Season 3「志願兵」 #028
第二十八話「消えた足音」
入隊してから、何日経っただろう。
レイブンはいつの間にか、朝を知らせる起床ラッパが鳴る数分前に目を覚ますようになっていた。
最初の頃のように、音へ驚いて寝台から転げ落ちることもない。
軍服へ袖を通す順番も。
軍靴の紐を締める手つきも。
装具を身につける速度も。
少しずつ身体へ馴染んできた。
そして何より。
「レイブン! 先行くぞ!」
「待って!」
宿舎の扉から顔を出したガイルに返事をしながら、レイブンは最後に襟元を直した。
「また寝坊?」
先に廊下へ出ていたミレイアが笑う。
「寝坊してない。ガイルが早いだけ」
「今日は二分前だ!」
「それを早いって言うんだよ」
ガイルの後ろを、すでに準備を終えたディートリヒが歩いていく。
「あと三分十四秒」
「ほら、間に合ってる」
「ディートリヒを時計代わりにするな」
そんな会話も。
いつしか日常になっていた。
走る。
撃つ。
装備を整備する。
地図を読む。
負傷者を運ぶ。
伏せる。
匍匐する。
食べる。
眠る。
そして翌朝。
また走る。
訓練の種類が増えるほど、新兵たちの身体には擦り傷や痣が増えていった。
それでも。
最初の日より、全員の動きは確実に速くなっていた。
兵士と呼ばれるには、まだ遠い。
けれど。
少なくとももう、軍服を着ているだけの民間人ではなかった。
◇
その日の訓練が終わったのは、陽が山の向こうへ沈みかけた頃だった。
「第二小隊、本日の訓練終了!」
「ありがとうございました!」
声を揃える。
「装備を点検後、宿舎へ戻れ!」
「はい!」
その言葉を聞いた途端。
「終わったぁ……」
ガイルがその場へ座り込んだ。
「座るな。装備が汚れる」
ディートリヒが言う。
「もう汚れてる」
「だからといって増やす理由にはならない」
「お前、本当に疲れないの?」
「疲れている」
「その顔で?」
「疲労と表情は別だ」
「意味分かんねえ……」
ヨハンが苦笑しながら二人を見ている。
フィーナは自分の手袋を外し、掌にできた小さな擦り傷を確認していた。
ノアは今日の射撃結果について、まだ納得していないらしい。
「最後の二発、絶対風だって」
「言い訳」
ミレイア。
「本当に風!」
「私の時も同じ風だったけど?」
「……」
「私の勝ち」
「次は負けない」
そんな同期たちを見ながら、レイブンも背嚢を降ろそうとした。
その時だった。
「レイブン」
「はい!」
反射的に背筋が伸びる。
声の主はヴァルターだった。
「クロウ新兵ではない」
「……え?」
「今はレイブンと呼んだ」
ヴァルターは左手に一冊の小さな手帳を持っていた。
訓練用の記録帳ではない。
使い込まれている。
角が少し丸くなり。
表紙には小さな傷もある。
「教官?」
「今は違う」
レイブンの耳が立つ。
ヴァルターは周囲を見る。
ガイルたちもいる。
ほかの新兵もいる。
教官補佐もいる。
その全員の前で。
ヴァルターは一度咳払いをした。
「父親として話す」
「……はい」
レイブンの返事も。
自然と新兵のものではなくなった。
ヴァルターは手帳を見る。
「お前が入隊してから」
少しだけ間を置く。
「ルナの成長記録を毎日つけている」
「……ルナの?」
「ああ」
レイブンの黒い尻尾が動いた。
「俺とセレナで交代しながらな。何を食べたとか、どんな言葉を覚えたとか、何をして泣いたとか」
ヴァルターが表紙を親指で撫でる。
「お前がいない間にも、あいつは毎日大きくなる」
レイブンは何も言わなかった。
家を出た日のことを思い出した。
まだ幼い妹。
覚えたばかりの言葉で。
自分を応援してくれた。
小さな白い猫耳。
柔らかな尻尾。
抱き上げた時の軽さ。
「父さん」
「うん」
「それ……今、読んじゃ駄目?」
「駄目だ」
「即答?」
「お前が立派な新兵になったら、プレゼントとして渡すつもりだ」
ヴァルターはそこで少し迷い。
珍しく。
言葉を選ぶように続けた。
「……要るか?」
レイブンは。
父の顔を見た。
「要る」
即答だった。
今度はヴァルターが少し驚く。
「まだ中身も見てないぞ」
「要るよ」
