Season 4「NoX」 #040<特別冒頭付録:エリシア side>
特別冒頭付録――
連邦共和国側 エリシア・L・ヴォルハラム
同じ頃。
連邦共和国領内でも、戦争は人々の生活を壊し続けていた。
かつてエリシア・L・ヴォルハラムの家族は、帝国との戦争について遠い場所の出来事のように話していた。
父も兄も軍へ入り、連邦軍が帝国領内へ進撃していた頃には、自分たちが負けることなど想像していなかった。
しかし前線から戻った二人は変わっていた。
夜中に突然目を覚ます。
大きな音に身体を強張らせる。
父は窓の外を何度も確認するようになり、兄は眠れない夜が増えた。
軍医から戦闘による心的外傷を指摘されてからも、二人は以前の生活へ完全には戻れなかった。
それでも家族は四人で生きていた。
少なくとも、しばらくの間は。
異界軍による逆侵攻が連邦領内へ広がり始めるまでは。
「エリシア! 急いで!」
母の声に呼ばれ、エリシアは荷物を抱えて家を出た。
遠くで煙が上がっている。
連邦軍から避難命令が出たのは、その日の早朝だった。
異界側部隊が防衛線を突破した。
住民は西側の避難区域へ移動するよう命じられている。
父は歩くことさえ辛そうだった。
戦場から帰還して以来、身体を悪くしていたうえに、ここ数か月で急激に体力を失っていた。
「父さん、大丈夫?」
「ああ」
「嘘」
「父親っていうのは、娘に大丈夫かと聞かれたら大丈夫と答えるものなんだ」
「そんな決まりないでしょ」
「今作った」
父は笑った。
昔のような笑い方だった。
それがエリシアには余計に怖かった。
避難は何日も続いた。
軍用道路を避け、難民用に指定された経路を歩く。
夜は学校や倉庫で眠った。
食料は配給。
水も限られている。
父の体調は日に日に悪化した。
ある朝。
父は起きなかった。
「父さん?」
エリシアが肩を揺らした。
反応がない。
「父さん」
もう一度。
母が駆け寄る。
避難民に同行していた衛生兵が呼ばれた。
診察は長くなかった。
衛生兵が帽子を取った時点で、エリシアには分かった。
父は、戦場では死ななかった。
帝国との戦争から帰ってきた。
それでも、その戦争で傷ついた身体と、その後に患った病は、最後まで父を放してはくれなかった。
避難の途中で簡素な葬儀が行われた。
墓標を作る時間もなかった。
母は泣かなかった。
エリシアも泣けなかった。
泣けば、その場所から動けなくなる気がした。
兄だけが、父の遺品となった認識票を握りしめていた。
「俺が母さんとエリシアを連れて帰る」
兄はそう言った。
帰る。
だが、どこへ帰るのか。
家は避難区域の向こうにある。
そこがまだ残っているかどうかさえ分からない。
それでも三人は歩いた。
父を失ってから十一日後。
避難民の車列が異界軍の小部隊と遭遇した。
連邦軍の護衛部隊が応戦する。
銃声が響いた。
人々が道路脇へ逃げる。
「エリシア! 母さんを連れて行け!」
兄が叫んだ。
「兄さんは!?」
「後から行く!」
兄はかつて軍人だった。
戦場で心に深い傷を負い、軍を離れていた。
それでも、その時だけは近くで倒れた連邦兵の銃を拾った。
「行け!」
エリシアは母の手を引いた。
走った。
背後から銃声が聞こえた。
一発。
二発。
何発も。
振り返りたかった。
だが母を連れている。
父を失ったばかりだった。
兄の言葉を無駄にすることだけはできなかった。
避難民が次の防衛線へ到着した時、兄は戻ってこなかった。
翌日。
連邦軍の捜索隊が認識票を持ってきた。
エリシアはそれを見ただけで理解した。
父に続いて、兄までいなくなった。
残ったのは母だけだった。
そして母に残された家族も、エリシアだけだった。
避難先の仮設住宅で、エリシアは何日も考えた。
戦争が嫌いだった。
帝国軍も連邦軍も、どうしてここまで戦わなければならないのか理解できなかった。
幼い頃、帝国が一方的に押されていた時でさえ、エリシアだけは帝国側の人々をかわいそうだと思っていた。
敵国だからという理由だけで、そこで暮らす人々まで憎むことができなかった。
今も同じだった。
異界軍を憎めば父と兄が戻ってくるわけでもない。
