Season 3「志願兵」 #034
第34話 「駆けつける理由」
最終総合訓練の十一日目、旧市街地地区には朝から低い雲が垂れ込めていた。
前夜まで吹いていた風は弱まり、窓ガラスの失われた建物の間には湿った空気が留まっている。遠くから時折聞こえてくる訓練用銃声も建物に反響して方向が曖昧になり、音だけを頼りに距離を測ろうとすれば、かえって判断を誤りそうだった。
レイブンとミレイアは、夜を明かした集合住宅から離れて旧市街地の中心部へ向かっていた。
昨日の一件を境に、二人の動き方にも僅かな変化が生まれていた。
レイブンが〔透明〕を使って一人で先行すること自体は変わらない。ただし、以前のように「自分が先へ行けばミレイアを危険から遠ざけられる」とは考えなくなっていた。
先行する距離を短くし、交差点を一つ確認すれば戻る。建物へ入る場合も出口を二つ以上確認し、ミレイアが撤退できる経路を共有してから動く。何かを発見しても、自分一人で処理できるという理由だけで勝手に行動しない。
守るということは、相手を自分の後ろへ置き続けることではない。
それを昨日、ミレイアから教えられた。
「止まって」
前を歩いていたミレイアが拳を上げた。
レイブンも即座に足を止める。
「どうした?」
「聞こえない?」
レイブンは猫耳を僅かに動かした。
最初は風かと思った。
しかし違う。
断続的な電子音だった。
「無線?」
「たぶん」
二人は道路上に留まらず、近くの建物へ入った。レイブンが入口を警戒している間に、ミレイアがインカムへ手を添える。
雑音に混じって、声が聞こえた。
『――こちら……第二……応答――』
ミレイアがレイブンを見る。
第二小隊。
味方だ。
「感度上げて」
「待って」
ミレイアが調整すると、雑音の向こうから声が少しずつ明瞭になった。
『こちら《Rook》! 第二小隊所属セル、聞こえる者は応答してくれ!』
切迫している。
訓練開始から十一日間、無線で連絡を取り合うことはあっても、こんな声を聞いたことはなかった。
レイブンはすぐに送信へ切り替えた。
「こちら《NoX》。受信した。《Rook》、状況を送れ」
一瞬の沈黙の後、返事が来た。
『《NoX》か! 助かった!』
「落ち着け。位置と人数から」
『旧市街地西部、旧中央駅から北へ二ブロック! 味方四名、うち一名が負傷判定! 第一小隊の別動セルに捕捉された!』
レイブンとミレイアの表情が同時に変わった。
負傷判定。
本当に撃たれたわけではない。
演習用装備が被弾を判定し、その部位を実際に負傷したものとして扱わなければならなくなったのだ。
脚なら走れない。
腕なら武器を満足に扱えない。
判定によっては自力移動そのものが禁止される。
「敵役の人数は?」
『確認できてるだけで五! こっちは負傷者を運びながら撤退してる! このままだと――』
激しい発砲音が無線越しに響き、声が途切れた。
「《Rook》?」
『生きてる! 訓練だけどな!』
「冗談言えるなら大丈夫だ」
『言ってないとやってられん!』
レイブンは地図を開いた。
現在地から旧中央駅までは遠くない。
ただし、第一小隊が周辺にいることを考えれば最短経路をそのまま走るのは危険だった。
ミレイアが地図を覗き込む。
「ここからなら、商店街を抜ければ早い」
「でも道幅が狭い」
「《ゴースト》なら?」
レイブンは数秒考えた。
「使う」
ミレイアが頷く。
「行こう」
その言葉に迷いはなかった。
レイブンも同じだった。
第一小隊の情報収集という本来の任務は残っている。
しかし、仲間が助けを求めている。
しかも自分たちは間に合う場所にいる。
「《Rook》、聞こえるか」
『聞こえる!』
「今から向かう。現在地からできるだけ南へ下がれ」
『了解!』
「無理に反撃するな。負傷者を優先して」
『分かった!』
通信を切る。
レイブンはSG-44を確認した。
ミレイアも自分の装備を整える。
「《Lynx》」
「何?」
「昨日言ったこと、覚えてる?」
「二人で帰る?」
「ああ」
「覚えてるよ」
レイブンは頷いた。
「だったら、あいつらも連れて帰る」