「そうか」
「絶対要る」
レイブンは笑った。
「帰った時にルナ本人から聞けばいいことも、たくさん書いてあるんだろ?」
「ああ」
「だったら余計に欲しい」
「何でだ」
「俺がいなかった間のルナも」
レイブンは手帳を見る。
「兄ちゃんだから知りたい」
「……そうか」
ヴァルターの黒い猫耳が。
ほんの少しだけ横を向いた。
照れている。
レイブンには分かった。
「じゃあ、約束だ」
ヴァルターは手帳を胸ポケットへ戻した。
「ちゃんと新兵課程を終えろ」
「うん」
「それまでは渡さん」
「分かった」
「それから」
「何?」
「セレナには、みんなの前で渡す約束をしたことは黙っておけ」
「何で?」
「俺が恥ずかしい」
「もうみんな聞いてるけど」
「……」
後ろ。
ガイル。
満面の笑み。
「クロウ教官、いいお父さんですね」
「ベッカー新兵」
「はい!」
「明日の背嚢、五キロ追加」
「何で!?」
笑い声が上がった。
「父さん、それは職権乱用じゃ――」
「クロウ新兵」
「はい!」
「お前も五キロ」
「俺まで!?」
「今から教官へ戻った」
「ずるい!」
今度は。
ミレイアまで声を上げて笑った。
レイブンも。
結局。
一緒に笑った。
少しだけ。
家が近くなったような気がした。
◇
翌日。
第二小隊は朝から、いつもとは違う訓練場へ集合させられた。
射撃場ではない。
建物に囲まれた、比較的狭い実技訓練区画。
新兵たちが到着した時には、すでに数人の技術士官と兵器局の人間が待っていた。
「何だろ」
ミレイアが小声で言う。
「新しい装備?」
フィーナ。
「試験じゃないか?」
ノアの耳が立つ。
「また射撃?」
「お前嬉しそうだな」
ガイル。
「射撃ならな」
レイブンは。
何も言わなかった。
視線は。
中央の長机に置かれた。
布を被せられた細長い物体へ向いている。
何だ。
あれ。
「整列!」
ヴァルターの声。
全員が並ぶ。
兵器局の技術士官がヴァルターへ何か確認し。
頷いた。
ヴァルターが新兵たちを見る。
「ここ数日の結果から、第二小隊は帝国軍で現在運用している主要な歩兵装備について、基礎的な取り扱い能力を身につけたと判断された」
ガイルの犬耳が立つ。
「つまり?」
「ベッカー新兵」
「はい!」
「勝手に質問するな」
「はい……」
ヴァルターは布の横へ立った。
「今日から少し違うことをやる」
左手。
布を掴む。
「これは制式装備ではない」
引く。
布が落ちた。
「……」
レイブンの目が。
細くなる。
そこにあった銃は。
これまで訓練で扱ったどの銃とも違っていた。
短い。
太い。
だが。
無骨なだけではない。
前方の銃身には重量を削るための加工が施されており、必要以上に金属を残していない。
後部の銃床は折り畳み式。
展開すれば肩へしっかり当てられ。
畳めば、狭い場所でも銃全体を短く保てる。
銃の下。
前方には。
手で前後させるためのポンプ。
そして。
引き金のすぐ近く。
通常の安全装置とは別に。
もう一つ。
操作部がある。
レイブンは。
その形に。
見覚えがあった。
「……まさか」
ヴァルターの耳が動く。
「知っているのか、クロウ新兵」
「実物は初めてです」
「なら何を知っている」
「昔」
レイブンは銃を見る。
「父……クロウ教官が、家で図面を見ていた」
「そうか」
ヴァルターは。
少しだけ銃へ視線を落とした。
「SG-44」
その名前が。
初めて。
同期全員の前で告げられた。
「帝国軍兵器開発局が試験中の新型ショットガンだ」
ノアが身を乗り出しかけ。
慌てて姿勢を戻す。
「ショットガン……」
「そうだ」
ヴァルターはSG-44を持ち上げた。
「使用するのは帝国新式散弾実包。現在は通常散弾のみだ」
レイブンは。
父の持つ銃を見る。
右腕を失ったヴァルターは、左手だけで銃を支えている。
だからこそ。
重さに。
敏感なのだろう。
「この銃は、まだ完成品じゃない」
ヴァルターは言った。
「今日は武器そのものの性能を試す日でもない」
SG-44を机へ戻す。
「試されるのは、お前たちだ」
空気が変わる。
「適任者を見つける」
ミレイアの耳が立つ。