銃を持てば悲しみが消えるわけでもない。
それでも、何もしなければ次に失うのは母かもしれなかった。
「母さん」
夜。
エリシアは母の前へ座った。
「話があるの」
母は娘の表情を見ただけで、何を言おうとしているのか察したらしい。
「軍?」
エリシアは驚いた。
「……どうして分かったの?」
「あなたの母親だから」
しばらく沈黙した。
「反対する?」
「するわ」
即答だった。
エリシアは俯いた。
「でも」
母の言葉が続く。
「反対したら、あなたは諦める?」
エリシアは考えた。
そして首を横へ振った。
「……たぶん、諦めない」
「何のために行くの?」
エリシアは父を思い出した。
兄を思い出した。
最後に母を見た。
「母さんを守りたい」
「それだけ?」
「それと」
言葉を探す。
「帰りたい」
「どこへ?」
「家に」
母の表情が僅かに崩れた。
「まだ家があるか分からないのよ」
「それでも帰りたい」
エリシアは母の手を握った。
「父さんも兄さんも帰れなかった。でも、私は帰りたい。母さんも連れて帰りたい。そのために、逃げるしかできない自分のままではいたくない」
母は長い間何も言わなかった。
やがて、握られていた手を握り返した。
「一つだけ約束して」
「何?」
「敵を倒すために軍へ行かないで」
エリシアは母を見た。
「帰ってくるために行きなさい」
その言葉を聞いた瞬間、エリシアの目から初めて涙が落ちた。
「……うん」
それから数か月。
エリシア・L・ヴォルハラムは連邦共和国軍の訓練課程を終えた。
そして、初めて実戦へ出た。
想像していた戦争とはまるで違った。
勇ましい号令など聞こえない。
何が起きているのか分からないまま走らされる。
土埃で前が見えない。
誰かが叫んでいる。
無線では複数の声が重なっている。
目の前を走っていた兵士が突然倒れた。
「止まるな!」
分隊長に背中を押される。
エリシアは銃を抱えて走った。
怖い。
帰りたい。
母に会いたい。
その三つしか頭になかった。
異界兵が遮蔽物の向こうから姿を現した。
銃を構える。
照準が震える。
引き金へ指を掛ける。
訓練では何百回もやった。
なのに指が動かなかった。
「ヴォルハラム!」
分隊長の声。
敵がこちらを向く。
エリシアは引き金を引いた。
銃声。
反動。
敵が見えなくなる。
命中したのかどうかも分からなかった。
「移動!」
命令され、走った。
確認する暇などない。
その瞬間、エリシアはようやく理解した。
父と兄が見ていたもの。
二人が帰還した後、大きな音に怯えるようになった理由。
戦争は、遠くから眺めている時とはまるで違った。
誰が正しいのかを考える余裕などない。
英雄になりたいとも思わない。
敵を憎む暇さえなかった。
ただ生きたい。
帰りたい。
母のところへ。
その日の戦闘が終わった頃、エリシアは塹壕の壁へ背中を預けて座っていた。
手が震えている。
止まらない。
隣にいた兵士が水筒を差し出した。
「初めてか?」
「……はい」
「生きてるな?」
エリシアは少し戸惑ってから頷いた。
「はい」
「なら今日はそれでいい」
水筒を受け取る。
エリシアは震える手で水を飲んだ。
夜空を見上げた。
同じ頃、国境の遥か向こうでは、一人の帝国兵がSG-44を抱えながら、自分と同じように「帰ること」を戦う理由にし始めていた。
一人は帝国のレイブン・S・クロウ。
軍で呼ばれる名は〔無名〕――NoX。
もう一人は連邦共和国のエリシア・L・ヴォルハラム。
二人はまだ互いの名前さえ知らない。
所属する国家も違う。
着ている軍服も違う。
使う武器も違う。
それでも、この時すでに二人はよく似た言葉を胸の奥に抱いていた。
敵を倒すためではなく。
生きて帰るために戦う。
その二つの道が、いつか同じ戦場で交わることを、二人ともまだ知らなかった。
第40話「遠くへ届くもの」
帝政歴345年、晩秋。
第十九監視所から取り残された最後の一人を捜索するため、第一即応班を乗せた装甲車は再び西部森林地帯へ向かっていた。
往路とは違い、車内に会話はほとんどなかった。
レイブン・S・クロウはSG-44を両膝の間に立て、頭の中で何度も監視所周辺の地形を思い返していた。