ミレイアは少しだけ目を見開いたあと、笑った。
「最初からそのつもり」
二人は建物を飛び出した。
◇
旧市街地西部へ近づくほど、訓練用銃声の間隔は短くなっていった。
レイブンは〔透明〕を発動し、ミレイアより先行して交差点を確認する。安全なら一度能力を解除して合図し、ミレイアを前進させると再び姿を消した。
十一日間を共に行動してきたことで、二人の間には余計な会話が必要なくなりつつあった。
手を上げれば止まる。
指を二本立てれば前方に二名。
掌を下へ向ければ姿勢を低くする。
視線を向けるだけで互いが次に何をしようとしているのか、おおよそ分かる。
やがてレイブンの耳に、人の荒い呼吸が聞こえた。
建物の陰から覗く。
第二小隊だった。
《Rook》を含む四人が後退しており、そのうち一人は右脚に負傷判定を受け、仲間の肩を借りながら片脚を引きずっている。
その後方では第一小隊の新兵たちが距離を詰めていた。
実戦なら。
追いつかれる。
そう判断した瞬間、レイブンはミレイアのところへ戻った。
能力を解除する。
「見つけた」
「状態は?」
「四人。情報通り一人が脚をやられてる。追跡側は最低五人」
「どうする?」
レイブンは周囲を見る。
狭い道路。
建物。
路地。
瓦礫。
そして、後退する味方。
「このまま二人で動いたら、負傷者の移動速度が上がらない」
「誰かが運ぶ?」
「うん」
レイブンはミレイアを見る。
「ツーマンセル、一時的に解こう」
ミレイアはすぐに意図を理解した。
「私が撤退側に入る?」
「頼める?」
「もちろん」
「俺が残って時間を稼ぐ」
その言葉を聞いたミレイアの眉が僅かに動いた。
昨日なら止めただろう。
レイブンもそれを分かっていた。
「無茶はしない」
「昨日も聞いた」
「今回は理由がある。俺が《ゴースト》で位置を変えながら撃てば、向こうは人数を判断しづらい。倒す必要はない。近づけなければいい」
ミレイアはしばらくレイブンを見つめた。
「弾は?」
レイブンはSG-44の残弾を確認した。
「十分」
「嘘じゃない?」
「今は本当」
「……分かった」
ミレイアは頷いた。
「でも約束して」
「何を?」
「私たちが撤退したら、レイブンも来る」
「ああ」
「絶対に」
「分かった」
「《NoX》」
ミレイアは手を差し出した。
レイブンは一瞬だけその意味を考え、それから自分の拳を軽く合わせた。
「あとで」
「あとで」
二人は別れた。
◇
ミレイアが味方と合流すると、撤退速度は目に見えて上がった。
「《Lynx》!?」
《Rook》が驚く。
「説明はあと。負傷者を貸して!」
「《NoX》は?」
「後ろ!」
「一人で?」
「本人ができるって言った!」
ミレイアは負傷判定を受けた仲間の腕を肩へ回した。
「歩ける?」
「片脚なら!」
「十分。反対側お願い!」
もう一人が反対側を支える。
その直後。
後方からSG-44の発砲音が響いた。
第一小隊の進路上へ訓練弾が飛び、追跡していた新兵たちが反射的に遮蔽物へ入る。
誰も見えない。
撃った者の姿がない。
「《NoX》だ!」
第一小隊の誰かが叫んだ。
別の位置から再びSG-44が鳴る。
一発撃てば移動する。
同じ場所には留まらない。
レイブンは《ゴースト》を維持しながら、建物の陰から路地へ、路地から放置車両の反対側へ位置を変えていた。
敵役を倒す必要はない。
足を止めさせる。
こちらを警戒させる。
味方との距離を開かせる。
それだけでいい。
ところが、時間が経つにつれて問題が出始めた。
SG-44の残弾が減っている。
訓練開始時に携行していた弾薬の大半は、すでに十一日間の演習で消費していた。
ドラムマガジン内の残弾を頭の中で数える。
撃つたびに。
残りが減る。
「……まずいな」
姿の見えないレイブンが呟いた。
第一小隊は訓練された新兵だ。
こちらが撃つ頻度を落とせば、弾薬不足を疑われる。
そうなれば距離を詰めてくる。
レイブンは無駄撃ちを避け、相手が前進しようとした瞬間だけ発砲した。
それでも限界は来る。
SG-44が一発を放った。
残り僅か。
次の一発。
さらに減る。
そして。
レイブンが次の位置へ移ろうとした時だった。