「適任者……?」
ヴァルターが頷く。
「この銃を専門的に扱う兵士へ育てる候補者を選ぶ」
レイブンの胸が。
少しだけ。
強く鳴った。
「今日一日で決めると思うな。数日にわたって見る」
ヴァルターはSG-44を指した。
「筋力だけでは決めない。射撃成績だけでもない。装填、判断、操作、移動、整備。失敗した時にどう対処するかも見る」
「……」
「そして」
新兵たちを見る。
「銃に自分を合わせるだけでなく、自分に銃を合わせられるか」
レイブンは。
その言葉を。
妙に長く覚えていた。
◇
初日は。
撃たなかった。
またか。
ガイルの顔がそう言っていた。
だが。
今回は理由が違う。
「重っ……」
ガイルがSG-44を構える。
「見た目より来るな」
「前が重い?」
ミレイアが聞く。
「少し」
ディートリヒが横から観察する。
「重心が前寄りだ」
「撃ってないのに分かるの?」
「持てば分かる」
「お前、本当に何者?」
「新兵だ」
順番。
レイブン。
「クロウ新兵」
「はい」
ヴァルターから。
SG-44を受け取る。
ずしり。
「……」
確かに。
重い。
だが。
以前扱った一部の長銃ほどではない。
折り畳まれた銃床を展開。
肩。
構える。
視線。
銃身。
照準。
レイブンは。
少し首を傾げた。
「何だ」
「前が重い」
「それは全員言った」
「でも」
もう一度。
構える。
「嫌な重さじゃない」
ヴァルターの目が変わる。
「どういう意味だ」
「前へ引っ張られる感じはあるけど」
レイブンは一度銃を下げ。
今度は銃床を折り畳む。
短くなる。
構える。
「こっちだと取り回しやすい」
「当然だ」
「でも」
レイブンは。
前方のポンプを見る。
「これ」
「何だ」
「手動で回す時」
前後へ。
動かす。
「もう少し滑り止めが欲しい」
技術士官の眉が動く。
「手袋で操作するなら、濡れた時に滑りそう」
レイブンはさらに。
引き金付近の切替操作部を見る。
「それと」
「まだあるのか」
「これ、少し大きい」
ヴァルター。
黙る。
兵器局の技術士官も。
黙る。
「……何です?」
レイブンが二人を見る。
ヴァルターの口元が。
わずかに動いた。
「同じことを俺も言った」
「あ」
「続けろ」
「はい」
レイブンは。
遠慮しなかった。
「あと、俺だったら――」
ミレイアが後ろで。
小さく呟いた。
「始まった」
「何が?」
ガイル。
「レイブンの辛口」
「あいつ武器相手だと遠慮ないな」
「工房にいたら嫌われるタイプ」
「聞こえてるぞ!」
レイブンが振り返る。
「前を向け、クロウ新兵」
「はい!」
笑い。
しかし。
ヴァルターだけは。
息子がSG-44を持つ姿を。
少し長く見ていた。
◇
適性試験は。
一日では終わらなかった。
二日。
三日。
さらに続いた。
最初は基本操作。
次に。
装填。
SG-44には。
一発ずつ装填する方法と。
大容量ドラム式弾倉を使用する方法がある。
どちらか一方を覚えればいいわけではない。
状況によって使い分ける。
それが。
ヴァルターの方針だった。
「弾倉交換!」
号令。
レイブン。
操作。
「遅い!」
「はい!」
ドラム。
外す。
新しいもの。
装着。
「確認!」
「装着確認!」
「次!」
別の日。
「ドラム使用不能!」
「え?」
「破損したと思え!」
ヴァルター。
「どうする!」
レイブンは。
一瞬止まり。
すぐ。
個別装填へ切り替えた。
「続けろ!」
「はい!」
また。
別の日。
ポンプアクション。
射撃。
作動。
次。
射撃。
今度は。
切替操作。
単発。
射撃。
反動。
次弾。
レイブンは。
何度も失敗した。
切替を忘れた。
装填を急いだ。
ドラムを斜めに入れかけた。
ポンプ操作を中途半端にした。
そのたび。
「やり直せ!」
「はい!」
最初から。
また。
最初から。
ミレイアも。
ノアも。
ガイルも。
ディートリヒも。
同じだった。
誰が適任なのか。
まだ。
誰にも分からない。
◇
そして。
適性試験が始まって数日後。
銃を使わない訓練が組まれた。
「今日は市街地想定」
ヴァルターの前。
新兵たち。