監視所から外へ向かっていた一人分の足跡。
途中の血痕。
北西側で確認した、姿を周囲の景色へ溶け込ませる異界生物。
少なくとも四体。
実際には、それ以上いる可能性が高い。
そして、行方不明になってからすでに数時間が経過している。
生きているとは限らなかった。
それでも確認するまでは、死亡者として扱うこともできない。
「〔無名〕」
正面に座るグレイヴ・ハルトマン大尉――〔巨神〕が呼んだ。
「はい」
「現場へ到着したら、さっき見つけた足跡まで案内しろ。そこから先は〔女狐〕と追跡する」
「了解」
「一つだけ確認する」
グレイヴの声が僅かに低くなった。
「見つけた時、生きていなかったとしても任務は続けられるか」
レイブンはすぐには答えなかった。
質問の意味は分かっている。
助けに行くのではない。
捜しに行くのだ。
その結果が、自分の望んだものになる保証はない。
「……続けます」
「よし」
それ以上、グレイヴは何も言わなかった。
やがて装甲車が止まった。
レイブンはSG-44を手に外へ降りた。
前回より多くの兵士がいる。
第一即応班に加え、増援として派遣された二個分隊が周辺警戒を担当する。
森へ入ったレイブンは、セリア・ノルト軍曹――〔女狐〕とともに先ほど見つけた足跡へ戻った。
血痕はまだ残っている。
「ここからです」
「分かった。今度は急がない」
セリアが地面を確認しながら進む。
レイブンもその後ろを追った。
数百メートル。
血痕が少なくなっていく。
足跡は何度も木々の間を蛇行していた。
「追われてたんでしょうか」
「可能性はある。でも、本人が混乱していただけかもしれない」
「傷は?」
「歩幅を見る限り、右脚を庇ってる」
さらに進んだ時だった。
レイブンの〔殺気看破〕が弱く反応した。
「止まって」
セリアが動きを止める。
「いる?」
「遠いです。右前方」
「数は?」
「分からない。でも監視所で感じたものより弱い」
二人は進路を少し左へ変えた。
敵を探しに来たわけではない。
行方不明者を探すために来た。
その判断が、今のレイブンには以前より自然にできるようになっていた。
やがて足跡は小さな窪地へ続いた。
セリアが突然、片手を上げた。
「人がいる」
レイブンも見た。
倒木の陰。
帝国軍の野戦服。
「帝国軍です!」
反応がない。
二人は周囲を確認してから近づいた。
男は木の根元へ背中を預けるように座り込んでいた。
右脚から出血している。
顔色は悪い。
だが胸が動いていた。
「生きてる」
レイブンはSG-44を背中へ回し、駆け寄った。
「聞こえますか?」
男の目が僅かに開いた。
「……誰だ……」
「帝国陸軍特殊即応群です。迎えに来ました」
「……遅い……」
その一言を聞いた瞬間、レイブンは思わず笑った。
「それ、初陣の時にも言われました」
「知る……かよ……」
「喋れるなら大丈夫です」
「お前……若いな……」
「十八です」
「子供……じゃねえか……」
「それも前に言われました」
セリアが横から割り込んだ。
「〔無名〕、喜ぶのは後。止血を確認して」
「了解」
レイブンは応急処置を確認しながら無線機へ手を伸ばした。
「〔無名〕より〔巨神〕。行方不明者を発見。生存しています。右脚負傷、意識あり」
短い沈黙の後、グレイヴの声が返ってきた。
『了解。現在位置を送れ。迎えに行く』
「了解」
レイブンは負傷兵の肩を支えた。
「帰りますよ」
「……歩けるかな」
「歩けなかったら背負います」
「細いくせに……」
「こう見えて鍛えてるんです」
セリアが呆れたように言った。
「二人とも、話してないで動く」
「了解」
行方不明だった八人目が装甲車へ収容されたのは、それから一時間ほど後だった。
帰還途中、レイブンは窓の外を眺めていた。
今度は八人全員いる。
それだけで十分だった。
だが、その頃。
レイブンの知らない場所で、彼がこれまで一度も扱ったことのない新しい武器が形になろうとしていた。
帝国中央兵器技術局
帝国首都圏地下に設けられた中央兵器技術局第三試作棟では、一本の巨大な銃身が作業台の上に置かれていた。
SG-44とは明らかに違う。
