。
そして。
『NoX、伏せろ!』
グレイヴの声。
レイブンは理由を聞かなかった。
地面へ飛び込む。
直後。
頭上を帝国軍の機関銃射撃が通過した。
追ってきた異界兵たちが散開する。
その間を第一即応班が前進してきた。
「遅い!」
レイブンが叫ぶ。
「迎えに来てやった奴に言う言葉か!」
グレイヴが撃ち返す。
「フォージ!」
「ここ!」
エミリアがレイブンの横へ滑り込んだ。
「新型弾は!?」
「三発使用、五発残り!」
「データは取れた!」
「なら帰る!」
「賛成!」
レイブンはP-38Aをホルスターへ戻した。
代わりにSG-44へ手を伸ばしかけ、止める。
新型弾を歩兵相手に浪費するわけにはいかない。
「通常弾!」
エミリアが弾倉を投げた。
レイブンが受け取る。
新型弾入り弾倉を抜く。
ポーチへ収納。
通常弾倉を差し込む。
固定。
薬室には新型弾が一発残っている。
レイブンは一瞬だけ考えた。
その一発を無駄にするわけにはいかない。
「フォージ、薬室一発回収!」
「やって!」
SG-44を安全な方向へ向けたまま操作する。
薬室から新型弾が排出される。
レイブンは落下する前に受け取り、エミリアへ渡した。
「これで五発!」
「確認!」
通常弾を薬室へ送る。
「SG-44、復帰!」
「撤退するぞ!」
グレイヴが叫ぶ。
第一即応班が後退を始める。
レイブンは最後尾へ回った。
追ってくる異界兵。
SG-44を構える。
発射。
反動。
銃口を移す。
発射。
もう一体。
発射。
走る。
振り返る。
発射。
撃つたびに少しずつ距離を作る。
倒すことを目的にはしない。
追わせない。
それで十分だった。
やがて護衛兵たちの追撃が弱くなった。
大型兵器から離れすぎたからなのか、それとも別の命令を受けたのかは分からない。
第一即応班は丘陵の裏側まで後退した。
そこでようやくレイブンは膝へ手をついた。
「……疲れた」
「でしょうね」
エミリアが隣へ座り込む。
「怪我」
「後で」
「今」
「はい」
有無を言わせない声だった。
エミリアがレイブンの肩や腕を確認している間、グレイヴとユリウスは持ち帰った情報を整理していた。
「NoX」
ユリウスが呼ぶ。
「何?」
「三発だったな」
「同一点へ三発」
「障壁が完全に消えた時間は?」
「感覚では二秒か三秒」
「映像では二・七秒」
レイブンが顔を上げる。
「短いな」
「だが穴は開く」
グレイヴが戦術端末を地面へ置いた。
巨大兵器の映像。
その胴体下部。
レイブンが撃った箇所。
「新型弾三発で局所障壁を約二・七秒無力化できた」
「残り五発」
エミリアが言う。
「同じやり方なら、もう一回は確実に穴を作れる」
「でも三発使ったら残り二発」
レイブンが続けた。
「次は失敗できない」
「違う」
グレイヴが言った。
「次はお前一人でやらない」
レイブンが彼を見る。
「どういうことです?」
「もう弱点候補は分かった。障壁を開ける方法も分かった」
グレイヴはT-51を見る。
「なら、次は全員で撃つ」
戦術端末へ帝国軍と連邦軍の部隊配置が表示されていく。
砲兵。
航空部隊。
連邦軍対装甲部隊。
帝国軍特殊即応軍。
すべてが一つの標的へ繋がっていく。
「NoX」
「はい」
「次にお前が開けた穴へ、全軍の火力を叩き込む」
レイブンは巨大兵器を見た。
まだ進んでいる。
地面が揺れる。
遠くで砲撃が続いている。
だが今までとは違った。
倒せるかもしれない。
自分一人ではない。
だからこそ、そう思えた。
レイブンは背中からT-51を下ろした。
土が付いている。
傷も増えている。
父から渡された時の新品同然の姿ではなくなっていた。
「初陣から酷い目に遭わせたな」
「銃に謝ってるの?」
エミリアが尋ねる。
「父さんに見つかったら俺が怒られそうだから」
「それより自分の身体を心配しなさい」
「はいはい」
「返事は一回」
「はい」
レイブンは笑った。
それからT-51を地面へ据える。
弾倉を確認する。
残弾。
機関部。
照準器。
IBRS。
まだ戦える。
SG-44もある。
P-38Aもある。
新型弾は五発。
そして今度は、自分の後ろに帝国軍だけではなく連邦軍もいる。
レイブンは巨大兵器へ目を向けた。
「アトラス」
「何だ」
「次は、帰ってから撃てますね」
グレイヴは一瞬だけ意味を考え、それから笑った。
「ああ」
レイブンはT-51のグリップへ手を置いた。
「なら、今度こそちゃんと狙える」
遠方で巨大兵器が脚を持ち上げた。
また一歩。
大地が揺れる。
だがレイブンは、もうその揺れだけを恐れてはいなかった。
敵の大きさは変わらない。
こちらの銃が急に強くなったわけでもない。
変わったのは、知らなかったものを知ったことだった。
障壁には限界がある。
穴は開けられる。
そして穴が開く時間は、二・七秒。
短い。
けれど戦場では、二・七秒あれば引き金を引ける。
一発では足りなくても、全員で撃てる。
レイブン・S・クロウはT-51の照準器を覗いた。
巨大兵器の胴体が視界へ入る。
その一点。
先ほど自分が三発を撃ち込んだ場所へ照準線を重ねた。
「次は一人じゃないぞ」
その言葉が敵へ届くことはない。
それでよかった。
NoXは英雄になりたいわけではない。
ただ。
誰かが帰るために必要な穴を開ける。
それが自分の望んだ、即応の守護者という生き方だった。
そして大型異界軍兵器を巡る戦いは、単独潜入から、帝国と連邦共和国による初の本格的な共同迎撃へと移ろうとしていた。