「《NoX》!」
聞き覚えのある声がした。
振り返る。
エミリアがいた。
本来なら撤退する仲間の護衛についているはずだった。
レイブンは《ゴースト》を解除した。
「何で戻ってきた!?」
「弾!」
「は?」
「《Lynx》から聞いた! あなた、十一日間ほとんど補給してないでしょ!」
エミリアは装具から円筒状のマガジンを取り出した。
SG-44用。
二十五発入り。
「これ!」
レイブンが受け取る。
重量だけで分かった。
中身が入っている。
「十二番径?」
「訓練弾! 二十五発全部入ってる!」
「お前のは?」
「私の銃じゃ使えない!」
「何で持ってたんだよ!」
「補給所で余ってたから誰か使うと思って!」
「普通こんな重いもの持ってくるか!?」
「今それ言う!?」
レイブンは思わず笑いそうになった。
しかし、すぐにマガジンを交換する。
「助かった」
「本当にね!」
「エミリア」
「何?」
「戻れ」
「でも――」
「ここは俺がやる。お前は負傷者を守ってくれ」
エミリアは一瞬だけ迷った。
やがて頷く。
「絶対戻ってきて」
「今日はそればっかり言われるな」
「だったら言われなくても戻って!」
「了解」
エミリアが走り去る。
レイブンは新しいマガジンを装着したSG-44を構えた。
二十五発。
十分だった。
むしろ。
多すぎるくらいだ。
「さて」
呼吸を整える。
〔透明〕を再発動する。
姿が消え。
音が消え。
臭気が消える。
それでも。
そこには確かに一人の新兵がいる。
第一小隊が再び前進を始めた。
レイブンは撃った。
今度は。
弾数を恐れる必要がない。
右から。
次は左から。
一度後退して二階へ上がり。
窓際から一発。
すぐに下へ降りる。
第一小隊からすれば、何人いるのか分からない。
発砲地点が移り続ける。
それでも相手は訓練兵として優秀だった。
「撃たれた場所を追うな! 《NoX》一人だ!」
聞こえてきた声に、レイブンは僅かに笑った。
見抜かれた。
ならば。
それでも進めない状況を作る。
倒すのではなく。
追い返す。
味方が十分な距離を取るまで。
それだけでいい。
何度目かの発砲のあと。
第一小隊の動きが止まった。
しばらくして。
後退を始めた。
レイブンは追わなかった。
銃口を下げる。
父の言葉が頭に浮かぶ。
倒す必要のない相手まで追うな。
今なら。
その意味が分かる。
「……帰ろう」
レイブンはSG-44を携行姿勢へ戻した。
そして。
仲間たちの後を追った。
◇
そこからの四日間は、決して穏やかではなかった。
第一小隊との情報戦は最後まで続き、夜間には互いの観測員が近距離まですれ違うこともあった。食料は減り、水の配分はさらに厳しくなり、旧市街地を抜けた後には長時間の徒歩移動が待っていた。
十一日間で蓄積した疲労に、残り四日間の負荷が重なる。
軍服は汚れ。
靴には泥と砂が入り。
肩には背嚢の跡が残った。
レイブンも《ゴースト》の長時間使用による疲労で、何度かミレイアに強制的に休まされた。
それでも。
二人は進んだ。
途中で他の第二小隊員とも合流した。
負傷判定を受けた者は解除されない。
最後まで。
本当に負傷しているものとして扱う。
右脚を使えない者。
片腕を固定された者。
装備の一部を失った者。
全員が最初と同じ状態で帰れるわけではなかった。
それでも。
誰も置いていかなかった。
レイブンは何度も肩を貸した。
ミレイアも荷物を分担した。
ガイルは疲れた者を笑わせ。
フィーナは足の状態を確認し。
ディートリヒは残った物資を計算した。
エミリアは。
あの日と同じように。
誰かが必要とする物を探しては渡していた。
十四日目。
ようやく。
帝国軍訓練基地の外壁が見えた。
「……見えた」
誰かが言った。
最初は誰も反応しなかった。
疲れすぎていた。
しかし。
前方に確かに。
正門がある。
十四日前。
午前五時に出発した場所。
「帰ってきた……」
ガイルが呟いた。
レイブンは。
隣にいる負傷判定中の仲間の腕を、自分の肩へ回し直した。
「あと少し」
「自分で歩ける」
「知ってる」
「じゃあ離せよ」
「転んだら面倒だから嫌だ」