「目標は戦闘ではない」
地図。
簡易的に作られた訓練区画。
建物。
路地。
障害物。
「相手へ見つからずに指定地点へ到達しろ」
ガイル。
嫌そうな顔。
「質問」
「許可する」
「俺、こういうの苦手です」
「知っている」
「知ってるんですか!?」
「お前は歩くとうるさい」
「……」
同期。
笑う。
「笑うな!」
訓練開始。
◇
レイブンは。
壁際を歩いていた。
足音。
抑える。
猫系亜人は。
もともと。
足運びが静かな者が多い。
だが。
装備を身につければ別だ。
金属。
布。
弾薬嚢。
身体を動かせば。
どこかが音を立てる。
「……」
レイブンは。
前を見る。
模擬敵。
教官補佐。
巡回。
ここを通れば見つかる。
迂回。
狭い。
進む。
ゆっくり。
足。
置く。
体重。
移す。
また。
一歩。
その時。
妙な感覚がした。
「……?」
自分の。
足音が。
聞こえない。
いや。
それだけではない。
衣擦れも。
装具が触れる小さな音も。
ほとんど。
消えている。
レイブンは。
止まった。
音が。
戻る。
「……何だ?」
また。
一歩。
集中。
消える。
耳が。
自分の音を拾わない。
それだけではなかった。
巡回中の教官補佐が。
レイブンのすぐ近くを通った。
見えていない。
遮蔽物があるから。
それは当然。
だが。
猫系亜人なら。
この距離。
音で。
分かる。
はずだった。
教官補佐は。
通り過ぎた。
「……」
レイブンの。
金色と黒色の異色眼が。
わずかに見開かれる。
そのまま。
進む。
一歩。
二歩。
三歩。
音がない。
まるで。
自分という存在だけが。
世界の音から切り離されたようだった。
指定地点。
到達。
「……到着」
その瞬間。
緊張が切れた。
ざっ。
軍靴が地面を擦った。
「え」
自分でも。
その音の大きさに驚いた。
◇
監視室。
ヴァルターは。
記録員の横で。
映像を見ていた。
「今の」
「はい?」
「戻せ」
「どこまでです?」
「クロウ新兵が角を曲がる前」
映像。
戻る。
再生。
レイブン。
歩く。
その瞬間。
監視用の音響記録。
波形。
落ちる。
「……故障か?」
記録員。
「別の集音器を確認します」
別系統。
同じ。
ヴァルターの表情が。
変わった。
「教官補佐へ確認」
「はい」
無線。
『対象を認識したか』
『クロウ新兵ですか?』
『そうだ』
『……いえ』
『音は』
少し。
間。
『聞いていません』
ヴァルターは。
黙った。
記録員が。
画面を見る。
「これ……」
「ああ」
ヴァルターの黒い耳が。
ゆっくり立った。
「スキルだ」
◇
訓練終了後。
レイブンは教官室へ呼ばれた。
「失礼します」
「入れ」
ヴァルター。
記録員。
技術担当。
そして。
レイブン。
「何かしました?」
「したから呼んだ」
「怒られる方?」
「多分違う」
「多分?」
「俺も初めて見る」
レイブンは。
父を見る。
「今日」
ヴァルター。
「市街地訓練で何をした」
「普通に」
「普通は禁止だ。具体的に言え」
「……足音を消そうとしました」
「どうやって」
「いつも通り、静かに歩こうと」
「そのあと」
「途中から」
レイブンは。
自分の足を見る。
「音がなくなった」
「自分でも分かったか」
「うん……はい」
「装備の音も?」
「ほとんど」
「意識したらできた?」
「途中からは」
ヴァルター。
腕を組もうとして。
右腕がないことに気づくように。
一瞬。
動きが止まる。
左手を顎へ。
「もう一度やってみろ」
「ここで?」
「歩け」
「はい」
レイブン。
一歩。
普通。
音。
「集中しろ」
「……」
息。
ゆっくり。
足。
置く。
その瞬間。
消えた。
「……」
軍靴が。
床へ触れている。
なのに。
音がない。
さらに。
一歩。
衣服。
装具。
ほとんど。
鳴らない。
記録員が。
目を見開く。
「音響計……下がっています」
レイブンが。
集中を解く。
足音。
戻る。
「……これ」
自分を見る。
「俺の?」
「おそらくな」
ヴァルター。
少し。
笑った。
「二つ目だ」
「……二つ目」
「〔殺気看破〕とは別の個人スキル」
レイブンは。