散弾銃ではない。
長大な銃身と強固な機関部を持ち、歩兵が携行できる限界へ近づけながらも、軽装甲車両や異界生物の硬質外殻、遠距離の魔力防壁発生装置を破壊することを目的として設計された大型狙撃銃だった。
「重量、十五・八キロ」
主任技術官のアルノルト・ケスラーが設計資料を読み上げた。
「試作品としては悪くありません」
向かい側から声が返る。
「悪い」
ヴァルター・クロウだった。
軍を退き、現在は予備役として必要に応じて教官任務や技術協力へ呼び戻されている彼は、椅子に座ったまま設計図を見ていた。
再構築された右腕で紙を押さえ、左手の鉛筆で数字を囲む。
「十五キロを超えた時点で、持って走る兵士のことを忘れてる」
「これは通常小銃ではありません。対物狙撃銃ですよ」
「だから何だ」
「長距離射撃位置へ展開し、固定して運用することを前提としています」
「異界軍が撃つまで待ってくれるならな」
アルノルトが黙った。
ヴァルターは設計図上の銃床を指した。
「ここも駄目だ」
「反動吸収機構ですか?」
「機構そのものは悪くない。だが複雑すぎる。泥が入ったら?」
「作動不良の可能性があります」
「砂は?」
「同様です」
「雪は?」
「……凍結の可能性が」
「なら兵士に渡せない」
「要求が厳しすぎませんか?」
ヴァルターは鉛筆を置いた。
「SG-44の時も同じことを言われた」
「聞いています」
「兵器は射撃場だけで撃つもんじゃない。泥に落とす。雨に濡れる。雪の中へ突っ込む。持ったまま走る。ぶつける。整備できない日もある。その全部をやった後でも撃てるように作れ」
アルノルトは設計図を見直した。
「重量目標は?」
「十二キロ台」
「無茶です」
「なら十三キロを切れ」
「それでもかなり……」
「強度は落とすな」
「もっと無茶です」
ヴァルターが僅かに笑った。
「だから俺じゃなく、お前たち技術屋が呼ばれてるんだろ」
「あなたも呼ばれているんですが」
「俺は文句を言う係だ」
「自覚があったんですね」
別の技術者たちから笑いが漏れた。
ヴァルターは再び設計図へ目を落とした。
大口径弾を使用し、長距離から軽装甲目標を破壊する。
必要なら大型異界生物にも使用する。
だが、単純に威力を高めるだけでは意味がない。
「射手が一発撃って終わりじゃ困る」
「反動ですか?」
「そうだ。二発目を撃てる銃にしろ」
アルノルトが資料へ書き込む。
「制退器の再設計と、銃床側の反動吸収機構を簡素化します」
「携行時の全長も考えろ」
「折り畳み式銃床?」
「候補だな。それか銃身交換を現場で簡単にできるようにする」
「狙撃銃ですよ?」
「兵士が持って歩くなら携行性も性能だ」
ヴァルターは図面の余白へ、いくつかの線を書き込んだ。
そこには後に新型対物狙撃銃へ採用されることになる改善案が記されていた。
軽量化された機関部。
簡略化された反動吸収機構。
大型制退器。
携行性を考慮した銃床。
そして、手袋を装着したままでも操作しやすい大型の操作部。
「名前は?」
ヴァルターが尋ねた。
「まだ試作番号しかありません。AMR試作四号」
「正式採用までそのままでいい」
「SG-44の時みたいに名前を付けませんか?」
「名前なんて最後でいい」
ヴァルターは設計図を閉じた。
「まず帰ってこられる銃にしろ」
その言葉を聞いたアルノルトが、小さく笑った。
「息子さんにも同じことを?」
「何をだ」
「帰ってこい、と」
ヴァルターは少し黙った。
「……あいつには、それしか言うことがない」
「特殊即応群へ配属されたそうですね」
「ああ」
「SG-44も?」
「持っていった」
「心配では?」
「心配だから仕事してるんだろ」
ヴァルターは立ち上がった。
「次の試作品ができたら呼べ」
「また文句を言うために?」
「当然だ」
扉を出ていくヴァルターの背後で、技術者たちは再び設計図を囲み始めた。
その日、帝国軍次期対物狙撃銃計画は試作段階から限定先行生産へ進むことが決定された。
まだ正式名称すら持たないその銃が、いつの日かSG-44と並んでレイブン・S・クロウの手へ渡る可能性を、この時の本人は何も知らなかった。