「お前もふらふらじゃねえか」
「俺はまだ両脚使える」
「……頑固」
「父さん譲り」
後ろからミレイアの声がした。
「そこは自覚あるんだ」
「うるさい」
小さな笑いが起きた。
全員。
疲れていた。
満身創痍と言っていい。
訓練だと分かっているのに。
身体は二週間を確かに記憶していた。
正門の前には。
教官たちが待っていた。
ヴァルターもいる。
十四日前と同じ場所だった。
しかし。
出ていった時と。
戻ってきた時では。
新兵たちの顔が違っていた。
レイブンたちは歩き続けた。
誰も走らない。
走る体力など残っていない。
それでも。
止まる者もいなかった。
そして。
正門を越えた。
ヴァルターは何も言わなかった。
人数を数える。
一人。
また一人。
全員を確認する。
「負傷判定者は?」
「五名!」
「行動不能判定は?」
「ゼロ!」
「脱落者」
「ゼロ!」
ヴァルターの表情は変わらなかった。
「収集情報は」
ミレイアが記録資料を取り出した。
「第一小隊の人数、主要コールサイン、確認装備、山岳地帯から旧市街地までの主要移動経路、休止地点、役割分担の一部を記録しています」
補助教官が受け取る。
ヴァルターは短く頷いた。
「分かった」
それだけだった。
合格とも。
不合格とも。
まだ言わない。
レイブンは肩を貸していた仲間を衛生担当の教官へ引き渡した。
その瞬間。
肩が急に軽くなった。
二週間。
背嚢。
SG-44。
仲間。
色々なものを背負ってきた。
レイブンは父を見た。
教官として立っている。
ヴァルター・クロウ。
ここへ入隊してから。
何度も怒鳴られた。
何度もやり直しを命じられた。
そして。
何度も聞かれた。
何のために志願した。
最初は。
答えられなかった。
家族を守りたい。
それは嘘ではない。
母を。
父を。
ルナを。
守りたかった。
しかし。
それだけでは。
なぜ軍人でなければならないのか。
自分でも。
説明できなかった。
レイブンは父の前まで歩いた。
「教官」
「何だ、《NoX》」
その呼び方を聞いた時。
レイブンは少し笑った。
「今だけ父さんって呼んでもいい?」
ヴァルターは。
息子の顔を見た。
泥。
埃。
疲労。
目の下には薄い隈までできている。
それでも。
目だけは。
出発した時より。
ずっと真っ直ぐだった。
「……言ってみろ」
レイブンは一度。
後ろを振り返った。
ミレイア。
ガイル。
フィーナ。
ディートリヒ。
エミリア。
そして。
負傷判定を受けながら。
それでも全員で帰ってきた仲間たち。
さらに。
遠く離れた家にいる。
母。
セレナ。
妹。
ルナ。
レイブンは父へ向き直った。
「父さん」
「ああ」
「俺、ようやく志望動機が分かったような気がするよ」
ヴァルターは何も言わなかった。
続きを待った。
「最初は家族を守りたかった」
レイブンは自分の手を見る。
「それだけだった。母さんと、父さんと、ルナが無事なら、それでいいと思ってた」
十一日目。
無線から聞こえた。
助けを求める仲間の声。
あの時。
迷わなかった。
距離を測り。
行けると思った。
だから。
向かった。
「でも今回、無線で助けを求められた時、行かなきゃって思った」
ヴァルターの目が僅かに動く。
「命令されたからじゃない。評価されるからでもない。そこに助けを必要としてる仲間がいて、俺たちなら間に合うって分かったから」
レイブンはSG-44へ触れた。
「父さんが言っただろ。これは帰るための銃だって」
「ああ」
「たぶん」
レイブンは少しだけ笑った。
「俺は、自分が帰るためだけじゃなくて」
言葉を探す。
今度は。
誰かに教えてもらうのではなく。
自分で。
「誰かを帰すためにも、これを持ちたい」
ヴァルターは。
黙って聞いていた。
「家族だけじゃなくて、この世界のためなら、どんな場所へでも駆けつけられるような――」
レイブンは一度息を吸った。
そして。
ようやく。
言葉にした。
「即応の守護者になりたいと思うんだ」
誰も笑わなかった。
「困ってる人がいるなら、山でも、砂漠でも、町でも、異界門の向こうでも、必要とされたら駆けつけられる兵士になりたい」
