Season 4「NoX」 #041
第41話「昨日の敵」
帝政歴345年、冬。
帝国と連邦共和国が長く続けてきた戦争は、どちらかの勝利によって終わったわけではなかった。
国境では今も両軍が向かい合い、砲兵陣地は撤去されず、互いの都市には戦争で失われた人々の名前が残されている。帝国兵にとって連邦兵は昨日まで自分たちの町へ攻め込んできた敵であり、連邦兵にとって帝国兵もまた、仲間を撃った相手であることに変わりはなかった。
それでも戦争を続けるには、世界の状況があまりにも変わりすぎていた。
各地で開いた異界門から侵攻してきた軍勢は国境線を理解せず、帝国領にも連邦共和国領にも、それ以外の国々にも同じように攻撃を加えていた。
帝国西部では複数の町が放棄され、連邦共和国東部でも避難民が増え続けている。南方諸国から届く報告にも、北部の小国から送られてくる救援要請にも、同じ単語が並ぶようになっていた。
異界軍。
その存在を前にしてなお人間同士の戦争を続ければ、どちらかが勝つ前に双方が立っていられなくなる。
帝国政府が連邦共和国へ一時停戦を打診したのは、そんな時だった。
最初の回答は拒絶に近かった。
長年積み重なった不信が、一枚の文書で消えるはずもない。
それでも異界軍による被害は交渉中にも拡大し続け、帝国と連邦共和国は何度も条件を修正しながら協議を重ねた。
やがて両国は国境周辺での攻撃停止、捕虜交換、遭難兵の相互引き渡し、異界軍に関する情報共有について合意した。
恒久的な和平ではない。
講和でもない。
あくまで一時停戦だった。
だが銃口を互いから異界軍へ向け直すには、それで十分だった。
停戦成立から間もなく、帝国と連邦共和国は周辺諸国へ共同防衛構想への参加を呼びかけた。
異界門を抱える国。
すでに領土を奪われた国。
大量の避難民を受け入れている国。
兵力は小さくとも補給能力を持つ国。
それぞれが異なる事情を抱えながら、一つの枠組みへ集まっていった。
その多国籍陣営は、やがて一つの名前で呼ばれるようになった。
抵抗軍。
国家そのものを統合した軍隊ではない。
各国軍はそれぞれの指揮系統を維持しながら、異界軍との戦闘に限って情報、補給、航空輸送、医療、偵察、救難、場合によっては戦闘部隊まで融通する共同戦線だった。
その成立は、帝国軍人であるレイブン・S・クロウの日常も変えた。
第一即応班の作戦室。
壁へ掛けられた地図の中央に、太い線で描かれていた帝国と連邦共和国の国境がある。
レイブンはそこを見ながら腕を組んでいた。
「……本気ですか?」
「何度聞く」
グレイヴ・ハルトマン大尉――〔巨神〕は呆れたように答えた。
「三回目です」
「なら三回答えた。本気だ」
グレイヴが地図上の国境を指で越えた。
指先が止まった場所は、明らかに連邦共和国領内だった。
「第一即応班は明朝、連邦共和国東部第四防衛管区へ移動する」
レイブンは隣にいるエミリア・ヴァイス少尉――〔鍛冶師〕を見た。
エミリアも何とも言えない顔をしている。
「昨日まで撃ち合ってた国ですよね」
オットー・バルク軍曹――〔城壁〕が尋ねた。
「正確には停戦成立から昨日まで撃ち合っていたわけではない」
「そういう意味じゃないです」
「分かっている」
グレイヴ自身も、この命令に何も感じていないわけではなかった。
「連邦東部で異界軍の攻勢が強まっている。避難民収容地区まで残り四十キロを切った。連邦軍だけで防衛線を維持するのが難しくなり、抵抗軍司令部を通じて帝国側へ支援要請が来た」
「それで俺たち?」
レイブンが尋ねる。
「正規歩兵部隊も出る。砲兵と衛生部隊もだ。俺たちの担当は連邦軍偵察部隊との共同索敵と、突破された場合の救援」