自分の手を見る。
「名前は?」
「まだ正式にはない」
「じゃあ」
レイブン。
少し考える。
「〔気配完全遮断歩行〕」
ヴァルター。
眉を上げる。
「長いな」
「格好いいじゃん」
「お前が使うなら好きにしろ」
「いいの?」
「個人スキルだろ」
少し。
沈黙。
レイブンが。
笑う。
「じゃあ、これで」
「ただし」
父ではなく。
教官の目へ戻る。
「明日から検証する」
「……ですよね」
「当然だ」
「訓練増える?」
「増える」
「やっぱり」
「それから」
「まだあるの?」
「スキルを使えば何でもできると思うな」
レイブンの顔から。
少し笑みが消える。
「音が消えても、姿は消えない」
「はい」
「匂いも残る」
「はい」
「足跡も」
「はい」
「そして集中が切れれば、今みたいに戻る」
レイブン。
頷く。
「分かりました」
「ならいい」
ヴァルターは。
書類へ記入する。
ペン。
止まる。
「……レイブン」
「何?」
また。
父の声だった。
「ルナの日記」
「うん」
「今日のことも書いておく」
「俺のことなのに?」
「『兄が変な歩き方を覚えた』とな」
「やめて!」
ヴァルターが。
珍しく。
声を出して笑った。
◇
宿舎へ戻ると。
当然。
全員に囲まれた。
「消えてみろ!」
ガイル。
「消えないよ!」
「じゃあ音消して!」
ノア。
「見世物じゃない!」
ミレイアが。
じっとレイブンを見る。
「本当に足音消えるの?」
「らしい」
「やって」
「嫌」
「何で」
「疲れた」
「一回だけ」
「……一回だけな」
レイブン。
集中。
一歩。
音。
消える。
「……」
全員。
黙る。
もう一歩。
ガイルの犬耳が。
左右へ動く。
「聞こえない」
ノアの長い耳も。
ぴくぴく動く。
「俺も」
ミレイア。
レイブンを見る。
「ずるい」
「何が」
「猫系亜人として負けた気がする」
「知らないよ」
ディートリヒ。
冷静。
「実用性は高い」
「お」
「ただし」
「ただし?」
「お前は今、机にぶつかりそうだ」
「え?」
ごん。
「痛っ!」
集中。
解除。
「……」
全員。
爆笑。
「音消えても机は消えないんだな!」
「ガイルうるさい!」
ミレイア。
腹を抱えている。
「最高……」
「笑うな!」
「だって……!」
レイブンも。
結局。
笑った。
◇
夜。
笑い声が消えたあと。
レイブンは寝台の上で。
家族写真を見ていた。
父の言葉。
――ルナの成長記録。
毎日。
母と父が。
書いている。
自分が知らない。
妹の日々。
最初にどんな言葉を覚えたのか。
何を食べて笑ったのか。
何を嫌がったのか。
父に抱かれて眠ったのか。
母を困らせたのか。
「……欲しいな」
小さく。
呟く。
立派な新兵。
何をもって。
そう呼ばれるのか。
まだ分からない。
射撃が上手ければいいのか。
走れればいいのか。
SG-44を使えればいいのか。
スキルが二つあればいいのか。
多分。
どれも。
それだけでは足りない。
枕元。
手帳。
開く。
今日。
新しく書く。
――SG-44。
少し考える。
――まだ扱いづらい。でも、嫌いじゃない。
さらに。
――〔気配完全遮断歩行〕。
その下。
――音は消せる。でも机には勝てない。
「……」
自分で書いて。
少し笑った。
そして。
最後。
――ルナの日記が欲しい。
そこだけ。
何度も見返した。
外。
遠くで。
夜間訓練の号令が聞こえる。
戦争は。
まだ終わっていない。
世界各地に開いた異界門も。
閉じてはいない。
帝国軍と連邦共和国軍。
そして。
異界から逆侵攻してきた軍勢。
三者の戦いは。
レイブンたち新兵が訓練している間にも続いている。
いつか。
ここを出る。
その日は。
確実に近づいている。
それでも今。
レイブンが考えていたのは。
戦場ではなかった。
白い猫耳を揺らしながら。
家の中を走っているであろう。
妹のことだった。
「ルナ」
写真の中。
小さな妹へ。
兄は。
声に出さず約束する。
ちゃんと。
立派な新兵になる。
日記を受け取る。
そして。
それを持って。
家へ帰る。
そのために。
明日もまた。
訓練場へ立つ。