レイブンは父を見る。
「父さん的に……」
少し言葉に詰まった。
それから苦笑する。
「教官的には、どうかな?」
ヴァルターは。
すぐには答えなかった。
六歳だった息子を思い出していた。
三か月ぶりに異界から帰還した自分を。
病院の中で見ていた。
あの小さな黒猫。
右腕を失った父親を見て。
それでも。
帰ってきたことを喜んでくれた子供。
町が戦場になった時には。
母のそばにいた。
撤退の中で。
〔殺気看破〕を目覚めさせた。
十二歳になれば。
試作段階だったSG-44へ。
開発班が頭を抱えるほど。
遠慮なく文句を言った。
ルナが生まれ。
兄になり。
そして。
志願したいと言ってきた。
あの日。
ヴァルターは息子へ。
何のために志願するのか。
まずそれを考えろと言った。
答えを教えなかった。
教えたくなかった。
自分の答えを。
息子の答えにしてほしくなかったからだ。
そして今。
泥だらけになった息子が。
自分自身の言葉で。
答えを持って帰ってきた。
ヴァルターは。
教官としての顔を保とうとした。
だが。
少しだけ。
無理だった。
「……長かったな」
レイブンが首を傾げる。
「何が?」
「答えを出すまでだ」
「悪かったな」
「だが」
ヴァルターは息子の肩へ手を置いた。
右手だった。
かつて失い。
再構築された腕。
その手で。
息子の肩を掴む。
「それでいい」
レイブンの耳が僅かに動いた。
「本当に?」
「ああ」
ヴァルターは頷いた。
「少なくとも、誰かに言わされた志望動機よりはずっといい」
「教官としては?」
「まだ甘い」
「えっ」
「『どんな場所へでも駆けつける』なんて簡単に言うな。本当に行かされるぞ」
「……確かに」
「守れないこともある。間に合わないこともある。助けようとして、自分が助けられる側になることもある」
レイブンは。
ミレイアを見る。
昨日。
自分も守られる側だと。
教えられた。
「うん」
「それでもやるか?」
レイブンは。
今度は。
迷わなかった。
「やる」
「そうか」
ヴァルターは肩から手を離した。
そして。
教官として。
背筋を伸ばした。
「なら、忘れるな」
「何を?」
「即応の守護者を名乗りたいなら、最後に守るべきものの中へ自分自身も入れておけ」
レイブンは父を見る。
「お前が帰らなければ、待っている人間を守ったことにはならん」
セレナ。
ルナ。
そして。
今ここにいる仲間たち。
レイブンは。
ゆっくりと頷いた。
「了解」
「声が小さい」
父ではない。
教官の声だった。
レイブンは。
自然と姿勢を正した。
「了解しました!」
ヴァルターは頷く。
「よろしい」
そして。
ほんの一瞬だけ。
教官の表情が崩れた。
父親の顔になった。
「よく帰ってきた、レイブン」
それだけだった。
それだけで。
十分だった。
レイブンは。
父へ敬礼した。
十四日前。
この門から出た時とは。
少し違う敬礼だった。
まだ一人前の兵士ではない。
戦場も知らない。
実戦で誰かを守ったわけでもない。
訓練を終えただけだ。
それでも。
何のために。
軍服を着るのか。
何のために。
SG-44を持つのか。
何のために。
必要とされた場所へ向かうのか。
その問いに。
レイブンは。
ようやく。
自分自身の答えを持って帰ってきた。
その答えを聞きながら、ヴァルター・クロウは、目の前に立つ黒猫の青年が、いつの間にか自分の背中を追いかけるだけの少年ではなくなっていたことを知った。
父と同じ軍人になるのではない。
父が歩いた道を、そのまま歩くのでもない。
レイブンには。
レイブン自身が選んだ理由がある。
誰かが助けを求めた時。
届く場所にいるのなら。
そこへ向かう。
そして。
一人でも多く。
帰す。
それが。
後に何度も彼自身を戦場へ向かわせることになる言葉だとは。
この時のレイブンは、まだ知らなかった。
今はただ。
二週間ぶりに帰ってきた訓練基地の正門で。
泥だらけの仲間たちと。
父の前に立っている。
それだけでよかった。
新兵《NoX》としての最終総合訓練は。
こうして。
全員帰還という形で終わった。