「連邦兵と一緒に行動するんですか」
「そうなる」
セリア・ノルト軍曹――〔女狐〕が腕を組んだ。
「向こうが私たちを撃ってこなければいいけど」
「その言葉は向こうも同じように言っているだろう」
ユリウス・ベルナー中尉――〔照準鏡〕が淡々と返した。
ニーナ・フェルト曹長――〔反響〕は通信規則の資料を眺めていた。
「面倒ですね。周波数規格も暗号方式も違います。抵抗軍共通通信規則に切り替える必要があります」
「今夜中に全員覚えろ」
「……今夜中?」
「共同戦線だろうが何だろうが、無線が通じなければただの別々の軍隊だ」
ニーナは小さくため息をついた。
レイブンは地図へ視線を戻した。
連邦共和国。
幼い頃、自分の町へ迫ってきた軍隊。
家族とともに避難する原因になった相手。
父ヴァルターが一時的に現役復帰し、住民を逃がすために戦った相手でもある。
その国へ、今度は助けるために向かう。
「複雑か?」
グレイヴに聞かれた。
「……かなり」
「なら正常だ」
「〔巨神〕は?」
「俺も同じだ」
グレイヴは地図を見ながら答えた。
「停戦命令が出たからといって、昨日までの記憶まで停戦してくれるわけじゃない」
誰も口を挟まなかった。
「だが俺たちは軍人だ。今の命令は連邦軍を倒すことじゃない。連邦領へ入って異界軍に対処し、可能な限り人間を生かして帰すことだ」
レイブンはその言葉を聞きながら、昔の町を思い出した。
避難する自分たち。
銃を持つ父。
迫ってくる連邦軍。
もし、あの時の連邦側にも自分と同じような家族がいたのだとしたら。
その考えが、以前より自然に浮かぶようになっていた。
「了解」
レイブンは答えた。
「〔無名〕?」
「行きます」
「連邦領へ?」
「はい」
SG-44へ視線を落とす。
「助けを求めてる人がいるなら、国境の向こうでも同じです」
エミリアが横から小さく笑った。
「志望動機、まだ覚えてるんだ」
「忘れるわけないだろ」
「なら大丈夫そうね」
翌朝。
第一即応班を乗せた輸送車列は国境へ向かった。
かつて帝国軍と連邦共和国軍が激しく戦った地域には、破壊された陣地がまだ残っていた。
道路脇には焼けた装甲車両が置き去りにされている。
帝国製もある。
連邦製もある。
どちらも錆び始めていた。
やがて検問所へ到着する。
帝国兵がいる。
その数十メートル先には連邦共和国軍の兵士がいた。
レイブンは無意識にSG-44へ手を伸ばしかけ、途中で止めた。
向こうの兵士も似た動きをした。
互いに気づいた。
気まずい沈黙が流れる。
連邦兵が先に手を離した。
レイブンも離した。
それだけだった。
握手などしない。
笑顔にもならない。
ただ撃たなかった。
それが今の両国にできる最初の共同作業だった。
国境線を越える。
レイブンは車窓から後ろを振り返った。
「初めてだ」
「何が?」
エミリアが聞いた。
「連邦共和国」
「旅行だったら良かったのにね」
「軍服着てSG持った旅行客なんて嫌だろ」
「入国審査で止められるわよ」
軽口を交わしながらも、二人とも外を見続けていた。
家がある。
畑がある。
学校がある。
洗濯物が干されている。
帝国と大して変わらなかった。
レイブンが幼い頃に想像していた「敵国」は、そこにはなかった。
ただ人が暮らしていた。
帝国中央兵器技術局
その頃。
ヴァルター・クロウは、一挺の巨大な銃を前に腕を組んでいた。
作業台に置かれているのは、AMR-51の改良試作型。
制式候補名称――AMR-51A1。
主任技術官アルノルト・ケスラーが資料を読み上げる。
「全長は運用状態で千四百二十ミリ。銃身は現地交換可能方式へ変更しました。機関部の主要強度はAMR-51と同水準を維持しています」
ヴァルターは黙って聞いている。
「大型マズルブレーキを新設計。発射ガスを左右後方へ逃がすことで射手へ伝わる反動を軽減しています」
「続けろ」
「伏射時の安定性向上を目的に二脚を標準装備。携行時は銃身下部へ折り畳み、射撃時のみ展開できます」
「重量」
ヴァルターが聞いた。
アルノルトは少し得意そうな顔になった。
「十・八キログラム」
ヴァルターの眉が動いた。
「……何キロ?」
「十・八です」
「前は十五キロ超えてたよな」
「十五・八キログラムでした」
「強度は?」
「維持しています」
「銃身交換できるようにした」
「はい」
「マズルブレーキを大型化した」
「はい」
「二脚も追加した」
「はい」
「それで十・八?」
「十・八です」
ヴァルターはAMR-51A1を見た。
持ち上げる。
重い。
当然重い。
だが対物狙撃銃として考えれば、以前とは比較にならないほど扱いやすい。
銃身を確認する。
固定機構を見る。
二脚を展開する。
畳む。
マズルブレーキを見る。
銃床を肩へ当てる。
もう一度重量感を確かめた。
そして黙った。
アルノルトが待っている。
「どうです?」
「……」
「ヴァルターさん?」
「……気に入らん」
技術者たちの表情が一斉に曇った。
「どこがですか!」
「重量ですか?」
「強度?」
「銃身交換機構?」
「二脚の剛性ですか?」
「違う」
ヴァルターはAMR-51A1を作業台へ戻した。
「全部いい」
室内が静かになった。
アルノルトが眉を寄せる。
「では何が気に入らないんです?」
ヴァルターは銃を指差した。
「なんで俺が言った重量より軽くできてる」
「……はい?」
「俺は十三キロを切れと言った」
「切りましたよ」
「切りすぎだろ」
「軽くしろと言ったのはあなたでしょう!」
「ここまでやれるなら最初からやれ!」
アルノルトの顔が引きつった。
「あなたが強度を落とすな、反動を減らせ、整備性を上げろ、泥でも雪でも撃て、銃身も交換できるようにしろ、持って走れるようにしろって全部言ったんでしょう!」
「だから全部できるとは思わなかったんだよ!」
「理不尽すぎる!」
周囲の技術者が笑いを堪えていた。
「笑うな!」
アルノルトが怒鳴る。
ヴァルターも少し笑いながら、もう一度AMR-51A1を持ち上げた。
「まあ……認める」
「ようやくですか」
「十・八なら、かなり動ける」
「でしょう?」
「でも一個だけ文句がある」
アルノルトの表情から笑みが消えた。
「まだあるんですか」
「ああ」
ヴァルターは伏射姿勢を取るように作業台の高さを調整させ、二脚を展開した。
肩へ銃床を当てる。
照準器を覗く。
右手でグリップを握った。
そして左手を動かしたところで止めた。
「ここだ」
「どこです?」
「二脚を使わない射撃姿勢を考えてない」
技術者たちが顔を見合わせた。
「これは対物狙撃銃ですよ?」
「知ってる」
「基本運用は伏射です」
「基本はな」
ヴァルターは立ち上がった。
「戦場じゃ毎回、綺麗な地面に寝転べるわけじゃない。瓦礫の上から撃つこともある。窓枠を使うこともある。車体に載せることもある。壁の角を使うこともある」
アルノルトがAMR-51A1を見る。
「前部支持点……」
「そうだ」
ヴァルターは銃身下部を指で叩いた。
「二脚だけを前提にするな。射手が手で支えても、壁や土嚢に載せても安定するよう、ここに耐熱性のある前部保持部を作れ。銃身へ直接触れずに済むやつだ」
「ハンドガードですか」
「対物狙撃銃用にな」
アルノルトはしばらく考え、設計資料へ書き込んだ。
「重量が増えます」
「十一キロを超えるな」
「さっき十・八キロに文句を言った人が何を言ってるんですか」
「文句は文句だ。性能は別だ」
「本当に面倒な人ですね」
「よく言われる」
ヴァルターはAMR-51A1を見下ろした。
「それが付いたら、俺からはもう大きな文句はない」
室内にいた技術者たちが、一瞬だけ黙った。
そしてアルノルトが確認する。
「本当に?」
「ああ」
「録音しておけばよかった」
「細かい文句は言うぞ」
「やっぱり!」
笑い声が試作棟へ広がった。
しかしヴァルターはすぐに銃へ視線を戻した。
十・八キログラム。
大型マズルブレーキ。
交換可能な銃身。
折り畳み式二脚。
SG-44とはまったく異なる思想で作られた武器だった。
SG-44が近距離で道を切り開くための銃なら、AMR-51A1は遠くにある脅威を、味方へ届く前に止めるための銃になる。
「……レイブンなら何て言うかな」
ヴァルターが何気なく呟いた。
「息子さんに試してもらいます?」
「駄目だ」
即答だった。
「なぜ?」
「あいつは今、連邦共和国へ行ってる」
「抵抗軍の支援任務ですか」
「ああ」
ヴァルターは僅かに目を細めた。
「それに、あいつにはSG-44がある」
「いつか必要になるかもしれませんよ」
「必要にならない方がいい」
ヴァルターはそう言ってから、AMR-51A1の長い銃身を見た。
「だが、必要になった時に使える物を作っておくのが、俺たちの仕事だ」
その頃、国境から遠く離れた連邦共和国東部で、レイブンは初めて連邦軍の前線基地へ足を踏み入れていた。
帝国軍服を着た彼へ、いくつもの視線が向けられる。
歓迎している目ばかりではない。
レイブンも、それを当然だと思った。
連邦兵の一人が近づいてきた。
年齢はレイブンより少し上に見える。
「帝国の特殊部隊?」
「そうです」
「名前は?」
「レイブン・S・クロウ」
「コールサインは?」
レイブンは一瞬だけ迷ってから答えた。
「〔無名〕。英語表記はNoX」
連邦兵はその名前を覚えるように一度だけ繰り返した。
「NoX」
「そっちは?」
「アレン・ローディス。連邦陸軍第九偵察中隊」
二人の間に沈黙が生まれた。
握手をするべきなのか。
敬礼をするべきなのか。
どちらも分からない。
アレンが先に口を開いた。
「俺の兄貴、帝国軍に撃たれてる」
レイブンの表情が止まった。
「……そうですか」
「生きてるけどな。左脚が動かない」
「俺の町にも連邦軍が来ました」
「知ってる」
「家族で逃げました」
「そうか」
また沈黙した。
互いに謝ることもできなかった。
個人が始めた戦争ではない。
だからといって、何もなかったことにもできない。
その時、基地内に警報が鳴った。
兵士たちが一斉に動き始める。
『東部監視線より緊急報告。異界軍部隊、第二防衛線へ接近中。抵抗軍所属全部隊は戦闘配置へ移行せよ』
アレンが自分の小銃を取った。
レイブンもSG-44を構える。
二人の視線が合った。
「帝国兵」
「何です?」
「俺の背中、撃つなよ」
レイブンは一瞬だけ目を丸くした後、僅かに笑った。
「そっちこそ」
アレンも笑った。
「行くぞ、NoX」
「了解」
二人は同じ方向へ走り出した。
少し前までなら、互いに銃口を向けていた軍服だった。
それが今は同じ敵へ向かっている。
戦争が消えたわけではない。
恨みも、死者も、傷も消えてはいない。
帝国と連邦共和国の停戦がいつまで続くのかも、誰にも分からない。
それでも異界軍が迫る今だけは、一つの戦線に立つ。
帝国兵。
連邦兵。
そして、それ以外の国々から集まった兵士たち。
後に長い戦争を共に戦うことになる共同戦線――抵抗軍の中で、〔無名〕という名が国境の外へ知られていく最初の日が始まろうとしていた。




